見つめる先には   作:おゆ

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第三十二話 宇宙暦796年十一月 ハイネセン脱出作戦

 

 

 夕暮れも終わる時間に病院へ着くと、直ちにキャロラインは病院窓口に行き転院の手続きをとろうとした。

 ところが病院はうんと言わない。感染病でも危険疾患でもないのに。

 のらくら躱されるうち、連絡が行ったらしく慌ててあの担当医がやってきた。そして転院はダメだと言うのだ。

 

「お兄さんを転院希望だそうですが、許可できません」

「そんな、どうしてですか!」

「この病気は突発的に何かをしでかす可能性が高いんですよ。そうなれば、周りにも本人にもきっと不幸なことが起こります。みすみすそうなるのを見過ごせません。お兄さんはこのままうちの病院で預かります。それが一番いいんです!」

「いいえ、転院先にもきちんと説明します。私も努力します」

「素人考えで言うな! ……いえ済みません。ですが決してよい結果になりませんよ。この病気は環境変化をさせない方がいいのです」

 

 これでは押し問答だ。医者の方がなぜか興奮しながら拒み続ける。

 

「とにかく、お願いします。法的には問題ないはずです」

「強情な人ですな。私が駄目と言ったら駄目なんだ! どのみち紹介状がなければ、どの医者も受け入れないでしょうな。難しい病気なんだから。私は同じ症例をいくつもみている。なぜそれで任せられないんだ!」

 

 最後まで非協力的だった。どちらが強情なのか。

 

「転院は絶対に認めない。もう一度言うが、私が診続ける、そう決まっている」

 

 

 キャロラインはやむなく引き下がった。彼女が病院から出るのを見届けると、医者はまたこっそり通信をかけた。

 

「元帥、あの妹が厄介なことを言ってきました。転院させたいと」

「そうか。それは問題だ。ところでドクター、アンドリュー・フォークは急に容態が悪化した、そういうこともあるだろうね。手を尽くしたが残念なことになったと」

「…… そういうことも、充分ありえますね」

「そう言ってくれるか、ドクター。では、そういうことだ」

 

「わかりました。ロボス元帥。今日明日中には、命に関わる大きい発作が」

「何かに使えるかと思って残しておいた駒だが、無駄になったわけだ。それだけが残念だよ」

 

 

 

 その晩のことである。

 グリーンヒル家の中でフレデリカと父ドワイトの会話がある。

 

「やっと今日は暇ができた。それでフレデリカの昇任のお祝いをしてやろうと思ってね。好きなのを作っといたぞ。父さんはどんどん料理ばかり上手くなってきたなあ。父さんの方が上手くなっても仕方ない。フレデリカも少しはやってみないか。今からでも頑張ろうじゃないか」

 

 ドワイト・グリーンヒル大将は娘フレデリカと共に過ごせる時間を大切に思っているが、それでもフレデリカに料理を勧めている。

 

 言ってもやらないだろうが。

 いや、でも言い続けることは大事だ。

 ヤンの好物を聞いたら一生懸命やるだろうが…… ヤンが食うところを考えたらうかつなことは言えない。すぐに上手くなるわけはなく、初期作の犠牲者になるだろう。

 とはいえ自分ならフレデリカの作るものなら美味いといって食う覚悟はある。覚悟が必要という時点でなんともいえないのだが。

 普通は父一人娘一人なら、娘は料理も家事全般も並の娘より上手くなるだろうに。

 いったいどこでどう間違ってしまったのだろうか。

 もちろん娘には別の方面で補って余りある才能があることは分かっているつもりなのだが。

 

 

「お父さん、聞きたいことがあるんだけど」

「おや、何だいフレデリカ。分かることならいいんだが。それからヤンのポスターなら勝手に剥がしたけれど捨てちゃいないよ。とっておいてある。でも、トイレの壁にまでヤンのポスターを貼るのは、父さん感心しないな。トイレでもヤンの視線を感じるのはどうかと思うよ」

 

「アンドリュー・フォーク准将と最後に会ったのはいつ? どうだった?」

「何だって」

 

 アンドリュー・フォーク! そんな意外なことをフレデリカが聞くとは。

 

「フレデリカ、どうしてそれを聞くのかは分からないが、そんなに知っていることはないんだ。彼と最後に会ったのは作戦指令室で、特に変わったところはなかった。決戦回避と速やかな撤退を口にしていたがね。私と一緒に。発作のところは知らないし、自室待機になったあとも見ていない」

 

 しかし一瞬後、ドワイト・グリーンヒルは思い返す。

 

「いや違う、一瞬だけ見たな。なんでもロボス元帥が自室待機のアンドリュー・フォーク准将をやはり気の毒に思って見に行ったらしい。興奮したフォーク准将がまたしても発作を起こしたということだ。私が見たのは、拘束衣を着せられ、担架に乗せられたまま艦を降りる時だ。それでも抵抗して動いていたようだったが…… 」

「それじゃあお父さんは発作のところを見ていないのね」

「そう、噂で聞いただけだ。実際見た者はいるかな。いや、そういえば誰もいなかった気がする。みんな発作後の話しか聞いていないな」

「わかったわ。ありがとう。お父さん」

 

 これは、やはりヤン・ウェンリーの推測通りだ。病気などではなく、無理やり拘束されている。

 

 

 

 次の日、また四人が集まった。

 今度は実力をもってしてアンドリュー・フォークを運ぶために。

 キャロラインは最初から皆に頭を下げ通しだった。

 

「ありがとうございます。ありがとうございます。私の兄のために」

 

 病院の受付には再び転院の旨を伝えた。

 もう否は言わせない。一方的に告げ、書類を置く。

 

 ついでにエル・ファシルの病院がアンドリュー・フォークを受け入れてくれたことを伝える。このハイネセン軍病院から発行する紹介状は不要のことも。

 フレデリカは父ドワイトを動かして、エル・ファシルのドクター・ロムスキーに連絡をしてもらったのだ。ドクター・ロムスキーは快く受け入れを承諾してくれた。ロムスキーは親切で、しかもグリーンヒルの家とは昔から知った仲なのである。

 

 

 受付の返事を待たずにさっさと皆で廊下を歩きだした。

 また医者につかまって足止めされてはたまらない。

 

 そして今日はブラスターまで持ってきている。万が一押し問答になってどうしてもカギを開けてくれなかった時のための準備だ。

 なんとしても、今日アンドリュー・フォークを連れ出す。

 

 

 病室に着くと、意外にもカギは開いていたではないか。

 中を見ると相変わらず拘束衣を着せられている兄がいる。しかし、その横に例の医者が一人で立っていた。

 

「何をしてるんだ」

 

 医者の方が言うより先に、アッテンボローが医者に言った。

 というのも医者は何かを持っている。それは小さな注射器であり、直感的に何か怪しいものを感じる。医者が慌てて隠すそぶりをしたからだ。

 

 医者はその後やはり怒り出した。

 

「何だ、君たちは病室にまで勝手に入るとは。常識外れにも程がある! どういうつもりだ! キャロラインさん、あなたも困った人だ。いったい何べん説明したら分かるんだ。何をしてるって、治療に決まってるだろうが。早く出てってくれ!」

 

「治療、ね。何かの薬で。看護師も連れずに」

「それがどうかしたのか。ちっとも不思議なことはない。常識外れの連中め、早く出てってくれ」

「常識外れとはねえ。ではその注射器をご自分にしてみては。常識の薬でしょうから」

「な、何を…… ただの安定剤だ。素人が何を言うんだ」

 

 今度はヤンがはったりをかませたのだ。

 ところが医者の反応が強く、注射器を床に投げ捨てる。この妙な仕草は、やはりそうだったか。

 

「ああ、どうも悪い想像が当たっていたようだ。フォーク准将はこれ以上病院に置いておけない」

 

 

 

 四人は強引にアンドリュー・フォークを連れ出す。

 医者は成り行きに驚きながらも後を追うが、その隙を見て一人アッテンボローがこっそりと病室に戻り、医者の捨てた注射器を拾ってハンカチに包む。

 

 アンドリュー・フォークを拉致同然に車に乗せて病院を去る。

 医者は茫然とするが、連れ出されるとは思いもしなかったに違いない。

 

「さてここからも問題だな」

「ヤン先輩、ここまでくればあとは宇宙港からエル・ファシルに行きに乗せるだけですよ」

「そうなればいいんだが。アッテンボロー、杞憂で終わることを願うよ」

 

 

 杞憂で済まなかった!

 ヤンの想像は悪い方に当たった。

 宇宙港の駐車場に車を置き、皆で歩き出した時のことだ。

 

 周りに誰も人がいない。

 

 初めは気が付かなかった。

 フレデリカが最初におかしなことだと気付いたのだが、確かに普通は人が多い駐車場のはずだ。ハイネセンポリスで一番大きい宇宙港なのに、たったの一人もいないとは。

 この宇宙港にしたのは唯一エル・ファシルまでの直行便があるからだ。それはもちろん誰しもが知る。妨害を図る者も。

 

 

 一行は宇宙港のゲートを目指した足を止める。

 行く手を遮る一団がいる。

 よく見ると、丈夫な装甲服を着ている。その上にお揃いの朱色の小さなマントだ。そして手に電磁棒を携えているではないか。一人だけはおかしな旗を振っている。

 

 その姿はよく知っているものであり、良くも悪くもおなじみである。

 憂国騎士団だ!

 

 目的は聞くまでもない。

 周りに人がいないということから察して、ここで一行を待ち伏せていた。

 つまり宇宙港へ行くということを知っていたことになる。

 目的地がハイネセンのどこかではなくエル・ファシルの病院なのを知っているということは、当然軍病院から情報が行ったに違いない。

 軍病院と憂国騎士団、このつながりは一体何だ。

 

 それを考える前に逃げなくてはならない。

 

 電磁棒の一撃を食らったらお終いだ。

 こちらはふらつくアンドリュー・フォークをキャロラインとアッテンボローが支えているが、歩くのが精一杯、とても走ることはできない。

 逃げることは、無理そうだった。この広々とした場所は襲撃をする側には憎らしいほど都合がいい。

 こちらは一丁のブラスターがあるが、とても撃退はできないだろう。

 憂国騎士団はざっと二十五人、いや三十人はいる。

 

 

 ヤンは考える。

 白兵戦になれば、まともにやれるのはアッテンボロー一人だな。フレデリカやキャロラインは並の技量はあるだろうが相手が悪い。

 そして済まないが自分は役に立たない。

 

 憂国騎士団が近付いてくる。最初は歩いて、そして駆け足になったのが見えた。無駄に軍隊のようにそろっている。

 形ばかり軍隊の真似事をしていい気になっているのだ。

 実際、命のやり取りなどしたこともないくせに。弱いものに棒を振るうだけの勇者。

 ハイネセンから出て宇宙で戦ってみろ。

 宇宙での圧倒的な孤独と、艦を破壊するビームやレールガンの暴力的な威力を味わってみろ。

 

 

 その時、声がかかる。

 

「おーい、皆さん、ご無事ですかな」

 

 全員が見た。

 やっと助けが来た! それは見知った顔だ。第十三艦隊所属、ローゼンリッターの面々だった。

 ただし、数は八人ほどである。しかもただの軍服であり装甲服姿ではない。

 素早くこちらへ走ってきた。

 

 

「ど、どうしてここに」

 

 キャロラインは当然の疑問を言うが、それに答えたのはヤンである。

 

「いやあ、用心しとこうと思ってね。でも、ちょっと遅かったじゃないか。シェーンコップ准将」

「ヤン提督、悪者が出てこないうちにヒーロー登場じゃ恰好がつきませんな」

「やれやれ、どこにもテレビカメラは回ってないよ。准将」

 

 

 

 

 


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