こうなれば帝国軍別動隊の諸将は作戦を中止せざるを得ない。
素直に機雷原突破を諦めて迂回することにする。
これは仕方がないことだ。指向性ゼッフル粒子で焼き払うのを前提に行動していたのであり、それによらず今さら工作艦で機雷を除去するのは時間がかかり過ぎる。
目の前の敵小艦隊を叩くべきか。
もちろん指向性ゼッフル粒子が機能しないのはそれらのせいであろうが、しかし今さら叩いても状況が改善するかは確実ではない。何かの細かい装置を既に出したのかもしれないし、あるいは効果の永続するような処置をしたのかもしれない。
だったら機雷原の迂回と決めた以上、つまらない報復をやめて無視するのが正しい。
しかしここで見えている敵と戦わず移動することに承服し難い艦もあったのだ。おまけに状況の理解が何とも不充分であった。
命令のないままうっかりレールガンの予備充電を開始してしまった艦がいた。
そのツケを一瞬後に払うことになる。
帝国軍別動隊の最前列は、あのレグニッツァを思い起こさせるような様相になる。
予想外にまで濃度の高まったゼッフル粒子に引火してしまった!
ゼッフル粒子は強烈な熱を発しながら荒れ狂い、一瞬のうちに艦列を薙ぎ払い、誘爆を引き起こした。
多数の光が収まるころ、帝国軍艦艇の残骸が漂う宙域になる。
それでも別動隊の三人の将はすぐに立ち直った。
艦隊の中核にまで被害はなく、混乱を収めにかかる。破損した艦艇の乗員の救助とともに、こんな状況をもたらしたであろうあの小艦隊を叩き潰すべく動き出した。この状況に乗じて動かれても厄介だからだ。
そのアル・サレム中将の小艦隊はもう仕事は終わったと見て、しぶとく応戦しながら脱出の道を探そうとしている。旗艦パラミデュースに残った将が言う。
「一緒に残った甲斐がありましたな。中将」
しかし、帝国別働隊の攻撃は本来の半分の力も出せてはいないとはいえ巧妙である。退路をしっかりと遮断してきたではないか。
その攻撃に耐えられず、同盟艦に次々と爆散が相次ぎ、ついに旗艦パラミデュースまで直撃に貫かれた。
そのとき、この戦場にグリーンヒル艦隊が到着した。
ただちにアル・サレム中将の撤退支援にかかる。
「一戦して味方を救出したのち撤退する。この第九艦隊の部隊は私の身代わりになったのだ。助けねばならない」
しかしながら帝国別動隊の諸将はさすがに図抜けた能力を持っている。しかもゼッフル粒子で手痛い打撃を受けたとはいえグリーンヒル艦隊よりは数倍多い。綺麗に撤退などさせはしない。
ここへ遅れてキャロラインたちの第九艦隊本隊も到着した。
間髪置かず帝国軍別動隊へ襲いかかる。
未だ混乱にある部分を見極め、効率よく攻撃し、混乱を再び増加させる。
第九艦隊の諸将はまた驚くことになった。キャロライン・フォークは奇策を編み出したり相手艦隊の意図を見抜くだけではない。突進攻撃も見事にこなす。最も有効な突入点を間違いなく見つけだし、艦隊を止めることなく挑む。攻撃点の指示も明確である。しかも全てが尋常ではない速さなのだ。もう驚くことなどないと考えていたのは間違いだと思い知らされた。
しかしキャロライン自身は気が焦って仕方がない。
アル・サレム中将は無事なのか。
パラミデュースが通信途絶した最後の宙域を、諦めず捜索させた。
すると見つかった! 未だ爆散はせずに。
よかった。本当に。
アル・サレム中将は艦橋に被弾した際にちぎれたワイヤーに叩かれて怪我をしているが、命に別状はないということだ。
パラミデュースも確かにひどく損壊していたが、メインエンジンは無事であり、簡単な応急修理で自力航行が可能なのも運がよかった。
キャロラインは安心して帝国別動隊への攻勢を強める。
もちろん頃合いをみて退くことは決めている。
グリーンヒル艦隊と併せてもなお相手よりは数が少ないのは事実、おまけに多少叩いても帝国軍の立て直しは早く、率いる将の統率力が並ではないのが分かる。ここで戦って勝ち切れるとはとても思わない。しかし叩けるだけ叩いておかなければ、おそらくこの別働隊は予定通り同盟軍艦隊を挟撃に向かってしまう可能性が残る。
だが、なおも一撃を加えようと艦隊の一斉射撃を命じる直前に見た。
帝国軍だって必死に救助活動をしている。
先のゼッフル粒子のことはあまりに突然であり、何も脱出用意などしていない艦が多かったのだ。普段の戦場よりよほど救助が必要な状況だった。
多くの損壊した艦へ救助艇が近づいて、危険な中を乗り込み、必死に捜索をしている。命を救うために。
自分も脱出艇の経験があるキャロラインは胸が痛くなる。
おそらく帝国艦隊の将が実力通りの艦隊指揮ができないのは、救助優先のためだ。敵将は戦いに勝利を得る大攻勢ではなく、救助を優先にし、兵の命を大事にしている。決して冷たい人間ではない。
キャロラインは自分で欺瞞だと思いながらも、攻撃を中止させた。
ここは戦場だ。民主主義を奉じる同盟軍は敵である帝国軍と戦わねばならない。そして弱った相手を叩くのは効率がいい。
しかし、相手もまた違う旗のもとに戦っているだけで、その立場はともかく人間である。
倒すのは帝国の体制とその思想であるべきだ。
ここは戦いの場ではあっても、決して殺戮の場ではない。それが目的ではないはずだ。
「同盟軍第九艦隊は攻撃を中止する。救命作業を続行されたし」
キャロラインはそう帝国軍に通信を送る。
あまつさえ医薬品などの物資を投下させた後、アル・サレム中将、グリーンヒル艦隊と共に撤退にかかった。
もちろん機雷原の反対側で展開されている主戦場でも激戦が続いている。
帝国軍としては基本、撤退行動を取りつつある敵を後背から叩けばいいのだ。
なのにそれができない。
同盟軍では第十三艦隊が殿を務めていた。動きが速く、的を絞らせない。
それ以外の艦隊を追って後背を捉えたと思っても、油断するとたちまち横撃を加えられてしまう。有利な殲滅を行うどころではない。
ミュッケンベルガーはそれでも別動隊が機雷原を突破し、戦場に到着すれば一気に決着がつくと期待していた。力で一気に壊滅にもっていける。
しかし、結果としてこの体たらくだ。
別動隊は勝手に自滅したような結果、その報告を聞いて大いに失望させられた。
それならば本隊をできるだけ前進させ、詰め寄り、遮二無二数の力で押しつぶす。
それもかなわなかった。
何と本隊を構成する貴族の私領艦隊が理由をつけて進撃を渋ってきたのだ。推進剤が足りない、救助が優先、など理由は様々である。何のことはない、戦いに怯えて足が止まっていたのだ。
たった一つ、フレーゲル男爵の艦隊だけは勢いよく飛び出ていった。
良くも悪くも恐れを知らない。
ただしその小勢では同盟第十三艦隊から逆撃に会うだけになる。勇気はあれど戦術的には何も見るべきものはなく、気持ちだけの空回りだ。
ミュッケンベルガーはついに追撃を断念して撤収にかかった。
帝室の威を示すために残らず平らげるはずが、とうていそうならない。しかし帝国領からとにもかくにも追い払うことはできた。それで良しとする。
帝国艦隊と同盟艦隊、それぞれが退き、ここにようやくアムリッツァの戦いは終わった。
その規模の大きさ、その激しさ、歴史上かつてないものだった。赤い星の照らす中、双方とも膨大な数の艦と人命を失なった。それらは家族や恋人を再び見ることもなく、故郷に骨の一かけらも帰れることはない。
せめて魂だけでも幾光年を越え、帰り着けるのだろうか。
同盟の帝国領侵攻は終わり、イゼルローン要塞に八万隻足らずが帰還できた。
未帰還の艦艇は四万隻以上、これは実にアスターテ会戦の損失の二倍にもなるものだ。同盟軍は大きく痛手を被り、その傷はあまりに深い。
しかも、得たものは何もない。
領民解放どころか、帝国領に民主共和制を植え付けることさえできなかった。
一方、帝国軍はより深刻な打撃を受けた。
損失艦数は累計七万隻という途方もない数字である。統計をとる係りは途中で嫌になったほどだ。死者の数など知るほどに怖くなる。
ただし帝国の歴史始まって以来の叛徒の大規模侵攻を跳ね返し、全ての領地を回復した。
その結果だけをとれば帝国の大勝利である。
ひどい内容でも、オーディンでは大々的に勝利式典が開催された。
「華やかだな。今回の戦いが勝利に値する戦いなのか、考えもしない連中は気楽でいい。そう思わんか、ミッターマイヤー」
「ああそうだ。ロイエンタール。しかし、もう終わったからには辛気臭いよりはいい。俺たちも今回はいろいろ学ぶことがあった。思いがけず敵は強かった」
第九艦隊のこと、か。
戦いの直後、二人でお互いの戦いの内容については既に語り合っている。
二人の仲だ。互いの能力の高さも充分に分かり会えている。成功も失敗も、誇張も脚色もなく語り合うのが常なのである。
その中で出てきたのが同盟軍第九艦隊だ。ミッターマイヤー艦隊をアルヴィース星系で大胆な奇策をもって破り、アムリッツァでロイエンタール率いる別動隊を倒した艦隊である。
戦いの後でより詳しい情報が入ってきている。それによると第九艦隊司令官はアル・サレム中将という者だが、しかし実際の作戦を立てて行うのは参謀キャロライン・フォーク准将だということだ。まだ若い小娘らしい。
見事な戦術を披露するだけではなく、最後に戦う相手の救助活動を見て、それを続けさせるために退いたのはこのキャロライン・フォークの考えなのか。
「まあ、ワインでも飲みながらゆっくり考えるさ」
「考えながらワインか、なら付き合うぞ。ミッターマイヤー。ピアノを弾きながら考える御仁には付き合えんが。」
「声の大きすぎる御仁も遠慮しておきたいものだな。」
二人は軽く笑う。もちろん今話題にした同僚を嫌いで言っているわけではない。
アムリッツァ会戦の後、帝国軍ではこれを期にエーレンベルク、クラーゼン、シュタインホフは引退した。
帝国軍のトップとしてミュッケンベルガーが軍務尚書に就任した。
決して本人が望んだわけではないが、しかし他に人がいないのも確かだった。
「馬鹿でも勝てば偉くなれるものだな、キルヒアイス。まあミュッケンベルガーなどどうでもいいが」
「勝ちは勝ち、ということですね。ラインハルト様」
「そうだ。仕方がないともいえる。俺の方は勝っていないからな。奴には」
「同盟軍第十三艦隊、ヤン・ウェンリー、ですか」
「キルヒアイス、今回は残念で仕方ない。次は勝ってやる。先の楽しみができた。貴族どもを倒し、帝国を手に入れたらまた戦って、必ず奴に勝ってやる」
ラインハルトとキルヒアイスは遠く再戦と勝利を夢見ている。
だがしかし、足元でこの戦いは危険な芽を育てることにもなっていたのだ。
多くの貴族私領艦艇は今まで貴族のアクセサリーの一種でしかなかったのだが、ここで実戦というものを知った。贅沢な飾りものは初めて実力の世界を知ったのだ。帝国軍本隊にいた貴族私領艦隊は同盟第九艦隊にあっさり破られ、彼らは戦いについて目が開かれた。
もう一つ、パウル・フォン・オーベルシュタイン大佐が貴族私領艦隊への移籍を希望した。
上司は、慰留することもなくこれ幸いとそれを許可する。どこの貴族か空欄のままの用紙であったが、細かいことはどうでもよかった。とにかく煙たがっていたのだ。いなくなってくれれば何でもいい。
これは小さな出来事なのだろうか。