見つめる先には   作:おゆ

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第八十八話 宇宙暦800年十一月 結婚式

 

 

 子供ということで驚いている人間がもう一人存在した。

 

 その人間は病院で大きな手術を受け、目覚めた時に気付いたのだ。

 

 いつもの侍従の少年が控えているが、それだけならおかしいことはない。

 だが胸に赤ん坊を抱いているとは!

 およそ病室に似つかわしくない姿だ。

 

「……何だ、それは」

 

 いつも物事を華麗といえるほど皮肉っぽく表現するこの人間が、驚き過ぎて何のひねりもない反応をしてしまったではないか!

 自分が重傷を受けて手術を受けたことも、それが成功したかどうかよりもその赤ん坊の方がよほど気になった。

 

「ロイエンタール提督、この赤ん坊のことでしょうか。これは見舞客の一人から預かったのです。提督がまだ手術中に」

「なるほど分かった。それで預けた夫人の名前は?」

「エルフリーデ・フォン・コールラウシュ様と仰いました」

 

 ロイエンタールに事情が分かってくる。身に覚えがあるからだ。

 

「しかし、いつになってもその夫人は赤ん坊を引き取りに来ないのだろう?」

「そうです。それで困っているところです」

「そうだろうな…… 置いていくつもりで連れてきたようだ」

 

 エルフリーデか。

 髪が乱雑で思い込みの強そうな女だったな。

 

 それはリヒテンラーデ一族に連なる若い貴族子女だ。

 むろん、ロイエンタールがケスラーにでも頼めば探すのは難しくないだろう。しかしおそらくエルフリーデの方もそんなことくらい分かっている。

 

 それでも赤ん坊を置いていくとは複雑な意趣返しをする女だ。

 ロイエンタールはエルフリーデを捨てたわけではなく、最初から熱がなかっただけなのに。

 これまでロイエンタールと関わった女は、情熱的な者もいたし、そうでない者もいた。だが今までこんな意趣返しをしてよこす者はいなかった。

 

「それともあの女は深いところで俺のことを分かっていたのか…… 話したことなどなというのに」

 

 

 単に自分のことを忘れないように子供を預けたのではないだろう。

 ましてや自分を捨てた復讐といった単純なものではない。

 ロイエンタールは察した。

 子供を育てることが唯一ロイエンタールを心の闇から救う方法だと思ったのだろうな。

 

 ロイエンタールは子供の頃にとても歪んだ環境で育った。

 親と深い葛藤を演じ、結果的に深刻な人間不信を生じた。そういうところでロイエンタールはミッターマイヤーとは真逆だ。だからこそミッターマイヤーとは深い友となったのかもしれない。

 

 ロイエンタールには人間を信じ切れないところがある。

 これでもし性質も邪悪だったなら、すんなり心は統合されただろう。

 

 ところがロイエンタールの根本的な性質は邪悪などではなく、むしろ光を希求するようなところがあった。それで心が矛盾を抱えてしまっている。つい世の中への皮肉な見方をしてしまうのもそこから来ている。いずれ自身の破滅願望にもなりえる危険な矛盾だ。

 エルフリーデはそこをロイエンタール本人以上に理解し、ロイエンタールに親とならせることで癒そうとしたのかもしれない。

 

「とりあえず、だ。今は考えてばかりもいられないな」

 

 今の課題を解決しなくてはならない。

 侍従にミルクや子供用品一切を用意するように命じた。

 それと、子供についていったい誰に相談したらよいのか。

 他の提督で子供がいるのは…… ケンプか……

 アイゼナッハはなぜか参考にならない気がする。第一、質問をして返事が返ってくるだろうか。

 そうだ、ワーレンがいい。

 確か、奥方をだいぶ前に亡くして、息子を育てているはずだ。

 

 さて、それにしてもとんでもない難題を突き付けられたものだ。

 

 

 

 

 銀河の大きなところでも解決しなければならない難題がある。

 

 今回の帝国側の出征についてその戦後処理を帝国と同盟の間で取り結ばなくてはならない。

 戦いでは同盟が戦略上の優位を保ち、帝国の野望を阻んだ。とはいえ首都星ハイネセンまで襲来を許したのも事実であり、今でもフェザーンからハイネセンに至る航路の四分の一まで帝国の制宙権下にある。

 

 それに何より現有戦力はまだ帝国の方がだいぶ多い。

 同盟としては帝国から何らかの譲歩を引き出したいところだが、直ぐに再戦という事態は断じて避けなければならない。

 

 逆に帝国の方でも痛手は大きく、再建に時間を要する。ただでさえ内戦と皇帝の代わりという激動を経ているのだ。

 もう一つある。帝国としては今回の戦役を少なくとも敗北ということにしたくない、というのは新皇帝の権威に傷がついてしまうからだ。だから同盟側の方で喧伝するのを黙らせたい。

 

 ここで交渉の余地があるのだが、むろん素直にまとまるはずはない。

 同盟ではホアン・ルイやアイランズ、帝国ではマリーンドルフ伯やエルスハイマーがやり取りをして枠組みを決めていく。

 同盟は当初、同盟領の完全回復と賠償金、そして何よりフェザーン旧自治領の共同統治を要求した。

 これらの要求が通れば万々歳だ。

 

 しかし帝国は軽く一蹴し、逆に現状維持のまま凍結を要求してきた。

 結局のところ同盟領の回復だけが決まり、ウルヴァシーを含むフェザーン方向の領地が返還された。しかもイゼルローン方面の帝国領を同盟は牽制していたがそこから手を引くこととバーターである。

 

 最も大きな要求であるフェザーン共同統治は成らなかった。

 

 帝国からみればフェザーンは実質独立国のようなものだったが、元をたどれば帝国の領地なのは間違いない。帝国として領地の割譲は認められるものではない。

 ただし、これまで通りの通商を行う確約とフェザーンの持つ同盟債権の放棄が決められた。また、同盟国籍のままでのフェザーン居住権も認められることになった。

 奇妙なことだが、フェザーンは帝国と同盟がとても平和裏に接している。

 イゼルローン回廊付近が殺伐としているのと対照的である。特に帝国軍が同盟の軍人でも民間人でも捕えた場合、捕虜として思想矯正区送り、それからほとんどの場合小作農として扱うことになる。

 方や、フェザーン回廊では帝国国籍の者も同盟国籍の者も往来し商売をすることができる。

 

 

 

 

 この状態でしばらく平和な日が続いた。

 

 そんな一日のこと、エル・ファシルにて一つの結婚式が開かれた。

 ヤン・ウェンリーとフレデリカ・グリーンヒルが新郎新婦として主役を務める。

 

 当初、それはイゼルローン要塞で開かれる予定だった。ヤンはこの情勢で私事のためにイゼルローンを遠く離れるわけにいかない。

 しかし来賓の多くはハイネセンから訪れる。

 そこでエル・ファシルが選ばれたのだ。

 

 何より、ここにはイゼルローンで得られない本物の青空と大地がある。

 

 それにヤンは知っていた。

 フレデリカが二人の初めて出会った思い出の場所として、エル・ファシルこそ結婚式に相応しい場所と喜んでくれることを。

 

 結婚式にはもちろん新婦の父グリーンヒル大将がいる。

 来賓としてキャゼルヌやアッテンボローなどのヤン・ファミリーもいる。今はムライとメルカッツが要塞の留守番を務めている。

 

 さすがに同盟の他の艦隊からはそうそう来賓はいないが、例外的にキャロライン・フォークは呼ばれている。

 

 

 式は滞りなく進む。

 

 フレデリカはまぶしいくらいにきれいだ。

 本当に幸せそうだ。この日を十年以上も待っていたのだから。何度脳内でシミュレーションしていたのだろう。ヘイゼルの瞳が輝いている。

 

 グリーンヒル大将の亡き妻、つまりフレデリカの母親のものだったという純白のドレスがとても似合って美しい。

 

「フレデリカ、いつまでも幸せに」

 

 本当にそう思う。

 

 そして結婚式を見る各人の思いはそれぞれだ。

 アッテンボローは自分の結婚式を夢想しているのに違いない。

 キャロラインはいつ結婚するとは決して言ってないが、でなければアッテンボローは式場を予約する勢いだ。

 そしてヤンと最も親しいといえる来賓キャゼルヌはこの結婚式の経費がいくらか一瞬で計算を終える。そんな後方勤務が板についた自分に苦笑してしまうが、それを横のオルタンス夫人もそれに気が付いたようだ。

 

 

 さて、いよいよ結婚式のクライマックス、新郎新婦のキスがある。

 

 会場の全員が本人たち以上に緊張した。

 まずい、大丈夫か。

 全員が非常にぎこちないものを想像した。

 それが、意に反して特別失敗ではない!

 

「これはヤン提督、みっちり練習してますな」

 

 小声でそういったシェーンコップをキャロラインが軽く蹴る。

 

 

 

 式が全て終わると庭に移ってパーティーだ。

 今日は晴れてよかった。

 

 パトリチェフが大声を買われて開催の宣言をする。

 次にハイネセンから来たシトレ元帥などが祝辞を述べる。

 なんだか生徒の卒業式のようだが、シトレにとってヤンはいつまでも生徒なのだから仕方がない。卒業証書を渡したのは形式だけのつもりらしい。

 ヤンは祝辞で士官学校の成績の話まで出るのではないかとヒヤヒヤしていたがそこまではなかった。

 

 パーティーの中ではポプランとイブリンがフレデリカに何か話している。この二人はわずか先に結婚した先輩として話しているのだ。

 

「旦那の操縦はスパルタニアンより簡単だわ。多分。ヒモをつけといて時々引っ張ればいいんだから」

「そりゃないぜ、イブリン。自由に飛べるのがスパルタニアンなんだ。そいつは俺の生き方だ」

「何かしでかしたら撃墜するわよ」

 

 それをあっけにとられてフレデリカが聞くが、自分のヤンだけは浮気をするはずもないと安心しきっている。

 

 明るい空の下、パーティーが続き、皆朗らかな笑顔になる。

 

 

 

 パーティーの一方では新婦の父親ドワイト・グリーンヒルが花婿ヤンに何か話しかけている。

 

 目に涙こそないが真剣な表情ではないか。

 

 皆はグリーンヒル大将の心情を思う。

 長年一人で育てた娘を手放すのだ。

 いくらでも話しておきたいことがあるだろう。

 十回でも百回でも娘をよろしく頼むと言っているに違いない。あるいは娘を泣かすとイゼルローンから生身で放り出すとでも言うだろうか。

 

 

 ただし二人が何を言っているのか聞こえたら、全く違う感想を持ったことだろう。

 

「フレデリカの料理だが、かなりの確率で無理だと思う」

「は、はあ…… 努力します」

「分かっていないようだな。これはヤン君の覚悟でどうにかなる程度のものではない。摂取していいかどうかというレベルなのだ」

「……」

 

「最善の方法を考えるに、一つの料理に集中して向上させる戦略をとるべきだな。しばらくは同じ料理で飽きるだろうが我慢してくれ。仕上がりの問題以前に完成まで持っていけるかどうかから始まるのだから。いや、器具の破損を考慮して予備を手配せねばならない」

 

 グリーンヒル大将は冗談で言っているのではない!

 フレデリカのことをよく知るグリーンヒル大将の言葉を大げさと言い切ることはできない。

 

「フレデリカはおそらく今は下手でも、すぐに上手になりますよ。計算は得意ですし、何より私も手伝いますから」

「……ヤン君、希望的観測を戦略の根幹に据えるのはどうかと思う。それに君は掃除洗濯という多方面作戦を強いられる。リソースは有効に使うべきだ」

 

 それもそうだとヤンは思った。

 家事に魔術もミラクルもないのだ。結婚後、今までそれを担っていたユリアンはヤンの元を離れ、いったん第一空戦隊の居室に移ることが決まっている。

 

 

 




 
 
次回予告 第八十九話  波風

ついにラインハルトの戦略が再び大きく動き出す……

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