君の、名前は・・・?   作:時斗

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仕事が忙しく、投稿が空いてしまいました…。第7話になります。


第7話

『…もう、私の事は忘れていいんよ…』

 

 バカ!何を言ってるんだ!

 

『これ以上…君を縛る事は…』

 

 俺は、あの時誓ったんだ!例え…お前が世界のどこにいても、俺が必ず、もう一度逢いに行くって!

 

『でも…私には…何も…』

 

 目の前の彼女がぼやけ始める。ダメだ!行くなッ!!消えていなくなってしまう前に俺は叫ぶ。彼女の名前を!

 

 ――――――ッ!!

 

 

 

 

 

「―――ハッ!!」

 

 ガバッとベッドから飛び起きる。…状況が上手く整理できない。窓から差し込む朝日に、もう朝なのだと自覚していく。…何か夢を見ていた気がする。だけど、その内容は全く思い出せない。何気なく目尻を拭うと水滴が付いている事に気が付く。どうやら、また泣いていたらしい。

 

「…………また、か…」

 

 もう何度目ともわからないこの感覚。俺は溜息をつくと、のそのそとベッドから抜け出る。寝汗もかいていたようで、気持ちが悪い。シャワー浴びるか…。そう思った時、俺は今日が何の日か気付く。

 

「…まずい!もうこんな時間か!!」

 

 俺は急いで洗面所に向かう。今日はやっとこぎ着けた会社の二次面接の日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…で、結局ダメだったのか?」

「………ああ」

 

 行きつけのカフェにて、俺と同じく就活中の司と真太と一緒にこうして情報交換をしていた中、司からの問いに俺はそう答えるしかない。

 

「二次面接までいったら、そのままいくんじゃね、普通」

「………俺が聞きてえよ」

 

 この間のところから採用結果が送られてきて、一気にテンションが下がったのを覚えている。別のところに面接を受けに行く前にその結果を見て、引きづられるようにその面接でも散々だったのだ。

 

「俺はまた一社、内定を貰ったぞ」

「マジか!?」

 

 司の奴、この間もどこかで内定を貰ってなかったか!?クソッ…、何でもそつなくこなす奴だ…。まあいい、俺と真太は地道にやっていくさ。

 

「あ、俺もこの前ようやく内定貰ったぜ」

「な…なん、だと…!?」

 

 真太まで!?ということは…、未だ内定が貰えてないのって、俺だけじゃねえか…。

 

「お前の場合、筆記は通るんだ。となると面接で落とされているって事になるが…、何か心当たりは?」

「ねえよ…そんなもん…」

 

 わかってたら普通なおすだろ…、そう司に言うも、俺の中では何やら心当たりみたいなものはある。俺が本当にやりたい事が…、何やらモヤモヤして上手く伝えられないからだ…。

 

(もう…随分経つんだけど、な…)

 

 こんな感覚に取り付かれたのはいつだったか…。思い出すことさえ出来ない。ただ…、何かを忘れてしまった、そんな感覚だけが、胸に残っている。俺のやりたい事…、俺の望み…、それさえも断片的でよくわかっていない。俺は、かつてとても強い気持ちで何かを決心したことがあった筈なのに…。

 

(何かとかって…結局なにもわかってねえんだけどな……ん?)

 

 ふとスマフォが鳴っているのに気付く。そうか、今日は…。

 

「おっと…、俺、今日バイトだ…」

「……お前、今はバイトより就活だろ…?」

 

 呆れたようにそんな事を言ってくる司。お前の言いたい事はわかるけどな…。

 

「仕方ねえだろ…。就活にも、金がかかるんだからよ…」

「…ま、そうだな」

 

 逆に既に何社も内定を貰っている司は、最近あまりバイトには入っていない。司いわく、そろそろ来年には辞める人間を戦力の頭数に数えるのは、向こうにとっても良くないだろうとの事だが…、まあ、それは人それぞれだろう…。

 

「真太、行こうぜ。今日確か、お前もシフト入ってたろ?」

「ん…?ああ、そうだっけかな…」

「おいおい…、今日は後輩の子の送別会も兼ねてるだろ…。忘れるなよ…。司、お前もそっちは大丈夫なのか?」

「あの子の送別会だろ?そっちは間に合うように行くよ」

 

 さすが司、その辺は抜かりないな。じゃあ早くコイツを連れてバイトに行くとするか…。そう思いつつ、俺は真太を引っ張って行く為、席を立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「三番、五番、九番様、オーダー待ちです!」

「十二番テーブル、持って行ってくれ!」

「四番様、会計待ちです!」

 

 目まぐるしくまわる戦場…ではなく、バイト先である『IL GIARDINO DELLE PAROLE』の光景。もう、このバイトを始めて6年になるのだろうか、バイトの中でも俺や瀧、そして今日はいない司は、かなりのベテランという事になっている。この忙しさも慣れたもので、そつなく仕事をこなしていく。

 

「瀧、七番テーブルの方は!」

「ああ、もう承った!」

 

 こうして仕事に就いている時の瀧は、俺の見知った時の瀧だ。時々客と騒ぎになる事もあるが、正義感の強い瀧らしい一面で、仲裁に入りながらも何処かホッとする時もある。

 

(こうしていると、普段の瀧なんだけどな…)

 

 恐らく集中しているのだろう。…まあ、もしかしたら就活で上手くいかない鬱憤をぶつけているだけなのかもしれないが…。

 

「瀧、交代も来たし今のうちに休憩行っとけ。これからもっと忙しくなるぞ」

「えっ?…ああ、もうそんな時間ですか…」

 

 社員さんより、そう告げられる瀧。腕時計を確認した後、目線だけで俺に先に行くと言ってくる。わかった、と俺はそう返す。昔は兎も角、今となっては基本的に俺と瀧が同時に休憩に入る事はない。年数を重ね、『IL GIARDINO DELLE PAROLE』では経験豊富な俺たちは、戦力としてホールでの対応が求められているからだ。

 

「…さて、俺も休憩まであと30分…」

 

 それまでひと頑張りするとするか。

 

 

 

 

 

「あー、ようやく休憩かぁ。今日も疲れるねー」

 

 瀧より遅れる事30分、俺も休憩時間となる。司ほどではないとはいえ、俺も最近あまりバイトに入っていなかったせいか、前より疲れている気もする。

 

(……俺も、そろそろはっきりさせるかねぇ…)

 

 司ではないが、あと数ヶ月もすれば俺もバイトを辞める事になる。まあ、今の『IL GIARDINO DELLE PAROLE』は人も足りているし、それに…。

 

「…………それでですね…」

(ん……?)

 

 休憩室のドアに手をかけた時、中よりなにやら話し声が聞こえる。一人は先に休憩に入った瀧だろう。もう一人は…、

 

「立花先輩は、どう思われます?」

「どうって…、いいと思うよ」

「えー、なんか適当ですね…」

 

 話し声からして、彼女だろう。水谷秋穂。俺たちの後輩で、高校3年生の彼女。他の高3のバイトはほとんど休職するか、辞めるかのいずれかだったが、彼女は受験勉強と折り合いをつけながら今日までバイトを続けていた。前に在籍していた奥寺先輩とは少し毛並みが違うが、愛想もよく容姿も整っており、『IL GIARDINO DELLE PAROLE』の皆からも可愛がられている。そして…、今日が彼女の、最後の出勤日でもある。9月に入り、流石に両立が難しくなったのか、店長に申し出たらしく、今日が最後の日という事になったのだ。

 

「それより…先輩、終わった後、ちょっとつきあって貰えませんか…」

「終わった後って…、送別会の後?」

「ええ。ちょっと…お話が…」

 

 …そうか、伝えるのか…。彼女が、瀧の事を想っていたのは知っていた。彼女が『IL GIARDINO DELLE PAROLE』に入ってきて間もない頃、客に絡まれていた時に颯爽と庇ったのが瀧だった。弱いのに客と揉め事になって、殴られて…。俺たちも異常に気付いてその場に入ったが、瀧は最後まで彼女の為に戦っていた。それがきっかけなのかどうかはわからないが、少なくとも彼女は瀧に懐いていった。他の高3のバイトたちが受験の為に一時辞めていく中、今日まで辞めずに続けていたのも恐らく…。

 

「おー、秋穂ちゃん。瀧と一緒だったのかー」

「あっ、高木先輩!」

「…もう交代の時間か。悪いな、気付かなかった」

「なーに、いいって事よ」

 

 すまなそうにする瀧にそう答える。ま、時間になってもやって来ない瀧を呼びに行ってくれと社員さんからも頼まれたんだが、ちょっとくらい大丈夫だろう。

 

「じゃ、俺はホールに戻るわ」

「あ……」

 

 立ち上がる瀧に対して何か言いたげな秋穂ちゃん。…やれやれ、ここは人肌ぬいでやるか…。

 

「いや、お前はもうちょっと休憩しとけ。最近働きづめだったろ、お前」

「は?何言ってんだ…?」

「秋穂ちゃん、コイツ、最近就活の方が上手くいってないからさ、慰めてやってくれない?」

「え…、高木先輩…?」

「真太、お前何を…!」

 

 俺に突っかかってくる瀧に、俺は耳元で呟く。

 

「…店長には俺から話しておく。邪魔して悪かったな」

「お前、何か勘違いしてるだろ!」

「…いいから、お前も流石にわかるだろ?彼女、今日が最後なんだぞ」

 

 そう言うとグッと黙り込む瀧。コイツも流石に秋穂ちゃんの気持ちには気付いているのだろう。こういってはなんだが、瀧はモテる。高校の時はマドンナ的存在だった三枝さんからも告白されたらしいし、大学でも何人もの女性にモーションを掛けられている。にもかかわらず、この男はその好意に気が付かないか、もしくは断っているという始末。…もし、秋穂ちゃんの3年にも及ぶ好意もわからないふりしてやがったら、一発ぶんなぐってるに違いない。

 瀧の肩に手を置き、そのまま休憩室のドアを開ける。その時、

 

「高木先輩ッ!」

 

 背中に声を掛けていた彼女に俺は片手を上げて答え、俺は休憩室を出た。

 

「………いいのか?」

 

 休憩室を出た途端、いつから居たのか司にそう声を掛けられる。

 

「何だよ、司。お前、今日は休みじゃなかったのか?」

「…別に。送別会まで暇だったから、早めについただけだ。それよりも…」

 

 いいのか、再び繰り返してくる司。全く、いいも悪いもないだろうに…。

 

「…いいんだよ。彼女の気持ちは…、お前もよくわかってるだろ?」

「それはわかっている。俺が聞いているのは、お前はそれでいいのかって事さ」

 

 全く、お節介な奴だな、コイツは。世話好きなところは相変わらずのようだ。以前も瀧が一人で岐阜に行こうとした際に、心配して付いていった事もある。そして、今もこうして俺の気持ちを確認してきてるという訳だ。

 

「………ああ。秋穂ちゃんの気持ちは、わかりやすいくらい瀧に向いている。ここで俺が割って入るのは…、違うだろう?」

「そうか?そのまま気持ちに蓋をして…、それでやり切れるのか?」

「それは、そっくりそのままお前に返すよ。今でこそ奥寺先輩と付き合っているが、あの時は自分の気持ちを隠して瀧を見守っていたじゃねえか」

 

 司がいつから奥寺先輩への憧れが恋心に変わったのかはわからないが、高校2年の時だったか、奥寺先輩と瀧が急接近した事があった。その時、司は基本的に瀧を応援していたはずだ。

 

「……あの時は、俺もまだ彼女への意識は憧れに近かったんだよ。でも、お前は違うじゃないか。それこそ…、秋穂ちゃんが入ってきたときから…だったんだろ?」

「……ああ、確かにそうだ。だけど…それこそ今更だろ?もし、本当に告白するんだったら、ここまでズルズル引っ張っちゃいねえよ」

 

 …そうさ。俺は彼女に告白する事で、彼女や瀧との関係がおかしくなる事が怖かった。…いや、違うな。瀧に好意を向けている彼女に告白して、はっきり振られるのが怖かったんだろう。

 

「この話はもういいだろ?俺はもう少しホール入らないといけなくなっちまったんだ」

 

 強引に話を切り上げ、そう言って俺は仕事に戻ろうと司の脇をすり抜ける。

 

「後悔、しないんだな?」

 

 背中に投げ掛けられた司の言葉に一瞬立ち止まりかけるも、そのままホールに向かう。

 

(…そんなの、わかるわけねえだろ、司…)

 

 今の自分の気持ちも、整理できていないんだから。そう心の中で司に答える。

 

 

 

 

 

「…終わったなぁ」

 

 送別会も終わり、それぞれ解散して2次会に進む者もいる中、俺は一人帰宅の岐路についている。司からも誘われたが、今日はとてもそんな気分にはなれなかった。

 

(……いい加減、潮時か……)

 

 バイトも、そして俺の想いも…。そんな風に考えていたところに…。

 

(……………マジか)

 

 そんな俺の気持ちを嘲笑うかのように、今一番目にしたくなかった光景が入ってくる。瀧と…、秋穂ちゃんだ。

 

「………遠回りして帰るか」

 

 そっと呟いて背を向けようとした時、

 

「先輩、どうしてッ…!どうしてなんですかッ…!」

(ん……?なんか様子が……?)

 

 彼女の声に思わず振り向いて2人の様子を遠目に伺う。

 

「…秋穂ちゃん。君の気持ちはとても嬉しいよ。でも…、俺はその気持ちに応える事は…、できない…!」

「……そんな……」

 

 ま、まさか瀧の奴、秋穂ちゃんを…!?このまま立ち去る事も出来なくなった俺は、近くの物陰に身を隠してその成り行きを見守る事にする。

 

「誰か…、好きな方がいるんですか…?」

「……いや、好きな人は…、いない…」

「…それでも…、私じゃ…駄目、なんですか…?」

 

 彼女は既に涙声になっていた。瀧がこれまでも他の女の子に告白されても、上手くかわしていた事は知っている。アイツはアイツで何か思う事があるんだろう。頑なに彼女を作ろうとしない瀧を心配しつつも、司と共に見守ってはきていた。だが…、彼女は…、バイト先で俺たちの妹みたいに可愛がってきた子だ。それを…、他の子と同じように扱うのか…!?

 流石に我慢できず、アイツを一発ぶん殴ってやろうと瀧を見た瞬間、

 

「せ……せん…ぱい…?」

 

 瀧は…、泣いていた。拭う事も忘れ、ただひたすらに涙を流し続けていた。それを見て、熱くなっていた自分の心が一瞬にして冷めていくのを感じる。

 

「ゴ…ゴメン…。あれ…、どうして…」

 

 漸く自分が泣いている事に気が付いたのか、涙を拭う瀧。それでも…、瀧の涙が止まる事はなかった。彼女が慌てて自分のハンカチを差し出す。…ありがと、そう言うと瀧はそのハンカチを受け取った。

 

「……自分でもわからないんだ…。秋穂ちゃんが俺の事を見ていたのは…、なんとなくわかっていた。こうやって…、告白してくれた事も…、すげえ嬉しいって…、思ってるんだ…」

「…立花先輩…」

「…でも…、どうしょうもなく心を締め付けてくるものがある…。どうしてかはわからないけど…、俺の心が…拒否するんだ…。想いに応える事を…、彼女を作る事を…」

 

 …それを聞いて、俺は瀧が変わってしまったあの頃の事を思い出す…。高校の…、確か2年の時だったか…、確か岐阜の方へ司達と旅行に行って…、そこから一人帰ってきた瀧は、どこか変わってしまっていた。心ここにあらず、そんな状態になっている事が多くなり、表情にも影をさしている日が多くなった。まるで…、大切なものを無くしてしまったかのように…。

 

「俺…さっきも言ったように、好きな人だとか…、気になっている人はいないんだ…。正直なところ…、俺に一番近い異性は、秋穂ちゃんだと思う…。他は前に憧れていた、今は司の恋人の奥寺先輩くらいかな…。だから、君の告白はとても嬉しかったのに…!」

 

 苦しそうに話す瀧が、血がでるほど自分のこぶしを握り締めているのが見えた。

 

「君の気持ちに応えようとする俺を…、何かが止めてくる…。違う…、そうじゃないって…。ハハッ…何言ってるんだろうな、俺…」

 

 瀧、お前は…。力なくそう答えながら笑う瀧にあの時の、抜け殻のようなアイツの姿が重なる。そんな瀧に、彼女が両手で瀧の手を包み込む。

 

「……そんなこと、ないですよ。立花先輩…」

「秋穂、ちゃん…?」

「ちゃんと、話してくれて…、誠実に私を…フッてくれて…、有難う御座います。……やっぱり私、間違ってなかったです…!」

 

 彼女は、笑っていた。無理しているのだろう。でも、とても綺麗な笑顔だった。

 

「先輩は…、私の想像通りの人でした。フラれちゃったのは、悲しいですけど…」

「………ごめん」

「謝らないで下さい。先輩を好きになった事は、後悔してませんから」

 

 でも。そう言って秋穂ちゃんは瀧から離れ…、

 

「私、これからもっともっと綺麗になって…、今日私をフッた事、後悔させてあげますからね!」

 

 ベーっと可愛く悪戯っ子のように振り返りながら、秋穂ちゃんは答える。

 

「…ハハッ…。大丈夫だよ。俺、今の時点で十分後悔してるから」

「またまた先輩ったら…」

 

 そうして2人は笑いあう。とても、告白して結ばれなかったとは考えられないくらいに…。それほどまでに自然な2人に、俺は見えた。

 

「あ…、先輩。最後に一つだけ…。お願い聞いてもらっても…、いいですか…?」

「ん?お願いって……!?」

 

 秋穂ちゃんはそう言うと、その答えを聞く前に瀧の頬に口付けを落とした。ほんの一瞬の触れ合いだったが、瀧は顔を真っ赤にする。

 

「あ、秋穂ちゃん…!?」

「フフ…、可愛いですね先輩。顔、真っ赤ですよ?」

「い、いきなりそんな事されたらこうなるだろ!?……秋穂、ちゃん…?」

 

 その事に抗議しようとした瀧だったが、彼女はそっと瀧の胸に顔を伏せる。そして…、

 

「……有難う御座いました。先輩。いつも…、助けて下さって、本当に有難う御座いました」

 

 それだけ言うと、ゆっくり瀧から離れる。

 

「今日はここで大丈夫です、立花先輩」

「…え?でもこんな時間だし、家までは送るよ」

「いえ、ここで大丈夫です。近くですし」

 

 流石に彼女もこれが限界だったのだろう。まあ、瀧は瀧で秋穂ちゃんをフッてしまった手前、強く言えないところもあるのだろうが、アイツの性格上そのまま彼女を残していく事も出来ないに違いない。どうしたもんかと悩んでいる瀧だったが、そんな時一瞬アイツと目があった気がした。

 

「……わかった。近いとはいっても気を付けて帰れよ」

「はい。立花先輩も」

「…俺はいいんだよ。…じゃ、またな」

 

 そう言って去る間際、やはり瀧は俺の方を見てきた。お前に任せる、そう言っているような目だった。…お前に、言われるまでもねぇっての。

 

 

 

 

「秋穂ちゃん」

 

 ビクッと、彼女の肩が震える。

 

「……高木、先輩…?……どこから…見てました…?」

「……君が、どうしてですか!?って瀧に詰め寄るところ、かな…?」

「……そう…ですか…」

 

 彼女は依然背を向けたままだったが、それに構わず俺は彼女の元へ歩いていった。

 

「こ、来ないで下さい!!私、今…ッ!!」

 

 そう言われて足を止める。恐らく泣いているであろう彼女は、その顔を見られたくないのだろう。

 

「…俺じゃ…嫌かな…?瀧の事、思い出しちゃうか…?」

「………そ、そういう訳じゃ、ないですけど…」

「だったら、せめて家の近くまで送らせて貰えないかな?瀧からも頼まれたようなものだから、さ…」

 

 アイツが彼女をそのまま残して帰ったのは俺がこの場にいた事がわかったからだ。いくら自分が彼女に応えられないからってそのまま帰るような奴じゃない。ただでさえ彼女は男に絡まれやすいところがあるのだから。

 

「………わかりました。でも、高木先輩。申し訳ないんですけど……」

「…けど?」

「…少しだけ、胸を貸して下さい…」

 

 そう言うと彼女は俺に顔を見せることなくそのまま俺の胸に飛び込んできた。

 

「う……ううッ……!!」

 

 俺にしがみつく様にした彼女から、嗚咽が聞こえてくる。そして…、

 

「先輩ッ…立花先輩ッ……!!」

(…やっぱり、瀧。一発だけ、お前殴るわ……。いつか…いつかお前に、相手が出来たときにな…)

 

 そう心に誓うと彼女が泣き止むまで、俺はそうして胸を貸し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう…、ちょっと休憩するか…」

 

 手帳のスケジュール表と格闘していた俺は肩の力を抜き一息つく。季節が変わり、12月になった今でも俺はまだ就職活動をしていた。

 

(…司も真太も行き先を決めたっていうのにな…)

 

 ふぅっと溜息がもれる。もう、司も真太も高校時代よりお世話になっていたバイト先である『IL GIARDINO DELLE PAROLE』を辞めた。彼女が、秋穂ちゃんが辞めた後、そう時間を置かずに真太が、そして続くように司も…。

 

「俺もそろそろ辞め時なんだよな…」

 

 たまにバイト先に行くとこのまま就職先決まらなかったら、ウチにくるかと冗談めかして言われる時もあるが、尤もその気があるならば兎も角、俺が将来就きたい仕事という訳では無いからそれは出来ない。以前司が言っていた通り、そろそろ俺も考えなければならないだろう。

 

「…と言っても就職先が決まらないとなぁ…」

 

 そうひとりごちながら外を見ると、雨が降りしきる中でクリスマスのイルミネーションが瞬いている。もう今年も終わる。果たして俺は来年までには就職先が決まっているのかどうか…。

 

「…やっぱりもう一回、ブランダルフェア行っときたいなぁ」

 

 そんな時、なにやらそんな声が耳に聞こえてきた。ふと視線だけやると、幼馴染らしいカップルがどこか地方のなまりがある声で話しているようだった。

 

「どこも似たようなもんやろ…」

「神前式もいいかなーって」

「お前、チャペルが夢だって言っとったに!」

 

 こんなやり取りを聞いて、何故かわからないが俺はどこか心が温かくなるのを感じる。そして思案していた女性がこう切り出す。

 

「それからテッシーさぁ…」

(………テッシー…?)

 

 聞いた事の無い筈の、恐らく彼の渾名らしい名前を聞き、俺は何処か聞き覚えを感じる。いつだったか、何処かで、聞いたような……。

 ゆっくりと振り返ってみると、その2人は会話を済ませ、席を立ちコートを羽織っていたところだった。そのまま店から出て行くまで、俺は彼らをずっと見つめていた。

 

「………行くか」

 

 何時までもそうやって固まっている訳にもいかず、俺も席を立ち会計をすませて店の外へ出た。

 

 

 

 

 

 

「まだ図書館、やってたっけな…」

 

 雨が雪に変わり、傘も差さずに俺はそうごちる。さっきの2人に当てられたのかわからないが、無性に行きたくなってしまった。一時期、確か高校2年の時だったか、俺は半ば常連のように図書館に通ったものだった。彗星が落ちるという人類史上まれにみる自然災害。それにも関わらず町の住民がほとんど無事だったという奇跡。別にあの町に知り合いがいたという訳でもないのに、俺は当時数年も前に落ちた彗星の記事、そして無くなってしまった町の事について、片っ端から資料を調べていたものだった。

 

「そういやこの間会った奥寺先輩とも、こんな話したっけ…」

 

 ちょうど彗星災害から8年というニュースと共に、司と奥寺先輩と訪れた糸守の話をした。正直どうして彗星が落ちてなくなった糸守町まで行ったのか。奥寺先輩の話では俺が強く行きたがったという話だったが、全く覚えが無い。それどころか俺だけが2人と別行動をとり、どこかの山へ登って夜を明かし、翌日1人で東京へ戻ったのだ。

 

(後は今の俺の近況を聞かれたんだよなぁ…)

 

 まあ、司から色々と聞いているとは思うだろうけどな。いつの間にか先輩は司と付き合うようになっていた。この間会ったときには薬指に指輪をしていて、恐らく司の大学卒業と同時に籍を入れるのだろう。

 そう言えば真太も、時々秋穂ちゃんと会っているみたいだ。アイツいわく彼女の大学受験の勉強を見ているみたいだが、彼女が大学合格したら付き合いだすのではないかと俺は思っている。あの時、真太に任せたのは正解だった。彼女は、妹のように大切な後輩。真太にだったら…。

 

「………ん?」

 

 長い歩道橋を歩いていた時にすれ違った女性に俺は思わず振り返ってしまう。一瞬聞こえた鈴の音。何か大切な事が隠されているような気がしてその女性の後姿を見るも、そのまま歩き去っていく様を見て気のせいだと思い直す。どうせまた何時もの癖だろうと。だから、数秒後その女性が振り返り俺を見ていた事に、俺は気付かなかった。

 

 

 

 

 

「………この本だな」

 

 閉館間際の図書館に滑り込み、俺は棚から探してきた本を開く。

 ―――消えた糸守町・写真全記録―――

 ページを開くと、山岳に囲まれ湖を中心とした糸守町の全景から始まり、そこにはこう書かれている。

 

『2013年10月4日―――糸守町は突然に消えた』

 

 もう何度読んだかわからない本を無言で1ページずつめくっていく。門入橋と書かれた立派な橋桁のある町の橋、銀杏の木と町唯一の小学校、今から1600年も前に作られていたとされる宮水神社、その鳥居と急な階段。本に載っているそれはどれも日本にある田舎の風景。だから、見覚えがあるのだろうか…。

 

「……高校、か…」

 

 やがて糸守高校と書かれた絵に目がとまる。ここは彗星被害の範囲外だった為、今も現存しているし、一度糸守町に訪問した時も確か見たはずだ。尤も、写真にある災害前のその建築物とは似ても似つかなかった。そして何故かその高校にまるで自分もいた場所であるかのように、変わり果てた今の建物に俺は心苦しくなる。しかし、本を見ていて俺は気付いた事があった。

 

「…そうだ。俺は…」

 

 今まで就職活動で面接に望んでも、俺は自分の志望動機を明確にする事が出来なかった。俺の心の中にあった、志望動機。無くなってしまった見覚えのある町の風景。そこに生活する人々の風景や町の風景を自分の手で作り出したい…、作り出せるようになりたい。元々建築には興味があったが、あの未曾有の災害を経て消えてしまった風景に衝撃を受けつつも、だからこそ自分もその風景を取り戻せる事に関われる仕事に就きたいと、俺は思ったのだ。

 

「よし……」

 

 そうと決まればと俺は本を閉じる。今、自分の中にある気持ちを纏めなければならないし、そろそろ閉館の時間でもあるようだ。だけど俺の心は固まっている。次こそは…、と。その決意と共に、俺は図書館を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また月日が流れ、桜の咲く季節を迎える。あの後それまで苦戦していたのが嘘であるかのように、あっさり内定を貰う事ができ、大学卒業後そこで働かせてもらっている。目まぐるしい忙しさの中でも自分が定めた目標へ近づいているという感触もある。

 

「なんとか間に合ったか…」

 

 通勤の電車に乗り、そこで一呼吸つく。中学生の時から使っている慣れ親しんだ電車の中、目的の駅に着くまでの間、何時ものようにドアに寄りかかり外を眺める。今日はまた夢を見て、何時も乗る電車には乗れなかったが、まあ会社に30分前には着くだろう。

 

「…まぁ、大丈夫だろ。遅刻するわけじゃないんだし…」

 

 新人である以上、早めに出社する事が暗黙の了解で求められている昨今、ふと心配になるがその不安を一蹴する。流れてくる景色を目に入れながら、今朝の夢の事に思いを馳せる。

 あとすこしだけでいいから。夢で俺はそんな事を思っていたような気がする。もう何度見たかわからない、夢。そんな夢や錯覚に囚われるようになってからもうどれくらい経つのだろう…。社会人になった今でも、それはまだ続いている事に再び溜息をもらす。

 

(本当に、何時までこの感覚が続くんだ……?)

 

 司は数多く貰った内定から、俺と同じように建築の仕事に就きながら奥寺先輩と正式に婚約をかわした。今は婚約だけのようだが、落ち着いてきたら式も挙げると聞いている。真太も同じように製造系の会社に就職した。そして俺の予想通り、大学に無事合格した秋穂ちゃんと付き合い出したようだった。交際が決まった時に真っ赤になったアイツを微笑ましく思う反面、散々からかってしまった為か、お前の時は覚えてろよと言われた時はやりすぎたかとは思ったが…。

 

「そもそも俺にそんな時が来るのか…?」

 

 そもそも今まで誰かと付き合った事もない。彼女は作らないだけ、いつか誰かに言ったような気もするが、大学在学中でも告白は何度かされたし、決してモテない訳ではないと思ってはいる。だが、いざ付き合おうとする子がいるかと言われてしまうと、とてもそんな気持ちにはならない。妹のように接してきた秋穂ちゃんでも、付き合うという気持ちにはならなかったのだ。

 

(別に理想が高いって訳でもない筈なんだがな…)

 

 また溜息をつく。そんな時ふと視線を感じ、そちらを振り向いて俺は固まった。

 ―――併走する電車の先で、目を見開いて俺を見ていた彼女に気付いたからだ。

 

(―――彼女だッ!!)

 

 彼女を見た瞬間、俺はすぐに理解した。俺がずっと探し続けていたのは、彼女だって。あとすこしだけでいいから、一緒にいたかった相手!!

 身を乗り出すものの、お互いの乗った電車は徐々に離れていく。縋り付く様にお互いを見つめあっていたが、割り込んできた急行電車にそれも出来なくなり、電車が通り過ぎた後には、もう彼女の姿は無かった。

 

(さっきの電車は確か―――!!)

 

 電車が次の駅に止まり次第、俺はすぐさま降りる。もう、会社に行く事は頭に無く、ただひたすらに彼女に逢う為に駆け出した。彼女も恐らく俺を探しているであろうという、その感覚を信じて―――

 

 


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