ハリー・ポッターは諦めている   作:諒介

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CHAPTER6-3

 魔法薬学の教室のある地下はじめじめとしていて薄暗くて少しだけ気味が悪い。ここに教室があるのはなんとなく魔法薬に使う材料の品質を保つためのような気がしている。食べ物にしても冷暗所での保管は鉄則だからだ。とはいえ、ここに寮があるというスリザリンは、この地下というイメージで余計に陰湿な雰囲気に感じられているような気がしなくもない。ハリーは割と地下は快適だし嫌いではないし、階段下の物置で暮らしていた身としてはちょっと落ち着く部分もある。

 ハリー以外のロン、シェーマス、ディーンにネビル、そしてハーマイオニーはびくびくと身を寄せ合いながらその教室に向かっていた。なにも暗闇の中を歩いているわけでもないのに、とハリーは思うが、彼らにしてみたら少し不気味な地下はあまり好きではないし、しかも彼らが嫌っているスネイプ教授の下に没収された本を返してもらうために行く、というあまりにも心理的負担の大きい状況だ。

 ロンたちの気持ちだって分からないわけではない。でも、同調して同じ気持ちになる必要性は感じない。

 ハリーがスネイプを嫌っていないことを知ったロンたちは、彼がいかに嫌われるべき人物であるかを語ってくれた。もっともハーマイオニーは彼らの意見には賛同していない。気難しいし、贔屓をする部分もあるだろうがあくまでも先生に対して好きとか嫌いというのはどうだろう、というのが彼女の意見だ。しかし、もともとスリザリンに対してアレルギーでもあるかのように嫌っているロンにしてみれば、「スリザリンの寮監」というだけで嫌うに足りるということになる。それがまかり通るなら、「グリフィンドールの生徒」というだけで毎日十点くらい減点されたって文句は言えなくなるだろうに。

 ロンのスリザリン嫌いは根が深すぎて手の施しようがない。魔法界のことを知らないディーンは彼やシェーマスからの情報がほとんどになり、二人があからさまにスリザリンを悪く言うのでかなりその影響を思い切り受けている。ネビルは、あまり深くは語らないがスリザリンを好きじゃないことは確かだろう。

 そんなやり取りをしながらたどり着いた魔法薬学の教室の前。

 うっすら扉が開いているのか、薄暗い石造りの廊下に細い光の筋が落ちていた。

 そしてどうやらその中に彼はいるらしく、誰かと話している声がハリーの耳にもとぎれとぎれではあるけれど聞こえてくる。

 取り込み中であるならばきっと出直したほうがいいだろう。

 ハリーはそう思って来た道を戻ろうとしたが、それはハーマイオニーによって阻止された。

 彼女はハリーを引き留めると、その場にとどまれとでも言いたげに首を横に振る。グリフィンドール寮からここまでは結構距離があるので出直すよりはこのままここで待っていたほうがいいということだろうか。しかし、あの神経質なスネイプ教授がうっかり扉をきれいに閉めていないせいで中の会話が聞こえてきてしまい、気まずいのでできればそうしたくはない。こういう時は、そっとその場を離れて出直したほうが相手の機嫌を損ねずに済むというのは、バーノンおじさんで十分に学習している。うっかり立ち聞きでもしようものなら、それが偶然に起きた事故だとしても食事抜きは免れない。

 スネイプ教授と話しているのはフィルチのようだった。

 あの二人が仲がいいなどという話は聞いたことがないが、まあ職員同士全く交流がないというわけもないだろう。二人は毎日のように校内で悪戯をしている双子や、統率のとれない生徒たちのことでひとしきり愚痴を言い合い、いやフィルチの愚痴をスネイプが聞いていた。そして、ふとフィルチが言った言葉にハリーたちは息をのんだ。

 

「そういえば先生。怪我の具合はどうですか?」

 

 スネイプは一体いつ怪我をしたのだろう。前の魔法薬学の授業のときはそんなそぶりは全く見せていなかった。まあほとんど分からないような些細な怪我だったのかもしれないが、だとしたらわざわざここでフィルチがそんなことを聞く必要もない。

 

「そういえば、さっきスネイプは足を引きずっていたわ。」

 

 ハーマイオニーが小声で呟いた。

 授業のときはそんなことはなかったのだから、その怪我はつい最近負ったものなのだろう。

 骨折のような単純な外傷であれば魔法界はあっという間に癒してしまう。しかし、魔法によってつけられたものなどの特別なものはその限りではない。たとえばハリーの額の傷跡だが、これは呪いによってつけられたものらしくどんな手を尽くしても消すことはできないらしい。あくまでも本情報ではあるけれど。

 魔法薬学教授であらゆる薬に精通しているスネイプがその傷を放置することはそうそうないだろう。つまり、彼の怪我は特殊な事情でつけられたものということになる。

 ハリーの考え通りにスネイプは忌々しげに「あの犬」と原因を口にした。

 校内で犬に該当しそうなものはそんなにない。少なくともハリーが知っている「犬」はあの禁じられた廊下の先にいた三つの頭をもつあの犬だけだ。もっともハリーが知らないだけでほかにも犬はいるのかもしれないけれど。でも少なくとも授業でほかの犬を見たことはないし、生徒たちだって校内に犬を持ち込んではいけない。許可されているのはフクロウとカエル、そしてネズミだ。ハリーはハグリッドにもらった白フクロウを連れてきているし、ネビルはよくペットのカエルのトレバーが迷子になっている。ロンは兄からのおさがりだというネズミのスキャバースのことを文句を言いつつも可愛がっている。

 仮に本当にその犬だとして、なぜスネイプは怪我をするようなことになったのだろう。

 ひょっとして実はあの三頭犬は先生方が順番で面倒を見ていて、飼育当番になったスネイプ教授が餌を与えに行ったが、懐いていないため警戒されて襲われたのだろうか。いや、さすがにそんな間抜けな展開はないように思う。まず第一に先生方が当番でというあたりがおかしい。だが、生き物である以上あの犬の世話をしている人物はいるはずだ。そしてそれはたぶん、それが原因でけがをしているスネイプではないだろう。

 ハリーは三頭犬の事を思い出しながら、実際のあれの飼い主は誰になるのか考えていた。

 あのときハーマイオニーはあの犬がなにかを守っていると言っていた。実際のところ真実は分からないけれど、そうでもない限り明らかに凶暴そうなあの風体の犬を室内で、しかも生徒を預かっている学校の中で飼うことなどありえないだろう。

 でも仮に何かを守っているとして、あの犬だけで守れるものなのだろうか。

 なにしろ、あの時の扉はハーマイオニーの開錠呪文でいとも簡単に開いてしまった。一年生のハーマイオニーにできたことなどほとんどの魔法使いにとっては容易いことだ。犬にしても確かに何も知らずに見れば驚いて冷静な対応はできないかもしれない。でも、そこになにがいるのかわかってしまえば対策の取りようなどいくらでもあると思う。本当に何かを守るならあまりにも杜撰すぎると言わざるをえない。いっそ新手のどっきりアトラクションだと言われたほうが納得できる気がする。規則を守らない生徒をビックリさせるための犬だ。だとしたら危険すぎるけれど。

 部屋の中からごとり、と音がして思わずハリーたちは廊下の物陰に隠れた。

 様子をうかがえば出てきたのはやはりフィルチで、ぐちぐちと生徒たちの文句を言いながらイライラとした足取りで足早に去って行った。あの雰囲気だと扉を閉め損ねたのは彼なのかもしれない。

 とりあえずこれで教室の中にはスネイプが一人になったと思われる。本を取り戻すなら今のうちに行ったほうがいいだろう。

 しかしロンたちはその場所から動こうとしなかった。

 確かに聞こえてきた声の調子は、明らかに想像以上に彼が不機嫌なことを告げていた。これはひょっとすると本を没収したのは、虫の居所が悪かった故の純然たる八つ当たりなのかもしれない。さすがにそうなるとあまりにも大人げないなと思わざるをえなくて、ハリーは思わず顔をしかめた。

 まあ、大人だとしても気分でそういうことをしてしまうのはなんとなく分からないわけではない。ペチュニアおばさんだってバーノンおじさんだって気分が悪ければハリーに対して辛く当たったし、理不尽な言いがかりに近いことで食事を抜かれたことだってある。だからハリーはこれに対し別に怒りとかそういった気持ちにはならなかった。だからちょっとハーマイオニーたちとは感情に温度差が生まれてしまう。

 

「犬ってあの犬かな?」

 

 こそり、とディーンが呟く。

 聞こえてしまった以上興味をひかれるのは仕方のないことだ。

 

「でもいつ?」

 

 シェーマスも呟いた。

 でも、ここで話すことじゃないし今はそれよりやるべきことがあるはずだ、とハリーは思う。

 すでにロンやハーマイオニーもスネイプの怪我の原因に興味が移ってしまっているようだ。いや、この場合嫌なことから目をそむけた結果、そこにあったものに飛びついたといったほうがいいのかもしれない。ダドリーもよくそんなことしていたし。ただ、嫌なことは先延ばしにしてもいいことがない、というのがハリーの経験から得た持論だ。さっさと終わらせて、小言が増える前に離脱したほうが気持ちへの負担が少なくてすむ。

 こそこそと小さな声で自分たちの考えを話し合い始めた彼らをちらりと見てハリーはちょっと目を瞑り、そして息を吐くと魔法薬学の教室の扉へと向かい始めた。たぶんこれは自分のやることではないとは思いつつも、ここで話していても埒はあかないし、ましてスネイプが部屋から出てきてしまえば余計に機嫌を損ねかねない。

 そんなハリーの様子に気が付いたネビルが、ハリーの袖をきゅっと掴んだ。

 

「ハリー、大丈夫?」

 

 ネビルは信じられないものを見ているような目でハリーを見ていた。そんなに見開いたら目玉が転がり落ちてしまうんじゃないかというくらい目を見開いて。

 

「大丈夫だよ。」

 

 別に危害を加えられるわけではないし。ただ、ちょっと小言や嫌味は言われるかもしれないけれどそんなのは別に気にならないし、慣れている。

 ロンとハーマイオニーがそんな二人のやり取りに気が付いて、慌ててハリーを押しのけてスネイプのもとへ向かっていった。まあ本人たちが行ってくれるならそれが一番いい。ハリーが行けば、自身で来なかったことに対し減点されていた気がするし。

 ハリーは扉に向かっていく二人の背中を眺め、そして彼らが扉の奥に消えると同じように彼を心配そうに見ていたディーンとシェーマスのほうに向きなおった。ネビルは扉のほうからスネイプの怒声が聞こえてくるのではないかと今もびくびくと扉を見つめている。そんなに怖いなら耳でも塞いで目を背けていたほうがいいと思うけれど、ネビルはどんなに怖くてもそこから目は逸らさない。最近彼を見ていてわかってきたことだ。

 しばらくして、二人はばたばたと彼らのもとに帰ってきた。ハーマイオニーは大事そうに本を抱えているし、ロンは少しだけ頬を紅潮させて興奮しているのが伝わってくる。

 ともかくそこから早く離れたいという気持ちはみんなが一致していたので、来た時よりも足早に彼らは地下から脱出した。

 

「なんでスネイプは怪我をしているのかしら。」

 

 両腕で大切そうに取り返した本を抱えていたハーマイオニーがそう言ったのは彼らが地下を抜け出して、移動する大階段まで来た時だった。

 

「知るもんか。でも、」

 

 ロンがにやりと笑う。

 

「すっごく痛ければいいよな。」

 

 楽しそうに言う彼の声に、ハリーは少し耳を疑った。

 そんなこと言うもんじゃないわ、とハーマイオニーがすかさず窘めるが、ロンは全く悪びれる様子もなくはいはいと笑っている。

 ハリーは少し気分が悪くなるのを感じていた。

 なぜなのかは分からないが、胸の奥がもやもやする。

 息が詰まる。

 でもなんとなく、ハリーはそれをほかのみんなに気づかれてはいけないんじゃないかと思い、苦しくなる息をごまかすように咳をした。

 

「あら、ハリー風邪?」

 

 ハーマイオニーがそう聞いてきたのでハリーはそうかも、と少し笑った。

 

 


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