見つめる先には   作:おゆ

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第三十一話 宇宙暦796年十一月 名探偵ヤン・ウェンリー

 

 

 この四人は軍病院に入ると受付で病室を聞いた。

 そこへ向かって廊下を歩きだすと、すぐに後ろから白衣の人間が走ってきたではないか。

 

「アンドリュー・フォーク准将への面会希望の方ですね。私が担当医です」

 

「ドクター、兄アンドリュー・フォークがお世話になっております。そうです。私が妹のキャロラインですが、今から病室にお邪魔するつもりです」

「面会はできません。それについて私から説明いたします」

 

 それは医者だったが、面会はできず説明があるらしい。

 何? それはいったいどういうことだろう。

 

 

 

 成り行き上、一行はいくつか椅子の置いてある説明用の小部屋に同席する。

 

「それで、先ほどのお言葉ですが、面会もできないとは……」

 

 じれったくて仕方ないキャロラインが早口で医者に尋ねる。

 

「よくお聞き頂きたい。残念ながらあなたのお兄さんは今、正常の状態にはありません。解離性ヒステリーの酷い症状が出ています。おそらくあなたを妹であるとも認識できないでしょう」

「え、私が妹だとわからない? 兄が私をわからない? そんな、どういうことなのですか?」

 

 あり得ないではないか!

 自分と兄とは強固な絆なのだ。

 医者が言うのだからそうかもしれないが、特別ひどい病気なのか。

 

「興奮状態は治まったのですが、脳機能の部分的停止が認められます。原因は先天性の脳機能障害です。普段は隠されていますが、度を越した興奮でそれが一気に噴出することがあるのです」

「そんな、脳の障害? 信じられません。兄はこれまで全く健康でした」

 

 キャロラインは素直に思うところを言うしかない。

 

「……そういう病気なのですよ。本人に罪はありません。激務などで一気に悪化したのでしょう。今までも小さい発作はあったと思いますが」

「そんなこと、全然ありません」

「何かちょっとしたこと、例えば話題が急に変わったりとか、あり得ない夢想を話したりとか、あったはずですよ」

「いいえ、そんなことも、何も」

「そうですか。では今までは気付かれにくい症状だったのですね。それでも、ぼうっとして見えたりとか、動きがぎこちないとか、ありませんでしたか?」

「そういうことも……」

 

 そんな覚えは全くない。兄アンドリューはいつでも頭脳明晰な人間だった。明晰過ぎて憎らしいほどだ。キャロラインの本人でさえ忘れている過ちを引っ張り出してからかうくらいだった。たまには馬鹿をやってほしいと思うくらいに。

 

「きっと気付かれない発作があったのですよ。本人だったらもっとはっきり自覚しているでしょうね。今は話せる状態ではありませんが。ともあれ病気には違いありませんから、我々も治療に全力を尽くします」

「ありがとうございます。ドクター。それで、その、治るのですか? あの、見込みは?」

 

 そこが一番問題だ。キャロラインは波立つ感情を抑えて決死の思いで尋ねた。

 

「そうですね、少しは回復すると思いますが、記憶や認識というものは正常には戻らないでしょう。お気の毒ですが。お兄さんはこのまま軍病院でお預かりします。いつまでかは申し上げられません」

 

 キャロラインは動きが止まる。

 思いのほか兄の病気は重大なのだ。今までの兄の健康状態から、病気と聞いてもそんなに重いものだとは想像していなかった。

 兄はこの病院の中に、もしかしたらこの先ずっと…… あまりに衝撃だ。

 

「とにかく、兄に会わせて下さい」

 

 

 

 会いたい。早く。

 医者は少し考える素振りを見せてから言った。

 

「困りましたね。もう少ししてからと思っていたのですが、そこまで仰られるとは。あまりお勧めしませんが…… ではいいでしょう。ただしまた興奮して悪化するといけませんから、ドア越しにお願いします」

 

 

 

 

 また病院の廊下を歩いていった。案内される方に進むにつれ、通路もしだいに無機質さが増している気がする。それは気のせいではなく、全体がなんとなく暗めなのだ。

 

「この病室です」

 

 指し示されたのは頑丈そうなドアだった。病室? これが?

 ドアには十cmほどの小窓がついている。

 これは病室ではなく、前にキャロラインが入ったことのある営倉の独房のようなものだ。

 すぐに小窓に飛びついて中を見る。

 衝撃だった。人が一人、ベッドに腰掛けている。それも拘禁衣を着せられているではないか。アンドリュー・フォーク、兄だ。兄がじっと座っている。顔は見えなくとも兄だということは分かる。

 その部屋は、この廊下と逆側は中庭に面しているのだが、その窓にも鉄格子がはめられてあった。何なのか、この部屋は。

 

 

 

「兄さん!」

 

 戸惑いながらも呼んでみた。

 

「兄さん!」

 

 二度呼んだらしばらく待った。声が届かないのか、無駄だと思った。しかし間をおいてゆっくりとこちらを向いてきた。

 その人物の顔は間違いなく兄アンドリュー・フォークだ。

 しかし、生気は全て失われている。

 あれほど才気あふれる顔が、まるで人形ではないか。あの表情豊かな優しい顔が能面だ。

 何よりも私のことがわからないのか。

 キャロラインと目が合っても何の表情も浮かんでこない。

 妹、私はアンドリュー・フォークの妹、キャロラインなのに。医者の言う通り本当に何も……

 

 キャロル、そう呼んでよ、兄さん。私を呼んで。お願い。

 

「だから面会はお勧めしなかったのです。もうお分かりでしょう。知らない方がいい状態なのです。キャロラインさん、大丈夫ですか?」

 

 溜息混じりの医者の声が遠くに響いている気がする。

 

 

 

 

 そこから後のことはあまり覚えていない。

 気が付くともう車に乗っていた。

 病院からの帰り、また乗せてもらっていたらしい。

 宿舎に着くとヤン・ウェンリーに丁重にいくどもお礼を言って降りた。機械のように。

 そのことも一瞬後には忘れているくらいだ。

 頭にあることはたった一つだけ。兄さん、キャロルと呼んでみてよ!

 

 

 キャロラインが降りた後の車内には三人がいる。その一人フレデリカが親友の苦悩を目の当たりにして、衝撃に沈んでいた。

 アンドリュー・フォークもまるで人形だったが、今のキャロラインもやはり人形だ。

 人形のように生きている。いや、人形が生きているだけだ。

 

 車の中で誰もがしばらく無言だったが、やがてヤンが言った。

 

「アッテンボロー、こいつはおかしい。というより、やっぱりというべきだ」

「先輩、どうしたんですか」

 

 ヤン先輩は何を言うのだろう。

 アッテンボローには分からなかったが、ヤンの慧眼は見抜いた!

 

「あの医者はアンドリュー・フォークが前から発作をおこしていたかのように思わせようとしていた。キャロラインがそんな覚えはないと繰り返していたのに」

「でも先輩、医者の言うように小さい発作ならわかりませんよ。ぼうっとすることくらい、いくらブラコンの妹だって見逃してもおかしくないでしょう」

「そう、そうなんだアッテンボロー、誰でもあるような例えだから問題なんだ」

「どういうことですか?」

「それはつまり、そう言われたらそんなこともあったかもしれないな、と誰でも思ってしまうだろ? それで納得してしまう。別に病気が前からのこととか、先天的かどうかなんて、今の病状には関係ないはずなのに。それを強調する必要はないんだ」

 

「それじゃあ、先輩」

「あれは説明なんかじゃない! キャロラインに病気だと納得させるために言ったものだ。逆にいうと、病気以外のことを思いつかせないためだ」

 

 

 

 アッテンボローもようやく意味が分かった。

 アンドリュー・フォークが病気ではないとすると、仕掛けがある。そしてそれに至った背景というものがあるはずである。

 

「分かりました。アンドリュー・フォークは病気じゃない。それで、どうすればいいですかね。先輩」

「ただしそれを証明するのは少々厄介だな。アッテンボロー、覚悟はいいか」

「何でもいいからやりますよ!」

 

 ヤンはアッテンボローの返事を聞いてやれやれという顔をする。

 そうだろうな。そう言うと思っていたよ。

 キャロラインのためだから。

 アッテンボロー、お前は一途でいい奴だ。

 

 

 

 そのころ軍病院内の医局で、外線で何者かに連絡している者がいた。

 夜なので医局には他に誰もいない。それでも隠れるように小声で下を向いて話している。

 

「そうです。今日、妹と他に三人が面会に来ました。病気だと納得するまで説明しましたよ。大丈夫です。妹が認めれば、立派な病気ですよ」

 

 卑しい笑みをこぼしている。

 

「大丈夫です。アンドリュー・フォークはしっかり管理しますから。元帥閣下」

 

 

 

 

 その三日後のことだ。また四人が集まっている。もちろん、ヤン、アッテンボロー、キャロライン、フレデリカである。

 

 キャロラインは最初から涙目である。

 いや、病院に行った後、この日までずっと涙が続いていたのだろう。その心がどれほどの痛みを抱えているのだろうか。

 

「あの医者の話は充分に怪しいが、まだ確証は得られていない」

 

 ヤンが思慮深く言う。

 

「何があったのか、手掛かりを探したいところだが、なかなか難しそうだ」

「先輩、ではどうします」

「こうなればアンドリュー・フォーク自身が少しでも回復して記憶が戻ればいいんだが…… それには時間がどれくらいかかるのか。それと、もう一つ嫌なことがある」

「何です、先輩。」

「もし陰謀だとすると、あの病院の医者が関わっている可能性もある以上、本当に治そうと思っているか怪しい」

 

「そ、そんな! それでは、わざと治さないなんて! そんな酷いことって!」

 

 キャロラインは一生懸命自制している。

 しかし、この時はさすがに自制が効かずに声を高めてしまった。

 

「落ち着くんだ。こういう時こそ考えをまとめないと」

 

 ヤンがなんとか鎮める。何か、考えればやり方があるはずだ。

 

 

「それなら、方法があるわ」

 

 なんとフレデリカが唐突に言う。しかも意外なことを。

 

「いい医者を知っているのよ。内科と精神科の両方の名医よ。きっと治してくれるわ」

「フレデリカ! そんな医者がいるの?」

「ええ、私の母がかかっていたの。私が知る限り一番の医者だわ。ドクター・ロムスキーというの。ただね……」

「ただ、何?」

「病院に呼んだりはできないわ。ドクター・ロムスキーはハイネセンじゃないの。エル・ファシルにいるのよ」

「それなら、転院するしかないわ。そこで診てもらう、必ず」

 

 

 

 作戦は決まった。とにかくアンドリュー・フォークを今の病院から出し、ドクター・ロムスキーにかからせる。

 

 もう夕暮れ時だったが、すぐに四人は車を走らせた。

 キャロラインを病院へ送るためだ。

 

 車の周りは日の落ちる寸前の紫に囲まれている。そういえば今日は晴れだった。

 この時間から空は、青から黄、赤、そして夕闇の直前に薄く紫色の光に染まるものだ。

 

 キャロラインの顔にも淡い紫の光がかかる。

 そこへ車道のライトの光が車の中にも規則的に差し込み、時折顔を強く照らす。

 

 キャロラインの瞳はまだ潤んでいた。

 そんなライトの輝きを瞳の一点で強くはね返していく。

 その横顔を、長く見てはいけない、こんな場合で、と思っていてもアッテンボローは目が離せなかった。

 逆光になる亜麻色の髪、澄んだ瞳、思いつめた表情、その全てに。

 それはあまりに美しく、例えられない程魅力的だ。

 

「どうしました、アッテンボロー少将、何か?」

 

 何だろうか。アッテンボローの視線に気がついたキャロラインが訪ねる。

 

「ごめん。いや、その、きれいだな、と思って」

 

 

 あああ! 今言った。今なのか。正気かアッテンボロー。

 ヤンは驚いた。

 このタイミングで言うなんて、イエローゾーンに入っていないのに主砲斉射三連みたいなものだぞ。

 

 フレデリカも思う。

 可哀想な人。あんまりにも不器用すぎるわ

 艦隊にいるポプラン、シェーンコップに学べばいいのに。学び過ぎない程度に。

 もちろん、不器用なのはヤン提督も一緒。

 私には、その方がいいんだけど。

 

 ヤンもフレデリカも肩をすくめた。

 さあ、次には亜麻色の要塞からトゥールハンマーが来る番だ。

 アッテンボロー、蒸発するな。

 

「そんなことは、ないです」

 

 キャロラインはあっさりと流した。

 さすがにありがとうございます、とは返さなかった。

 キャロラインは疲れていたのもあったし、アッテンボローには世話にもなっている。怒る気にはならなかった。

 でも、変な期待をされても困る。

 

 

 

 


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