見つめる先には   作:おゆ

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第七十二話 宇宙暦800年 三月 きらめき 

 

 

 そのころサビーネは一生懸命結婚式のための服を選んでいる。

 

 文字通り帝国一の花嫁になるのだ。

 そしてもちろん政治的意義があり、新しい帝国の出発を誰の目にも見える形で示さなければならない。

 

 サビーネは気負いすぎているのに自分で気が付かなかった。

 今は花嫁衣裳を選ぶ新婦、その一人に過ぎない。

 貧しい田舎の新婦であっても、普段から豪華なドレスを着飾る貴族の新婦でも、結婚式を待つ女の心は一緒なのだ。

 銀河帝国250億人の中の一人、それこそ幾多も平凡に繰り返されたどこにでもある幸せの光景なのである。

 

 いよいよ婚礼の日が近付き、準備が大騒ぎで進む。

 式場の飾り付けや音楽も厳選される。

 ラインハルトの周囲ではメックリンガーだけが忙しい。各方面で一流の芸術家提督はあちこちで引っ張りだこである。ラインハルトはいま一つ芸術というものに疎かったが、改めてメックリンガーが芸術で一流だと認識する。逆に正職が艦隊司令官というのが実に不思議で、本人にはどういうふうに整合が取れているのだろうか。

 

「メックリンガーが駆け出し時代の名残りのために今も艦隊司令をやっているのならば、芸術に専念させるべきなのだろうか。その方が本人も幸せであるし、世のためにもなろう。ただしそれは叛徒を平らげ、宇宙を統一した後だ。メックリンガーは艦隊司令官としても貴重なのは事実だからな。それでいいか、キルヒアイス」

「それでいいでしょう、ラインハルト様。メックリンガー提督のためにも宇宙を統一しましょう」

「平和な時代が訪れてもメックリンガーだけは芸術家に戻って忙しいというわけだ。だがしかし、他の提督たちは何をしているだろうか」

「……ミッターマイヤー提督はおそらく政治の場面でも有能でしょう。ミュラー提督やアイゼナッハ提督もきちんと何の職務でもこなすと思われます」

 

 ラインハルトの問いかけに対し、キルヒアイスは全く順当なことを返す。

 しかし更にラインハルトは考えた。時代が変わってもロイエンタールは困ったことばかりしているかもしれない。おまけに艦隊指揮以外に何かすることを想像できない提督もいる。ビッテンフェルトなどは?

 ラインハルトは珍しく一人笑いをしてしまった。

 その様子を見たキルヒアイスやその他の人間は、ラインハルトが結婚式が近付いて陽気になっていると好意的に解釈した。

 

 同じ時、メックリンガーが偶然にもそのラインハルトが思った提督について揶揄していた。

 結婚式で使う管弦楽のリハーサル、その指揮の途中である。

 

「そこはフォルテだ。頭が空っぽの猪でも眠らせないくらいに鳴らせ! そしてテンポは正確に。まだギクシャクしている。これでは猪が石につまずくようだ!」

 

 楽団員達は妙な例えと、それを言う時だけ険しい表情になる指揮者に困惑していた。

 

 

 

 当然ながら帝国はこの結婚式に緊急任務に就いている者以外の文官武官を全て招集する。

 要人や貴族も例に漏れることはない。

 

 その招待状が帝国内を飛び交う。

 

 だが受け取った一人は豪華な招待状を見てから、飲みかけのグラスの横へぞんざいに投げ出した。

 

「見え透いたことを。オーディンに招いて料理をしようということか。いっそこのために皇帝の結婚式をするというなら見事なものだが」

 

 この人間は第一級の賓客として招待されていた。

 フェザーン自治領主、アドリアン・ルビンスキーその人である。

 

 

 

 ついに結婚式が開かれた!

 それは誰も見たことがない程の華やかなものだった。

 この世の別世界を形作っていた。

 数限りない演出と、荘厳な伝統とが相まっている。

 

 努力だけで成しうるものではない。過去の帝国皇帝の結婚式とは段違いな点がある。

 

 主役の二人が文字通り華の中心たる美しさを発揮していた。

 

 もちろん素でも二人は充分な美を持っているが、それがほんの少しの演出で一段と輝きを増す。

 

 それはまるで灯にかざしたダイヤモンドのようである。

 きらめきが辺りを照らしだす。

 二人はお互いが負けないほど美しいが、二人がここでは共に相まって他を圧倒する美しさになる。

 

 キルヒアイスやアンネローゼでさえも、今の二人には比べられない。

 二人を見ているだけで、居並ぶ参列者には式があっという間に感じられた。

 素晴らしい舞台のような結婚式だった。帝国の未来は限りなく明るい。

 

 

 結婚後ラインハルトは公式には「夫君陛下」と書かれることになった。帝国の皇帝自体はサビーネのままだからである。

 

 そんなこととは関係なく二人はお互いを「ラインハルト様」「サビーネ殿」と言い合っている。

 結婚式から一夜明けて、侍従として仕える近衛隊長キスリングは二人の呼び方が変わったのかと思いきや、ちっとも変わらないのに驚いた。

 急激に親密になっても良さそうなのに、呼び方はそのままなのだ。

 

 キスリングには心配事が一つ増えてしまった。

 二人は夫婦として本当に親密なのか? しかし様子はとても仲睦まじいものだ。

 

「むしろお二人にふさわしいのかもしれない。軍務尚書、陛下、よりはよほどいい」

 

 

 

 ラインハルト麾下の将たちは相変わらずラインハルトを閣下としか呼ばず、夫君陛下などと言わない。

 それは夫君というのがラインハルトにふさわしくないということではなく、彼らにとってラインハルトは艦隊を率いて戦う最高司令官だからだ。帝国での地位はこの際関係ない。宮廷人のラインハルトなど彼らの頭にはない。

 常に先頭に立ち、戦いの中にこそ輝く黄金の覇王なのだ。

 

 

 呼び方はともかく、ラインハルトは結婚式の次の日から公務を休む気配がなかった。いや、結婚式も公務であるからには全く休まないといっていいい。

 これには多くの人が気遣った。

 結婚の当初くらい、もっと夫婦だけで親密であってしかるべきだと。

 大勢の声に押されて、一人がやむを得ずラインハルトに進言させられる羽目になる。

 

「閣下、恐れながら申し上げたき仕儀がございます」

「何だミッターマイヤー、妙にかしこまった言い方をしているな。卿がそういうのだ。大事なことなのであろう。何事か」

「それでは申し上げます。結婚式が終わった後は、少なくとも数日は公務を休むべきかと存じます」

「公務を休めというのか。それはなにゆえだ。どのみち仕事が溜まるだけではないのか。いずれは片付けることになる」

 

 ラインハルトにとってミッターマイヤーの進言は意外としか思えないものだった。てっきりミッターマイヤーは艦隊編成で高速戦艦だけの部隊を作りたい、とでも言うのかと思ったのに。あるいは艦隊を青色か何かで統一したいとか。

 

「仕事より、なすべきことがあると思う次第です」

「不思議だな。今、仕事以上に何かなすべき重要なことがあるのか。いったいそれは何だ、言ってみよ。ミッターマイヤー」

「閣下、不思議とおっしゃられては……」

 

 だから嫌だったのだ! 俺はこういう進言には向いていないぞ! 本当に。

 

 結婚しているという理由だけで俺に押し付けられてしまった。結婚していなくともロイエンタールの方がよほど上手く話したろうに。

 次に何か事があれば、結婚しているという理由でケンプの番にして押し付けてやろう。絶対だ。

 と、とにかく今は話の方向を変えなくてはならない。

 

「公務をお休みになり、新婚旅行にでも行って頂かないと今後帝国で結婚するものが困ることになります」

「……そうか。なるほどミッターマイヤー、卿の言うことが分かったぞ。上の者が休まないと臣民が休めないというのだな」

「ご明察、まことに恐れ入ります。結婚した次の日から閣下が仕事をされては、臣下はそれに倣わなくてはなりません」

「分かった。それも務めだな。サビーネ殿に相談して休むことにしよう」

 

 ああ、これで安堵できる! 進言はうまくいった。しかし本当にただ休まれているだけでも困る。話が通じたのとはちょっと違うような気がする…… しかしそこまではどう進言すればいいというのだ?

 

 

 一方のサビーネの方は、ぼうっとしていたのは一日だけであり、後はむしろ忙しく動き回っている。帝国の仕組みを熱心に勉強したり、アンネローゼから教わった料理を自ら作ったりしていたのだ。

 

「ラインハルト様の嫌いなチシャを除いたサラダを作らなくては。サンドイッチもチシャを入れないで、フルーツクリームにしようかしら。甘すぎてはダメね」

 

 とにかく動いていたいのだ。目いっぱいの幸せがサビーネの心を高揚させていた。

 

 

 

 

 世の中には受け取る人によって明るい出来事もあれば、そうではないこともある。

 

 ルパート・ケッセルリンクはそのどちらの渦中にいるのか、自分でもわからない。

 今はオーディンからフェザーンへ帰途についている途中だ。

 ルビンスキーは皇帝の結婚式に招待されていたが、理由を捻り出して自分は行かずに名代としてルパート・ケッセルリンクを立てていたからである。

 

「むざむざ謀殺されに行く馬鹿はいない。行けばなんとしても殺そうとするに違いない。ルパート、名代としてオーディンへ行け」

「分かりました自治領主閣下。しかし私の方を帝国が拘束するのでは」

「そんな心配をするのか? 無用だ。帝国はお前を殺しても仕方がないのを知っているし、拘束して人質に使えることもないくらい分かっている」

「人質の意味もないとは……」

「そのままの意味だ。言うまでもない」

 

 ルパート・ケッセルリンクは自分の価値をルビンスキーどころか帝国も軽く見ているだろうことで面白くないが、それは当然だとも思う。

 

 

 実際に本当のことだった。

 もしルビンスキーがオーディンに来れば、リヒテンラーデは喜んで謀殺にかかるつもりだったのに。ルパート相手にそんなことはしない。

 

「ルビンスキーが来れば、宇宙港が丸ごとふっ飛ぶ、という不幸な事故が起きたかもしれぬのう」

「宰相閣下、しかし、名代にあの首席行政補佐官を引っ張り出してこれました。先ずは充分でございます」

「オーベルシュタイン局長、あのルパート・ケッセルリンクとか申す者か。」

 

 リヒテンラーデは思わず笑い声を立ててしまう。

 

「ほっほ、あんな者がルビンスキーの側近とはの。案外、あ奴も抜けているところがあるようじゃ。安心したわい」

「確かに小官も意外でした。能力はともかく野心と反抗心が透けて見えるようでしたので。底の浅い人物です。こちらが策を講じるには打ってつけかと」

「あの者ならば、何も手を打たずともルビンスキーに反逆しそうじゃ。まあ、そこまで待ってはおれんがの」

 

 

 

 

 

 




 
 
次回予告 第七十三話  相克

ついにリヒテンラーデ、動く!

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