クリスチアン大佐の顔が歪む。
反戦集会を徹底的に弾圧してやる。クーデターに反対するものは赦さない。軍人によって生かされている市民が何を言うか。救国軍事会議に反対するとはやつらこそ同盟の敵、殺しても問題はない。
元々嗜虐趣味がある。
その性質がクーデターの大義名分を得て膨れ上がり、暴力を堂々と行使できる喜びに震えている。
戦車まで出動させ、統合作戦本部の前に並べて反戦デモを待ち構える。
しかし、市民はなかなか到着しない。
「ふん、命が惜しくなったか。臆病者め。市民の覚悟などその程度だ。軍人でなければ信念などない」
実のところそうではない。デモ行進はジェシカに誘導され、統合作戦本部の直前で方向転換していたのだ。
その先はハイネセンの中央放送局である。
放送局前に到着するとジェシカが盛んにアピールし、市民が声を上げる。当然、そこを警備していたクーデター派の兵が出て、市民の前に列を作って守りにかかる。
今だ!
この隙に放送局へ裏から忍び込む。一行は事前に放送局スタッフの恰好をしていた。
キャロラインは亜麻色の髪を整えタイトなワンピースに着替え、アナウンサー風の格好に決めている。いつもの姿とはまた一風変わった魅力的な姿であり、本職のアナウンサーと違わない。
アッテンボローなどが見たら涙を流して喜んだろう。
放送局の中を慎重に進む。
警備の兵が急遽出動したため、自動警備システムはそれほど動いていないはずだ。内部まで侵入し、やっと通信システムまで辿り着いた。
キャロラインは通信設備のことはわからない。送信の操作は無理だ。
ここは叩き上げのカールセン少将に任せる。
カールセン少将は士官学校卒でないため、指揮官として真っすぐ出世してきたのではない。通信部を始めいろいろな部署を回りつつ、ゆっくりと出世してきたのだ。その経験が役に立つ。
目的に合う超光速星間送信機を探し出し、起動させる。
ついで指向性と到達距離を合わせる。
グリーンヒル大将が苦労して得た同盟辺境の航路情報と民間船情報、それが入ったデータパックをここで送信機に放り込んだ。
データ送信のインジケーターが進みだし、焦れながら待つ。
何とも長く感じられたが、実際は二分もかからず終了表示に変わった。これでデータを発信できたのだ!
キャロライン一行は直ちに放送局から撤収し、その後ジェシカへ伝える。
ジェシカはデモ行進をまたハイネセンスタジアムに誘導し、反戦集会が成功したことを充分にアピールし、終わらせた。
そのために市民とクーデター派が武力衝突せずに済んだのだ。
クリスチアン大佐の準備は何の甲斐もなく空振りになる。
ついにデータがヤン艦隊、そしてアップルトン、ボロディンにも伝わった。
クーデター派の戦略の主柱となっている情報戦略は、何とハイネセンから崩されたのだ。
「情報の隠蔽や操作というものがこれほど重大なものだとは、一つ勉強になった。しかしこれで助かった。ハイネセンでも頑張っている味方がいてくれたんだなあ。その人たちのためにも早く出発しよう」
ハイネセンへ直進できることになったのなら、途中で戦闘ということになっても大丈夫だ。なんとか片道分くらいの物資は持つだろう。
ヤンの第十三艦隊はエル・ファシルから急ぎ発進準備に取りかかる。
そんな最中、ヤンのもとに意外な客が訪れてきた。
アンドリュー・フォークだった。
ここエル・ファシルで療養していたのだろうが、見た限りでは元の感じにまで回復しているようだ。ヤン達が最後に宇宙港で見たような、明らかに異質な精神状態の影はなくなっている。
むしろあの帝国領侵攻の作戦会議で見た通りの理知的な目と表情をしているではないか。
「ヤン提督、おかげさまで助かりました。本当にありがとうございます」
「君は、もう体の方はいいのかい?見た感じは治っているようだけど」
「ええ、ドクター・ロムスキーも驚いていました。回復が早いと。まだ記憶の方は完全ではありませんが、生活には何も不自由ありません」
「そうか、それは本当によかった! キャロライン・フォーク少将が一番喜ぶだろう。それで、この時期に会いに来るとはいったい」
ヤンもアンドリュー・フォークのハイネセン脱出には苦労した。回復してくれて本当によかったと思う。
「ドクター・ロムスキーには退院の許可を貰いました。ヤン提督、同盟が今クーデターで大変なのは知っています。クーデター派にハイネセンが押さえられ、着々と体制を整えられているそうですね。そんな中、キャロルがハイネセンで頑張っているのに、僕が寝てなどいられません」
「…… いや、気持ちは嬉しいが我々もこれからハイネセンまで辿り着かなくてはならない。そしておそらくは途中の宙域でクーデター側の艦隊を排除することになるだろう。そんな中で君を連れて行くのは危険だ」
アンドリュー・フォークはキャロラインが心配だからハイネセンに行きたい、それもある。
しかしクーデター派を叩こうとするヤンに協力したい気持ちが大きい。
ヤンにもそれが分からなくもないのだが、病み上がりのアンドリュー・フォークを同行させるのは……
だが、アンドリュー・フォークの目には訴えているものがある。
ヤンはそこで全てを理解した! アンドリュー・フォークの真意を。
「あっ、そうか! なるほどこれは大いに使える手だ」
「わかりましたか、ヤン提督。そうです。クーデターがロボス元帥なら僕の証言が政治宣伝になります。非常に有効に使えるでしょう。ロボス元帥が絡んだアムリッツァの敗戦の真相と、薬物を使った卑劣な手を僕自身の口から話すことで」
「それならお願いする。是非合流してほしい」
そしてもう一つ、ヤンはここで情報戦のお返しを図った。
ハイネセンに伝わるようニセ情報を流したのだ。
それは「エル・ファシル独立」である。
これはクーデター派にとってはたまらない事態だ。クーデター派は中央の統制が効かなくなることを一番恐れている。同盟が分裂してあちこち地方独立などされたら手に負えず、そんな地方独立の動きがあるならばいち早く叩いて、見せしめにしなくてはならない。地方独立など諦めさせなくてはならないのだ。
エル・ファシルが独立というからにはヤンの第十三艦隊を控えて強気になっているためだろう。これは後ろ盾であるヤン艦隊を叩かねば収まらない。
クーデター派から急ぎ艦隊が向かう。
ヤンはそう仕向けさせ、戦場を規定することに成功した。言葉一つでそれを行うのがヤンの魔術なのだ。
充分に引き付け、こちらの補給の心配が全く必要ないところで戦うことができる。
一方、クーデター派にとってすれば戦うべき相手は名にしおうヤン・ウェンリーの第十三艦隊だ。
同数の艦隊以下で戦うなど論外である。
充分以上に優勢な数で圧倒し、戦術を講じられる前に押し切るしかない。
第十一艦隊ルグランジュ中将と第三艦隊暫定指揮官アラルコン少将が同行する。
これで艦艇数はヤン第十三艦隊一万六千隻に対し、クーデター派は二万五千隻になる。
推定接触宙域はエル・ファシルと遠くないドーリア星域、ここで同盟の運命を決める戦いが行われる。
「やはり、数では向こうの方が多いなあ」
ヤンは冷めた紅茶を飲みながら溜息をつく。
普通に戦うのであれば、その戦力差でヤンがそこまで言うことはない。ヤンは戦力分析を冷静に行っている。戦術能力でも艦隊機動でもおそらく負けることはないだろう。
しかし、この場合にはそれだけでは意味がない。
クーデター派といえども撃滅してしまっては何にもならない。同じ同盟軍なのだ。敵ではない。同士討ちで弱体化してしまえばそれこそ帝国の思うつぼ、描いた絵の通りになる。
クーデター派を消滅ではなく、立ち返らせることはできないか。
この迷いがヤンを消極的にした。
思いとは関係なく、戦いが始まれば急速に拡大する。
とりあえず戦いの序盤ではアッテンボローが分艦隊を率いてクーデター派艦隊を分断にかかる。
それはうまくやりとげた。
クーデター派艦隊には間隙がある。その第十一艦隊と第三艦隊は完全に融合していない。そこを突けば前衛と後衛に別れ、数の優位は失われる。
更にヤンはグエン・バン・ヒュー分艦隊出し、その猛進により相手の艦列を大いに乱れさせている。
これでヤンの第十三艦隊に負けはない。
しかし、ここから消耗戦に入らないにはどうしたらいいのか。うまく相手の旗艦だけを倒せればともかく、それこそ難しい。
アラルコン少将はともかく、ルグランジュ中将は決して弱将ではないのだ。
その艦隊運動の巧みさと勇猛さで定評がある。
あまり消極的ではかえって逆襲を受け、優勢に進めていた戦いをひっくり返されかねない。クーデター派の早期帰順という甘い期待はもう望めないからには。
「仕方ないのか。消耗戦の色彩が濃くなってもここで負けたら本末転倒だ。同盟第十一艦隊と第三艦隊、こんな貴重な戦力でも消滅させるしかないか」
そんなヤンの苦渋の呟きを横にいるフレデリカが聞いている。その気持ちは充分にわかる。
最後にヤンが覚悟を決めて指令を伝えようとした時、ふいに声を掛けられた。
「小官に一部隊を貸して頂けませんか。提督」
それはアンドリュー・フォークだ。
しかも言うことは意外なことだった。
「いけるかもしれません。なんとか消耗戦にせずに」
ヤンはアンドリュー・フォークの目を信じ、艦隊の中から千隻を引き抜き、その部隊を任せた。
やってくれるのではないか。
アンドリュー・フォーク指揮下の部隊はルグランジュ艦隊に対峙するやいなや通常回線を開いて叫んだ。
「こちらはアンドリュー・フォーク准将。ここで真実を話そうと思う。ロボス元帥こそ先のアムリッツァで将兵を多数死なせた首謀者である。戦いが終わった後、卑劣にもそれを欺瞞で塗り固め、責任を逃れてきた」
通常ならば、そんな通信を真面目に聞くわけがない。戦闘中はお互いに欺瞞情報を出し合い、なんとかして相手に真実を悟らせず、混乱させるように仕掛けるものだからだ。
だがこの場合はクーデター派にとっても看過しえない内容が含まれている。
ロボス派のルグランジュ中将にさえ初耳のことが含まれる。それも発信者はアムリッツァで最大級の戦犯とされたアンドリュー・フォークだとは。
「僕はその証人だ。その一切を知っている。そのロボス元帥がクーデターの首班だとは、もはや茶番でしかない。このクーデターはロボス元帥のあくなき野望に踊っているだけだ。そこに大義など無く、権力への妄執の産物だ。同盟の将来のことなど微塵も考えていない」
クーデター派の艦隊もこれで一瞬凍り付く。
ロボス元帥に心酔している者だけではなく、多少の思い当たることがあるのだろう。
「同盟軍はそれに加担してはならない! クーデターは同盟軍の歴史に泥を塗る。諸君、今からでも民主主義の道に立ち返ろう。自由惑星同盟の軍は民主主義を守る誇り高き軍だ。しかも真実を言おう。これには帝国の謀略が絡んでいる。同盟軍が同士討ちをして消耗することは帝国が手を叩いて喜ぶことだ。そんなことをしている場合ではない」
ルグランジュもアラルコンもアンドリューの言うことが一面の真理を突いている以上、とっさに反論もできない。勢いに任せて攻撃を命じるだけだ。
「ええい、構うな、攻撃しろ! それこそ全て欺瞞だ。大義はなおこちらにあり、あんな部隊は妄言ごとひねりつぶしてしまえ!」
だがその態度こそ艦隊将兵にとってはアンドリューの方が真実なのではないかと思ってしまう原因になる。
素直に命令に従う艦の方がむしろ少ない。
その一瞬の隙があればアンドリューには充分だった。
アンドリューの部隊は直ちにクーデター派艦隊に飛び込んだ。
そこからの艦隊運動は特徴的なものがある。
鋭角の艦隊運動を繰り返し、的を絞らせず、散々にひっかきまわす。それを可能にしたのは艦回頭とエンジンの出力を各艦種ごと同時に計算しているという離れ業のためだった。
アンドリュー・フォークは艦隊指揮も一流の将帥だった。
対応しきれず後手にまわるクーデター派は大いに乱れた。狙点の固定や集中砲火もできず、アンドリューの部隊の通過を止められない。もちろん、それには先の言葉による混乱のため動きが鈍くなってしまったせいもある。各艦とも迷いがあったのだ。何がいったい真実なのか。このクーデターは果たして何だったのか。
勝機を見切った。
アンドリューはルグランジュ中将のいる第十一艦隊旗艦を見定め、なおも加速をやめず高速で迫る。
交差する瞬間に一撃!
ルグランジュの乗る旗艦を斃す。鮮やかな攻撃だ。
それを第十三艦隊旗艦ヒューペリオンから見ているヤンは感嘆の思いだ。
「キャロライン・フォーク少将も底なしに強い。しかし、そのお兄様もこれほどやるとはね。同盟にとってこれはまことに慶事と言うべきなんだけどなあ」
喜ぶべきことであるが、そこにはわずか別のことも含まれている。
アッテンボローはどう言うだろうか?
キャロラインのブラコンが、もしアンドリューの兄様に実力が伴っていればただのブラザーリスペクトではないか?
アッテンボローの亜麻色の要塞攻略が難しくなる。
一方、フレデリカはキャロラインの兄アンドリューの活躍を心から喜んだ。
あの時、危険を省みず、アンドリューを病院から救出してよかった。途中で憂国騎士団と戦ってまでやりとげたのだから。
今の兄の戦いをぜひともキャロラインに見せてやりたい。
おそらくブラコンキャロラインは言うだろう。
兄なら当たり前、いつも言ってるでしょうフレデリカ、まさか信じていなかったの、と。
次回予告 第六十一話 同盟騒乱~私だけです
ついにロボスの禁じ手が!
キャロラインvsヤン艦隊!