ハリー・ポッターは諦めている   作:諒介

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CHAPTER1-1

 物心ついたころには、ハリー・ポッターは人生というか世界というか、彼を取り巻くすべてのことに絶望し、失望していた。

 どうやら両親は彼が1歳になったばかりの頃に事故だか何だかで、まだ右も左もわからない赤子の彼だけを残して死んでしまったらしく、それ以降、決して折り合いが良いとはいえない母方の叔母家族、ダーズリー家で養育されていた。と言っても、今となっては養育などというのは形ばかりで、下働き扱いよりも奴隷扱いといったほうがしっくりくる程度の待遇だ。

 ハリーに与えられている部屋は、階段下の物置。それでも部屋が与えられているだけましだと自分に言い聞かせている。むしろ屋内に住まわせてくれているのだから、いっそ感謝すらしている。服は常にハリーと同じ年の従兄弟ダドリーのおさがりで、毛玉が浮き出たぶかぶかのセーターだが、それだって服があるだけ幸せだ、と自分に言い聞かせる。

 ともかく、福祉局の人間が見たら児童虐待の疑いを持って家に押しかけてきかねない状態ではあるが、そうなっていないのは、ハリーが自分は幸せなのだと周囲に話しているからだ。

 無職だったという自身の父親が残した資産などないにも関わらず、叔母のペチュニアは同い年の実子を育てなければいけないにも関わらず自分を引き取り、叔父のバーノンとともにそれでも育ててくれた。子ども一人育てるにはそれなりにお金がかかるにも関わらず、だ。

 義両親はともかく、「普通」であることをハリーに望み、厳しく躾けられた。しかし、ハリーがどれだけ努力しても、彼の周りで不思議な出来事が起こってしまった時期があった。不思議なことが起こるたびに、折檻はひどくなり、なぜハリーは自分ばかりがこんな目に合うのだろうと悲しんだ。そのうち、不思議なことが起きるのは、ハリーがとても嫌な気持ちになったり、怖いと思ったときだということに気が付いて、極力そういう気持ちが起きないように努めることにしたのだ。そして、あとは義両親の言葉に従って、いや言葉を待つ前に家事やらそういうことを済ませてしまえば彼らは必要以上にハリーに関わっては来ない。だから、ダーズリーの家の中でハリーはいないもののように扱われていた。

 息を殺して、物音を立てないようにしていれば誰も文句は言わない。

 それでも世間体を気にするダーズリーの両親はハリーをプライマリースクールに通わせてくれた。通い始めたころはダドリーを中心とした同級生にいじめられもしたが、ハリーがなんの反応も示さないことで興味を失ったのか、早々に無視をされるだけになった。それで十分だ、とハリーは思い、休憩時間の大半を図書室で過ごすようになった。そこには勉強嫌いのダドリー軍団は近寄らないし、何より静かだ。最初はただ逃げ込んでいただけだったが、何となく手に取った本は予想以上に面白くて、それ以降今日にいたるまでハリーは様々な本を読み知識を身に着けた。

 ともかくそんなある日の出来事だった。

 

 いつもと同じようにハリーはその家の誰よりも早く起き、前日の夜のうちに仕込んでおいたいつもよりも断然豪華な朝食の準備に取り掛かった。僅かな物音すら立てないように慎重に事を進めていると、出来上がった料理をテーブルに並べるタイミングでペチュニア・ダーズリーがダイニングに現れて、ハリーが並べたプロ顔負けの豪華な朝食に一瞥をくれると鼻を鳴らし、物置に戻るように顎で示した。

 ハリーは最後のミルクをテーブルに置くと、自分用に用意しておいたサンドウィッチと水を持ってそれに従った。

 チーズ入りのふわふわのオムレツに、焼き立てのクロワッサン。丁寧に裏ごしされてざらつきなどまったくないポタージュ。ビーンズをふんだんに使ったサラダと、ハーブを効かせたローストチキン。脂肪分高めの濃厚なミルクと、搾りたてのオレンジジュース。何をとっても完璧な朝食だ。

 今日ばかりは何もかもが完璧でなければいけないのだ。

 なぜなら、ダーズリー家の大切な大切な宝物の、ダドリーの誕生日なのだから。

 この半年、ダドリーが目覚める前にこの準備を終わらせるためにハリーは何度もシミュレーションを繰り返したのだから、失敗は許されない。事前に何を作りたいのかペチュニアに伝えれば、必要な材料費は提供してくれた。おかげで、使用した材料はどれも一流品だ。

 ハリーが階段下の物置に隠れるように飛び込むのと同時にばたばたとけたたましい足音を立てながらダドリーがダイニングに駆け込んでいった。

 ハリーはそれに一息つくと、用意した自分の朝食を口に運んだ。彼のサンドウィッチに使われているパンは見切り品のぱさぱさしたものだったが、口に物を入れることができるだけ、以前に比べて今は幸せだ。満足に料理もできなかった頃は、食事を抜きにされることも多かった。

 今日のダーズリー家は、ダドリーの完璧な一日のために彼の取り巻きを連れて動物園に行く予定であり、それまでにハリーは近所のフィッグさんに預けられる予定になっている。おばさんの家で過ごすにあたり、図書館から新しく数冊の本も借りているし、プライマリースクールの特別課題に取り組むのだっていいだろう。

 そんなことを考えながら、ハリーはサンドウィッチを呑み込むと、本やら課題をベルトで縛り上げた。これでいつでもフィッグおばさんの家に行ける。

 だが、そんなときにアクシデントは起きたのだ。

 どうやらフィッグおばさんが怪我をしてハリーを預かれなくなったらしい。

 ペチュニアとバーノンは何やら言い争っていたが、仕方なくハリーも動物園に連れていくことにしたらしい。彼らにとっても迷惑な話だろうが、ハリーにとっても迷惑極まりない提案だった。彼らについていくくらいなら、公園で一日過ごしたほうがよほど有意義だと思えるが、叔父叔母に逆らうなど、世界が滅亡してもあり得ない。ハリーはおとなしく彼らに従うことにした。

 別段動物に興味もないので、動物の檻から離れた場所からダドリー軍団が騒いでいるのを眺めていた。ひとしきり大型の動物を見飽きたところで彼らは爬虫類館に入っていった。面倒だと思いつつも、ハリーもそれについていく。

 爬虫類館の中は薄暗く、肌寒さすら感じる。それぞれのガラスで仕切られた展示ゲージの中の色とりどりの蛇のほとんどはその片隅で身を丸めるだけだ。ダドリー達はそれが気に入らないらしく、バシバシとガラスを叩いている。その姿をハリーは冷たく見やると、小さくため息をついた。

 元来蛇は活発に動き回る生き物ではないし、この建物の室温を考えると、彼らの閉じ込められている小さな箱の中だって、蛇たちにとっては寒いと感じられる温度なのかもしれない。変温動物の爬虫類は低すぎる気温の中では動き回れない。そんなこともわからない程度に自分の従兄弟は愚かなのだろうか、とハリーが首をかしげた時だった。

 ダドリーが激しく叩いていたボアの前のガラスが姿を消し、ダドリーはそのまま大きな蛇がとぐろを巻いている中へと転落したのだ。同時にそれまで全く動かなかった、ハリーの腕ほどもあるかという太さの大蛇がフロアに這い出してきて、あたりはパニックになった。ハリーはその状況を展示ゾーンから離れたベンチに腰掛けながら見ていた。どうせダドリーが馬鹿力でガラスを割ったに違いない。でなければ枠から外れたのだろう。にょろりと身をくねらせながら建物の外を目指す蛇が足元に近寄って来たので、ハリーは両足を持ち上げてそれを避けた。

 まだ落ちたダドリーのほうで、ペチュニアがヒステリックに叫んでいる。

 ハリーは関わるのも面倒だと、広げていた動物園のパンフレットに目を落とした。

 

 どうやらダドリーのための完璧な一日には大きなケチが付いてしまったらしく、ペチュニアは目に見えて機嫌を悪くした。これは巻き込まれる可能性が高い、とハリーは帰りに車の中で身を小さくしていた。ともかく、理不尽に八つ当たりをするには自分がうってつけだということをハリーは理解していた。

 だから、帰るなり余計なことは一切せずに階段下の物置に逃げ込んだ。こんなこともあろうかと、日持ちのするドライフルーツなどを隠し持っている。今回は一週間程度静かにしていれば叔母も機嫌も直るだろう。

 

 


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