今ならルビンスキーの従者の多くはルパートの方へ出払っている。
例えそういう事情でも、オーベルシュタインが繰り出した部隊、すなわち元ブラウンシュバイク家軍人であるシューマッハ大佐の手並みは鮮やかだ。シューマッハ大佐は少数の部下とともに別邸に侵入し、ルビンスキーの従者を打倒しながら進んでいく。
しかし、別邸の主であるルビンスキーの警戒心もまた並ではない。
その別邸についての公式の記録などフェイクに過ぎず、正確な形はルビンスキーしか知らない。そういうところでの情報漏れによる襲撃まで考えているのだ。
しかも警備システムは二重三重に組まれていて、シューマッハ大佐の侵入はすぐにルビンスキーの知るところとなる。
別邸だけではなくフェザーンの街まで警報が響く。
「帝国の工作員が来たか。ふん、こんなことだろうと思っていた」
「大丈夫なの? 帝国が実力を使うなら、それなりの者を使うでしょうに」
「ルパートを捨て駒に使って勝負に来たのなら、それなりのことがあるだろうな。しかしそううまく行かせるものか。ドミニク、ひとまず場所を移そうとしよう。グラスとウィスキーは残念だが置いていかねばならん」
シューマッハ大佐らは自動警備システムの銃撃や電撃のために一人、また一人と斃されていく。
手塩にかけた部下を失い、その悲しみに遭いながらもシューマッハはルビンスキーの姿を捜索し続けた。
諦めず、進み続ける。
「これはブラウンシュバイク家のエリザベート様のため。何としてもやり遂げるのだ!」
これほどシューマッハが努力するには理由があった!
話はリップシュタットの戦いの直後のことだ。
オーベルシュタインはシューマッハを工作員につけることに成功していた。シューマッハの部下たちの安全の保証をする引き換えに。
「帝国の国家安全保障局として、そちらの部下たちやその家族の追跡をして捕らえることはやめてもよい。全ては私が決める。しかし、その能力を生かしてこちらのために働いてもらえればだが」
「オーベルシュタイン局長とやら、それは脅しか。こんな敗残のブラウンシュバイク家残党をどうしようというのだ」
「能力は買っている、それはブラウンシュバイク家よりもはるかに高く。失礼だがブラウンシュバイク家でのそちらに対する扱いは調べさせてもらった。大佐という地位の軍人にふさわしくない従者のような扱いについて」
「……その点はどうでもいい。しかし部下の安全の引き換えなら考える」
こうしてシューマッハ大佐はオーベルシュタインの手の中に取り込まれ、この作戦を行う。
しかしこの作戦の危険性は尋常なものではない。
シューマッハ大佐もそんなことは分かるが、それでも承知したのは全く別の動機がある。
それこそ死んでも決行すべきというくらいに。
オーベルシュタインは作戦の概要を伝える時、同時に言っている。
「アンスバッハ准将がブラウンシュバイク家に殉じたことは知っていよう。それに反しシューマッハ大佐、そちらは命を長らえた。私はそれを悪いことだと言うつもりはない。卑怯な振る舞いだとなじるつもりもない。それまでの扱われ方を考えたら忠誠心など持たぬ方がよい。ただし今一つの真実を言う。今回の作戦は、シューマッハ大佐、ブラウンシュバイク家に役に立つ機会である」
ルビンスキーの持つ情報のことには触れないが、限りなく真実に近い。
「……オーベルシュタイン局長、にわかには信じられない。局長自身がブラウンシュバイク家を害そうとしているとの噂もある。それが今更ブラウンシュバイク家にも役に立つ作戦とは妄言にしか思えない」
「私は嘘は言っていない。今回のことは帝国に必要だというだけではない。間違いなくブラウンシュバイク家の生き残りであるエリザベート嬢のためになる」
「な、何! エリザベート様のためだと!! それは本当か!」
これが決め手になった!
シューマッハ大佐は元々フレーゲル男爵の側近だった。
そしてフレーゲル男爵はブラウンシュバイク公のお気に入りであったからには、ブラウンシュバイク邸には本当に頻繁に訪問していた。
当然、シューマッハもそれに付き従いブラウンシュバイク邸に行くことが多かった。
そこでエリザベート嬢を幾度か見ている。
いつも言い付けに背かない大人しい嬢だった。
大きな声で笑ったりしないが、優し気な雰囲気は消えることがない。
トコトコ歩き、手には物語を書いた本を持っていることが多い。
シューマッハや来客への挨拶はいつもぎこちないが、心から相手を歓迎していることが伝わってくる。大貴族令嬢とは思えない心のこもった眼差しと仕草で。
シューマッハは今頃になり、やっと自覚していた。
舞踏会で華やかに踊ることが何だと言うのか!
あまたの令嬢と社交を保ち情報を得ることが何ほど大事なことか。
そんな凡百の貴族令嬢より、シューマッハのような貴族でもない者にさえ挨拶を欠かさないエリザベートの方こそよほど高貴ではないか。
口に紅を引き、髪飾りを付け、手に羽根の団扇を持つ令嬢など見ても心は動かない。
そんな取り繕った見かけなど、エリザベートの澄んだ心映えの前に何ほどの価値があろうか!
ああ、エリザベートのためというのが本当ならば、むしろ志願してでも任務を遂行する。
今まで生きてきたのはこのためなのだ。どんな危険にも臆することなどあり得ない!!
シューマッハは赤外線探知を使いながら、丹念に隠し扉や秘密通路を探し続けた。
どこだ、ルビンスキーはどこへ逃げた!
最初に見つけた居間にはいなかったが、グラスと氷はあった。間違いなくここにいて、慌てて移動したに違いない。
やっと隠された通路を見つけた。
それを通って追うと、最初は館の狭い通路だったが、やがて下がるにつれてただのトンネルになる。これで確信するが、非常時のための脱出路に違いない。ルビンスキーの別邸がこんな予算不足のような雑な通路にしておくことはあり得ず、つまりは情報秘匿のために敢えて最小限度の工事にしかしていないのだ。
そのトンネルはやがて上昇に変わり、ついに外気に出る。
別邸の外、そこまで通じているものだった。
今はシューマッハたった一人だ。
部下は倒されたか、あるいは館の従者の足止めに回っている。
シューマッハは諦めることはない。
エリザベートへの思いが忠誠心なのか保護欲なのか、あるいは違う感情であるのか、自分でも分からない。
そういう次元では語れない。
エリザベートが自分の命よりはるか至高であることを知るだけで充分である。
背をかがめながら、薄暗闇の中で周囲を見渡し、ついに人影を見つける!
ルビンスキーだ!
しかし、ルビンスキーの周りには従者が既に集まってきていた。従者と言っても警備の面でのプロである。シューマッハの目から見てもそれらが選りすぐりの手練れだということは直ぐに分かったが、今はそんなことはどうでもいい。
こんなチャンスはもう二度と訪れることはない。
シューマッハは一瞬も迷うことはなく、小走りで近付きつつ銃を取り出す。
「お嬢様のため、この命、今捨てずしていつ捨てようか!」
従者たちはシューマッハを認めると銃を構える。少なくとも五丁はあるだろう。
そんなことは無視してシューマッハはルビンスキーに狙いをつける。
「エリザベート様! あなたのために!」
従者たちの方が早く、正確にシューマッハを撃つ。
だがいくら光条の束が体を貫こうがシューマッハは何も感じない。
全神経を集中し、一撃を放つ!
そのまま倒れ、結果を見ることもなく死んだ。
「もう一歩、いや半歩だったな。見上げた根性の襲撃者だった」
もはや動かない者を見ながら、それだけをルビンスキーが言う。それは褒め言葉だ。
何としたことだろう。
あとほんのわずか、シューマッハの銃撃は首周りの服をかすめただけに終わった。
ルビンスキー暗殺は失敗に終わったのだ。
騒動は一段落した。
ルビンスキーは無傷、後のことは任せて別邸に入ろうとしている時のことだ。
そこで意外な人物から声をかけられた。
「ほっほ、自治領主。今宵は大変じゃったのう」
「…… これは帝国宰相、騒動を聞いてわざわざ見にこられたので?」
これも何としたことか、帝国宰相リヒテンラーデがこの場に来ている!
普段の会談ではルビンスキーとリヒテンラーデがこんなに近くで声を交わすことはない。
せいぜい大きなテーブルを挟んだ距離で座るだけだ。
今は、フェザーンに警報が響くという異常事態を聞きつけて帝国宰相が来た。それを拒める者などいるわけがない。
「フェザーンもいろいろ事件が多いの。綺麗な惑星じゃが人がいればどこでも事件はあるものよの」
この襲撃は裏で帝国が画策したものに決まっているではないか!
調べたら分かることだ。
ルビンスキーはとぼける老人にそう悪態をつきたくもなる。
一方で帝国宰相がわざわざ出向いてきた真意を推測する。意味なく来たわけがない。
同時に警戒を怠らない。
帝国宰相の前だというのに従者たちの手には銃があり、そんな不敬を承知でルビンスキーは銃を捨てさせていないのだ。いつ何時でも用心すべきである。尤もリヒテンラーデの方はそれを気に留めている素振りはない。
「ともあれ宰相閣下、帝国も懲りずにいろいろと仕掛けてくるものですな。すぐに事の次第が明らかになるものを。帝国にはこの代価をたっぷりと支払って頂きますぞ」
「ほう、代価とな。ルビンスキーよ、今すぐ払うてやるわ。遠慮せず受け取るがよい。なに、釣りはいらぬぞ」
「…………」
その言葉の意味は何か?
帝国宰相リヒテンラーデはとても愉快そうな表情だ。いったい何が面白いのか、
そう思ってルビンスキーが唖然としていると、リヒテンラーデの足元がよろけ始める。ついに倒れてしまったではないか!
これは異常だ! どういうことか。
「帝国宰相、どうされた!」
驚くと同時に、ルビンスキーもめまいを感じた。
倒れ込んだリヒテンラーデから小さな声で返事が返ってくる。
「ルビンスキーよ、儂の命で払ってやるというのだ。儂は、銃も撃てんし、爆弾では帝国が何かした証拠が残り過ぎるのでな。毒のガスにしたのじゃ。間もなく、儂も貴公も心臓が止まる。これで終わりになるの」
ルビンスキーは愕然とする!
めまいもさることながら、異臭がわずか感じられた。確かにガスだ。
それにしても、帝国宰相という地位のものが自分の命を張ってテロに及ぶとは!
今夜の襲撃の総仕上げは、ルパートに始まり、最後はこれなのか。
帝国の罠がこんなにも綿密だとは。
「宰相、自らをも策に使うとは見事だ。しかし帝国の方も宰相を失うのはあまりに痛手のはず」
「見くびるでないぞルビンスキー! 何の、帝国を守るためとあらば、儂には大したことはない。儂は長い事帝国に仕えてきたのじゃ」
そう、リヒテンラーデは帝国を守ることに全てを捧げてきた。
この最期は必然だった。他の終わり方はない。
リヒテンラーデはこの時、決して不幸ではない。
むしろ最後まで忠臣たらんとした生き方に満足していた。帝国の謀略面ではオーベルシュタインという後継者がいる。後はそれに任せ、自分は命を使って大仕事ができたのだ。
「体は老人になったがの、心の剣はまだまだ錆びついておらんわい」
そしてルビンスキーもまた、最期の時と知ってもうろたえた素振りはない。
「そうか、俺もこれで終わりか。こんな退場の仕方とはな。ルパートに笑われる」
この時、ルビンスキーはやはりルパートのことを思った。
どんなに冷たく批評をしようが、親密さのない対応をしようが、間違いなくルビンスキーにとっては子なのだ。
「ああは言ったが、俺とてルパートと大した違いはなかったのかもしれん。ルパートには生い立ちが重すぎただけだ。ならば別の道を用意してやるべきだった。全ては俺がうかつだったな」
ルビンスキーは妙にさばさばした気分になった。帝国宰相を憎む気になどならない。自分は今まで野望と術策で生きてきたが、至上の策で斃されることでやっと解放されるのか。
もはやルビンスキーも立っておられず座り込む。周囲の従者たちも倒れ伏している。
そしてルビンスキーはとあることを思い出し、リヒテンラーデに話しかける。
「帝国宰相、こちらの負けだ。この上は、欲しがっていた情報をやろう。好きにすればよい」
そこに返事はなかった。もうリヒテンラーデの目の焦点は失われている。
帝国の名宰相と呼ばれた陰で、長きに渡って数知れぬ陰謀を操ってきた者とはとても思えない安らかな死に顔である。
ルビンスキーは情報チップの入った大きなペンダントを取り出し、這いずりながらリヒテンラーデに近付き、その手にペンダントを乗せた。
「だが宰相、これの中身を知らないで逝ったのはむしろ幸せだったな……」
それが最後だ。
ルビンスキーもまた力を全て失い、こと切れた。
ルビンスキーは不本意な退場とはいえ、これまで梟雄として銀河をめぐるゲームに参加し、自分らしい生き方を通したのだ。
こちらの表情も決して苦し気ではない。
次回予告 第七十五話 再び熱と光と
オーベルシュタインの粋な計らいです。