見つめる先には   作:おゆ

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第八十三話 宇宙暦800年 九月 勇戦のキャロライン

 

 

 ケンプは苦虫を噛み潰す。

 

 敵首都星ハイネセンを眼前にしながら足踏みしている。

 降伏に持ち込むのにあと一歩のところなのに。

 防衛要塞をほぼ片付けたところで思いがけない強敵が現われた。しかし、ケンプもまたラインハルトに才を認められた将の一人だ。立ち直るのは早い。

 

「艦隊を再編する。慌てるな、敵は我が方の半分以下の数だ。前衛であしらっている間に隊形を整えろ」

 

 さすがに一個艦隊でやってきただけあり、混乱を収拾してしまえば数の違いがものをいう。

 

 むろんシトレ元帥も簡単に捕捉されて撃滅されることはなく、機動力でもって対抗している。防戦してチャンスを伺うことに徹した。そこに気を取られてしまったケンプはハイネセンに侵攻する唯一のチャンスを失ったのだ。せっかく首飾りを九つまで除去して侵攻できる死角を作ったというのに。

 

 

 

 ケンプの旗艦ヨーツンハイムのオペレーターが叫ぶ!

 

「右舷より新たな敵艦隊発見、総数およそ二千隻、まっすぐこちらに向かってきます!」

「…… なんだ二千隻か。慌てずいったん防御を固め、息切れしたころに反撃だ」

 

 その新たな二千隻というのはシトレ元帥とは関係なく、実は遠くランテマリオから追ってきたものだ。加速しながら角度を変え、ケンプ艦隊の右翼をかすめる。小勢ながら的確な一撃でケンプ艦隊を削り取っていく。

 

「小癪な。大型艦を右翼に回して防御させろ!」

 

 ケンプが順当な指示したとたん、またオペレーターが報告してくる。

 

「今度は左舷方向より敵艦隊、約千五百隻。接近してきます!」

「またやってきたのか…… 次々としつこい」

 

 ケンプはここで警戒心を呼び起こされた。

 敵領のまさにど真ん中であることをようやく思い出したのだ。

 もしかすると首都星ハイネセンの危機に敵艦隊が集結しつつあるのだろうか。こちらは一個艦隊とはいえ、ここでは孤立した状態だ。すぐに応援を呼べるような状態ではない。

 副官パトリッケンもまた不安な顔をしている。

 

「閣下、申し上げにくいことですが、もはやここに留まるのは危険ではないかと。理由は司令官もお察しの通り」

「…… しかし、あともう少しなのだ! もう少し押して向こうの政府さえ恭順させればそれでいい。今の敵艦隊も従わざるをえない」

「まさにその艦隊のために恭順してこないでしょう。目の前に希望があるのにむざむざ降伏するとは考えにくく」

 

 

 この場合はパトリッケンの方に道理がある。この情勢で簡単に恭順するわけがない。

 帝国艦隊のかすかな動揺を見てとり、シトレ元帥が再び積極的な反撃に転ずる。逆にケンプ艦隊は数で勝るというのに縮こまり防戦に手一杯だ。各艦長もまた孤立して袋叩きになる未来を恐れていたのである。

 

 とどめにオペレーターが叫ぶ。

 

「また右舷に新たな敵! 数千五百隻、急速接近中!」

 

 このままではいくらでもやってくる敵軍に圧し潰される。ケンプは苦渋の表情で戦闘継続を断念した。

 

「無念だ…… ここまで来ていながら」

 

 撤退にかかるが、素直に逃してくれるわけもない。的確な追撃によって最後は四分五裂の状態になり、大半は撃滅され司令部のみ辛くもフェザーン方向に逃れることができた。

 

 

 

 これでハイネセンの危機は救われた。辛くも降伏せずに済んだのだ。

 アルテミスの首飾りはほとんど失われたが、被害としてはそれだけのことになる。シトレ元帥の果敢な戦いとフェザーン方向からやってきた救援のおかげである。

 

 直ぐにその救援艦隊を率いていたキャロラインがシトレ元帥に通信をとる。

 

「危ないところでした。シトレ元帥、帝国別動隊の来襲を阻止できず申し訳ありません」

「いやいや、その程度は充分あり得たことだ。逆に救援は見事だったが…… それにしてもあの方法は授業をしたことがあったかな。少なくとも答案では見たことがない」

 

 シトレはキャロラインを素直に賞賛しているが、それは的確な攻勢や艦隊運動のことではない。

 そもそも探知外で既に艦隊を三分割し、方向を分け、更に絶妙な時間差をつけて接近してきたことについてだ。

 シトレには全てが同じ第九艦隊所属の艦であることが分かる。

 だからこそわざわざ別の小艦隊であるかのように偽装したのも分かるし、その意図が帝国軍の不安を煽り継戦を断念させるためだと理解できる。

 素晴らしい心理戦ではないか。まるでヤン・ウェンリーのようだ。

 

 キャロラインは綱渡りの心理作戦がうまくいって安堵したが、下手をしたらむしろ各個撃破される危険があったのも間違いない。

 幸運だったのだ。

 もし帝国軍の将がケンプではなくビッテンフェルトだったらどうだろうか。

「いくらでも来い! いっそ敵の全軍をここで黒色槍騎兵が討ち果たしてくれる!」とでも言ったのではないか。

 尤も降伏についての駆け引きが求められる時点でビッテンフェルトに命じられる可能性はなかったのだが。

 

「シトレ元帥、答案なら何点になりますか?」

 

 ともあれハイネセンは救われ、キャロラインも少し気が緩んだ。

 

 

 

 なんとか撤退し、物資を使い果たす直前にウルヴァシーまで帰り着いたケンプはラインハルトの前に平伏する。

 

「せっかく大いなる好機を頂き、小官に命じて頂いたにも関わらず、敵を降伏せしむることかなわず、それどころか多くの艦隊兵士をむざむざと失ったこと平伏して処分を待つばかりでございます」

 

 もはやどこから見てもケンプには憔悴と後悔しかないようだ。大きな体を縮こませ、いかなる処断も甘んじる覚悟が見える。

 

 これに対しラインハルトは大きな声は出さなかった。

 内心は千載一隅のチャンスを失ったことに大きな失望を抱いていたが。今頃宇宙統一が成ったはずなのに振り出しではないか。

 

「ケンプよ、一つ言っておこう。敵にとってすればランテマリオでこれほど戦力差があるのに戦わざるを得ないのだ。それだけで分かるだろう」

「は……」

「つまり首都星近くに大兵力を遊ばせておく理由など存在しない。今回、敵は姑息な戦術を用いてきたようだが欺瞞に過ぎず、それこそ苦し紛れの証左だ。以後、用兵に関して一層精進するがいい」

 

 ラインハルトにはそんなことは簡単に読める。しかしケンプにはできなかった。しかしながら叱責で終わらせたのはケンプを間接的に推挙する形になったキルヒアイスへの配慮でもある。

 

 

 今、戦闘は止んでいる。

 キャロラインがハイネセンへ行った後も、同盟艦隊がランテマリオに発生した宇宙潮流の対岸に逃れると、帝国艦隊もまたそれ以上の無理押しはしなかったのだ。補給に不安がある以上、リスクは冒せない。どのみちこの場の輸送艇はケンプに与えてしまったために他艦隊へ長駆を命じることもできない。それでウルヴァシーに戻っている。

 

 帝国軍の物資は被弾した艦の修理部品から欠乏しつつある。

 次にはミサイルの在庫も少ない。探査用ブイも同様だ。推進剤は民間用から転用できるからまだいいが、もしこれが欠乏したらお終い、立ち往生するしかない。

 食糧だけは戦闘の激しさと関係ないので充分あるのが幸いだ。

 ラインハルトは大会戦が可能なのはあと一回だけと見積もった。後方のフェザーンからの輸送速度ではウルヴァシーに物資が蓄えられるのは早くはない。

 

 

 

 

 

 ランテマリオ会戦の少し前のことである。

 宇宙のもう一方の側、イゼルローン回廊では四万隻同士の睨み合いが続いていた。

 

 ここイゼルローン方面に展開した同盟軍は帝国軍とほぼ同数になってもまだ仕掛けない。

 

 もちろん同盟側としたらフェザーン方面の情勢は気になって仕方がない。もしフェザーン方面で早くに敗れてしまい、ハイネセンへ帝国軍本隊の侵攻を許したら、それで同盟は滅亡してしまう。

 そしてヤンはハイネセンの同盟政府が帝国に降伏すれば、ここイゼルローン方面で勝っていたとしても直ぐに停戦せざるを得ないと思っていた。それが文民統制の軍隊というのものである。

 

「やれやれ、心配ばかりしても仕方がない。イゼルローン方面だって負けたら困ることになるし」

 

 ヤンはフェザーン方面が持ちこたえるのを期待した。

 第九艦隊キャロライン・フォークが指揮をとっている。いかに天才ラインハルト夫君陛下と大艦隊といえど鎧袖一触というわけにいかないだろう。

 

 ヤンは慌てず、きっちり増援を得て戦力的に優位になるまで待った。

 自分の戦術指揮を過少に評価しているわけではないが、決して自信過剰ではない。

 まして今相手にしているのはオスカー・フォン・ロイエンタール、帝国の双璧と言われる堯将なのだ。

 

 

 一方のロイエンタールもまた負けられない。逆に言えば負けなければいい。

 

 戦いを小競り合い程度に止めながら、イゼルローン回廊をゆっくり帝国側に後退していく。回廊から出てもなお後退した。

 

 時間の経過はこの場合どちらにも有利に働いた。

 

 ヤンは同盟第一、第二、第五、第七艦隊からなる二万四千隻の応援が到着したことを知る。。

 それは予定よりだいぶ遅い到着だ。なぜならどの艦隊も先のクーデター後にやっと編成されたものであり、艦隊としての練習を兼ねての航行になったからだ。むしろ落伍が出なかったのが幸運である。

 

 ロイエンタールもまた増援を求めている。

 オーディンに留まっている帝都防衛艦隊を呼ぶのだ。

 その任に当たっている司令官メックリンガーはラインハルトの構想と違うという理由で渋ったが、ロイエンタールの意見に最終的には同意した。

 

「メックリンガー中将。卿が帝都防衛を任されているのは知っている。しかし、どのみちここで敗れてしまえば帝都防衛は不可能になる。単に戦力の逐次投入になるよりまとまった方がより有効ではないか。それも柔軟性というものだ」

 

 

 

 イゼルローン方面の同盟艦隊はやっと数の優位を確立できた。

 総数六万五千隻に及ぶ。

 

 そしてこの艦隊にはクブルスリー、ビュコック、グリーンヒル、ヤンの四人の大将が含まれる。

 総司令官は統合作戦本部長だったクブルスリーか、他には艦隊司令官として最も軍歴の長いビュコックがなるのが順当だが、当たり前のようにヤン・ウェンリーに決まった。戦略自体がヤンの考案によるものであることと、そもそもイゼルローン方面の最前線はヤンが担当だ。

 もちろんそんな理屈がなくともヤンに決まっただろう。誰もがそれが一番だと考えていたからだ。

 

 ここから同盟軍は積極的に攻勢を仕掛ける。

 

「急がないとフェザーン方面が壊滅してしまう。とにかく一戦して勝ちを収め、オーディンへ急進する構えを見せればいい」

 

 

 逆にロイエンタールの方はこの時点でヤンの戦略を見抜いた。

 

「敵の数は予想よりずっと多い。こちらの陽動に釣られたというわけではなく、おそらくこっちに主力を振り向けているのだ。とすると敵はフェザーン方面からの同時攻勢を既に予想していたのだろう。おそらくはヤン・ウェンリーか」

 

 ロイエンタールはラグナロックを予想し、戦略を打ってきた相手に舌を巻いた。

 直ちにフェザーン方面のラインハルトに連絡しようと思ったが、通信妨害のためすぐにというわけにいかない。こうなると余計負けるわけにいかなくなる。どうあってもオーディンを守るため、持ちこたえるのだ。

 

 ロイエンタールは同盟艦隊の攻勢を振り切って大きく退いた。

 こうなれば少し退いても大きく退いても同じことだ。むしろ戦場を帝国領深くに設定し、物資の面でも地の利でも有利になった方がいい。おまけにオーディンから来るメックリンガー艦隊と早く合流できる。

 

 決定的な戦いがないままどちらも帝国領を進む。

 

 そしてようやくロイエンタールはメックリンガーと合流を果たし、この時点で帝国軍は五万九千隻になる。六万五千隻の同盟艦隊と数ではほぼ互角だ。

 

 

 戦機は熟す。

 

 帝国艦隊は聞き覚えのある星系まで退いて準備を整えた。

 それは再び見る赤い恒星、アムリッツァである。

 

 

 第二次アムリッツァ会戦と呼ばれる激闘が始まろうとしていた。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第八十四話  再び赤い太陽の下で


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