見つめる先には   作:おゆ

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第四十九話 宇宙暦798年 三月 バルバロッサ、全速前進!

 

 

 帝国宰相リヒテンラーデは尚も続ける。

 

「まあそれはよい。それは侵攻に成功したあとのことじゃ。話を戻すが、叛徒に攻めこむにはまだ艦隊は足らぬようじゃ。アムリッツァではなんとか勝ったというだけで、向こうよりも帝国軍がしたたかにやられたからの」

「御意。宰相閣下、戦略上必要な艦隊をそろえるには、あと数年は要します」

「そうか。短いようじゃが、他の者は待てるとしてもこの老人に数年はちと厳しいものじゃ。ヴァルハラに行ってから叛徒の平定を眺めるのは芸がないのう」

「何か、お体が悪いのでしょうか?」

「いや、ものの例えじゃよ。それに、儂には帝国の行く末を全て見ることはどのみちできん」

 

 この点においてもラインハルトには既に策がある。悠長に数年待つことをせずとも帝国が圧倒的に優位になるためのものが。

 

「しかし、艦隊を増やすのではなく相手を減らせばそれで達成できることでもあります」

「相手の方を減らす、かの」

「やってみたい事がございます。謀略の類いなので気は進まないのですが、待つ期間を減らせるでしょう。それに失敗しても帝国に損はありません」

「ではそれを聞こうとしよう」

 

 

 実はリヒテンラーデはこの会談の前に安全保障局長のオーベルシュタインと会っている。

 

 いや、このところしばしば会っている。

 それは様々な謀り事を話し合い、協力するにはお互いしかなかったからである。

 謀略を駆使する貴族は一掃され、更に今の憲兵隊は後ろ暗さからは無縁のケスラーが統括している。

 だからこそ二人は緊密な協力体制にある。

 オーベルシュタインは権威の後ろ楯を必要とし、リヒテンラーデは実働部隊を必要とした。

 

 そこで驚いたことにオーベルシュタインがラインハルトと同じことを言っていたのだ。

 

「イゼルローン要塞を陥とすのは、必須ではなくむしろ無駄です。フェザーン回廊を帝国軍が通ればいいだけのこと。そうすればイゼルローン要塞などただの置物に過ぎません。艦隊にしても向こうの政体も決して一枚岩ではなく、焚きつければ燃え上がる火種の一つや二つはあると存じます。そこを突いて同士討ちにでも持ち込めば戦略的な準備は整います」

 

 オーベルシュタインとは非凡な男だ。

 ローエングラム公と寸分違わぬ発想を持てるとは。

 もちろん、ローエングラム公は戦略眼だけではなく、実際の戦いに際しても天才的な能力がある。またその群を抜く華やかさは諸将を率いるにふさわしい。士気を高めるカリスマを持つ生まれながらの軍神だ。

 だが、戦略眼を言うのならこのオーベルシュタインも引けをとらないではないか。

 

 そのオーベルシュタインとの話し合いでは続きがあった。

 

「フェザーン回廊を帝国軍が通るとすれば、やはり奴めが邪魔になるじゃろうの…… いかなる手段を取っても妨害するに違いない」

「御意。純粋な戦力でいえばフェザーンはものの数ではなくとも、情報と経済の面で容易ならざる力を持っております。帝国にとって不運なことに現在の自治領主アドリアン・ルビンスキーはまことにもって有能に過ぎます。なんとかせねばなりますまい。帝国軍が武力で占領しても経済や物流を混乱させられれば打撃は大きいものになり、下手をすれば侵攻どころではなくなります」

「奴は帝国と叛徒を手の平で操っておるつもりじゃ。悔しいが情報と経済は向こうが上手。使い方もよく知っておる」

 

 フェザーンは経済支配と情報で帝国も同盟も裏で操作できていた。

 それこそアスターテでラインハルトが見せた天才というような不測な事態がなければ、計算違いをすることはなく、全ては意中のままである。

 それに経済だって別な使い道がある。金の力で祖国を裏切るものなど枚挙にいとまがない。

 

「儂の目の黒いうちにフェザーンの狐を狩っておかねばならぬ」

 

 リヒテンラーデがそう締めくくった。それを自分の仕事と認識している。

 

 

 

 

 ラインハルトがリヒテンラーデに提案した謀略に取り掛かろうという時、一つのニュースが飛び込んできた。

 

「ヴェスターラントにて反乱発生」

 

 それは小さな報告だった。

 宰相、国務尚書、軍務尚書などに宛てた通信ではあるが重要事項の中にも入れていないくらいだ。

 

 

 それを聞いたラインハルトは不思議に思った。

 

「またしてもヴェスターラントで叛乱とはおかしいな。ブラウンシュバイクが無理やり取り上げた税を戻し、恩赦を与えたのだ。それで収まっていたのではないか?」

 

 ヴェスタ-ラントは帝国にとりさして重要な惑星でもないが、先の核攻撃の当事者でもあり、引っ掛かるものを感じた。

 

「確かにおかしいですね、ラインハルト様。少し調べてみます」

 

 キルヒアイスも同様に思ったようだ。

 軍務尚書と上級大将、それが二人の現在の地位だが、キルヒアイスは相変わらず無二の親友である。

 しかもこれ以上なく意思疎通ができる副官でもあり、まして信頼という面なら全くそれ以上はない。キルヒアイスがいれば他に副官はいらない。より細かい案件は新たに登用したシュトライトが片付けるからそれでいい。

 

 ヴェスターラントの叛乱について詳細を調べるためにいったん退室したキルヒアイスが、そのわずか三十分後戻ってきた! しかも珍しく慌てている!

 

 

「廊下を走ってきたのか、キルヒアイス。幼年学校以来だな。姉上にも言いつけるぞ」

 

 キルヒアイスが慌てているのがラインハルトには面白い。そんな軽口も言いたくなる。

 

「それどころではありません! ラインハルト様、ヴェスターラントでの反乱の原因と実情がここに」

 

 手に持った略式の報告書を直ぐに見せる。

 それをラインハルトが斜め読みしたが、視線がしだいに早くなる。

 

「そんな馬鹿なことが! いったい誰がこんなことを!」

 

 それは精彩に満ち、ラインハルトらしい激発である。

 

 

「行くぞキルヒアイス! 今すぐだ!」

 

 気が急いたラインハルトは宇宙港に行く手間すら惜しんだ。

 できるだけ速く、速く、行かねばならない。手遅れになる前に。

 

「キルヒアイス、そっちの方が速い。借りるぞ」

 

 艦としてラインハルトのブリュンヒルトよりキルヒアイスのバルバロッサの方が速い。バルバロッサは総旗艦ではなくキルヒアイスの戦い方に合わせた突撃仕様なのである。

 それを選択すると、躊躇なく宇宙港から軍務省に迎えに来させた。

 今は形式や手順などに構っている場合ではない。

 

「ラインハルト様、バルバロッサはいつ何時でも発進用意はできております」

「そうか、さすがだな。キルヒアイス」

 

 

 軍務省の庭で二人はバルバロッサに乗り込み、直ちに宇宙に向けて出立した。

 

 向かうはあのヴェスターラントだ。

 

 そのけたたましい騒音に官庁街の皆は上を見て驚く。なんとここに戦艦がいるではないか。

 どうしたわけだ。

 もちろん皆はその原因を知りたがり、それを知るともっと驚くことになった。

 

 

「ブラウンシュバイク家アマーリエとエリザベート、ヴェスターラントに強制移住後、叛乱にあい通信途絶」

 

 それが真相だったのだ。

 

 

「何ということだ! こんなことをするとはおそらくブラウンシュバイク家に恨みを持つものの仕業だろう。しかしこれほどの嫌がらせがあるだろうか!」

 

 バルバロッサの艦上でラインハルトとキルヒアイスが話し合う。

 

「ラインハルト様。あのブラウンシュバイク家の生き残り二人に恨みを持つ者は多いでしょう。ですから、もう少し気を付けていれば、と悔やまれます。本当に」

「言うなキルヒアイス、これは俺の責任だ。しかし移住先の惑星といってもまさかヴェスターラントに送られてしまうとは。うかつだった」

 

 ラインハルトはエリザベート嬢の境遇を思いやって気持ちが沈んだ。

 

「俺は確かにあの嬢と約束をしたのだ! これから穏やかな生活を送れると。だが、穏やかな生活どころか実際は針のむしろに置かれたようなものだったろう。ヴェスターラントの領民は、みな骨の髄までブラウンシュバイク家を憎んでいるはずだ。領民全員からの恨みを受けて、どんなに日々苛まれ苦しみ続けてきたか…… 手遅れにするわけにはいかない。俺が責任を持って救い出さねばならん!」

 

 ラインハルトの変わらぬ純粋さの発露を見て、キルヒアイスは目が優しくなる。

 

 ラインハルト様は昔とちっとも変わらない。

 並の為政者なら住民の叛乱にかこつけてブラウンシュバイク家が根絶やしになるのをむしろ喜んで待つところだ。その方が利がある。

 だがしかし、それは正義ではない。

 正義とは、約束を果たすことだ。エリザベートが優しい日々を送れるようにすることである。

 

「俺はあの嬢に約束したのだ! 絶対に助け出す! そして今度こそ心配のない生活を送らせる」

「はい、そうですね。ラインハルト様」

 

 

 

 一方、その頃エリザベートは逃げ道が失われたのを悟った。

 

 館からヴェスターラント唯一の宇宙港までの道は封鎖された。

 この緊急時、強制移住とはいってもヴェスターラントから出ることは許されたはずなのに、現実問題としてもはやヴェスターラント表面からの脱出は不可能になった。

 

 どうしよう。

 ただおろおろして泣いているばかりの母アマーリエを連れてはどのみち他へ遠く逃げることもできない。隠れても時間の問題だ。

 

 どうしてこうなったのだろう。

 

 ラインハルト様という黄金色の若者にリッテンハイムの大広間で助命された。

 処刑を覚悟していたのに、思いがけず助けられたのだ!

 

 とても嬉しかった。

 死ななくて済んだという以上に、そのラインハルト様が配慮してくれたという事実が嬉しくてたまらない。自分のことを考えて憐れんでくれたのだ。

 

 オーディンに住まなくとも、華やかな貴族生活がなくともエリザベートに不満はない。

 

 ささやかに暮らしていければいいのだ。

 

 しかし追放された先の移住場所は、なんとヴェスターラントだった!

 この事実に自分も母も、何人かの従者も凍り付いた。

 

 ヴェスターラントは父が核攻撃を命じた惑星だ。

 辛くもミサイルは逸れたために被害はなかったということなのだが、しかしその巨大な爆発はいかばかりだったろう。当然、領民は全てブラウンシュバイク公が焼き尽くそうとした事実を知っている。

 反乱の契機になった重税などもうどうでもいい。虫けらのように業火で焼いて駆除しようとしたブラウンシュバイク家への憎しみで溢れた。

 

 その後のヴェスターラントが帝国直轄領として統治されたなら素直に従ったろう。当初頼って庇護を得ようとしたリッテンハイム家に帰属したとしても不満はない。

 

 だがしかし、何とブラウンシュバイク領のままにされたのだ。

 その理由がこれだ。事もあろうにブラウンシュバイク家の人間が来る。

 

 

 

 これで治まるはずがあろうか!

 

 当初、あからさまな反乱はない。

 しかしブラウンシュバイク家のこの二人に対し領民は決して笑顔を見せることはない。

 和解も宥和もない。

 

 更には嫌がらせが延々と続くことになる。明らかに無力なこの二人を苦しめるために。

 

 住む館には夜ともなるとほぼ毎日のように投石が続いた。

 二人は窓ガラスの割れる音に眠りを妨げられ、怯える日が続いた。石ではない時もある。紙に焼け焦げて炭になった肉が包まれ、投げ込まれたこともあった。

 開いてみると紙には「人の肉でなくて悪いな。しかも炭だが核で焼くよりは生焼けだ」と書かれてあった。

 その強い憎しみに震え上がるしかない。

 

 食事も貧相なものだ。どうしたのか従者に尋ねても食材が手に入らないと言うばかりである。それは事実で、もちろん領民が素直に売るはずもない。

 

 最初は皆で耐えた。

 しかし、そのうちにへらへら笑って「無いものは無いんでさあ」という者が出てきた。この二人を裏切り、虐めに加担して住民の歓心を買い自分だけ便宜をはかってもらうためだ。従者の中でそういう者が続出しついに二人は孤立無援になった。

 館の中にいてさえも心休まらない。

 

 どんなに領民と仲良くしようと努力しても無駄だった。

 ごく稀には「この二人には罪はない。つまらない虐めはやめるべきだ」と言ってくれる者がいたが、すぐに姿を消した。おそらくは他の領民が圧力をかけて遠ざけたのだ。逆に言えば圧力に負けず二人を守る義理など誰にもない。

 

 

 エリザベートは移住すれば、本を読み、穏やかな生活を送れると当初思っていた。

 行く先がヴェスターラントと聞くまでは。

 

 今までよりもむしろ領民と近くなり、手を振って笑い合うことさえ夢想していたのだ。

 時々は舞踏会も祝会もあるだろうと思っていた。領民と質素ながらも微笑みを交わしながら。

 

 そんな夢はこれ以上なく残酷に破れた。

 

 少女の希望は断たれ、それどころか今は生きていける見込みさえ立たない。

 

 

「ああ、私たちは騙されたのよ、エリザベート。助けるふりをして私たちを生き地獄に置いたんだわ。きっとそれが最初からの狙い、今頃あの若者も高笑いよ!」

「そんなことはないわ、お母様。他に悪い人がいただけで、あのラインハルト様が騙すはずがないもの」

 

 それだけにはエリザベートに確信がある。

 あの黄金の若者が、こんな惨いことを考えるはずがない。

 私に穏やかな生活を送れると約束してくれたのだ。

 

「エリザベート、あなたは若いから人の裏表が分からないのよ……」

 

 それは違う!

 

 ラインハルト様だけは違うのだ。

 

 そう信じる心だけは、どんなことがあっても変わることはない。

 そう、信じたくて信じているのではない。心で分かるのだ。私には分かっている。

 

 

 

 




 
 
 
次回予告  第五十話  幸せの時

今、少女の心は熱く……

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