次の出撃はのっけから驚くことが多かった。
先ずは味方の数の多さだ。五万隻以上ある。
味方が多いということはもちろん敵も多いということにつながるのだが、やはり味方が多いことは若干の安心感につながる。
そして第四次ティアマト会戦は静かに始まった。本当に、静かに。
お互いに大編成のまま対峙する。しかし戦わずに終わる選択肢はなく、ここへ戦いに来たのだ。ゆっくりと接触し、砲撃戦となるタイミングを見計らう。
先手を取るか、後の先にするか、戦局を大きく左右することであり最高指揮官の腕の見せ所となる。
間もなく両軍接触というところ、なぜか帝国軍艦隊左翼の一個艦隊が突出を始めたではないか。レッドゾーンに入っても前進を止めない。スタンドプレーというわけでもなく、ただの足並みの乱れ、こんな大会戦であるはずがない。とんでもない愚か者なのか、あるいはダイナミックな戦術の前触れなのか…… とにかく普通ではない。
その突出した帝国軍左翼はいきなり方向を中央側に変えた。
そのまま敵味方のど真ん中を真横に突っ切って進むではないか!
脆弱な側背を晒しながら粛々と進行する。
多くの同盟艦隊の艦橋メインスクリーンがその様子を映し出している。
訝しんでいた同盟軍はまた戸惑いを深めてしまう。敵帝国軍左翼艦隊の意図はどう考えても分からない。撃ってくれと言わんばかりであり、自殺のためにきたのか。いや、そんなはずはなく、これはいったいどんな罠なのか。
同盟側艦隊に本部から攻撃命令は出ない。攻撃するな、とも言わない。
しかし、会戦当初は一斉射撃が基本となる以上どの艦も攻撃を始められないでいる。
その帝国艦隊はキャロラインのいる同盟第二艦隊の鼻先にも来ようとしている。いともあっさりと砲撃レッドゾーンに入り、そう計器が告げてくる。それなのに帝国艦隊は変わらず整然と進むだけであり、全く撃ってはこない。
その様子は第二艦隊の各艦にも共有され、もちろんキャロラインの艦も知るところである。
艦橋メインスクリーンに映される帝国艦隊、誰も手を出さないがキャロラインの思うところは別だ。今がチャンスに思えてならない。帝国艦隊の意図がどうであれ今撃てば一方的に叩けるのだ。確実に。
あわよくば、それで逃げ出した艦隊が帝国本隊に駆け込み、混乱をきたすようなら崩壊にもっていけるかもしれない。
艦長のフェーガン中佐は実直な軍人だ。英雄気取りなところが全くないのを知っている。
言うだけ無駄とも思ったが、一応言わねばならない。パトリチェフと連れ立ってフェーガンに即時攻撃開始の意見具申をした。
「艦長、攻撃可能範囲です。しかも側背を突けるのでこちらが損害を被る恐れはありません。是非、攻撃を」
実はフェーガンも同じようなことを考えていた。
ただし、こちらは決定すれば即実行になる以上、判断もより慎重にならざるを得ない。艦長の責任とはそうしたものだからだ。
しかしどう考えてもこの場合はフェーガンも同じ結論だ。他に考えようがない。
背中を押された形だが、なおも迷うフェーガンにキャロラインがダメ押しをした。
「艦長、グランド・カナルで私も艦長も昇進を拾ったようなものです。逃げないで責務を果たしたというだけで。この場合も責務を果たしましょう。これが叱責に終わっても先の昇進と帳消しになるだけのことです」
この言葉でフェーガンは決定した。
ただ一隻の単艦で攻撃を始めた!
帝国艦は射程内に入っても横をさらしている。
二、三度も命中させればシールドを貫ける。
最初に一艦を爆散させた。その様子を見た周りの艦も攻撃を始め、連鎖反応的に広がっていく。
帝国艦隊は損害を被って多少混乱をきたしたようだが、それでも全く撃ち返してこないのは、そうすると全面的な撃ち合いになり全滅してしまう可能性があるためだろう。逆によくパニックにならないものだ。だが、速度は目一杯上げている。
やっと射程距離外まで離れられてしまった。
フェーガンの艦は、艦首を巡らすことはしたが、どのみち位置はほとんど変えない。それは勝手に発進して編隊を乱すことまでは許されないからだ。
それでもかなりの戦果を上げ、この艦だけで確実に敵の六隻は葬った。同調して攻撃を始めた他の艦も同様だ。後にロボス元帥から各将になぜ攻撃しなかったか叱責が来た際、第二艦隊パエッタ中将だけはこのおかげで大いに面目を施すことになる。
一方、帝国軍左翼艦隊司令官ラインハルト・フォン・ミューゼル大将はこの敵前横断という奇策を一応はやりきったが、途中冷や汗をかかされた。危ういところだ。受けた損害は決して少ないものではない。結果、速度を上げて逃れるしかなかったために、敵味方本隊同士の至近距離での鉢合わせという目標は完全でなくなってしまったのだ。
「攻撃をかけてきた艦隊はどこのものか」
「ラインハルト様、あれは同盟軍第二艦隊のようです。以前レグニッツァで戦い、勝ちはしましたが半分逃げられた艦隊です」
「キルヒアイス、敵にも目の見えるものがいるようだな。同盟軍第二艦隊か。憶えておこう」
そして第二艦隊の旗艦であるパトロクロスにいるヤン・ウェンリーは先のレグニッツァ遭遇戦の際、フェーガン艦長の戦艦が率先して上昇離脱したので第二艦隊の生き残りが思ったより多くなってくれたのを知っていた。自分はパエッタ中将の説得に手間取り、結局無理やり上昇した。この旗艦だけを助けるので精いっぱいだったのだ。
この場でも横を見せながら通過しようとする帝国艦隊に率先して攻撃したのは同じ艦だ。
考察するところキャロラインの仕業なのだろうな。
もちろん、フェーガン艦長はキャロラインの進言を取り入れる有能な人物なのだろうが、しかし考えを最初に出したのはおそらくキャロラインだ。
考え込む。
この異才が同盟軍でもっと強く輝く時が来るのだろうか。
そうこうしているうちにティアマト会戦は本格的な艦隊戦に移行した。
同盟側が不利だ。数では遜色ないにもかかわらず、対応が後手後手に回っている。
途中で陽動作戦が効を奏した場面もあったが、結局は戦局の挽回は無理だった。
本隊の末席参謀であるアンドリュー・フォークは策を考えては進言する。
アンドリューは妹キャロラインからの評価を半分にしても充分な英才であり、情勢に合わせて次々浮かぶ策を取捨選択し、参謀の将に進言する。
しかし裁可にかかる時間が長すぎて状況に合わなくなってしまい、結局実施不可能になる。
総司令官ロボス元帥自体が鈍い。
それに、何人もいる高級将官にそれぞれ納得させるのは時間がかかり過ぎる。
大胆に紡錘陣をとって敵本隊を一目散に突くという策は、先に横撃され実施できない。
大きく二つに分けて挟撃するという策は、先に包囲陣形をとられて実施できない。かえって混乱して各個撃破されるのがオチだ。結果、何も実行はできなくなる。
本隊でロボス元帥の次に地位が高いのは参謀長を務めるドワイト・グリーンヒル大将である。しかし、リーダーシップを取るどころかグリーンヒル大将はほとんど何も言わない。陽動作戦の時に指示を出したくらいだ。
頭の良いアンドリュー・フォークは推察する。
おそらくグリーンヒル大将はこの戦いよりも大きなものを見ている。それはおそらくロボス元帥とシトレ元帥の力関係である。長期的な観点で見て、それは重要なことなんだろう。
確かにこの戦いは戦略的に意味がない。
この戦いの結果が何であれ、帝国軍は長駆して同盟領を侵攻する意図は持っていない。同盟軍は損害を少なくして帝国軍を牽制すればそれでいいのだ。逆に同盟軍としても、勝ってもどうせイゼルローン要塞に進撃を阻まれる。
最初からこの戦いはお互いにとってパフォーマンスでしかないもので、結局は国家の威信という意味のないことのためにやっているだけだ。
グリーンヒル大将は良識派として有名であり、同盟軍内ではロボス元帥派とシトレ元帥派の両方に一目置かれている。それを意識してグリーンヒル大将は両派の宥和に腐心している。このティアマト会戦は惜敗くらいが望ましく、もし大勝したらロボス元帥派が強くなり、同盟軍で人事がおかしくなる。結果的に深い傷になる可能性もあるだろう。
やはり、というべきかグリーンヒル大将が発言したのは損害最小限にとどめながらの撤退についての話だった。
戦局悪化がロボス元帥にも分かっている以上、その言を入れ同盟軍全体が撤退行動にかかる。
それは正しい。理解できる。
しかしアンドリュー・フォークは目の前の会戦がそんなことで終わるのは悔しい。
軍に入った者は派閥抗争の道具になるために入ったのではない。純粋な若者があたら会戦で命を散らすのは可哀想としか言いようがなく、せめてその死に報いるため帝国軍に勝ち、それをたむけにしたかったではないか。
本隊司令部の決定は決定、その方針に従い、個々の艦は隙をついて撤退にかかる。
その混乱の中、星の数ほど様々なドラマがある。
キャロラインとフェーガンのいる艦も長くて困難な撤退戦を続けていた。
むろん突撃よりも撤退の方が難しいものだが、今は特に状況が芳しくない。ひたすら航海部は撤退への最適経路を計算し続けた。帝国艦に囲まれたり先回りされたりしたらお終いだ。
大局を読みつつ、目の前の現実に合わせなければならない。それも相手のあることであり、それを出し抜くのだ。
最大限うまくやったつもり、しかし最後の最後に帝国軍に追いつかれた。
この艦は現時点で近隣の味方艦を併せて五隻まとまって行動している。そこへ帝国艦は三隻で追いすがってきたのだ。それだけなら逆撃をするのも可能な計算になる。
だがしかし、その後方に更に数十隻の帝国艦がいるのが見えている。
ならば反転攻勢でその三艦を撃破しても意味がない。
そこで足が止まり、多数の帝国艦に追い付かれたら全滅必至、袋叩きにされて終わる。
後ろを見せて逃げるしかないのだ。
しかも追いつかれた時点で必敗である。後方への攻撃手段は限られ、その三艦に一方的に撃たれて負けるのは火を見るより明らかだ。帝国艦三隻もそんなことは充分わかっているからこちらが五隻でも追ってきているのだろう。
ここに至っては取るべき道は二つに一つしかない。
一隻か二隻だけが反転し、尊い犠牲となる。残りが逃げるために帝国艦三隻の足止めだけを狙うのだ。
あるいは五隻全てが一気に反転して帝国艦三隻を撃破し、その後増速して離脱にかかるがおそらくそれは無理、全員が生還を諦めなくてはならない。
非情なものだ。
救われないのは、この二つのどちらを選ぼうと、どのみち差し引きでは同じ結果になることである。数字というものは何と非情なものなのだろう。必死の努力も各人の人生も関係なく、差し引き二隻か三隻分だけ同盟の損害が多いというだけのことである。
艦橋の皆も暗澹たる気分になる。ここまできて、ダメだったのか。
敗北と犠牲を受け入れなければならない。
キャロラインも潰されそうな思いの中で必死に考える。
なんとか打開できる方法はないのか。
この状況、助けてほしい!
うふふ、このくらいで死なせはしないわよ。わたしの娘。
そうね、本当なら二手に分かれて挟み撃ちでもしたいとこだけど。この五隻で連携が取れるか分からないから仕方ないわね。
それ以外で全員が還れる方法、どれにしようかしら。一番楽な方法がいいわね。
また頭にあの声が聞こえた!
本当に楽しんでいるような感じだ。苛立たしいほど能天気で。
こんな状況から、いったいどうすればいいというのだ。全員が無事に還れるなんて方法があるとでもいうのか。
そしてキャロラインは聞こえた作戦をパトリチェフとフェーガンに伝える。
結果、同盟艦五隻のうち三隻が反転した。
追っていた帝国軍側の三隻の方は意外な事態に身構える。
おそらく叛徒の五隻のうち、自己犠牲の精神が高い一隻だけが反転して足止めにかかる、その可能性が一番高いと考えていたのに。三隻が反転とは予想より多いではないか。
それらの反転してきた艦はおそらく生きる望みを捨てている。ならばこちらの帝国艦三隻の足止めだけではなく決死の突撃で二隻、あわよくば三隻全部を葬ろうということか。
しかしそれならば帝国艦としてはうかつには近付けない。誰もそんな死兵の逆襲で犠牲になりたくなく、その必要もない。牽制だけをして後方の艦隊を待てば片付くだけなのだ。
わずか速度を緩め、距離をとった。
ところが反転しなかった同盟艦は当たり前としても、反転してきた艦もまた同じように遠ざかっていくではないか!
これは不可解なことだ。幾度も目を疑ったが、やはり急速に遠ざかっていく。なぜだ。
反転すれば急速接近しかあるはずがないのに。
しかし現実は現実、これでは五隻全部に逃げられてしまう。帝国艦三隻はやむなく再加速を始め、追っていく。
すると反転している方の艦たちがいきなり撃ってきた。イエローゾーンに入ったのを見済ましての見事な集中砲火だ。あっという間に帝国軍の一隻が爆散させられた。
残りの帝国艦二隻が撃ち返すが火力の面で不利なことを痛感させられる。とにかく逆推進をかけてまで距離をとろうとするが、この間もう一隻が火球に変えられてしまう。
追う側の帝国艦にばかり犠牲が出て、もはや逆に撤退するしかなくなり、その残り一隻が後方の帝国艦隊に合流した頃には、同盟艦五隻は全て逃げおおせている。
キャロラインの艦だけではない。五隻全ての同盟艦の乗員は感嘆に打たれていた。
こんな策があったとは!
仕掛けは単純なことだ。
反転した三隻の艦を係留ケーブルでつなぎ、反転しなかった二隻の艦に連結したのだ。それで引っ張っていた。
だから反転してもまとまって移動し続けることができた。
おまけに反転した艦は推進しなくてよいので、その分のエネルギーを砲火やシールドに振り分けることも可能になり、見事に帝国艦の反撃を弾くことができている。
結果として同盟側に一隻の損害もなく、逆に帝国艦二隻を撃破し、撤退に成功したのだ。
戦局全体はともかくこの部分の戦いは大勝利に終わる。
感嘆すべき策を出したキャロライン・フォーク、この名が同盟軍将兵の間に広まることになる。