そして切羽詰まったアマーリエとエリザベートは最後にやってはならないことをした。
いよいよ逼迫し、館に残った食材も乏しくなり燃料さえも少なくなった。
ここで二人は誤ってしまったのだ!
ブラウンシュバイク家伝来の宝石の入ったブレスレットやペンダントをあげることにより、領民と仲良くなろうとしてしまった。二人とも考えが足りないというよりも、人の善意を過大に考えてしまう世間知らずだったからだ。
そんなことをすればもっと金目の物があると領民に勘づかせるだけなのに。
これがハイエナたちが二人の館へ襲撃するに至った経緯である。
その異変に気が付いたエリザベートは直ちにオーディンへ通信を送った。緊急通信は許可されていたからだ。これが領民の叛乱として報告されたのである。
しかし、助けがすぐに来るわけではない。
一方、領民は宇宙港と宇宙艇さえ押さえれば二人がどこにも逃げられないのは百も承知だ。邪魔が入るまで時間はたっぷりある。
いや、邪魔が入らない可能性の方がずっと高い!
なぜならブラウンシュバイク家の二人など誰にとっても不要なものだ。むしろ死んでくれたらありがたい人間の方が多いだろう。領民は叛乱として帝国に伝えられても皆で口を合わせれば犯人を挙げられず、結局は咎められることはないだろうと察していていたのである。
ついに館への直接的な襲撃が始まった。
ほんのわずか残っていた忠実な警備兵が次々と打ち倒された。
領民の武器は貧弱なものであり、先の叛乱時に奪ったわずかの小銃、ブラスターを除けば棒や刃物しかない。しかし欲に駆られた勢いはある。
「あの二人を見つけて生け捕りにしろ。宝のありかを全て吐かせるんだ。手足をもいでも、半殺しでも何でもいい。生かして口がきければ」
震え上がるほど恐ろしいことを言いながら襲撃者が館に侵入する。
館のどこかに火が出てしまったのか、煙っぽい感じもしてきた。
アマーリエとエリザベートはなるべく物音のする方から遠ざかるように移動し、最後に書庫に逃げ込む。
見つかりませんように。
その願いは打ち砕かれることになる。
くまなく捜索した襲撃者に見つけ出された。
二人は文字通り引きずり出された。襲撃者の多数いる部屋に連れていかれて監禁され、延々と宝物の場所について尋問を受ける。
「それだけか。もっとあるはずだろう。あのブラウンシュバイク家の宝だ。こんなちっぽけなものでごまかすな」
「いいえ、もう無いんです。ここに来るときにほとんどは置いてきたのです。本当です!」
「そう言い張るならそれでもいい。ただし手足の爪がそろってるうちに吐いた方がいいぞ」
二人は観念したが、襲撃者たちに信じてもらえるはずもなかった。
そしてついにバルバロッサがヴェスターラントの衛星軌道上に入った。
地上の様子を強拡大する。
時間帯は日の暮れる少し前だ。しかし、二人の住んでいるだろう館から煙が上がっているのは確認できた。
もはや何もためらうことはない。
直ちにバルバロッサごと降下した。途中で手動操縦に切り換えたのは、宇宙空間から地上まで常識外れの急降下しても、キルヒアイスの腕前とバルバロッサの性能なら一メートルの誤差もなく降り立てるからだ。
ラインハルトはキルヒアイスのそれを当たり前のように思ったが、実際は尋常な精密さではない。
「よし行くぞ、ついて来い! キルヒアイス」
「ラインハルト様、危のうございます。バルバロッサにお留まり下さい。領民に重火器はないでしょうが、何人が加担しているのかもわかりません。通信はもはや何も伝えていませんので」
「いいやキルヒアイス、こうなった責任は全て俺にある! だったら自分で責任を取らねばならん。問答をしている暇はないぞ」
館から五百メートルほどの場所に着地すると、ラインハルトとキルヒアイスがバルバロッサのタラップから地上に降り立ち、一気に走り始める。
その後ろを慌てて艦隊旗艦付きの精鋭陸戦隊要員が続く。
すると館の周りにいた襲撃者のグループはその様子を見て応戦を始めてきたではないか。その数は意外に多く、数十人は下らない。といってもやはり重火器や戦車の類いを持ってはいなかった。
「キルヒアイス、相手は卑劣な襲撃者だ。この際遠慮はいらん」
肩や足を狙って撃つという優しい配慮はいらないという意味で言っているのだ。
そうであればキルヒアイスの正確な銃撃はすさまじく威力を発揮する。
どんな遠方の人影でも一撃で斃す!
ラインハルトが狙って撃とうとする瞬間にはその人影はキルヒアイスに斃されている。
「くそっ、カプチェランカの頃より差が広がっているようだ。なんだか悔しいな」
ラインハルトは二人が駆け出しの新任士官であった頃、地上戦もやったことがあるのを思い出す。その経験では二人支え合って危機を乗り切っていったものだ。ラインハルトが一方的に庇われたのではない。だからこそ気になったのだろう。
一方、アマーリエとエリザベートのいる部屋にも外の異変が伝わってきた。
「まずい、外に宇宙艦が来ている」
決して静かなものではないバルバロッサの降下だ。館の内部に入った襲撃者たちでも気付かぬはずはなく、そして覗くと帝国軍の艦艇なのである。
襲撃者たちはあわてて手に持てるだけの宝石類を持ち、逃げにかかった。
当たり前だが戦闘艦の陸戦要員だけでも相手取ってかなうはずがないのだ。
そして襲撃者はついにこの言葉をもらす。
「このブラウンシュバイク家の二人、殺していくか」
アマーリエとエリザベートは襲撃者たちの顔を見ているわけであり、生かしておけるわけがない。
だが、痕跡を残さないにはもっといい手がある。
襲撃者はブラスターでそこら中を発火させ、そして何と縛られて動けない二人をそのまま残して立ち去ったのである。確かに死体すら残らない方がいいに決まっているからだ。
もはや二人には絶望の他に何もなく、蒼白になったまま震えるだけだ。
その頃、ためらいなく館に飛び込んだラインハルトとキルヒアイスは走り回ったが、簡単にはエリザベートらは見つけらない。
そのうちに襲撃者の中の一人とばったり遭遇する。直ちにそれを打ち倒すが、手に宝石を持っているのに気づく。だったら情報を持っているはずだ。
「ブラウンシュバイク家の二人はどこにいる。その手にあるものは二人から奪ったものだろう」
まだ息があるうちに、何とか二人の居場所を聞き出した。
その部屋へ向かったが煙が次第に濃くなってきた。
館が燃えているのは分かっていたが、その拘禁場所が火元に近いとは!
それからも襲撃者たちを度々倒しながら進み、ついにその部屋の入口まで辿り着いたのはいいが、もはや火の手が回っているではないか。部屋の中には炎が見える。
だがしかし、怯んでいる暇はない! 二人は中にいるからには躊躇なく部屋に踏み込み探す。
ついに二人が見つかった。
その少し前からエリザベートは絶望していた。声を枯らしてそれ以上叫べなくなって。
煙と熱気が迫ってきたが逃げられないのだ。手足を縛られて、それを重い机に結ばれているという念の入りようだった。最初に火を付けられたカーテンやタンスが炎をまとったまま砕けてばらばらと降り注いできた。それ以上に煙で視界すら悪くなってきた。
夕暮れ時、外にわずか見える空には茜色の残滓しかない。
それよりも炎は明るく、熱く、自分たちを焼くために迫ってくる。もう苦しみに溢れた死は免れない。
そこでエリザベートは見た!
取り囲む炎のオレンジに照らされ、黄金色に輝く若者を。
降り注ぐ炎が、まるでそこだけ避けるように若者には当たらない!
若者の強大な覇気は紅蓮さえ退かせ、従えるというのか。
「ラインハルト様…… 」
それは死の間際に見えた甘美な幻などではない。
エリザベートは必死に呼びかけようと試みるがもはや声は枯れて出てこない。
若者の方からエリザベートを認め、真っすぐ歩み寄ってきた。ついで縛られた紐を切り、抱き起しにかかる。
横にいる母はというと別の長身の者に同じように助けられようとしている。
「立てるか、フロイライン」
そう若者に問われ、エリザベートはうなずいて立とうとしたが、それは無理だった。長く縛られていた足が言うことをきかない。
それを見て取った若者は何とエリザベートを抱きかかえ、そのまま歩き出す。
重くないのだろうか、こんな火急の時でもエリザベートはちらっと思う。重いと恥ずかしい。
しかし足取りはしっかりしたもので、若者はやや華奢な体にも関わらず充分に支えてくれている。
エリザベートはひたすらにしがみつく。
何物にも代えがたい安心感に全身が包みこまれた。さっきはあれほど熱い炎と死の恐怖に怯えていたのに。
今、このまま死んでもいい、そこまでエリザベートは思った。
艦内まで運ばれベッドに移された直後、鎮静剤を打たれて眠りについた。
エリザベートが目を開けて起き上がった時には、ここはどこだろうという感触があった。
白い天井と壁を見る。
どこだろう。病室のようだ、と思ったとたん今までのことを思い出した。
館で襲撃にあい、炎に巻かれるばかりになっていたが、そこをラインハルト様に救い出されたのだ。
母を探そうとするとすぐ隣のベッドにいた。まだ眠っているようだ。
病室付きの看護要員が入ってきて、にこやかに体調を問い、おかしなところが無いのを確認する。そのうち母も起き出してきて、同じように問われている。
二人は着替えを済ませるとバルバロッサの艦橋に案内された。
「お二方とも無事であったか。今回のこと本当に済まない。なんと詫びを言ったらよいものか」
するといきなり詫びを言われたではないか。もちろんラインハルトからの言葉である。
銀河帝国の実質的主導者であるラインハルトと横にいる赤毛で長身の者がそろって頭を下げている。
「赦してほしい。いくら非難されても構わない。まさかブラウンシュバイク家のお二方が因縁あるヴェスターラントに送られるとは思っていなかった。こんな結果になるのは必然であり、送った者が責を問われるべきものだ。つまりそこまで気を遣わなかったこちらに全ての責任がある」
清々しくラインハルトは自分の非を認める。
これでエリザベートは分かった。
やはり自分が信じたことは正しかったのだ!
「謝ったりしないで下さい。ラインハルト様は何も悪くありません。ご存知なかったのですから。そう思ってましたわ。最初から信じていました」
「私はエリザベート嬢に穏やかな生活を約束した。それなのに…… 」
「信じています。ラインハルト様は決して見捨てたりはしない方ですから」
「これからは必ず守る。お二方がこれからオーディンで過ごせるよう取り計らう」
「何という温かいお言葉でしょう。しかしお気遣いなく、ラインハルト様」
「エリザベート嬢、そうしたいのだ私は。本当に」
この一行がオーディンに着いてしばらくした後、舞踏会が開催された。
主催はラインハルト・フォン・ローエングラムということだ。
多少周りから奇異に思われたのは、実のところラインハルトは今まで一度も舞踏会の主催などしたことがないことによる。舞踏会に招かれて行くのさえ最小限にする方なのに、自分から舞踏会を開くとは。
場所は軍務省で一番広い迎賓用の大広間になる。
それは撮影さえ許された大掛かりな舞踏会、むろん大勢が招待される。当代の権勢を鑑みれば当たり前のことであるし、おまけに貴下の諸将も大勢招いている。
そして入ってきた招待客は皆驚くことになる!
この舞踏会にアマーリエとエリザベートがいるではないか。先の内乱の結果、社交界から追放されたはずではなのに。
それも主賓級の扱いでもって社交界の席に復帰している。事前に知らされていたサビーネやごく少数の者は驚かずに済んだが、そうでない者たちは驚くばかりだ。
この舞踏会の意義はそこにあった。
ブラウンシュバイク家の二人が社交界に復帰、つまり処罰は完全に解かれたということをはっきりと印象付けるための舞踏会なのである。
だがしかし、ダンスの時間が始まっても、誰も二人の手を取ろうというものは現れない。
誰しもが戸惑い、保身のために目立つ行動は避けたい。
このままではいけない、とラインハルトは考えて広間の隅に歩み寄る。
「メックリンガー中将、オーケストラが始まるとピアノを弾く卿は暇だろう。そこで卿に命ずる。アマーリエ夫人とのダンスの口火を切るのだ」
「謹んでお受けいたします、閣下」
とは言ったもののメックリンガーにははた迷惑であった。
ピアノや絵画ほどダンスは上手くはない。
まして注目度が半端ない。顔に出さず必死でその職務を始めた。
「まあ、あの人。私と踊るより上手いじゃないの。私との時は手を抜いているのかしら」
本人の気も知らず、メックリンガー中将の芸術面のパトロンであるヴェストパーレ男爵夫人がそれを見て眉間に皺を寄せる。
「今度の芸術コンクールでは点を入れませんから、覚悟してらっしゃい」
そのころ、橙色の髪を持つ長身の提督が広間をこっそり出ようとしていた。自分を忠義の者と心から思っているが、ダンスの命令だけは受けたくない。自信の欠片もないからだ。
なんとか目に留まる前に抜け出さなくてはならない!。
しかし、その様子を参謀のグレーブナー准将に見つけられる。
「ビッテンフェルト提督、どちらに行かれるのですか」
「馬鹿、声を出すな!」
ビッテンフェルトは慌てる。あまりにグレーブナーは空気が読めなかった。
「提督、それはいったいどういうことで」
「貴様この状況がわからんのか!」
グレーブナーの首を乱暴につかんで広間から出る。
「黒色槍騎兵だって、撤退するときには撤退するのだ!」
ラインハルトは広間を眺め渡した。
なぜかミッターマイヤーがあたふたとエヴァンゼリン夫人と踊り出した。その夫婦の舞踏を中断させてまで命令するには忍びず、ラインハルトも諦める。
ブラウンシュバイク家の二人とダンスをさせるべき、めぼしい提督がいない。
ミュラーはフロイライン・マリーンドルフと踊っている。
こんな時こそ、と思ったがロイエンタールが見つからないではないか。さては最初に踊った相手と出て行ったな。
空いているとはいえさすがにケンプには無理だろう。
この場にアンネローゼはいなかったが、キルヒアイスに相手をさせるのもためらわれた。
ラインハルトは自らが歩み、エリザベートに近づいた。
「フロイライン、ダンスのお相手を」
「ええ、喜んで。ラインハルト様」
ラインハルトに手を重ね、エリザベートはダンスを始める。
決してエリザベートはダンスが得意ではなかった。
今もラインハルトの見事なリードでやっと踊れている。
そのダンスを見ているサビーネには嫉妬のようなものは湧かなかった。
あまりにエリザベートが幸せそうに見えたからだ。静かに、しかし情が溢れている。
エリザベートはというと、自分のダンスを気にしてなどいない。
周りの目も考えていない。
ただひたすら幸せだった。
この時、それだけを心の内に噛みしめる。
たった一つの思いに満ち溢れている。
エリザベート、その生涯で最高の幸せだった。この時を永遠に忘れまい。
次回予告 第五十一話 奇妙な一行
いよいよ謀略の始まり・・・