優と千尋の神送り   作:ジュースのストロー

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お母さんとお父さん

 

 

 

 

 

翌朝、目が覚めると隣の布団は既に綺麗に畳まれていた。ハクは何処に行ったのだろうか……

 

「ふぁあ〜……んっ…。」

 

欠伸を1つして、布団から身を起こす。取り敢えずハクと同じように布団を畳んで横に並べると、備え付けの洗面台で顔を洗った。鏡で自分の顔を覗くも、そこにあるのは母譲りの自分自身の顔だけだ。

 

「豚にもなってないし、薄くもなってない。影もあるし、何もおかしな所はないな。」

 

気休めかもしれないけど、こうやって口に出すと安心する事が出来る。私はまだ大丈夫、まだ元の世界に戻れるって。

 

「私は萩野千尋。千はここだけの名前で本当の名前じゃない。」

 

確かめる様に、自分に言い聞かせる様に呟いた言葉は、何だか頼りなかった。ハクに、名前を呼んで欲しい……そうじゃなきゃ、今の私は凄く不確かであやふやだ。

私服のポケットに入っていた、引っ越す前の友達の理沙ちゃんに貰ったカードには、可愛い字で「ちひろへ」と書いてあった。いつか、この名前が自分のものだと感じなくなってしまう気がして怖い。

頭を振って嫌な想像をかき消すと、思考を切り替えて意識して明るい声を出した。こういう切り替えの良さは、私の数少ない美徳だ。

 

「本当にハクは何処に行ったんだろう? 調理場の方かな……」

 

着替えを済まして、おかしな所がないか姿見で確認する。昨日の夜に届けられたこの服は、ハクとお揃いみたいで少し気恥ずかしかったが、着てみると案外似合ったので少しだけ気分が上がった。

ハクが水色なのに対して、私はピンクのズボンを穿き、袖はノースリーブというデザインの服は昨日、女性従業員の方が急いで仕立ててくれたものらしい。私もボタン付け位なら出来るが、服は作った事がないので、素直に感心した。

髪をきつく縛ると気合いを入れて顔を叩く。パシンという音と共に今日も頑張ろうと「よし!」と意気込んだ所で襖をノックする音が聞こえた。丁度ハクが帰って来たらしい。

 

「どうぞー。入っても大丈夫だよ。」

 

笹の包みを抱えて入って来たハクは、私がもう起きているのかと驚いていたが、仕方ないではないか。普段から早寝早起きを習慣付けて老人の様な生活を送っている私の起床時間は朝の3時なのだ。今日はもう7時なので、充分寝坊したと言えるが、昨日寝た時間も時間なので仕方ない。

 

「もう、身支度は済んでるね。これから千尋のお父さんとお母さんに会いに行かないかい?」

 

「えっ、本当に? 行く、行きたい!!」

 

きっと両親はまだ豚の姿のままだとは思うのだけど、それでも会いに行きたかった。会って何が変わるという訳でもないけど、強いていえば私の罪悪感の問題だ。

 

 

 

 

 

別に急いでいる訳ではないので、エレベーターを使わずにハクと階段で下に降りる。昨日とはうって変わり、従業員やお客様方は全くいない静かな道だった。きっと基本的な活動時間が夜なのだろう。お客様は帰ってしまったのかもしれないが、従業員の方達は未だ布団の中なのかもしれない。

ふと、庭園の橋に差し掛かった時に、黒い影にお面を付けた様な存在がこちらをじっと見ているのに気付いた。今まで黒い影は私の事をスルーしていたので、少しだけ気になったがハクが無視して先に進むので会釈だけして付いていく。

 

「ハク……さっきのは何だか分かる?」

 

その質問に何故かハクは答え辛そうな顔をして、短く答えた。

 

「あれは多分……カオナシだよ。」

 

「カオナシ? ちゃんと顔はあった様に見えたけど……」

 

黒い影にそっくりだけど、見た目で大きく違うのがそこだ。黒い影の中には目と口が付いている個体もあったが、それは薄ぼんやりとしていて、カオナシ程はっきりとはしていなかった。

それに黒い影は日中は見かけなかったのにも関わらずカオナシは堂々と日の下を歩っている。ここまで違うと全く別の個体と考えた方が良いのかもしれない。

 

「あれは面をして、自分を誤魔化しているだけだよ。カオナシには己というものがない。だから他人に寄生して、あたかも己がある様に振舞おうとするんだ。……千尋は危ないから決して近付いてはいけないよ。」

 

「分かった……気を付けるね。」

 

ハクの言い方にハクらしくなくトゲを随分と感じたが、それだけ危険な存在なのだろうと結論付けて、私はしっかりと頷いた。ハクも私の返事を聞いて安心したのか、一旦この話は置いておいて庭園に咲く花を紹介し始める。

……確かに綺麗に咲き誇ってはいるが、紫陽花、ツツジ、梅、椿って……四季が乱れるにも程があるんじゃないか?? ……ここがこっち側の世界じゃないと言う事がひしひしと伝わって来て、素直に綺麗だとは思えなかったのが少しだけ勿体なく思った。

 

 

 

 

そしてハクにそのまま連れられて行った先には養豚場があった。ここで本物の豚の様に両親が飼育されていると思うとやるせない気持ちになって来る。私がもっと何か出来ていれば、今頃家族3人で引越し先で新生活の朝を迎えられたかもしれないのに……

 

「これが千尋の両親だよ。」

 

「お母さん……お父さん…………」

 

そこには餌を食べて満足したのか、床で気持ち良さそうに寝ている両親?の姿があった。以前見た時の様に髪は生えていないし、服も着ていないしで正直見分ける事は出来なかったが、ハクが言うのだからそうなのだと思う。

パッと見た感じでは怪我もない様だし餌も充分に貰えている様だしで、思っていたよりは環境が悪くなくてほっとした。

 

「ハク……お母さんとお父さん、私の事を忘れちゃったのかな……」

 

商店街で料理を貪る2人に私の声は全く届かなかった。もしかしたら、身も心も豚になってしまったんだろうか? 心だけは人間のままの方が精神的には辛いのかもしれないけど、心も豚になってしまうなんて、あまりにも哀れだと思った。

 

「人間だった頃の記憶を今は忘れているんだ。……でも大丈夫だよ。いつか2人を助け出したら、記憶も一緒に戻って来る筈だからね。」

 

「本当に?! そっか…………良かった。」

 

少しだけ希望が見えた。未だ両親の呪いを解く方法は分からないし、先行きも不安なままだけど、私の弱みという価値がある以上、両親が簡単に殺されるとは思えない。

そもそもこれだけの数の豚がいるのだったら、わざわざ私の両親を料理に出す必要もなさそうだ。それに湯婆婆様は両親が神様へのお供えの料理を食べた罰として豚の呪いを掛けたと言っていた。わざわざ殺すのではなく豚にしたのは、そう言う制約でもあるのかもしれない。

暫くの間両親を眺めていた私だが、ハクに声を掛けてその場を離れた。もう良いのかと聞かれたが、もう良いのだ。だってこの豚は私の両親であって両親でない。私が話しかけても、私を私と認識出来ない両親の元にいても、私が彼らに甘えてしまうだけで生産性がない。逆に両親が私の弱みであるという事実がある以上、あまり関わらずにそっとしておくのが1番だろうと考えた。

 

「千尋、ここでご飯にしないか? おむすびを作って来たんだ。一緒に食べよう。」

 

「わっ、いいの?勿論頂くよ! ハクが作ってくれたなんて嬉しいな!」

 

ハクが抱えていた笹の包みの中身が気にはなっていたが、まさかおむすびだとは思わなかった。笹で包んだおむすびなんて初めての経験だ。綺麗な花の庭園で食べる笹に包まったおむすびに、私のテンションがうなぎ登りになるのも仕方なかった。

 

ハクが包みを外すと、中から出てきたのは少し大きめの塩むすび。既に冷えて来てしまって握りたてではなかったけど、おにぎりは冷えた方が旨みが出て美味しいらしいし大丈夫だろう。

ハクは塩むすびを1つ、私に渡すと何故か自分は塩むすびを手に取らずに私を見つめていた。……これは私が食べた反応を見た後で自分も食べるというやつだろうか。取り敢えず1口を口に含むとふわふわのご飯と丁度良い塩の味が口に広がった。何だろう……素材本来の味が活かされているというか……美味しい。それからは早いもので、次第にパクパクとスピードがのって行き、すぐに1つを平らげてしまった。いや、そう言えば昨日は何も食べてなかったから……だからお腹が減っていたんだ。だからそんなに微笑ましそうな顔をしなくても良いじゃないか……あ、もう一つくれるって? ありがとう……

3つあった塩むすびの2つ目を私が食べ始めるという、女子にあるまじき行為を私が働きながら、ようやくハクも塩むすびを食べ始めた。

 

「このおむすび、千尋に元気が出る様にってまじないを込めて作ったんだ。……美味しそうに食べてくれて良かったよ。」

 

ハクが柔らかく微笑んで嬉しそうにするが、私はその言葉にドキッとした。

 

「えっ、私って元気が無さそうに見えた?」

 

ハクに心配されるほど顔に出ていたのだろうか。塩むすびを持つのとは反対の手で自分の顔に触れてみるがやっぱり分からない。

 

「いや、千尋はいつも笑ってるよ。ただ、何処か無理してる様に私は感じたんだ。」

 

「……それは……」

 

ハクに見透かされていた。私が何処か不安を抱えてるって事。足元がぐらついて、ふらふらしているって事。

 

「千尋は強い子だね。いつも一生懸命で自分の力で何とかしようとする。だけどね、たまには私にも甘えて欲しいな。私は千尋が甘えて頼ってくれた方が嬉しいよ。」

 

その言い方は何だか狡い。ハクに甘えるしかなくなってしまうじゃないか。甘えちゃ駄目だって、迷惑をかけちゃ駄目だって思っていたのに……

 

「あのね……」

 

「うん。」

 

「両親をね、1回見捨てたの私。あれだけハクに言っておいて、最初に両親が豚になったのも見た瞬間ね、怖くて逃げ出したの。私、最低だよ。あの時湖が行く手を阻んでなかったら、きっと両親を捨てて元の場所に1人で帰ってた。」

 

ずっとモヤモヤしていた事がある。後からこの事に気付いた時に私は愕然とした。だってあれだけ愛してくれた両親を見捨てて逃げ出したのに何も思わなかったなんて……私は薄情にも程がある。

 

「千尋は戻って来たじゃないか。千尋はこっちに戻って来て湯婆婆の弟子になる危険までして両親を助けようとした。もしの話は置いておいて、千尋が結果としてどう行動したのかが大切なんじゃないかな。大丈夫、私は千尋が両親を見捨てられる様な子じゃないって知っているよ。」

 

「……それは買い被り過ぎだよハク。私は結構狡いんだ。この話だって、きっとハクなら私は悪くないって言ってくれると思って話したんだ。……私は薄情で、酷い人間なんだよ。」

 

ハクが話してくれた内容に多少なりとも救われた自分がいたのに、こんな酷い返ししか出来ない自分が嫌になった。でも何故だろうか、ハクに私が良い人間だと、そんな風に言われると否定したくなるんだ。違うんだよ、私はそんなに綺麗な人間じゃないんだよって。本当に何でなんだろう、変だなぁ。

 

「千尋は…………いや、私は千尋がどんな存在であっても好きだよ。」

 

「……。」

 

私はすぐに顔をハクから逸らした。これだから天然は嫌だ。何でこんなに恥ずかしい事を臆面もなく言えるんだ?! 確実に顔が赤くなっている自信があったので、熱い頬に手を当てて熱を落ちつける。

ふと釜爺さんの「愛だなぁ」という言葉が浮かんで、慌てて首を振った。違う! これは性別を超えた友情的なそれだから! それにこんなに綺麗な顔をしているのだからハクが女の子の可能性もあるし!!

 

「千尋? どうしたの?? 具合が悪い?」

 

そっと心配そうにして来るハクに天然の恐ろしさを感じながらも、私はどうにか赤みの引いてきた顔で大丈夫と伝えた。まだ、ハクは心配な顔をしていたが、私が大丈夫と言うのでそれ以上は言及するのを辞めたみたいだ。ありがたい。

 

「千尋、やっぱり顔が少し赤くないかい?」

 

「いや、全然大丈夫! ハクのおむすびのお陰で凄い元気が出たよ!!」

 

握りこぶしを2つ作って再びなってしまった赤い顔でそう捲し立てる私に、ハクは引き気味に「そっか、それは良かった。」と返した。死にたい。

 

 

 

 


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