窓から差し込む月明りだけを頼りに、広大なホグワーツの中でネビルを探すなどということは無謀だったとハリーは猛省していた。思わず寮の外に出てしまったことも、そのままその場にとどまるのではなく、ネビルを探しに歩き始めてしまったことも。
どれもこれも「利口」な方法ではない。
ただこうやってロンたちとともに夜の校内を歩いているのは、悪いことだとはわかっているが、どこか楽しくてわくわくしてくる。もっともそれ以上に先生方やフィルチ、それと彼の猫のミセス・ノリスに出くわしてしまうのではないかという恐怖のほうが強いが。
みんな見つかってはいけないということが分かっているからか、大きな音は立てようとしない。囁くような声でネビルの名前を読んでみたり、物陰を覗き込んだりしていた。
ハーマイオニーもしぶしぶとではあるがそれについてきている。
最初のうちはそれでもネビルを探さなければという意識が強かったが、あてもなく探すことに集中し続けるのは難しい。次第に、悪いことをしている、見つかってはいけないというスリルを楽しむ方向に意識がシフトしてしまうことも仕方のないことなのかもしれない。
ロンとシェーマスは悪戯っぽい笑みを浮かべながら、次の角はどっちが先に覗くか話し合っている。ディーンもまたそれに加わって三人は肩を寄せてくすくすと笑い合う。ハリーはその輪に入るべきか迷っていた。「友達」ならばそうやって楽しいことを共有すべきなのかもしれないが、それでも今はネビルを探しているわけだし。一方で、楽しみながら探してはいけないということもないだろうという思いもよぎる。
しかしそうやって悩んでいる間にも彼らはどんどん先へと進んでしまい、ハリーはタイミングを逃してしまったバツの悪さを感じながら、薄い笑顔を浮かべたままロンたちの後をついていくことになる。
集団のなかにおける疎外感。
これが初めてというわけでもないが、ハリーはその孤独感は一人でいるよりも寒くて悲しいと感じていた。
ハリーを受け入れてくれている人々の中にいるのに、恵まれているはずなのにそれは一人で過ごすよりも寂しいのだ。ホグワーツに来るまではあまり感じたことのない、別の種類の孤独感。しかし、それを表に出してしまってはせっかく友だちになってくれたロンたちに嫌な思いをさせてしまうかもしれない。そう思えば、彼は笑うしかできなくなる。
そんなときハリーはホグワーツに来る前よりもずっと惨めな気持ちになるのだ。
今までは、集団に悟られないための透明人間だったのに、今はそこにいるのにいるだけだ。でもそれだってホグワーツに来る前を考えれば贅沢な望みだ。だって、もうハリーは一人ではないのだから。
「ねえ、あなたたち本気でネビルを探す気はあるの?」
しびれを切らしたハーマイオニーがイライラとした声を上げた。
「おい!あまり大きな声をだすなよ。見つかっちゃうだろ?」
ロンはそう答えたが、彼の声だってたいがい大きかった。
「大体君はいつだってそうさ。そうやって僕らのやることに対して文句を言うだけじゃないか。」
「だって仕方ないじゃない。あなたたちのやることって間違ったことばかりなんだもの。注意だってしたくなるわ。」
だんだんと大きくなる、いや最初からそれなりの音量だったがそれを上回るほどの声で言い合いを始めた二人の顔を交互に見やりながら、ハリーはどうすればいいのか考え始めた。
シェーマスはすでにロンの擁護に回っているし、ディーンもそれに追随するだろう。
しかしハリーにはどうすべきなのかわからなかった。
ロンは友だちだからシェーマスたちの様に彼の味方をすべきなのかもしれないけれど、ハリーにはそれが正しいことなのかわからない。ただ、自分にわかっているのはこういう、今ロンとハーマイオニーがしているような言い争いは好きではないということだけだ。だから、ここで自分がロンの立場についてしまえば、余計に争いが激しくなるのではないかとも思う。だからといって、ハーマイオニーの味方をするだけの理由もない。できることなら、この場から離れたいし関わりたくないというのが本音だ。
おろおろとするだけのハリーを置いて、二人いや四人の言い争いは激化する一方だ。
さっきまでは気配を消すことを楽しんでいただろうロンたちもそのことはすっかり忘れてしまったように、声を張り上げていく。
ハリーは本格的にこの場から逃げたくなった。
みんなに悟られないようにため息をつくと、ハリーはなんとなく周りを見回した。どこかに退避したい、逃げたいという思いからの行動ではあるが、ふと彼の視界の端に何かが動いたような気配を感じた。
声を上げることは簡単だ。
――誰かいる気がする。
そう促すことができれば皆も彼に注目するだろう。しかし、ハリーはそうしようとすればするほど喉が詰まっていくかのような感覚に襲われて声が出せなくなるのを感じた。
こんなことをしている場合ではないのに、声が出なくてはどうやってみんなにこの状況を知らせればいいのだろう。
ちらりと見やれば、その影はじわりと彼らに近寄ってきているようだった。大きさ的に先生方ではない。もっとも先生であれば声をあげながらずでにこちらに近づいてきているだろう。きっとあれはフィルチの猫、ミセス・ノリスに違いない。
彼女は足音もなく彼らに近づいてきている。
彼女が飼い主であるフィルチに生徒たちのことを告げ口しているのではないか、というのは生徒たちの間でもっぱらの噂だ。彼女は確かに生徒たちの素行をすでに見張っているかのようなそぶりを見せるときがあるので、それはまことしやかに囁かれている。
その噂が本当であれば、ハリーたちがここにいてはいけないこの時間にいたことは、すぐにフィルチの耳に入るだろう。そうなれば、彼らは一網打尽に掴まって、たっぷりと減点された挙句、厳しいとかつらいとか言われているフィルチの罰則を受けることになるだろう。
ついそれらを想像してしまったハリーは、頭を左右に振って震える手を抑えるために硬く一度こぶしを握りゆっくりを手を開くと、一番近くにいたディーンのローブを小さく引っ張った。
「どうした、ハリー。」
自分のローブを握りしめて俯いているハリーにディーンは振り向いた。
しかし、ハリーは必死な顔で彼を見てくるだけで、うまく言葉が紡げないでいた。あ、とかう、とか意味をなさない言葉が口から出てくるだけで、伝えたいことが上手く言葉にできない。
いぶかしげにハリーを見るディーンの顔が少し怖く感じて、ハリーはぎゅっと目を閉じ思わず俯いた。
なんとか伝えなければいけない。
「あ!の!!ミセス・ノリス、が!!!」
なんとかひねり出した声は絶叫に近かったかもしれない。
ハリーのその言葉に、一瞬皆が静かになった。いまだディーンのローブを握りしめて、俯いて少しだけ震えているハリーを見てから、みな廊下の奥に目を凝らす。
「おや、ミセス・ノリス。出歩いている子どもがいるのかい?」
かつかつとした足音と猫に話しかける声。それにこたえるように、ミセス・ノリスがにゃーんと一鳴きした。
先ほどまで言い争いをしていたロンとハーマイオニーも息をのむ。
ハリーたちは誰ともなしにその場を離れるために走り出した。幸いまだフィルチの姿は見えていなかった。
しかし逃げているはずなのに、先回りをしてくるらしいフィルチとミセス・ノリスは彼らの行く先々に現れ、ハリーたちはその都度別の廊下へと進路を変えざるを得なくなった。結果として、自分たちが今校内のどこにいるのかわからなくなってしまったのは仕方のないことだと言えよう。ともかく、皆無我夢中で走った結果その先に扉のあるだけの一本道へと舞い込んでしまったのだ。
いつフィルチが来るかもしれない恐怖。
薄暗い廊下の先を見ながら彼らは行き止まりの扉の前で固まった。
息をのみながら、耳をそばだてて物音に集中する。
かつん。
「だめだ!鍵かかってる!!」
もう逃げる先はその扉の先にしかなさそうだが、ロンがガチャガチャと動かしても扉は開きそうになかった。
絶体絶命だ。
もう捕まるしかない。
そうハリーが目を閉じようとした瞬間、ハーマイオニーがローブの中からすっと杖を抜いたのが見えた。
「あなたたち教科書読んでいないの?」
苛立たしげにそう言いながら彼女は、すっと杖を扉に向ける。反射的にロンがそこから引いて彼女のすることを見守った。
「アロホモラ!」
かちり、と何かが外れる音がしてハーマイオニーはそのまま扉に手をかけた。
ハリーはそれみて、そういえば基本呪文集に鍵開けの呪文が載っていたことをおもいだしたが、だからといって授業ではまだ習っていないそれをこの場で使ってみようという発想にはなれなかった。
早く、と促す彼女の声に従ってハリーたちは扉の奥へと身を隠した。
フィルチとて、さすがに鍵のかかっている扉の先に生徒たちがいるとは考えないのではないかという甘い考えが脳裏をよぎる。
それでも安心はできない。きっと近くまで来ていたはずだ。
扉の奥でハリーたちは物音を立てないように固まりながら、外の気配を窺った。
ふと、ぽたりと何がか落ちる音がした。
そして自分たちではない明らかな、異質の荒々しい息遣い。
思わずハリーたちは顔を見合わせた。
そしてゆっくりと顔を上げる。
そこにあったのは、ハリーの見たこともないような大きな犬の顔だった。
それは獰猛な牙をむき出しにし、その口の端からは涎を垂らしながら彼らを今にも襲おうと言わん雰囲気で見下ろしていた。
もう逃げているとかそんなことは頭から消え去っていた。
ハリーたちは大声を上げた。
ともかくこの場から逃げなければいけない。
慌てて扉の外に転がり出ると、力の限りにそれを閉じてその向こうでまだあの、ハリーたちの何倍もありそうな大きさの犬が吠えたてているのを聞いて、フィルチから逃げていた時よりも早く彼らは走り出した。
罰則減点の恐怖よりも今は生命の恐怖が勝っている。
ともかくハリーたちは無我夢中で走って、どこをどう走ったかは分からないがなんとか誰にも見つかることなくグリフィンドール寮まで戻ってきた。
「みんな、どうしたんだい?顔色を変えてそんな走って。」
寮の前のタペストリーの裏からネビルが不安そうな顔をのぞかせた。
ハリーはそんなネビルを見て、そういえば彼を探していたんだと思い出した。フィルチから逃げたり、犬に出会ったりですっかり忘れてしまっていたのだ。
なんとなく罪悪感のような気持ちに襲われながらネビルのほうを見やる。どうやって答えようかハリーが悩んでいるとシェーマスが、君を探していたんだとさらっと言ってのけ、ネビルもそうなんだと笑った。
こうすればよかったのか、とハリーは思いながら彼らのやり取りを見ていた。
ハーマイオニーはそんな彼らのやり取りを見ながら大きくため息をついた。
「早く寮に入りましょう。もう太った婦人だって帰ってきているんだから。」
そう言い、婦人に合言葉を伝えるとハーマイオニーはイライラとした様子で寮へと入っていく。
また婦人がいなくならないうちに入らなければタイミングを逃してしまうかもしれない、とハリーたちもそれに続く。
ロンたちはちょっとした冒険に興奮が収まらないようで、自分たちがどんなことをしていたのかをネビルに話し始めた。
それを聞きながら、ネビルは笑っている。
確かに普段体験できない「まとも」ではない経験に、ハリーの胸も少し踊っていた。
「まったく、校長先生も何を考えているんだろうね。学校の中であんな化け物を飼うなんて。だって、見たか?頭が三つもあったんだぜ?」
そう言っているロンは本当に楽しそうだ。
「あら、あなたなーんにも見ていないのね。あの犬の足元に扉があったわ。きっと何かを守っているのよ。まあ、いいわ。お先に失礼するわね。あなたたちに付き合っていたら命がいくらあっても足りないもの。もっと悪くて退学ね。」
そう言い捨ててハーマイオニーは女子寮への階段を上がっていった。
後姿だけでも彼女が怒っていることは十分伝わってくる。
「彼女、変わっているよな。死ぬより退学のほうが怖いか?」
シェーマスがそうつぶやくと、ロンもディーンもそりゃそうだと笑い始める。
ネビルはそんな怖ろしい犬に遭わなくて本当によかった、とおびえた様子ででも笑いながら言っている。
怖かったけど、確かに楽しかった。
ハリーはそう思いながら、シェーマスやロンが自分たちの冒険を話し合っているのを聞いていた。