マリーンドルフ伯爵家といえば代々帝国の文官を輩出してきた名門の家柄だ。軍事力は全くないものの、他の貴族への影響力は小さくない。ラインハルトは直接話をしたことはないが、現在の伯爵家当主フランツ伯は識見のある立派な人物ということで知られている。
今、その一人娘のヒルデガルトが訪問してきたというのだ。
目的は分からないが拒む理由もない。即刻会ってみる。
「御意を得ます、ローエングラム公。率直に話してよろしいでしょうか。今回、もはや帝国の内戦は避けられません。ブラウンシュバイク公は軍事力を集めて誇示し、一方ではリップシュタットの盟約のようなものを出してリッテンハイム侯の退路を断っています。両家はもはや宥和できなくなりました。皇位継承者のブラウンシュバイク家エリザベート嬢とリッテンハイム家サビーネ嬢は真逆の運命にならざるを得ません。どちらがどうなるかは分かりませんが」
確かに率直な物言いだ。ラインハルトは興味を持った。
もう一つ、このヒルデガルト嬢の見かけもあまり見ないものだ。整った顔立ちはともかく、ブロンドの艶やかな髪を貴族令嬢ではとても考えられないざっくりとした短髪にしているのだ。
しかもドレスではなく乗馬姿のような機能的な格好である。
これだけで並の貴族令嬢でないことがわかる。才気あふれるヒルデガルト嬢はなるほどマリーンドルフ伯爵家の大事を任されたのだろう。単なる伝言を伝えるために来たのではなさそうだ。
「確かにその通りだフロイライン。しかしそれを指摘した上で、こちらに何の話があるのだろう」
「では早速本題に入りましょう。わたくしも迂遠な物言いは好みません。近く始まる内戦では実力の試される戦いになりますが、中でもローエングラム公は重要な役割を果たすと考えています。そのおつもりでございましょう。そこでマリーンドルフ家はローエングラム公の側に付きたいと思っています。それを了承して頂きたく参上いたしました」
「その見返りは当然伯爵家の保全だろうか。しかしそのことについて話す前に、どうしてマリーンドルフ伯爵本人が来られないのか」
「父は私に任せております。政治的なことは全て。ですがこれについては、よく話し合って決めたことです。伯爵家の命運がかかりますので」
「わかった。伯爵が任せたのもわかる気がする。それではもう一つ。どうして私のところに来られた。こちらがリッテンハイムと結ぶことは明晰なあなたなら分かっているだろう。本来ならリッテンハイム侯の所に行くべきではないか? マリーンドルフ家はそもそも軍事ではなく貴族家の間に影響力を持つ家柄、きっと歓迎してくれよう」
ここでヒルダはきっぱりと言い切る。
どちらの陣営に味方するか、それを言うために来たのではない。真意はここにこそある。
「先ほど申し上げました。マリーンドルフ家はローエングラム公に付くのです」
「なるほど、それは面白い」
そういうことか。
最後の勝者はリッテンハイムではないと言いたいらしい。
こちらとリッテンハイムとのつながりはかりそめのもの、いずれ破綻するのを見越しているというわけか。俺が帝国内の争いで最後まで勝って残ると踏んでいるわけだな。
「どうして私が勝ち残ると? 今、貴族の勢力はブラウンシュバイクの方が強いぞ。艦隊は明らかに向こうの方が大きい。戦えばどうなるかは分からない」
「閣下、そんな問答は時間の無駄と存じます。才能も他の将帥からの信頼も、ローエングラム公以上の方がいるでしょうか」
「…… ではもう一つだけ言っておかねばならない。皇位継承者はあくまで皇孫二人のうちどちらかであり、つまり私ではない」
「全ての物事は流転するもの。永遠に確固たるものなど存在しません」
ますます並みではない。
軍の将がそれを言うのは分からないでもないが、マリーンドルフ家は帝国の名門貴族であり、今の帝国帝室に寄り添ってきたのだ。帝国の在り方まで変わるとは何と大胆な考えであり、その発想は突き抜けている。
「そこまで買ってくれてありがたい。それでお互い何を持ち寄ろうというのか。パーティーならワインかプレゼントを持ち寄るものだが」
「それでは申し上げます。マリーンドルフ家の忠誠とその政治的効果を持ち寄ります。軍事面以外のそれらは閣下にとって後ほど必要になるはずのものです。見返りにマリーンドルフ家の庇護を持ち寄って頂きます。その上で事を成就させるパーティーを開きましょう」
この嬢には俺の野望が見えているのか。全く新しい帝国の姿も。
「わかった。マリーンドルフ家の協力を受け入れるとしよう。それではフロイラインに艦隊の書記官としてでも職を用意する。マリーンドルフ家がこちらと共にいることを分かり易く示すために」
即断即決で会談は終わった。貴族家の全てを破棄する考えでいたラインハルトだが、志を理解した上での味方がいるのは望ましい。であれば保護し、共存共栄でいい。
一方、退出したヒルダは力が抜けた。
さすがはローエングラム公、その覇気は周囲を圧倒する。自分で分かっているのだろうか。その野望のことなどきちんと見れば筒抜けのことなのに。リッテンハイム侯は自己保全のためにそれがまるで見えていない。
しかし改めて確信した。この帝国の争い、勝つのはローエングラム公だ。マリーンドルフ家が身を寄せるのはあの黄金の若者しかない。
ブラウンシュバイク側艦隊との決戦に先立ち、リッテンハイム家およびそれに従う貴族家と、ラインハルトと麾下の諸将たちと、親睦のための舞踏会が開かれた。
そこへオーベルシュタインは参加していない。
リッテンハイムのところにラインハルトが来る前にオーベルシュタインはいったん隠れることにしたからだ。ラインハルトに下手に感づかれてはまずい。
オーベルシュタインはリッテンハイム侯をしばらく操り人形にすることに徹する。
最後の最後にゴールデンバウム王朝を倒し、ルドルフの血筋を絶やし、ついでに民衆に善政が布ければそれでいいのだ。
それがオーベルシュタインの望みである。
自分の栄達はそのついでに過ぎず、ラインハルトに参画するのはある程度ことが終わってからで充分である。
さて、この舞踏会にはヒルダも参加し、マリーンドルフ伯爵家が陣営に加わることをラインハルトからリッテンハイム侯に改めて伝えられる。
「おお、マリーンドルフ家か。帝室に忠義の家柄だ。さすればこれからもこちらに忠義を尽くすがよい」
「ありがたき幸せ。これから精いっぱい助力する所存でございます」
ヒルダにとってリッテンハイム侯からの了承や空手形など何の感慨もないのだが。
この舞踏会でラインハルトはサビーネ嬢と美しい舞を披露する。
動いていなくとも他を圧して見栄えのする二人である。尚更その舞は人の目を引き付けてやまない美に溢れていた。
眺める貴族にとっては、しばし現状を忘れられるいい時間になった。
リッッテンハイム側の貴族たちはこのところの情勢に気分が暗くなる一方なのだ。
こちら側が不利、そしてブラウンシュバイク公が圧倒的に優勢であり、益々はっきりしてきている。
未来は暗い。もっと早く見限ればよかった。このままでは破滅だ。
ここでラインハルトは貴族たちが驚くことを言う。
「今回のブラウンシュバイクとの戦いは、引き連れてきた帝国軍の艦艇三万七千隻だけで事足りる」
何を言い出すのか! ブラウンシュバイク側は十一万隻以上にもなるのに。
「リッテンハイム侯には感謝するが、その手を煩わすこともなく、今回の戦いに私領艦隊の助力は必要ない」
これには貴族が困惑してもラインハルトの連れて来た諸将には驚きはない。
ミッターマイヤーは苦笑するだけだ。
そこへ向け、目を合わせたロイエンタールがワイングラスを傾けて見せる。あくまで涼しい表情だ。この二人の認識はラインハルトと全く同じだった。
ビッテンフェルトなどは高揚した顔をしていた。
相手は三倍以上、これは戦いがいがあるというものだ。
「本来ならそのような高慢な考えはやめてできるだけ戦術的に有利な状況を作り上げるべきだと考える。それが戦略の常道というもの。だがしかし、今回の戦いは、ブラウンシュバイク側をして再び立つ能わざらしむることが目的だ。寡兵でもって敵の大兵力を完全に破れば、もはや立ち向かってくることはないであろう」
後々の心理的な効果を狙った戦略のために、あえて寡兵で構わないという宣言である。
目を白黒するリッテンハイム侯や貴族たちと、興奮するラインハルトの諸将たちを残して舞踏会は終わった。
その日のうちにほんのちょっぴりした動きがあった。
何とサビーネが父親を動かし、ヒルデガルト・フォン・マリーンドルフをラインハルト直属の艦隊ではなく、別の将の艦隊に付けるように取り計らった。
ラインハルトには特にそれについて意見はない。
ヒルダはミュラー艦隊所属の書記官として登録した。
どのみち戦場にヒルダを連れて行くつもりはなく、形だけのことだ。それならどこの艦隊でも政治的効果は一緒であろう。
サビーネは自分がこんな裏から手を回すような真似をしたことを恥じた。これは、いろいろな意味で恥ずかしい振る舞いであり、普段のサビーネらしくない。サビーネは事実上何でも許される立場にいながら、公正さと率直さを尊んできたのだ。むしろそんな手を臆面もなく使う貴族の女たちを軽蔑してきたのではないか。
しかしこの場合は違う。ラインハルト様の周りに女を置くことは避けたかった。
感じるものがあったのだ。あのヒルダという短髪の才幹あふれる嬢、ラインハルト様と精神的に近いものがある。女の勘だ。近くにいれば必ず二人は共鳴し、良いことにならない。
さあ、いよいよ艦隊が戦うために出立する。
予想戦場宙域はリッテンハイム侯私領星系とブラウンシュバイク公私領星系とのほぼ中間になる。兵力を存分に生かせる広い航路であり、小細工を弄する障害物など存在しないところだ。
どちらも決戦地へ向かって進む。
ブラウンシュバイクの側は私領艦隊を惜しまず出してきた。それが六万五千隻、リッテンハイム侯から裏切った貴族達の一万六千隻、そしてフレーゲル男爵などが帝国軍から連れて来た四万一千隻が加わっている。
予想すら上回る大艦隊だ。
それに対し、ラインハルトの側は変わらず三万七千隻であり、普通なら大艦隊と言うべきところだがブラウンシュバイク側と比べたら小勢でしかない。
ブラウンシュバイク側では特にフレーゲルが意気軒昂である。謀略ではなくついに正面からラインハルトと戦える機会が訪れたのだ。
もはや軍服ですらなく、貴族の服装をして艦橋に立つ。
薄手のマントを二重にして、左右に広がった大きな帽子までしている。中央にはブラウンシュバイク家の家紋を付けている。周りのシューマッハなどの軍服と際立っていて、戦艦の艦橋には滑稽だが、帝国貴族としての気分をそのまま表す格好だ。
「馬鹿な奴だ。死ににきたか。金髪の孺子め。今までの増長の罪を逃げずに塵となって贖え」
最初にブラウンシュバイク側艦隊の全体を統括するシュターデン中将から方針が伝えられる。
「大軍に用兵なし。基本は数の優位を生かし圧倒する。間断ない砲火で向こうの消耗を誘い、決定的崩壊を待つ。予備兵力一万隻、決定戦力として別動隊一万五千隻を用意する。全体の陣形は向こうの見て判断する。予想としては相手陣形よりやや左右に広げ、半包囲気味になるだろう。突進分断戦術を許さない充分な厚みを持ちながらそれを可能とする程の優位がこちらにはある」
これはさすがにシュターデン提督だった。
教科書通りの定石は外さず、危なげないものだ。
こうしてブラウンシュバイク側が待ち構えていると、やってきたラインハルトの艦隊は驚くべき陣形だった。
まるで常識外れの陣形だ。
なんと四千隻足らずの小艦隊の固まりが十個ほども縦につながってきたのである。
全艦突撃にしてはおかしい。迂回や陽動にも見えない。このまま戦えばただの戦力の逐次投入になるではないか。
いったい何を考えている。