見つめる先には   作:おゆ

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第三十八話 宇宙暦797年 四月 花の少女

 

 

 ラインハルトはリッテンハイム家と密約を結ぶと、間髪おかず軍事的な行動を起こす。

 自分と麾下の将たちとその指揮下にある三万七千隻だけを引き連れて帝国軍を脱した。

 本当なら帝国軍の全てを手に入れたいところであったが、欲を言っても仕方がない。それにこの数はラインハルトにとって全く不足のない数である。

 

 リッテンハイム侯とそれに与する貴族の私領艦隊四万隻足らずといったん合流する。

 本当ならリッテンハイム派閥の私領艦隊は本当はもう一万、あるいは二万隻も多かったはずだ。しかし、形勢がブラウンシュバイク側に有利なのを見て、向こうに寝返った係累が続々と出たのである。

 裏切った貴族の数は少なくはない。もろん大貴族の場合は寝返りはできない。警戒されて後でどのみち排除されるとわかっているからである。しかし、末端の貴族ならば寝返ることも可能だ。

 

 ここで情報が入った。

 ブラウンシュバイク側はその領地内のリップシュタットにある屋敷に派閥に属する全貴族を集めた。そこへは味方する帝国軍離脱組、おまけにリッテンハイム側から寝返ってブラウンシュバイクについた貴族までいる。

 そこで盟約を交わしたというのだ。

 エリザベート・フォン・ブラウンシュバイクが空位である皇帝の地位に座る。

 オットー・フォン・ブラウンシュバイクが国父として帝国宰相に就く。

 他の貴族や軍はその功績に応じて、見合った地位を得る。

 

 そして、これに敵対行為をしようとした者は断じて赦さない。

 

 要するにリッテンハイム側が今更赦しを請うても無駄である。帝国から消滅させる。

 そういう力強いメッセージを銀河帝国全土に放つ目的の盟約だった。

 これより帝国は全てブラウンシュバイク家が握るのだ、

 もちろんリッテンハイムの側からすれば、もはや退路はなくなったと同義である。一家郎党、まとめて命を絶たれる宣言をされたのだ。盟約の内容は予期できるものだったが、改めて宣言されると衝撃は大きい。

 

 実力はといえば、ブラウンシュバイク側の私領艦隊はまとめて六万隻を超える数であり、それにリッテンハイムからの寝返りを一万隻以上加えている。更にフレーゲルなどの帝国軍造反組を併せて十一万隻を優に超えている。

 巨大な勢力である。

 リッテンハイムの小勢など立ち向かうこともできまい。もし来るなら一揉みに消してくれる、とでも言いたげに余裕で待ち構える。

 

 

 そこに立ち向かう前に、ラインハルトは一応リッテンハイム家のサビーネ嬢に会った。

 仮にも婚約するかもしれないからである。ただし、ラインハルトはサビーネが拒めば婚約するつもりはなかった。そうなればリッテンハイム家など頼りにせず、独力で事を起こす。

 

 ラインハルトはそれまでサビーネ嬢と会話したことはなかった。

 舞踏会などでは見かけたことがあるのかもしれないが、記憶にない。単に関心がなかったからだが、それは別にサビーネに限ったことではない。

 噂で聞いた限りサビーネは頭は悪くなく、見栄えもたいそう美しいという話である。

 

 

 二人はリッテンハイムの館の庭園で会った。

 中央に噴水と池のある広い庭園だ。その池を見渡す天蓋付きの休み場が設けられているが、そこにつながる桟橋の上で。

 

「これは、ローエングラム公ラインハルト様、ごきげん麗しゅう」

 

 よく手入れされている庭園には各種の花が咲き乱れている。それらに負けているのでもなく、従えているのでもない。花たちと調和して祝福されているような美しい姿だ。

 ラインハルトが出会ったのは花の少女だった。

 

「フロイライン・サビーネ、お初にお目にかかります。ラインハルト・フォン・ローエングラムと申します」

 

 型通りの挨拶を返す。

 見た感じ、少女は噂通りの美しさだった。ピンクと赤のドレスを着ていた。

 ブロンドの直毛に大きな目を持っている。

 細面なのは父ウィルヘルムに似たのだろう。母クリスティーネはどちらかというとがっしりしたタイプだからだ。

 全体としては小柄だが立派な感じを受ける。

 姿勢が良く、動作の一つ一つが軽やかでありながらしっかりしているためだ。

 

 ただし、ラインハルトはそういう美は見慣れているためどうこう思うことはない。美しいものが見たければ、姉上でも、キルヒアイスでも、それこそ鏡で自分でも見ていればいい。

 むしろ、逆に醜ければ印象にも残り易かったろうに。

 

「今回は父が組んでしまったようで、ご迷惑でしょう。」

 

 ラインハルトは最初から意外なことを言われてしまった。もちろん、今回の密約にある婚約に関してのことだ。

 その簡潔な言葉の中にラインハルトに対する気遣いが認められた。

 少女の側がそれを言うとは意外である。

 本当ならサビーネは先代の銀河帝国皇帝の皇孫に当たる。

 もっと違う言葉であってもよい。極端には、下賤の者が婚約とは妾は絶対に認めぬ、という言葉であってもおかしくはない。汚らわしい、言葉を交わすだけで有難いと思え、こう言われても決して変ではない。

 それが違った。

 

 これは、とラインハルトは思う。年長者であるラインハルトが宥めるはずが先手をとって気遣われてしまった。

 

「フロイライン・サビーネ、いろいろな思惑の結果、婚約の話になりました。フロイラインにはさぞかし驚かれたと存じ上げます」

「確かに驚きましたわ。」

「そうでしょう。周りの都合で婚約とは正に人身御供に近く、大変なお気持ちかとお察しします。ただし形だけのことであり、内乱後にどうなるかは分かりません」

 

 ラインハルトは思う。そう、これは形は違えど姉アンネローゼの場合と何も変わらない。

 周りで勝手に決められ、利用された。

 しかも今回はラインハルトが利用する方に加担しているのだ。改めてそう思うと後悔する。

 今回の密約はすべきではなかった。その方が有利なことは確かだが、目の前の少女を利用してまで行うべきことなのか。いや、そうではない。実力でもってブラウンシュバイクを破り、自身の力で帝国を再統合したほうがよいのではないか。

 

 

「そうおっしゃいますか。けれども私は、決して嫌ではありません」

 

 サビーネの視線は真っすぐだ。

 

「ラインハルト様は迷惑だと思いました? こちらはもう一度言いますが、嫌ではありません」

「フロイライン・サビーネ、以前にお会いしたことがありましたか?」

「こちらから度々見ているだけでしたので、会ったとは言えませんわね」

 

 ラインハルトは知らないがこちらのことはよく見ていたという。それもまた意外なことだ。

 

「突然の婚約はラインハルト様に迷惑でしょう。他に誰か考えていた人がいるのでは? それが気になって仕方ありません」

「それはありません。こちらにはそんな考えていた人など」

「それなら、一つ安心いたしましたわ」

「フロイライン、先に言っておきますが、今回の婚約は都合というもので、特に意味などありません。それに強制された結婚というものは不幸のもとです」

 

 アンネローゼのことがまた頭をかすめる。

 

「ラインハルト様ははっきり仰いますのね。意味でしょうか。私には大きな意味があります。強制された結婚というのは、私の方ではそうではありません。たとえそうであっても不幸になるとは限りません」

 

 実のところサビーネにとってそれは自明のことだ。

 大貴族リッテンハイム家の当主ウィルヘルムと皇女クリスティーネとはそれこそ周りの都合とやらで結婚したわけだが、とても仲の良い夫婦で知られていた。

 サビーネは父と母のそんな姿を見て育っているのだ。

 よく知り合わないで結婚しても、決して不幸になるとは限らない。

 これがブラウンシュバイク家に育ったなら別の考えを持ったかもしれない。ブラウンシュバイク公とアマーリエはお世辞にも良い仲ではなく、ほとんど共に暮らしていないらしい。

 

「少なくとも、幸せになるように二人で努力することはできるはずです。私の方は努力するとお約束いたします」

「仰る通りです。フロイライン。結婚したなら必ずその努力をすることを約束します」

 

 二人の運命は重なる方向へ動き出す。

 歴史はそれについてどういう結末を用意するだろうか。

 

 

 

 退出したラインハルトは帰るやいなやキルヒアイスに感想を述べる。

 

「リッテンハイムの令嬢は馬鹿ではなかった。それどころかよくできた娘だった。大貴族の令嬢という者はもっと高慢で不遜なものかと思っていたが」

「ラインハルト様がそう言われるとは、褒めているのですね。珍しいことです」

「まあ嫌いにはならなかった、といったところか。とりあえず戦いに勝ってからの話だ」

「それはその通りですね、ラインハルト様」

 

 

 キルヒアイスはもしもラインハルトがリッテンハイムのサビーネ嬢を気に入らなければ、今回の密約を解消するよう諫言するつもりだった。

 たとい宇宙を手に入れても、意に沿わない相手と結婚するなら何になろう。

 キルヒアイスにとってそれはいつも思うことだ。

 ラインハルト様が結婚を軽く考えているのなら諫言しなくてはならない。

 

 艦隊戦ならいくら数で不利になろうともブラウンシュバイクの艦隊など破る。だからラインハルト様には変な政略結婚などしてほしくはない。

 しかし意外なことになった。

 今日の様子を見る限り、ラインハルト様はその嬢にかなりの好印象を持ったようだ。

 

 そしてこの日、次にラインハルトらは来客を迎えた。

 帝国の名門貴族の一つであるマリーンドルフの令嬢が面会を求めてきたのだ。

 

 

 

 

 

 


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