翌日になっても、一つの冒険を経験したロンたちの興奮は治まっていないようだった。一応規則を破っての行動なので大声では言えないが、彼らはひそひそと肩を寄せ合いながら自分たちがいかに大冒険をしたのかを話し合い、また思い出しては笑い合っていた。
面白いことに目がないロンの双子の兄、フレッドとジョージは彼らが一体何を隠していてそんなに楽しそうなのか聞き出そうとしていたが、皆教えられないとやはり悪戯っぽい笑みを浮かべた。
ネビルははじめは怖がっていたものの、そんなに楽しい経験をできなかったことを少し悔しがっているようだった。ちなみにネビルがなぜ時刻になっても寮まで戻ってきていなかったのかということだが、彼曰く、図書館に寄り課題に役立ちそうな本を探していたら眠くなってしまい、そのまま本棚に囲まれた図書館の片隅で眠ってしまい、気が付いた時には時刻をとうに過ぎていたらしい。何とか誰にも見咎められることなく寮まで戻ってきたはいいが、今度は太った婦人がいない上に合言葉も忘れてしまっていた。仕方がないので、近くのタペストリの後ろに隠れてみたがやはりここでも眠くなってしまい、そのまま眠ってしまったのだという。
シェーマスがそれを聞いて、ネビルらしいやと笑い、ディーンが本当に、とつられて笑い始める。
でもあの薄暗い学校の中を一人で寮まで戻ってきたのだから、ネビルだって十分冒険をしているとハリーは思った。自分はロンたちについて行っただけに過ぎない。ネビルのほうがよほどすごい。
授業の合間も、昼食の時もそして今のディナータイムに至るまで彼らの会話は昨日の出来事一色だった。
目の前の料理を、さすがに最近では先を争ってごちそうを取り合うようなこともなくなったが、フォークでつつきながら、ハーマイオニーが指摘した扉の中には何があるのか皆で考えを巡らせる。
「あの時はさ、必死で気が付かなかったけどあそこってダンブルドア校長が言っていた「入っちゃいけない」四階の廊下だよな?」
「そりゃ入っちゃいけないだろうさ。あーんな化け物がいるんだ。殺されちゃうよ。」
「彼女が言っていた通り、あいつが何かを守っているっていうなら一体なんだろう?」
ひょっとして見たこともないお宝があるのかもしれない。変わり者で有名なダンブルドア校長がこっそりホグワーツに隠したかもしれないお宝。ハリーたちはそれが一体何なのかこそこそと話し合う。
そんなハリーたちをやはりハーマイオニーは睨みつけ、彼らにも聞こえる大きなため息をついて黙々と食事をしていた。
「…彼女も言いたいことがあるならはっきり言いに来ればいいんだ。」
ロンが彼らにだけ聞こえるように言い捨てた。
三人の中できっと一番ハーマイオニーを嫌っているのはロンなんだろう、とハリーは思った。もっとも彼はもともととてもそういった感情の起伏が激しいタイプだ。スリザリンと聞けばそれだけでカッとなれるし、マルフォイが視界の隅に少しでも見切れるだけで嫌悪感を露わにする。もともと、彼はハーマイオニーに対してあまりいい感情は持っていなかったが、昨日の一件で完全に「敵」認定である。こうなればもう、彼女の一挙手一投足が気に入らなくなるのだろう。何かにつけて彼女のやることに文句をつけていた。
シェーマスとディーンはそれに同意するそぶりを見せているが、ネビルはハリーと同じように聞いているだけのように見えた。
「彼女ってさ、がみがみがみがみ。まるでママみたいだよな。」
シェーマスが笑う。
彼はロンほど嫌悪感があるわけではないようだが、それでも思うところはあるのだろう。
「あれはやっちゃダメ!ダメ!ダメ!ってな。本当、あれじゃ母親だよ。」
ディーンも笑う。
そういえばペチュニアおばさんがダドリーを怒っているところなんて見たことないな、とハリーは思った。彼女は自分の息子をそれはもう壊れ物でも扱うかのように大事にしていたし、彼のやることには何でも賛同していた。たとえそれがハリーをサンドバッグ扱いすることであっても咎めたことなど一度もない。もっともハリーだってそれを止めてほしいとはそこまで思っていなかった。きっと下手に止めようとすればもっとひどい目に遭うのだ。一度プライマリースクールの先生が二人を仲良くさせようと試みたことがあったがあれは完全に間違いだった。だからハリーはいつも「大丈夫です」と言ってきたのだ。実際なんとか耐えることもできていたし。
そう考えればダドリーはあり得ない甘やかされ方をされてきたのではないか、と驚愕する。少なくとも三人は自分の母親に口うるさく注意をされているらしい。
ハリーはペチュニアにはかなり厳しく躾けられてきた、と自分自身思っているが、確かに行動の制限は多かったけど言うことさえ聞いて静かにしていればそれ以上の小言を喰らったことはなかったな、少なくとも最近はと思い出していた。
ロンたち三人はいかに自分の母親が口うるさいかを競うように話し始める。
母親のいた記憶のないハリーはその会話には入っていけなかった。
ただ母親っていうのはそういうものなんだな、と思いながら聞いている。
ネビルはハリーと同じで母親の記憶がない。彼の両親は例のあの人の部下によって攻撃されずっと入院しているからだ。だからネビルは彼の祖母によって育てられたと言っていた。彼にしてみれば、口うるさい存在はその祖母だが、ロンたちのようにこの場ですらそれに文句をつけたらその祖母にさらに叱られるのではないかと思っているのでは、というほどおどおどしながら会話に加わる。
でもハリーは加われない。
昨日と同じ、集団のなかの孤独に襲われる。
諦めてもいたし受け入れてもいたけれど、ハリーがダーズリー家で過ごしてきた日々はそう簡単に他人に話せるようなものではないのは分かっている。
辛いと思うこともなかったけれど、辛さを感じなかったわけではない。
ホグワーツに来てからは特に自分がどれだけ虐げられてきたのかを実感することが多い。
また、この一年が終わったらあの地獄のような家に帰らなければいけないのだろうか。そう思うと、まだ学校が始まったばかりだというのに心は鉛のように重くなる。
きっとあのときスネイプ教授の手を取ってしまったことを叔母は許しはしないだろう。そして、唯一の居場所だった階段下の物置だってもうハリーの部屋ではなく本来の使い方をされているのかもしれない。もともとあったかどうかわからないハリーの居場所は、きっと存在すらしなくなっているだろう。だからもう帰ることもできないような気もする。そうなればハリーは完全に行き場を失う。
ダーズリー家に帰りたいとも思えないけれど、帰れないとなれば困る。まだまだ先の事ではあるが、ある程度考えておいたほうがいいのかもしれないとハリーは思った。
とはいえ、これもやはり今は頭の三つある大きな犬の事やそれが守っているかもしれないダンブルドア校長の秘密の宝物の事で頭がいっぱいらしいロンたちには話せることではない。
何でも相談してくれと言ってくれた監督生のパーシーにだって話せない。
この一年が終わる前には寮監のマクゴナガル教授には相談してもいいだろう。さすがに教授だし、大人だ。まあそれは今すぐでなくてもいいとして。
ハリーもまたそんな先の自分の心配よりも、昨日のあの犬の事が気になっていた。
あれは今まで見たどんな犬よりも怖かった。
あまり自分は大声で悲鳴を上げる質ではないけれど、昨日は自分でもこんな声が出せたのかと思うほどの悲鳴が出た。ついでにあんなにも速く走れることも昨日知った。
このホグワーツがハリーの知っている「まとも」とは遠くかけ離れた存在だったとしても、さすがに校内に生徒の命に係わる危険を何の意味もなく飼うとは思えない。
だから、ハリーは少しだけ積極的に「アレ」が一体何を守っているのかロンたちと一緒になって考えてみることにした。
「でもさ、宝物だったら絶対にグリンゴッツ銀行に預けるんじゃないかな?だってあそこは世界で一番安全なんだろう?」
シェーマスが言ったそのグリンゴッツ銀行には覚えがある。夏にスネイプ教授が連れて行ってくれた場所だ。確かにハリーが知っている、とはいってもあまり言ったことはなかったが、銀行とはずいぶん違っていたし安全そうな気もする。
「でも、そんなに安全なの?」
確かに働いていたのは見たこともないゴブリンだったし、金庫までトロッコで行く銀行なんて見たこともなかったけれど。第一一緒にいたスネイプ教授は、正直ほとんど会話らしい会話はなかったし。
「もちのロンさ!ぼくのいちばん上の兄さんはグリンゴッツで働いているんだけど、あそこの金庫にはドラゴンがいるって言ってたよ?」
ドラゴン!
思わずハリーは目を丸くした。
確かにそれなら安全かもしれない。
「じゃあ、グリンゴッツに預けられないようなものってことかな?」
夕食を食べ終えた後も彼らは談話室の片隅でやはりそのことばかり話していた。
時折ハーマイオニーの咳ばらいが聞こえて、ロンはそのたびに嫌な顔をした。
「ねえハリー。ひょっとして彼女、話にまざりたいのかな?」
ロンに聞こえないようにネビルが言ってきたが、ハリーはどうなんだろうとしか答えられなかった。
でもたぶんだけれど、彼女がこっちを気にしているのは事実だろう。
ハリーは横目でちらりとハーマイオニーを見たが、彼女はそのくるくるとして膨らんだ栗色の髪で顔を隠すように本に没頭しているように見えた。
彼らのぎくしゃくとした雰囲気は寮全体にも伝わっているのだろう。
ジョージとフレッドは、うちの小さいロニー坊やは女の子とけんかをしているのかと囃し立ててくるし、監督生パーシーも仲良くやるようにとそれとなく注意してきた。
ハーマイオニーと同室だという同じ一年生のラベンダー・ブラウンとパーバティ・パチルが彼女がかなり苛々していて怖いと言っていた。彼女たちに言わせれば「男子のせい」らしいのだが、だからと言ってハリーにはどうすることもできない。いや、自分がどうにかしなければいけないと思っていないのだ。
ハーマイオニーがグリフィンドールの中でも浮いてきているのはハリーにもわかっていた。
まだ学校生活が始まったばかりだというのにも関わらず、だ。
でもハリーにはそんな彼女に手を差し伸べることも、声をかけることもできない。いや、どうやって声をかけていいのかわからない。
たぶん、だけれどハリーが彼女と話をしたりすればロンはいい気分ではないだろう。あの列車の中でドラコの手を握り返した時の様に怒るかもしれない。
せっかく友だちになれたのに、彼を怒らせたくはない。
今までひとりだった時には考えもしなかった悩みだ。
「どうなんだろうね。」
ネビルにそう答えてハリーはいつもの薄い笑みを浮かべた。