万難を排し、ロイエンタールの艦列維持への努力が続いている。
だがロイエンタールより先に両翼のアイゼナッハやルッツの方が限界に近付きつつあった。
「攻勢を強化して続行」
ヤンが静かな声ではあるが苛烈な指示を各艦隊に与える。これで各艦隊とも全面攻勢に出た。
逆にロイエンタールは戦線を更にコンパクトにして撤退の算段を早めていく。途中、誘い込みの罠を作り逆撃を加えるのも忘れない。むろんそういった策の大半は見抜かれたが、それでも有効になることもある。さすがにロイエンタールはそういった複数の戦術を同時に操ることのできる堯将なのだ。
そして戦理を崩さないメックリンガーがアイゼナッハやルッツに代わり最善のサポートを行い、撤退をよりスムースなものにしている。
ここでまだエネルギーを残していた同盟軍パエッタ第二艦隊が最後の猛攻を加えた。
今の帝国軍最後尾はロイエンタールの艦隊だった。
あまりに不運なことにこの攻撃で旗艦トリスタンが被弾してしまう!
大破と同時に、艦橋内へ飛んできた棒材が指揮シートごとロイエンタールを貫く。
このトリスタンにおいて慌てた声を出さなかったのは皮肉なことにロイエンタールだけだ。
誰もが見て分かる重傷だ。肺は傷ついていないものの、出血はおびただしい。
だがロイエンタールは医務室へ行くのを拒否し、そのまま艦橋で指示を出し続ける。
責任感、いや英雄の矜持だろう。
自分を客観視する皮肉が冷静さを保たせ、矜持が無様な敗走を許さない。
しかし時間の経過とともに次第に出血が顔色を失わせていく。
その鬼気迫る指揮により帝国軍はついに破綻を見せることはなく、最後まで追撃をはねのける。
やっと危機を脱した時、ロイエンタールにほとんど意識はなく顔色は死人同然だったが、すんでのところで止命はとりとめた。
一方、帝国軍のいっときの混乱は乱戦をもたらし、たまたま同盟の一つの分艦隊が単独でアイゼナッハ艦隊と正面から向き合うことになってしまった。
その同盟の分艦隊にとっては不運としかいいようがない。
帝国艦隊は全体として撤退といえどもまだ数を残しており、邪魔なその分艦隊をすれ違いざま一気に叩く。
ヤンは自分の出した攻勢強化の命令を悔やむことになる。
ヒューべリオンに簡単な報告が届けられたからだ。
「アッテンボロー分艦隊損失多数! 戦艦マサソイト撃沈!」
第二次アムリッツァ会戦は同盟軍の勝利に終わり、かつての雪辱を果たした。
撤退したロイエンタールら帝国軍の将は艦隊の編成を終え、暫定的にメックリンガーが総司令官に就く。
今は大きく退き、もはやイゼルローン回廊からオーディンへ至る道筋の半分よりもなおオーディンに近く、文字通り首都星防衛になっているからだ。
もちろん最善の努力をして防衛戦を構築するが、損傷艦を下がらせてしまうと三万八千隻が精一杯のところである。一方の同盟艦隊が五万五千隻も残しているところからするとより苦しい状況に追い込まれたといえる。
これにより同盟艦隊の意気は高い。
「急ぎ敵首都星オーディンを突く。これは好機だ!」
将兵のそう言う声は小さくはない。
軍内で主戦派と称されるアップルトン、ウランフらもそれに同調しかけた。
だが、それをヤンやグリーンヒルが押しとどめる。
「一時囲むことはできても維持は難しい。まして帝国の統治などできっこない。この戦いの目的はフェザーン方面の帝国軍本隊への牽制にあり、戦果ではない。むしろ派手に進軍の構えを見せて用心させるべきだ。本来の目的を見失ってはいけない」
それは正解だった。
第二次アムリッツァ会戦の少し前、ようやくロイエンタールの報告がフェザーンのオーベルシュタインの元に届けられている。
オーベルシュタインはわずかに考えたが、遅滞なくウルヴァシーのラインハルトへその情報を伝えた。
「この報告を敢えて握りつぶせばいかようになるか。なるほど、今になって分かる。ここフェザーンは確かに宇宙の要だ。全ての情報も物資もここを通る。ルビンスキーがフェザーンを支配することで宇宙を支配した気になったのもしかるべき理由があったというわけか」
帝国軍イゼルローン方面艦隊、戦力劣勢のためイゼルローン要塞から帝国領に退避し防衛態勢に入る。
「な、何だと!」
その報告を聞いたラインハルトは一言だけ言って黙り込む。
今は怒りに任せて余計なことをしゃべっている時ではない。素早く考える。
「全軍を持って敵首都星ハイネセンに進軍して先に敵を降伏させるか。しかしここにあの敵将がいる限り、易々とそうはさせず、妨害してくることは必定だ。物資さえあれば、別動隊を幾つも作り、同時に攻め込むのだが…… その余裕はない」
「そうですね、ラインハルト様。今は全ての艦にハイネセンまで行ける物資を積み込ませることはできません。その集積にはもうしばらくの時間が必要です」
「できないことを考えても仕方がない。一度に動員できないのであれば敵に数倍する大艦隊といえども張り子の虎ということだな」
「それ以前にもしも敵がイゼルローンからオーディンに来るのが早いとすれば」
そこまで考えたら、答えは一つしかない。自明のことだ。
「キルヒアイス」
「ラインハルト様、とても残念です」
「仕方がないキルヒアイス。今回は負けだ。オーディンの姉上やサビーネ殿を守るのが先だ」
もう切り換えるしかない。
一番重要なことは帝国の首都星オーディンを守ることではないか。
「戦術でいかに努力しようと覆せない。悔しいが戦略面で後れをとった。偶然でもなんでもなく、敵は最初からフェザーン方面は足止めと割り切り、イゼルローン方面に主力を向かわせることに決めていたのだ」
「そうですね、しかしこれで終わりではありません。ラインハルト様」
「当然だキルヒアイス。宇宙統一は必ず成し遂げる。多少の回り道になっただけと思おう」
もちろんこれで終わったわけではない。
今回の壮大な軍事行動で帝国はフェザーン急襲という手札を切った。
それに対し、同盟はどちらの回廊も守ろうとはせず、一方へ戦力集中という戦略を用いた。
しかし、これはすなわちその方法でなければ同盟の側が防衛不可能という事実を示している。
全体戦力としては明らかに同盟が弱い。
しかも一連の戦いで基礎体力を削られたのは同盟の方である。
フェザーン方面の同盟領は住民避難のために混乱と経済的損失が著しい。
その不満をなだめ、おまけにフェザーン方面の防衛をこれまで軽視してきた不満をそらすため、同盟政府は多額の出費を強いられるだろう。
逆に帝国は今回フェザーンを支配下に置いた。
今までのような帝国の一部であって帝国ではない、そんな自由なものではなくなった。フェザーン商人は嘆き、いずれは活力低下という形になるだろう。だが、少なくとも短期的には帝国の益になるのだ。フェザーンが持っていた債権を棚上げにできるだけでもありがたい。
それともう一つある。
これ以降、イゼルローン要塞の戦略的価値が著しく低下することになる。フェザーン回廊がある以上、絶対必要というものではなく、防壁としての役割は既に無い。無用といってもいい。
今回のラインハルトの遠征は犠牲もそれなりに大きかったが、得たものもまた大きく、次につながる意味があった。
そうと決めると遠征艦隊はすぐさま撤退にかかる。
もちろんこの話を聞き、ミッターマイヤーをはじめとした諸将は残念がる。もちろんビッテンフェルトが最も悔しがった。
「とにかく敵を滅亡させればいいのだ。ここまで来れば後は鋭く突き進むだけではないか」
「ビッテンフェルト、本国と前線の距離が問題なのだ。それが分からんのなら言うことはないぞ」
ミッターマイヤーがかえって毒気を抜かれてビッテンフェルトの宥め役に回る。ビッテンフェルトの気持ちは大いに分かるつもり、悔しいのはみんな同じだ。歴史を変えるためにここに来た。あと一歩なのに、それが届かないとは。
帝国軍がウルヴァシーを出立し、フェザーン方向へ粛々と撤退していくのを見たフェザーン方面同盟軍は拍手喝采だ。
「自由惑星同盟、万歳! 我らが無敵の女提督に乾杯!」
各艦ともベレー帽が乱れ飛び、将兵たちの歓声が止むことはない。
自由惑星同盟は救われた。
苦しい戦いだったが、すんでのところで国家の滅亡は免れたのだ。
これはイゼルローン方面において同盟艦隊が勝利し、戦略がうまくいったことを現している。
だがさすがに撤退する帝国艦隊を追撃する余力はない。フェザーン回廊とそれに近い星系を帝国に取り込まれた形のままになるが仕方がない。
それよりもなすべきことがある。ここの同盟艦隊もまたイゼルローン方面に向かわなければならない理由がある。万が一ここの帝国軍本隊が最短距離で戻り、イゼルローン方面に駆けつければどうなるか。
イゼルローン回廊を押さえられるのに加えて帝国領に入った同盟艦隊が退路を失う。そして囲まれて袋叩きにされてしまう。
そこで念のためこちらも同盟領内部を通ってイゼルローン回廊に向かい、そこの安全圏を確保するのだ。今帝国軍のほぼいなくなったウルヴァシーなどを奪還するのは後の宿題に回す。
しかし応援が必要という心配は杞憂に終わった。
同盟軍イゼルローン方面はアムリッツァで勝ったあと無駄に深入りすることはなく頃合いをみて撤退している。
キャロライン達フェザーン方面の同盟艦隊がイゼルローン要塞に着いたとほぼ同じ時に、イゼルローン方面艦隊もまた帝国領から帰還してきた。
各将兵に笑顔がある。
どちらの方面の同盟艦隊も頑張り、ついでに同盟情報部も頑張り、同盟を救ったからだ。
フェザーン方面では艦艇四万二千隻のうち一万四千隻ほどが失われた。その激闘からすれば少ないともいえるが、軍事的な常識で言えば莫大という表現もできる。
イゼルローン方面でも六万五千隻の中で九千隻が失われた。
それに対して、帝国軍は両方面併せて五万隻に近い数を失うという犠牲を出した。
帝国の優位は依然としてそのままだが、ともかく現実の数字はそうであり、同盟将兵は胸を張る。
キャロラインは、事後処理として忙しく各艦隊司令と業務的な連絡を取り合う。
その後に第九艦隊はハイネセンに帰還する予定だ。
もちろんイゼルローン要塞に帰還した第十三艦隊にも連絡する。
「ヤン提督、今回のイゼルローン方面での勝利、おめでとうございます。それでフェザーン方面は助かりました」
「そう、それはいいんだがキャロライン・フォーク中将、ちょっと君に話したいことがあるんだ」
「…… ヤン提督、それはいったい……」
キャロラインはヤンの様子がおかしいことに今さら気が付いた。
ヤンが改まった言い方をしている。
その様子もまたおかしなことにベレー帽を手に握り締めているではないか。
とても表情は暗く、戦勝した指揮官の見せるようなものではない。逆に負けた指揮官でもこれほど暗いものか。
「ちょっとイゼルローン要塞に来てはくれないだろうか。そこで詳しいことを話したい。いや、長い時間は取らせない」
「ど、どういうことでしょうか……」
しばらくの沈黙がある。
ややあってヤンが口を開く。
「とても言いにくいことだ、フォーク中将。戦いには勝ったが、戦艦マサソイトが撃沈された。アッテンボローは不運にも帝国軍の撤退路に出くわしてしまったんだ」
あ、と言ったきりキャロラインは動けなくなった。
次回予告 第八十六話 あなたにいてほしい