グリーンヒル大将はクーデターの真相を知って驚愕した。
しかしそれは直ぐに溜息に変わる。ロボス元帥の性格を考えれば不思議ではないのかもしれない。
あの時…… ティアマトでもイゼルローンでもアムリッツァの戦いでも、自分はロボス元帥の側についていた。
もっと頑張って勝っていればよかったのか。ロボス元帥が満足するように。
いや、それは違う。野望というものには限りがない。
根本的にロボス元帥の妄執にもっと早く気が付き、対処すればよかったのだ。
普段、ロボス元帥は側近に後方部のドーソン大将を連れているが、戦場では参謀長の立場である自分が一番近く、気をつける責任があったのだ。
思えばティアマトではせっかく陽動作戦が上手くいったのに、欲張って撤退の好機を逸してしまった。結果、勝ち逃げから大敗に転落してしまった。
そのあたりからもう既にロボス元帥はおかしかったのだ。
気付くべきだった。
ロボス元帥が一見艦隊指揮をこなしているように見えていても、自分の名声のために行動していただけだ。将兵の犠牲など考えていない。
アムリッツァでは集結後すぐに撤退しないなど常軌を逸していた。
もう勝ちはないとわかっていてもなお帝国軍と戦い続けるとは妄執以外の何物でもない。
その時点でさえ損耗率が20%を超え、更に帝国軍が優勢だった。軍規的にも撤退の進言をする方が理がある。いや、軍規を逸しても何かすべきだったのに。
あるいは、自分もロボス元帥ももろとも斃されていれば今こんな騒動は起きずに済んだろうものを。
過去のことはともかく、せめて今からできることをするしかない。
もはや自分がクーデターに組することは許されない。
グリーンヒル大将は再度ブロンズ中将にクーデターの首班にはなれないことを告げた。
そして、ロボス元帥の妄執には断固として付き合わないことも。
ブロンズ中将は、グリーンヒル大将がなぜロボス元帥のことを知ったのか訝しんだが、決意がもはや変わらないのを見て取った。
本当はグリーンヒルに家族がいればそれを使って脅すこともできたろうが、あいにくグリーンヒルに妻はなく、その娘フレデリカはイゼルローンにいる。
「ではグリーンヒル大将、仕方ありません。拘禁させて頂きます。クーデターの首班を続けなければ殺す、と言われても従わない方ということはわかっておりますので。ただし、大将の役目はほとんど終わりといえる状態になり、クーデターは既に軌道に乗りました。市民も経済も安定しつつあります。そしてクーデターに反対する艦隊はこちらの策によりハイネセンに近づくことさえできないようです」
しかし、この時点でブロンズ中将は重大なミスを犯していた!
グリーンヒルはただ首班を辞めるだけではない。
その前に、統合作戦本部のコンピューターからクーデター勢力が書き換える以前の航路や船団のデータをそっと盗み取っていたのだ。
それを家の台所の下水と一緒に流すという上手い方法でキャロライン達に渡した後だったのである。
これ以上なく重要な情報であり、これさえあればクーデターに反対する同盟艦隊がハイネセンに到達できる!
ただし困ったことがある。
イゼルローンへその情報を送ろうにも、通信手段がない。
そんな折、救国軍事会議がまた同盟全土に重大発表を行った。
画面上で再びエベンス大佐が述べている。
「これまでの救国軍事会議議長グリーンヒル大将はかりそめのものであり、ここで真のリーダーを発表したい。この真のリーダーこそこれからの同盟を導くにふさわしい。同盟は強いリーダーシップのもと統合され、新しい星間国家に生まれ変わる。古い体制を脱ぎ捨て更なる飛躍の時代に入るのだ!」
多くの者にとって寝耳に水のことだ!
そこには議長のはずのグリーンヒル大将の姿はどこにもない。
そしてエベンス大佐の横に現れた人物を見て更に驚愕してしまう。
「それでは紹介しよう! 新しい議長、ロボス元帥である!」
イゼルローン要塞でも全ての人間が混乱する。
同盟クーデターの首謀者がロボスだったとは!
「うへえ、仇敵がこんなに堂々と出てくるとは、いっそ清々しいな」
「そうも言ってられないぞアッテンボロー、黒幕が出て来るにしては少しばかり早いような気がする。おそらくだがグリーンヒル大将が首班を続けることを拒み、邪魔者になってしまった、という辺りだ」
あっ、しまった!
ここまで言ってからヤンはフレデリカが聞こえる位置にいるのに気付いた。これはあまりにうかつなことだ。
実はフレデリカはそれを聞いていない。両手を口にあてて呆然としていた。
父ドワイト・グリーンヒルの姿はなく、代わりにロボス元帥が出てきた以上、父は粛清されてもう生きていない恐れがある。
ヤンはショックを受けて固まっているフレデリカを自室に下がらせた。
それ以降の様子は本人しか知らない。
ところがフレデリカは次の日には出てきて、いつもと変わらず仕事を片付けている。
それが周りからは何とも痛々しい姿だ。
「……とにかく、急がないといけない」
ヤンにできることはなるべく早くハイネセンに赴いてクーデターを鎮圧し、グリーンヒル大将の生死を明らかにすることしかない。
ヤンはフィッシャーを呼び、イゼルローン要塞にある輸送艦をなるべくそろえさせ、それらへありったけの物資の積み込みを命じた。
更にそれだけではなく連絡のついているエル・ファシルでも調達する。
再びイゼルローンを出立したヤン第十三艦隊は一時エル・ファシルに逗留した。
幸いなことにエル・ファシルは同盟の国是を色濃く保つ惑星である。
イゼルローン回廊に近い分だけ帝国主義への危機感が強いからだろう。そしてもちろん今回の救国軍事会議なる独裁政権を極度に嫌い、下手をすれば独立しそうなほどの勢いだ。民主主義への矜持がそれほど高い。
それでヤン艦隊への物資の調達も喜んで協力した。
これでハイネセンまでなんとか行けるだろうか。
いや、それでも無理かもしれないと冷静に見当をつける。
順当に進むだけならともかく、もし途中に戦闘があったら話にならない。情報に優れたクーデター側は同等以上の戦力を用意しているはずで、それらと乏しい物資で戦うのも難しい。それに加えて戦闘で輸送艇を狙われたらどうにもならない。
やはり正規航路を使えず、遠回りするのは巨大な負担になるのだ。
一方、キャロラインたちはグリーンヒル大将から受け取ったデータをどうやって宇宙へ送信しようかと悩んでいた。
詳しく言えば、ハイネセンにある軍の通信施設はもとより民間でも宇宙間通信のできる放送設備を持った大きな放送局はことごとくクーデター側に占拠されている。
忍び込むことはおろか近づくこともできない。
しかし、クーデターを止めるにはやはり艦隊がハイネセンに来なければ無理であり、そのためにも送信しなければならないのだ。
もっと人数がほしい。
あるいは、警備が手薄になるほど大きな騒動があればいいのに。
そうした時、市民団体が集会を開くことを耳にした。
ハイネセンスタジアムを使って大掛かりなクーデター反対の集会を開くようだ。元々反戦団体なのだが、このクーデターに耐えられず、民主主義の灯を見せつけたいらしい。
反戦団体といえども同盟軍を全否定しているわけではなく、まして今はクーデター反対という意味においてキャロライン達と立場は同じだ。
だったら協力しあえるのではないか?
キャロライン達はその集会の主催者に会いに行った。
主催者、それはキャロラインには聞いたことのある人物だった!!
名はジェシカ・エドワーズ。
ヤンの片思いの相手であり、フレデリカの一方的な恋敵ではなかったか! ただし彼女は近々結婚するという話を聞いたばかりだ。
その見かけは、美人ではあるがキツめの顔だった。
フレデリカの人の良さそうなくりくりした瞳とはまるで違う。
そんなことを考えながら話を始めたものの、最初からこちらに決して友好的ではない。
やはり軍が嫌いなようだが、結婚する相手が軍人なのだからおかしなことだ。だがその疑問は後で解消した。結婚相手のラップ少佐はアスターテでの第六艦隊旗艦被弾の際に重傷を負い、療養生活が長くなっていた。それもラップ少佐の適切な助言を司令部が無視した結果というのが何ともいえない。
今はジェシカ・エドワーズのきつい言葉を受ける。
「あなた方軍人は、市民に対し根拠もない優越感を持ち、挙げ句クーデターをしでかしました。民主主義を何と心得ているのでしょう。市民にこれほど迷惑をかけて、それで同盟のためと世迷言を言うとは」
「それについては…… もう何も言えないのですが、これからのことがより重要かと」
「それにしても反戦集会を開くというのにまた軍人に協力とはいったい何の冗談ですか」
ジェシカに一から説明しなければならなかった。帝国の謀略、ロボスの妄執のことを。
そしてぜひともデータをハイネセンから発信しなくてはならないことも。
それでも疑い深い顔をされたが、最後の言葉が効いた!
「ヤン提督の艦隊は反クーデターです。クーデター鎮圧のためにハイネセンに向かおうとしていますが、このデータがなければ来られません。それで発信したいのです。ヤン提督が来れば同盟を民主国家に戻してくれます」
「ヤ、ヤンが! そう…… ヤンが、来るのね」
それは思わぬ効果を及ぼし、ジェシカの雰囲気が見る間に変わる。
どんな思いが去来しているのかは伺い知れない。
「協力については分かりました。反戦集会を利用して、通信設備を一瞬乗っ取ればいいのでしょう」
ヤンの名を聞いてジェシカの態度が変わったことをフレデリカには秘密にしておこう。
もちろんヤンにもだ。
療養が長くなったラップと結婚するジェシカには、同情と愛情、どちらがどの割合なのだろう。
女には時としてその二つが混ざり合い本人にも分からない時がある。
ジェシカの方にもヤンへの思いはあるのだろうか。ヤンの方が思っていることは知ってるだろうに。
いや、それはどうでもいい!
焼けぼっくいは、そのまま消えてしまえばよいのだ。
フレデリカも含め全ての人にとってそれが一番いい。
やがてハイネセンスタジアムで反戦集会が開かれたが、その様相は当初の予定と少し変わった。
「同盟の国是は不滅です! 主権はわれら市民の手に。今こそアーレ・ハイネセンの国を守ろうではありませんか!」
初めにジェシカ・エドワーズのアピールがある。
「自由惑星同盟三百年の歴史を変質で終わらせてはなりません。今こそ軍事独裁政権を打倒し、国家の主権を市民の手に取り戻すのです!」
同盟国歌の斉唱の後、興奮した市民たちはスタジアムを出て行進に入った。
そこまではジェシカも予定している。事前通達していないデモであっても、あくまで平和的な行進なのだ。熱狂をコントロールしている限り問題ではない。
クーデター派のクリスチアン大佐がハイネセンスタジアム脇に待機していたが、スタジアムに突入する前に市民が出てきてしまった。首謀者を叩き潰し、反戦集会など強制的に解散させるつもりだったのだが。タイミングを逸してしまった。
市民の列はクーデター派のいる統合作戦本部に向かっているようだ。
そこでクリスチアン大佐は先回りを図った。戦車も重火器も用意し、その武装をもって行進を粉砕する。
「戦場に出たこともない市民ごときが。何が反戦だ。しかも英雄気取りで生意気な女がリーダーとは、絶対に潰してやる」
次回予告 第六十話 同盟騒乱~アンドリュー・フォーク
ついにお兄様登場!