第四十四話 宇宙暦797年 七月 アイランズの矜持と自由の国
帝国のリップシュタット戦役が終わって間もなく、二隻の帝国軍戦艦がイゼルローン回廊に姿を現した。
そして同盟軍哨戒部隊に敢えて隠れもせず接近すると驚くべきことを言ってきた。
「イゼルローン要塞に連絡願う。我らは敵対行為に来たのではない。帝国からの亡命を希望する。ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ並びにアーダルベルト・フォン・ファーレンハイト、亡命を希望する」
この連絡が入り、イゼルローン要塞は大騒ぎになる。
通常の亡命者ではない
将帥であるだけでとんでもなく珍しいことなのに、この場合は帝国軍でも著名な宿将と烈将が連れ立って亡命してきたのだから。
これは簡単に返事ができないほど政治的に重要な案件だ。
要塞のヤン・ウェンリーは同盟政府へ直ちに報告すると同時に、その帝国戦艦へ通信を送る。
「要塞駐留艦隊司令官ヤン・ウェンリーがお二人とその従員の方たちの受け入れを約束いたします」
正直これはヤンのフライングともいえる。受け入れについてはあくまで政府が決める問題である。
しかしヤンとしては、その二人がやむにやまれず亡命してきたと思っているし、ならば安心させてやりたい。今まで帝国に忠勤を励んできた者が亡命とはそれだけで苦渋なのが察せられる。
しかも亡命受け入れは同盟の国是ではないか。
ところがヤンの意に反し、しばらく待っても政府から確たる返事が返ってこない。
同盟政府も揺れていたからだ。
その二人は名声の大きい帝国軍の将であるが、おそらく次の帝国の為政者からは反逆者と見られている。うかつなことをすると今後の帝国との関係に影響するかもしれない。ここは慎重さが必要だ。
今の政府にとって帝国とのことはあまり触れたくない事項なのである。
前政権のサンフォード評議会議長は軍事に手を染めたがゆえに失敗した。それと同じ危険は冒したくない。軍事に手を染めたら支持率は落ちてしまう。
その二人の将を受け入れて帝国が何か言ってきたらどうするのだ。
何もしないのが一番なのだ。少なくとも自分が政権にいる期間だけは。
「同盟政府として亡命受け入れについてまだ決定はできない。両名をハイネセンにて尋問し、背後関係を明らかにした後の話で改めて検討する。ヤン提督は両名を拘束しハイネセンへ連行すべし」
同盟政府からこうイゼルローン要塞に連絡がきた。
これを受けて、珍しくヤンが目に見える形で怒りを示した。
「何だって! 個人が自由の国に亡命してきたんだ。その原理原則をなぜ忘れてしまう! 罪人でも捕虜でもない人間をどうして尋問にかけるというのか」
ヤンの周りの人間はその発言に同意する。しかし、ヤン・ファミリーの中で常に規則と常識を唱えることが役割のムライがここで異を唱える。もちろん政府に賛成して言っているわけではない。
「提督、お気持ちは分かります。しかし同盟政府がそういう以上、こちらは従わざるを得ないでしょう。なるべく丁重にハイネセンに送るくらいしか、我らにできることと申しますと」
フレデリカもヤンの気持ちは痛いほどわかる。
今やってきた帝国軍の二人の将は、寄る辺もなく同盟に来たのだ。
ヤンは同盟の精神からそれを受け入れようと思っている。
フレデリカが嬉しいのは、ヤンがそういう原則以上に暖かく受け入れようとしているからだ。理由があって帝国から弾かれた人たちだ。ヤン・ウェンリーを頼ってきた。ならばそれに最大限応えたい、と。
私の想い人は優しい性格の人なのだから。
それが正しいことなのかはわからない。だがフレデリカに分かることは、そう決めるヤンが自分はどうしようもなく好きだということだ。
ヤンはますます政府というものが嫌いになるだろうが、軍人である以上政府に従わなくてはならない。それもまたヤンの固持する民主主義なのだ。
「何か方法はないものか…… ハイネセンへ送ってしまえば良くて軟禁だろう。下手をすれば、帝国軍の情報を搾り取られて尋問が果てしなく続くことになる」
考え続けるヤンは一つの案を思いつく。
「そういえば、イゼルローンはエル・ファシルに近い。フレデリカ、名医がいるのはエル・ファシルだったね?」
「ええ、そうです、提督。あのアンドリュー・フォーク准将を診てもらっているドクター・ロムスキーのことでしたら」
「それじゃあ決まりだ! 二人の将は逃亡のため体を壊し、すぐに移送はできない。エル・ファシルでしばらく療養の必要あり、だ」
このごまかしに単純に喜んだのはアッテンボローだけだ
「いや、さすがに先輩、悪知恵はよく回りますね」
しかしながら他の皆はもっと難しい顔をした。
「お前さんの仮病は士官学校時代の得意技だったな。でもこの場合は難しいぞ」
アレックス・キャゼルヌが腕を組んで言う。
ムライがやはり代表して言葉を継ぎ足す。
「ヤン提督、それでは政府に対する欺瞞というもので、命令違反と何ら変わりないと思われますが」
「う~ん、そう言われればそうなんだが」
頭をかいて、ヤンが説明をしようとする。
「これは政府に対する一つのメッセージなんだ。おそらく政府でも両将の尋問などしたくない人もいるだろう。目先の利益にくらんで同盟の精神を忘れた政治家ばかりではないと信じたい。皆の意見をかき消すほど大きい声で言えないだけで。ただし、両将が病気療養やむなしということなら主張できるだろう。たとえ、これが欺瞞だとわかっていたとしても。そういう人に機会を与えるのさ」
イゼルローン要塞からハイネセンへ連絡が行く。亡命希望の両将は病気療養の必要あり、エル・ファシルでの治療が妥当だと。
待つこと数日、果たしてヤンの期待通りの答えが返ってきた!
「やむを得ず帝国軍の二人の提督はエル・ファシルにて療養のこと。ハイネセンへの移送は療養が充分終わるまで延期とする。他の帝国軍随伴もそれに準ずる」
その真相は、国防副委員長のアイランズが他の声をなんとか押し切ったからである。
アイランズは同盟の精神を保つ気骨の政治家だった。
それに理念という以前に亡命者を思う暖かさも備えていたのだ。
一方で総務委員の諜報部と、同盟軍の情報部は二人の将を直ちに尋問することを強く主張していた。いくばくかでも情報を搾り取るために。他の政治家たちといえば、確たる意見もなくそれになびいているだけだった。
他者に対する無関心に染まった政治家はどれほど冷たいことでもできるものである。
それらを押し切った。アイランズ独特の言い方で。
「同盟が恥知らずの国になるのはたまらんよ。亡命を受け入れないのでは、建国の理念に反するだろう。理念より利益、冗談じゃない。それはどこの国の話かと言われるだろうよ。少なくとも名前に自由と入っている国のことじゃない」
それを聞く政治家たちは恥じ入ることがない。
それにはアイランズも嘆息するが、とにかくヤンの目論見はこうして形にできたのだ。
それと同じ頃、オーディンでささやかなる、といっても並みのパーティーよりよほど派手な祝賀会が開かれた。
しばらくは浮かれた気分でリッテンハイム陣営の貴族はパーティーを重ねることになる。
正直無駄な浪費だが今ぐらいは仕方のないことかもしれない。
正式の戦勝祝賀会は後でもっと盛大に催されるが、そこではサビーネの戴冠式の日程などが発表される予定だ。
今日の祝賀会はリッテンハイム侯が気まぐれで開いたものである。
その席上、ミュラー艦隊の書記官に就いているヒルダがラインハルトを見てつぶやいた。
「あの方は、これで満足したのかしら…… 帝国内ではもう軍事的には比肩する者がいないほどになったのだから」
それを側で聞いてしまったミュラーが尋ねる。
「フロイライン・マリーンドルフ、ローエングラム公のことですか。艦隊戦では危なげなく勝ちました。まさに圧勝です。そんな結果にも公が満足できないと?」
「いいえ、ミュラー閣下。わたくしの迂闊な発言で誤解させてしまいました。このリップシュタットの戦いの結果に対しての話ではありません。勝ったのは当然でしょう。ですがこれから戦いがなくなってしまうことに満足するのか、という意味です」
この内容は深い。ミュラーもちょっと考えてから言った。
「…… なるほど。しかし現実的に戦いは当面ないでしょう。内乱は決着が付き、戦う相手がもういませんから。敢えて言えば叛徒ですが、向こうは再び手を出すつもりはないようです。フロイラインは心配ですか?」
「あの方の覇気は衰えません。戦いによって輝きます。戦うことは必然ではないかと」
「ローエングラム公は才能はあっても無駄に戦いを起こすような短慮な方ではありませんよ。それにあの副官がいらっしゃる限り、間違ったことはなさらないでしょう」
もちろん、ミュラーはキルヒアイスのことを指して言っている。
それがラインハルトの苛烈さを弱め、ほどよいものにしていることは誰でも知っている。
ヒルダも全くそう思う。
そしてヒルダは全く違うもう一つ別のことも思った。
このミュラーという将の前では私は何でも話せる。先の話も不敬といえば不敬なのだが、思ったままを話してしまった。
年若いのに何でも柔らかく受け止め、こちらを理解して話を返してくれる。
だからヒルダも余計な気を回さず、自分が自分のまま自然でいられる。
ヒルダは情報収集の一環としてラインハルトの各将の評判も聞いていたが、それによるとミュラーはその柔軟防御において将たちの中でも随一の腕前とのことだった。それと今のような柔らかな会話と関係があるのだろうか。いつも包まれるような優しさだ。
仮に、今視界に入っているビッテンフェルト提督の前だったら自分はこんな話をできなかったろう。
メックリンガー提督とも方向が違う。
アイゼナッハ提督ならそもそも会話ができるかどうかも怪しい。私には手話、というよりも指話はできない。
そんなことを考えながらヒルダはもちろんローエングラム公のところへ挨拶に行った。
「戦勝のお祝いを申し上げます。閣下。さすがの戦いでした」
「素直にありがとうと言おう、フロイライン・マリーンドルフ。こちらに賭けたフロイラインに報いることができそうだ」
「いいえ、最初から私は賭けたつもりはございません。ローエングラム公が勝つのはわかっていることでしたので。今回の結果は確認できたまでのことです」
そんな二人を見つけて、あわててサビーネが近寄る。
ラインハルト様にまたあの短髪の女が来た。これは危険だ。
「これはマリーンドルフ伯爵令嬢、これからもどうかよろしく」
「サビーネ様、我がマリーンドルフ家、どうかよしなにお願いいたします」
しかし少なくともヒルダにそんな争う気もなく、サビーネの内心など知る由もない。
二人の若い嬢は互いに型通りの挨拶をした後、どちらもラインハルトを見た。
すると何とラインハルトの方はその二人のどちらも見ていなかった!
その視線の先には、かつてラインハルトが見たことのある者がいた。
義眼の陰気な男だ。
あの者が、なぜ、ここに。
次回予告 第四十六話 宇宙歴797年 八月 キルヒアイス対オーベルシュタイン
火花を散らす二人、お楽しみに!