このキルヒアイスの高速艦隊千五百隻と最初に当たったのは同盟カールセン第四艦隊だ。
しかし瞬時に食い破られてしまう。
この局所では当たり前だがカールセン第四艦隊の方がずっと多く、また弱将などではないはずなのに止めることすらできない。
キャロラインは帝国軍本隊から出たものである以上、何かあるとは思っていたが、これほどとは。あのアムリッツァでの戦いでヤン大将が苦労したのはこれのことだろう。
様子が尋常ではないのを見たキャロラインは自分が直接対峙することを望んだ。
このままでは全軍がかき回され、失血死するかもしれない。
「アル・サレム中将、あの帝国軍の部隊は簡単には止められません。私が対処いたします」
そしてキャロラインは千隻ほどを率いて出た。
恐ろしく迅いその艦隊に食らいつこうと追っていく。
もはや戦術レベルともいえない追いかけっこだが、そこでもキャロラインは充分すぎるほど有能なことを見せつけた。次々に指令を出していく。
「次に右舷回頭、その後向こうの動きを見ながらレールガンにエネルギーを回して下さい。頃合いで斉射したらシールドへ」
だがしかし、その見事な指揮ぶりをもってしても、キルヒアイスのバルバロッサを撃滅などできない。
それどころか追い付くことさえできなかった。
神速の迅さだ。やむなく進路変更をさせた時に距離を詰めるが、またすぐに突き放される。
だがこれ以上勝手にさせないための嫌がらせ程度には成功した。
そしてこの追いかけっこは意外な形で終幕を迎えることになったのだ。
このタイミングで横合いからラインハルト本隊のヴァーゲンザイル艦隊が狂奔してきたのである。
キルヒアイスとしては下手をすれば巻き込まれ、それこそ帝国軍で同士討ち、そこで補給を兼ねて冷静に引き下がった。
もちろんヴァーゲンザイル艦隊はキャロラインにその限界点を見極められて壊滅の憂き目にあう。
しかしそれで終わってくれるような帝国軍ではない。
次にはミッターマイヤー艦隊が同盟軍に食いつかんと接近している。
間一髪距離を取ると、その次にワーレン艦隊に至近へ迫られている。少しも気の抜けない戦闘がまだまだ続く。
この緊張感の中キャロラインは休まず指揮を執り続ける。
都合二十時間にも渡って帝国艦隊を退け続けた。
さすがに同盟軍の消耗は限界に近い。艦艇数も重なる戦闘で一万隻を失い、あちこちで破綻が見え始めている。それでも戦線が決定的な崩壊に至らないのは各艦がキャロラインの指示を聞いて、その健在ぶりに士気を奮い立たせているからだ。
今ワーレン艦隊に取りつかれて削られても、鋭く逆撃を加えて突き放し、また艦列を修復する。
そして頃合いを見てランテマリオ星系から退きにかかった。
帝国艦隊が追撃してこないと見切ったせいだ。帝国側も打撃は大きく、それにまして物資も損じ、そこに不安があるはずなのである。だから残りを艦隊毎に再計算して分配しなくてならず、はたして帝国軍もまた停止する。むろん同盟艦隊もこれ以上の戦闘は不可能である以上会戦はここまでである。ランテマリオは帝国艦隊が遊弋したまま残るがそれにこだわるべきではない。
キャロラインにはまだやることが残っている。
これはまさに焦眉の急である。
「先にハイネセンに向かった帝国の別動隊をなんとかしないといけません。私がすぐに追います」
後のことをアル・サレムに委ね、自分は五千隻を率いすぐに進発する。
帝国に下手な動きをとらせないぎりぎりの数でもある。
「アル・サレム中将、もし帝国軍がまた来たらマル・アデッタまで退けばよいと思います」
実際は直ぐに帝国側が仕掛けてくることはなかった。
ラインハルトは今から無理に戦わずともケンプ艦隊がハイネセンへ行けばいいだけと思っていたし、下手な乱戦は好むことろではなかったからである。
キャロラインは急いで追うが、もちろん先にハイネセンに到着したのはケンプ艦隊だ。
やはり輸送艇を使い潰せば補給のための時間すら必要なく最短で行ける。
今、ケンプ艦隊の旗艦ヨーツンヘイムのスクリーンには同盟首都星ハイネセンが映っている。これこそが最終目標なのだ。
「見ろ。敵首都星ハイネセンだ。これを陥とせば歴史が変わるぞ。アイヘンドルフ、惑星の名前が変わるかもしれんな」
ケンプは謹厳な副官アイヘンドルフに話しかけながら上機嫌だ。まさか自分の名前が惑星の名前になるとは本気で思っていないが、その想像だけでも楽しい。そこにはもうこの惑星を手中にした思いしかない。
アイヘンドルフはケンプが浮かれている、と感じた。いつもはもっと実直な態度なのに。
だが、見たところ首都星なのに防衛のため立ち向かってくる艦隊はない。
それでは宇宙艦隊に抵抗する術はなく、指揮官の見立てと同じくもはや降伏させたも同然と思えた。
先ずは同盟政府に簡潔な降伏勧告をした。
「こちらは銀河帝国軍ケンプ艦隊。そちらの政府代表に告ぐ。本惑星は我が艦隊が既に包囲した。素直に降伏するがいい。返答を四時間だけ待つ。」
ハイネセンはもちろん大騒ぎだ。
まさか、ここ首都星まで帝国軍が来るとは。
自由惑星同盟は150年の歴史を経て、ついに自由の国家は銀河帝国に屈するのか。
アーレ・ハイネセンの大脱出は結局何ももたらさなかったのか。
長きに渡って帝国軍相手に苦しい戦いをしてきたのに、その努力は何も報われず惨めなもので終わるしかないのか。リン・パオやアッシュビーなどの英霊たちはどう思うだろう。
市民は悲観するしかない。
同じ時、同盟最高評議会は降伏するのかどうか紛糾している。
議論噴出、それぞれ理屈があるが、結論は全く異なりまとまりがつかない。
「同盟軍はもはや敗れた。辛いことだが現実を認めねばならない。同盟市民に犠牲を出さないのが全てに優先する。いたずらに引き延ばさず降伏を受諾すべきだ」
「いや、今来ているのはただの艦隊司令官であり、ゆさぶりをかけて交渉を引き延ばすことはできる。仮に帝国軍が本当に市民を傷つけてしまえば後の統治が難かしくなることは明らか、それが分かっていれば艦隊司令官に無茶をする度胸はない」
「いや、そもそも敗れてはいない。フェザーン方面でもイゼルローン方面でも同盟軍はまだ戦っている。ここで政府が降伏すれば彼らに対し顔向けができない。そして帝国は軍を直ちに取り上げ、そこでもうお終いだ」
話し合いの最後はアイランズとホアン・ルイが決めた。
「同盟の歴史に幕を下ろす恥じ晒しにはなりたくないな。この最高評議会の場に帝国軍の制服を見るまでは先に降伏などしない」
この決定については後に多くの批判を集めることになる。
もちろん、市民の人命を軽視したとして。
しかし、これは帝国軍が真っ先に最高評議会を狙ってくるのをわかっての発言でもある。
このケンプ艦隊の地上部隊はハイネセン全土を制圧するのにとても足りるはずはない。
見せしめに政府中枢部を占拠するか、あるいは宇宙からの攻撃で蒸発させるのだろう。
このホアンの発言はただの強気ではなく自分が真っ先に犠牲になることを覚悟してのものなのである。そしてこれが同盟を救ったのも事実である。
決めた刻限が過ぎ、ケンプ艦隊が動きだした。
「奴らは身の危険がない限り事態を理解できん阿呆とみえる。あるいはこの事態に思考が停止しているのか。ならば今一度目を覚まさせてやらねばならん。この上は実力を見せつけてくれる」
ケンプは同盟最高評議会ビルに旗艦ヨーツンハイムで降下し、帝国軍の力を目の前に見せつけてやるつもりだ。
しかしそのためには邪魔な物があるのも分かっている。ケンプはそこまで見落としをしているほど無能ではなく、ハイネセンに防衛要塞群十二基があるのを知り、先に片付けにかかる。
一個艦隊でそのアルテミスの首飾りに攻撃を仕掛ける。
たかが十二個の動けない砲台、いい的にしかならず、この数の艦隊を押しとどめることなどできるはずがない。これを向こうの政府が頼みにしているならやはり軍事を知らない馬鹿としか言いようがないではないか。
だがケンプの予測の方こそ甘過ぎるもので、防衛要塞群が厄介なことをすぐに知ることになった。
「なぜ攻撃がこんなに薄いのだ。パトリッケン、あんな防衛要塞など囲んで一気に集中砲火を浴びせれば済むではないか」
防衛要塞群の排除ははかばかしくなく、逆にそこからの強力なイオンビームやミサイルによって犠牲を増やすばかりだ。
「何をしている。一気に仕掛けろ! こちらは一万五千隻なんだぞ。あんな小型の要塞は艦砲を集中させれば充分破壊できるではないか。イゼルローン要塞ではないのだぞ」
それは確かに言う通りだ。
いくら丈夫とはいってもイゼルローン要塞の外壁のようなものとは違い、アルテミスの首飾りは艦砲の集中で撃破可能である。
しかしだからといってうまくいくわけではない。
「恐れながらケンプ司令、各艦に力押しの命令するのは非常に難しいことと思われます。あの要塞の主砲は防げません。周囲を囲んで叩こうとしても必ず撃沈される艦が一定数出てきます。そこへ向かわせるのは難しいかと」
「何だそれは! パトリッケン、どんな戦いでも犠牲は出るではないか。そんな士気でどうする!」
副官パトリッケンの言う通りだ。
軍である以上命令は命令、しぶしぶ艦隊は立ち向かう。
しかし要塞を一つ片付けるために確実にこちらの三百隻は沈められてしまう。
要塞の放つイオンビーム砲は艦砲とはわけが違う。
桁違いに出力が強いため艦艇のシールドは役に立たない。しかも射程が長い。要塞は動くことがない代わりに砲の命中率が格段に良くなるためだ。
要塞に収められた自動機械の冷たい判断で狙われた艦は必ず沈められる。防御力の強い大型戦艦もその例外ではない。
むろん艦艇乗員は何もできないうちに確実に死ぬことになる。
戦って死ぬわけではなく、ただの確率の問題になる。
一方的に撃たれるだけの死の緊張感は、通常の戦闘の比ではないのだ。
これがアルテミスの首飾りの真の恐怖だ。相手を確率の死で怯ませる。
以前同盟クーデターの際にヤンが首飾りに挑んでいるが、そのことを充分に知っていた。
だから決して艦による攻撃をしようとは思わなかった。
しかし今、ケンプ艦隊があろうことか正攻法で挑んでいる。
そのためケンプ艦隊は士気がどんどん削られていく。
要塞をやっと七個まで撃破したところで公然と進撃をためらう艦まで出てきた。
「なんで俺たちが次も出なきゃいけないんだ! 平等に出せ! もちろん司令部もだ。一回でも自分がやってみろ!」
これがラインハルトなら部下が不満を言う前にさっさと自分が出て行っただろう。
黄金の覇王は常に先頭にいる。
そうなればかえって士気は大いに高まり、皆が先を争って要塞に挑んだろうに。覇王を死なすことはできない。兵たちは感激して、喜んで自分が犠牲になろうとしたはずだ。
そうでなくともラインハルトだったらヤンのように最初から要塞を華麗に破る策を考える。
しかしこれはケンプ艦隊だった。
決して部下を軽んじる将ではないのだが軍事的常識の範囲で考えてしまう。
ケンプ艦隊は要塞をようやく九個まで潰すが、動きは鈍い。
そのタイミングを見計らっていた者がいる。
それはケンプ艦隊がハイネセンへ到着する直前、先に統合作戦本部から出てこのバーラト星系に潜み、虎視眈々と狙っていたのだ。
「ドーソン君、少し留守にするから後は頼むよ」
「シ、シトレ元帥!? まさかご自身が指揮を執るので?」
「最近はうちの生徒たちも活躍してるのでね。校長としてはやはり恰好もつけなきゃいかんと思うのだよ」
今、シドニー・シトレ元帥が同盟軍最後の戦力である本部艦隊六千隻を率いる。
シトレ元帥にはアルテミスの首飾りの排除に難儀しているケンプ艦隊の状態などお見通しだ。その下がった士気も。
「首飾りを甘く見たようだ。ツケを払ってもらうとしよう。とにかく消耗を強いて時間を稼げばいい。見たところ向こうの艦隊編成では空母が多く、おそらく近接戦闘型の将のようだ。ここは取りつかせず一気に行こう」
シドニー・シトレ元帥、長年の軍歴は伊達ではなく、その見立てに誤りはない。
「全艦隊に告ぐ。空母を狙って密集隊形で突撃!」
同盟艦隊はハイネセンを守る戦いで意気盛んなのは当たり前である。それに対しケンプ艦隊は余りに動きが鈍かった。アルテミスの首飾りを片付けるのに気力を半ば失っていたせいだ。
易々と突破を許してし、最初に虎の子の空母分隊を失うという打撃を被った。
しかし何といっても元の数が違う。しっかり立て直せばそれを破るのは容易ではない。
次回予告 第八十三話 勇戦のキャロライン
フェザーン方面軍、決着なるか?
そして宇宙の一方では……