見つめる先には   作:おゆ

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第七十九話 宇宙暦800年 八月 駐在武官

 

 

 帝国艦隊の本隊がフェザーンに向かうことが確定した。

 

 さあ、ここで艦隊戦力でない部分も動き出す。

 

 同盟情報部もまた直ちに情報戦の用意をする。

 地味であってもこれほど重要な戦いはない。なんとしても帝国艦隊へ航路妨害を仕掛けるのだ。それの成否が同盟領内での帝国艦隊の自由度を決め、国家の存亡に寄与する。

 

 先ずは帝国側の諜報部員が同盟領内に潜伏している可能性を考え、同盟領全土に非常事態令を出して民間通商船の長距離航行を停止させた。

 同時に同盟領内のコンピューターにある航路データや補給基地のデータを欺瞞情報で上書きし、これでもかとジャミングをかける。今の情報部に有能だったブロンズ中将がいないのは痛いが、代わって指揮をとるビロライネン少将もまたけれん味なく、粛々と遂行していく。

 

 だがしかし、航路データは同盟だけにあるのではない!

 

 フェザーンにも存在する。

 いや、それこそ同盟が持つ物よりもずっと実用的なものが。

 なぜならフェザーンの民間通商船はほとんどの同盟領に出向いて経済活動を行っているのだ。船籍はもちろん帝国船籍の一つであるわけだが、そんなことは関係ない。フェザーン資本はほとんどの同盟領星系に浸透し、そして通商船も行きかっていて、同盟政府に黙認されている。

 

 問題なのは同盟領内の航路データがまとめられ、フェザーンの中央コンピュータに格納されていることだ。

 普通ならば帝国側へ提供されることはない。

 しかしそのフェザーンが帝国軍によって占領されてしまえば別である。

 

 

 

 そこで同盟情報部は最も速い高速船でフェザーンへ工作員を送っている。それは有能なことでは折り紙付きの者だ。

 

 バグダッシュ中佐である。

 この作戦は同盟にとって最重要、万全を期してフェザーン駐在の同盟弁務官事務所と共同の態勢をとる。

 バグダッシュは、その事務所に先年から勤務していた駐在武官を見て拍子抜けした。

 

「何だ、ここにいるのは坊やか。作戦を手伝ってもらうより先にミルクの時間を心配しなきゃならんな」

「……ならば中佐殿は若い時はなかったのでありますか。あまりに昔過ぎてお忘れになりましたか」

 

 若い駐在武官は見事に反撃してきたではないか。

 

「駐在武官ユリアン・ミンツか。言ってくれるね。先日までヤン艦隊所属なのだろう、かの御仁の毒舌を学んだのかな」

「ヤン提督は毒舌ではありません。表現の幅が独創的で、とても豊かなだけです」

「こりゃあいい。坊やだってなかなか上手いじゃないか。気に入った。バグダッシュ中佐だ。よろしく頼む」

 

 ヤンの法律上の養子ユリアン・ミンツは第十三艦隊を離れ、ここフェザーンの駐在武官になっていた。

 そして同盟の生死を分ける重大な作戦をバクダッシュ中佐と共に行う。

 

「坊や、今回やることは単純だ。フェザーンに帝国軍が来たタイミングを狙い、フェザーンにある航路データをきっちり偽物とすり替える。これがうまくいったら坊やと言わないようにしよう」

 

 そうしないとこっちが中年と言われそうだ、とまでは口にしなかった。

 

 

 そう長く待つ必要もなかった。

 ラインハルトと帝国軍本隊は少しもためらうことなくフェザーンを急襲してきた。

 

 普通は大義名分を語り、形ばかりの交渉というものもあるはずなのに。そんな手間をかけず、宣戦布告すらない。力の前にはそんなことは意味がない。

 

 フェザーンのわずかな戦力である警備隊は茫然と大艦隊を見送るだけだ。

 光の列がいつ果てるともしれず続いていく。

 そんな空前の大艦隊に抵抗するのは自殺行為でしかない。それで帝国艦隊はあっという間に惑星フェザーンの行政区近くまで侵攻する。

 

 民間通商船は慌てふためいてフェザーンを出航していく。

 帝国艦隊はそれを止めたり、統制したりしない。どうせただの雀の群れだ。

 もし官僚や行政官がそれに紛れて逃げていっても構わない。先を争って逃げていくような気骨のない者に用はない。

 ほどなくフェザーンには民間船がほとんどなくなり、経済は当然混乱する。実害以上に市場の混乱はひどかった。そのため市場はいったん閉鎖された。しかしこれが更に信用不安を引き起こし、宝石などの実物資産が暴騰した。昨日までとは貧富が逆転するなど様々な悲喜劇が繰り広げられる。

 

 帝国軍は直ちに地上部隊を降下させ、軌道エレベータなどのフェザーンの主要部を押さえにかかる。

 これらの動きに対してもフェザーン人は無駄な抵抗などしない。

 では諦めて悲しい顔をするのかと思いきや、そうでもない。

 もっとフェザーン人はしたたかである。このピンチをチャンスに変える突破口を狙っている。帝国軍相手のうまい商売がないか考えているのだ。

 

 ただし、本当に悲しい顔の者がいないわけではない。

 いや、この場合は怒りの方がまさっていたのだ。むろんフェザーン暫定自治領主のニコラス・ボルテックである。

 

「仮にも自治領主たる者に通告もせず軍事占領とは、帝国はあまりに暴挙ではないか! 元々帝国が推挙して自治領主になったのに、もしこの占領を予定しながら仕立てたのであれば悪辣に過ぎる!」

 

 ボルテックは帝国軍の庇護の下になってまで傀儡として残るのを良しとしなかった。それは良心のためではない。ましてフェザーンのためでもない。

 傀儡こそが最も民衆の憎悪を受けることを熟知していたのだ。

 帝国軍へ向けられる不満などは全て傀儡が背負わなければならない。永久に帝国軍がいればまだしも、もしそうでなければ、それに協力してきた傀儡の運命はあっという間に刑場の露、そんなことを見通せない位の無能ではなかった。

 

 そのためボルテックは帝国軍に対し抗議の辞職という形で通達した。

 

 ラインハルトとしてはかなり困ったことになった。

 

 フェザーンは帝国軍本隊が通過するというだけのことではない。

 遠征のため、重要な物資補給基地として使わねばならず、混乱のままではそれができない。

 本当なら有能な提督を一人か二人置いて暫定統治させ、それを可能にするべきであろうが、今は一人の提督も惜しい。これからが本当の戦いになるのだから。

 かといって生半可な者ではとても統治できまい。

 フェザーン人は狡猾だ。それを押さえる力量が必要である。

 また、占領者として憎悪を受けるかもしれず、それを跳ね除けて合理的思考と冷徹さを保たなければならない。生半可な者にはとうてい無理だ。

 

 ラインハルトはたった一人の者しか思い浮かばなかった。

 有能かつ合理主義ということではその者以上はいない。

 

「オーディンから急ぎオーベルシュタイン安全保障局長を呼べ。その者にフェザーンを暫定統治させよ」

 

 

 

 オーベルシュタインが到着する直前、フェザーンの混乱が最高潮に達した頃合いを見計らってバグダッシュ中佐とユリアンが行動を開始した。

 

「坊や、仕事だ。遅れるな」

 

 フェザーンの大混乱の隙間をぬって、易々と行政府内に入り込んだ。

 目星をつけていた部屋に忍び込む。

 そこにはひっそりと目立たないコンピューター端末がある文書保管庫だ。そしてあまり人の来る場所でもない。

 

 さあ、ここからが勝負だ。

 同盟情報部自慢のウィルスをしかるべき場所に叩き込めばいい。

 

 むろんコンピューターセキュリティとの戦いになる。

 フェザーンの中枢部であればそれが甘いわけはなく、少なくとも四重は存在するはずである。

 端末通信部のウォール、各行政セクションのウォール、中央コンピュータ接続のウォール、そして航路データ保持プログラムのウォールである。

 

 それらは一気に突破しようとしてもうまくいかない。

 先ずは小さなウィルスを仕込み、ウォールを迂回するアクセスコードを自動で盗みとらせる。

 手際よくバグダッシュは端末通信を有効化するアクセスコードを手に入れる。

 次に、行政セクションごとのウォールを突破しにかかる。同じようにウイルスを仕込むがこれは簡単ではなく、すぐに駆除されてしまう。

 だがそれでは終わらない。

 バグダッシュはその駆除パターンから考えつつ、次々と違うタイプのウイルスを試していく。徐々に絞り込み六度試してついにセクションを突破できた。

 

 ユリアンはこの悪ぶった情報部中佐が見かけより遥かに有能だと知った。

 

「さて、お次は最難関の中央コンピュータへのウォールだが、こいつはうまくいくかな…… おおっとこれは不用心じゃないか!」

 

 なんとフェザーンの中央コンピュータにウォールがない。

 

 これは、先のルビンスキー自治領主急死のためだった。

 中央コンピュータを含む多くの重要なコンピュータへのアクセスコードをルビンスキーただ一人が握っていた。

 その死後、フェザーン行政職員は非常に困ったことになった。

 というのは行政処理を行うためには中央コンピュータが開かないでは済まない。

 そこでむりやり中央コンピュータの記憶領域へ物理的に接続してアクセス可能にするしかなかったのだ。

 

 バグダッシュらにとってはまさに最大の幸運だ。

 

 順調にアクセスを進めていき、最後の航路データ保持プログラムに差し掛かるところまで来た。

 

 だがここで問題が起きる!

 

 自動巡回型のセキュリティプログラムに嗅ぎつけられてしまう。

 中央コンピュータを守るべく、一定のアルゴリズムに従い、引っ掛かった怪しいアクセスに対し攻撃をかけてくる。

 

 突然端末の画面が落とされ、新しいウィンドウが開く。とても心臓に悪い変化である。

 画面上ではフェザーンの行政高官なら当然知っているはずの質問をぶつけてくる。

 

 セキュリティプログラムは伊達ではない。回答の精度やかかった時間から複雑な計算を経て、怪しさの判定をして、必要ならシャットアウトして警報を出すのだろう。

 

「ちょっと僕が代わってもいいですか?」

 

 ここでユリアンがバグダッシュに代わり対処を始める。

 覚えている知識の総動員だ。

 ユリアンは駐在武官の仕事を決して手を抜いていたのではなかった。フェザーン官僚の各人のデータや癖、情報をしっかり頭に入れている。

 いかにも政府高官の一人であるかのように成りきった。

 しかも人間らしい自然さを装い不正解を混ぜたりもするという念の入れようだ。

 

「ほほう、坊や、なかなかやるじゃないか」

「駐在武官は遊んでいたんじゃありませんよ。凡人は紅茶を飲んでベレー帽をかぶり、指揮シートで昼寝をしているわけにいきませんから」

「何だそりゃ」

 

 ぎりぎり警報が出ないうちに最後のウォールを突破した。

 

 航路情報プログラムへ偽データに書き換えるウィルスを仕込む。

 これは単にここの中央コンピュータに保存された航路データを書き換えるのではなく、もっと巧妙であり、おおよそ通信できるコンピュータ全ての航路データを破壊するものだ。

 しかも、その入れ替える偽データも一つではない。

 その種類は数百種に及ぶ。これでは元データの類推など不可能だ。

 

 それでも独立型のコンピュータには正しい情報が残っているかもしれない。

 

 そのことさえも既に考えてあるのだ。

 書き換えたコンピュータのうちの一定の割合で、自ら通信機能を断ち切って独立型に見せかけるような工夫もしている。

 

 こうしておけばどれが独立コンピュータかさえ分からず、データのどれが本物か見分けられない。

 先の同盟クーデターでは遺憾なく破壊力を見せつけたタイプをブラッシュアップしている。亡きブロンズ中将の鍛えた同盟軍情報部は決して無能ではない。

 クーデターを裏で画策していた帝国にとっては皮肉としか言えない結果だ。

 

 

 二人は任務を終えて撤収する。

 

「約束だ。もう坊やとは言わない。俺の情報戦の弟子にしてやる」

「僕は格闘術や空戦、たくさんの人の弟子になっていますが、情報戦も大事ですね。喜んで弟子になります」

 

 隙をみて二人はフェザーンを脱出するつもりだが、焦る必要はない。

 

 

 




 
 
次回予告 第八十話  ランテマリオ~開戦前夜

いよいよ戦いが迫ります

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