見つめる先には   作:おゆ

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第八十四話 宇宙暦800年 九月 再び赤い太陽の下で

 

 

 この第二次アムリッツァ会戦は静かに始まる。

 

 初めに慎重さを崩さず、お互い相手の艦隊の編成、能力を見極めにかかる。

 オーソドックスに長距離での撃ち合いを展開するがどちらも崩れない。もちろん突出も狂奔もない。そんな二流の将帥などここには存在しないのだ。

 

 そのうち、ルッツの受け持つ右翼艦隊とロイエンタールの中央本隊との間隙が広がってくる。ゆっくりと。

 ヤンはそれが誘い込みであることを分かっていた。乱れや不手際で起きたことではない。

 

 そうは思いつつ、だがこの間隙を利用して分断できれば一気に決着がつくのも確かである。同盟第七艦隊グリーンヒル大将、第八艦隊アップルトン中将を用いて突進を敢行した。

 帝国軍は直ちに間隙を閉じ、ルッツとロイエンタールが挟撃にかかる。

 それでもグリーンヒルとアップルトンは間隙をこじ開け、分断を諦めていない。

 

 そんな中、ロイエンタールは敵の艦列を見て既視感があった。

 その鏡面のような整い方だ。

 

「この艦列は…… なるほどあの将か。面白い。今度は確実に破ってやる」

 

 いつぞやの艦隊戦シミュレーションで対戦したことがあるのだ。

 その時にはこのロイエンタールが乱戦というスマートでない方法を用いて辛くも逃げ切ったものだ。その借りを返すべくいつにも増してロイエンタールは真摯に艦隊指揮に取り組む。

 

 しかし、今回シミュレーションと違う点があった。

 

「何だこれは!? 仕掛ける直前に乱れてきたとは」

 

 おかしい、さっきまでの鏡面とうって変わって乱雑な配置に見える。

 ロイエンタールはそこに付け込んで攻勢を仕掛けてもきれいにはね返されてしまった。もう一度やってみても同じことになった。

 

 

 

「なるほど、こんな方法があるとは……」

 

 その頃、同盟軍第七艦隊旗艦の艦橋ではドワイト・グリーンヒルが感嘆していた。

 

「アンドリュー・フォーク少将、これは効果的な方法だな」

「いえ、グリーンヒル大将、元々の艦列が見事ですので有効になっただけです」

 

 アンドリュー・フォークが生真面目に答えている。

 一方、ロイエンタールは二度に渡る攻勢失敗を細かく思い返してやっと気が付いた。

 

「そうか、全く攻撃してこない艦が混ざっている。あれは無人艦だったのか」

 

 そう、アンドリューの献策はわざと少数の無人艦を前面に混ぜ込むものだった。

 鏡面のような艦列に無人艦を加えることで乱雑に見える。このやり方はグリーンヒル艦隊ならではの艦列をいっそう完璧にする優れたもので、攻撃ポイントを探し当てることを事実上無理にする。攻撃するまでどれが無人艦かはわからないのだから。

 グリーンヒルは、さすがにキャロライン・フォークのお兄様だと思ったが口には出さなかった。

 

 ロイエンタールは強引に一撃を加えようと頭を切り替えたが、それは一歩遅かった。

 

 闘将アップルトンが先手を取って熾烈な攻勢をかける。

 その中でもグエン・バン・ヒュー少将の分艦隊が先頭に立って猛進しているのだ。

「撃って撃って撃ちまくれ! もうそれしか言わんから覚えたら通信を切っても構わんぞ!」

 

 これに対したのはルッツの艦隊だったがいっとき撃ち負けてしまう。

 もちろんルッツも一流の将帥、艦列を立て直して反撃を開始するが、そこへアンドリュー・フォークの分艦隊がグリーンヒル大将から分かれて駆けつける。巧緻な用兵をもってグエンの猛進を上手にサポートし、横撃される危険から守り抜く。

 

 こうした努力が実り、ついに同盟軍は帝国艦隊の分断に成功した。

 それをヤンは勝機とみて、本隊部である第十三艦隊を動かす。

 

 驚くべきことにメルカッツとファーレンハイト、それぞれ六千隻もの戦力を与えて向かわせている。

 単なる分艦隊というより、もはや半個艦隊といっていい規模だ。

 この思い切った処置は二人の力量に対する信頼の証しである。

 

「アッテンボロー分艦隊も出撃」

「はいはい先輩、客将にばかり注目されるわけにはいきませんよ」

 

 第十三艦隊それぞれの分艦隊が活躍を始め、こうなっては同盟軍の優勢は明らかだ。クブルスリー、ビュコックもまた充分に貢献している。

 

 重要な局面と見てヤンは各艦隊に通達した。

 

「これより全面攻勢に出る。後衛の第十艦隊も戦線に参加のこと」

 

 ヤンは攻勢に強いことでは定評のある第十艦隊ウランフ中将を切り札にとっておいた。これだけを指令すれば、後は最も効果的な方法を判断してくれるだろう。

 

 

 

 その頃ロイエンタールは落ち着いて戦線を縮小させていた。

 

 戦いは少しばかり不利だ。敵には有能な指揮官が揃っているようである。残念ながらアムリッツァで逃げ出すのは帝国軍になりそうな気配である。

 しかし別にここで勝てなくともいい。大負けしなければいいだけではないか。敵はここからオーディンへ進もうとするだろうが、その途上で一回だけ挫けばそれで済む。

 

 本当ならダイナミックに陽動や伏兵といった策を打ちたい。

 しかしこの場合に限ってそれをすべきではなく、きれいに艦隊をまとめて実害を減らすべきだ。

 先にラインハルトの本軍に通信を送っている。

 後はこちらへ応援をよこすなり敵の首都星ハイネセンを先に陥とすなりしてくれるだろう。自分はそれまで粘り強く敵を邪魔し続けよう。

 

 ただしそれだけでは芸がない。

 ロイエンタールは恐るべき手を打っていた。

 

 

 

 ヤンは各艦隊の状況を観察しながら、紅茶を飲んで一息ついている。

 フレデリカは相変わらず戦闘中に出す紅茶にはブランデーを入れてくれない。

 

「やれやれ、ブランデーにはうまいアイデアを出させる効果があるんだがなあ」

 

 その時、突然事態が変わる。

 オペレーターが慌てた声を出してそれを伝えてくる。

 

「旗艦ヒューベリオンに帝国の強襲揚陸艇接近! もう避けられません!」

 

 発見が遅かった。

 それに帝国艦隊を駆逐しようと前掛かりになり過ぎていた。ヤンは指揮のしにくい後方にとどまっていない。

 

 同時にヒューベリオンの艦体に鈍い振動が走る。

 

「左舷後方に接舷されました! 外壁一部溶解、これは白兵戦の準備かと」

 

 ヤンが艦内モニターをスクリーンに出させると帝国軍の白兵戦部隊が続々乗り込んでくるのが分かる。このヒューベリオンは制圧される危機にあるのだ。

 

「艦のコンピューターアクセスを艦橋のみに制限。それと、ゼッフル粒子使用の可能性あり、艦内で火器の使用を禁止」

 

 マニュアルに則りそういった命令を伝達する秘書官フレデリカは、顔に恐れの色を浮かべている。

 自分は白兵戦の役に立たない。そんな経験もないし想像もしたくない。かつての憂国騎士団は棒を持っていたが、これは本気で戦斧を振るってくるのだ。

 

 その点でヤンもフレデリカと同じようなものだ。

 

「グリーンヒル中佐とこっちは同じレベルだろうか。いや、下かもしれないなあ。もしこの場にユリアンがいれば。いや、未成年者に頼るようでは我ながら情けない」

 

 ヤンもまたいつかの憂国騎士団との戦いを思い出したが、フレデリカの方がまだ活躍していたのだ。

 だが自分はフレデリカに結婚を申し込んだ男である。

 いざという時にはトマホークを振るって守らねばならない。たぶんフレデリカを一秒だけ守って挽き肉に分類されるだけだとは思うが。

 

 

 

 ヤンはいっときそんな夢想をした。

 しかし、実際のところヤンがトマホークを振るう場面などあるはずがない。

 まさかこのヒューベリオンに限って白兵戦で負けることはとうていあり得ないのだ。

 

 その充分な根拠を見るために、ヤンは後ろを振り返った。

 

 この緊急事態、シェーンコップと同盟軍最強白兵戦部隊ローゼンリッターがもう迎撃に向かったはずだ。

 

 しかし目を疑った。

 まだそこにはシェーンコップが動かずに悠然としていたではないか。

 

「え、シェーンコップ少将、まだいたのかい?」

「なにね、最初から真打ち登場ではいかんでしょう。それに敵はどうせここが狙いですから。いずれやって来ますよ」

「いやいやシェーンコップ少将、なるべく早めに対処してもらいたいんだが。」

 

 ヤンは隠そうとしても声に切実さが混ざる。ヒューべリオン艦橋に帝国軍の誇る白兵戦部隊、装甲擲弾兵など絶対に見たくはない。

 シェーンコップはそんなヤンの内心を知ってか知らずか、ニヤリとする。

 飲みかけのコーヒーを全て飲んでからようやく動き出す。

 

「全部で38人か。動きは普通だ。特に名のある将はいないな」

 

 小さくつぶやいた。

 シェーンコップは別にモタモタしていたわけではない。こうしている間にモニターで正確な帝国部隊の人数などを計っていたのだ。

 それにこれは必要なことなのである。

 艦の中の白兵戦には難しい点が多い。よくあるのは慌てて撤退すると見せかけてこっそり工作員を一人残し、安心したころ爆破する、そんな方法を取られてしまう。隠れるところが多い艦内では珍しくなく、そういうところでも抜かりがないのはさすがにシェーンコップだった。

 

 実際に白兵戦が始まるとローゼンリッターの一方的な活躍になり、ヒューベリオンの通路は帝国兵の血と臓物で汚れるばかりだ。

 

「リンツ、機関室に近づけさせるな。ブルームハルト、援護を頼む」

 

 それはものの二十分の戦闘で片付いた。

 

 

 ようやくヤンは落ち着いて全体の戦況を見る。

 帝国艦隊は撤退の機会を作りつつある。

 総司令官ロイエンタールはさすがに帝国の双璧、追撃の隙を見せずにそれを成功させるだろう。

 

 その時不思議なものが見えた。

 メルカッツとファーレンハイトの分艦隊が向かうところ、帝国艦隊があまりにも簡単に崩れ、逃げ惑うばかりに見えたのだ。なぜだろう。

 

 ヤンは両提督に通信を開く。

 

「帝国軍の様子がおかしいように思います。」

「ヤン提督、儂らも妙に思っていたところです。抵抗がこんなに弱いとは」

「試しに両提督から呼びかけてみて下さい。何かつかめるかもしれません」

 

 ヤンに従い、両提督が帝国艦隊に呼びかけたところ事情が明らかになった。

 

「メルカッツ提督、お懐かしゅうございます。こちらは旧ブラウンシュバイク艦隊。帝国軍に組み込まれておりました」

「そうか、確かに懐かしい。あれからお互い立場は変わったものだ」

「もはや帝国に貴族艦隊はなく、忠誠を要求されるものも変わりました。ですが我らは納得したわけではありません」

 

 それは旧ブラウンシュバイク艦隊だったのだ。

 そして未だにラインハルトのために働くことの意義が見出せていなかった。

 

 むしろ以前は指揮官と仰いでいたメルカッツの方に心情的に近く、それが戦いに消極的な理由だった。帝国のため、帝室のためという理屈が分からないわけではないが、この艦隊は長いことブラウンシュバイク家の家紋を仰ぎ、その家のためだけに存在していたのだ。

 

「それはよく分かった。だが儂が言うのもなんだが、そちらは今は帝国軍なのだ。そこで本分を尽くすのが武人ではないか。戦ってこそ誇りが守られる」

 

 

 うまく誘って離反させる策を弄するようなメルカッツではない。

 生粋の武人である。

 

「……メルカッツ提督は変わっておられない。安心しました。では、勝負を」

 

 そこからは白熱の戦いになった。

 しかし、憎しみはない。誇りだけの戦いだった。

 

 この報告を受けたヤンもまたこれを良しとした。ヤンの思想では戦いというものは本来悪であり、主義主張ならともかく武人の矜持などで戦うことには否定的である。それに今は帝国艦隊を全面崩壊に持って行ける機会でもあった。

 

 しかしヤンにもまた理解できるのだ。

 正しいということは人それぞれであり、後悔しないこともまた大事であると。

 

 そういうところがヤンのヤンたるゆえん、本当の民主主義らしいところである。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第八十五話  勝利と犠牲と

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