見つめる先には   作:おゆ

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第ニ話  宇宙暦794年 八月 アッテンボローの不運

 

 

 女性士官学校を卒業し、希望した前線勤務がかなったキャロラインは士官候補生として一隻の駆逐艦に配属される。

 

 ハイネセン第二の都市テルヌーゼンにある学校から、宇宙港まで行き、先ずは大気圏脱出用のシャトルに乗り込む。そこからハイネセンを含むバーラト星系の外縁まで行くのだ。

 そこの小惑星に主要な同盟軍基地の一つがあるのだが、エルムⅢ号と呼ばれる駆逐艦はたまたまそこに停泊していた。それは運のいいことかもしれない。もっとフェザーン回廊やイゼルローン回廊に近い基地に係留されていたらそこに行くまで大旅行になるだろう。

 

 

 キャロラインは今から乗り込むエルムⅢを見上げる。

 

 駆逐艦はもちろん軍用艦では一番小さい部類である。

 ただし巡視用のコルベットやフリゲートよりは大きく、むろん巡視目的に使われることもあるがそれだけではない。本格的な艦隊戦に参加し、戦艦などの大型艦の護衛や補助をする。つまり本当に戦いの場に赴く。もちろん相手は帝国軍艦隊である。

 それを考えるとキャロラインは期待感と緊張で胸が高鳴る。

 

 駆逐艦エルムⅢは遠目に見た時とは違い、目の前にすると案外威圧感があるものだ。乗降タラッブも細く五十段もあるだろうか。キャロラインは簡単な手荷物だけ持ってタラップを上がりいよいよ乗り込む。

 

 先ずはこの艦において所属すべき部署、主計部に真っすぐ進み、新任の挨拶を済ませる。

 主計部であるのは新任女性士官として普通のことだ。女性士官が最初から砲術部や航海部に回されることはまずない。いくら成績優秀卒業者でも。ただし戦闘時には、こういった駆逐艦のような小型艦艇、人員が五十人しかいないような艦では誰もが何でもしないといけない。いずれそういった時が来る可能性がある。

 

「士官候補生キャロライン・フォーク、本日付けで駆逐艦エルムⅢ号の主計部に着任します」

「ああ、フォーク候補生ね。聞いているわ。邪魔にならないように頑張ってちょうだいね」

 

 あまり歓迎されてるとは言えない挨拶を返された。

 この駆逐艦エルムⅢ号の主計部を預かっていたのは、三十代の終盤くらいに見える女性士官、階級は少尉である。主計部は艦の状態管理と、乗員の生活チェック、補給物資の在庫の把握が仕事である。その物資には食糧含めた生活物資と戦闘用物資の両方が含まれる。そこを仕事を通常女性三人で行っていたのだが、その一人が異動したため、キャロラインが補充されてきた。

 先の女性士官はこの艦では唯一の女性士官である。しかし、仲良くしてもらえる雰囲気ではなさそうだ。単に新人をうっとおしく思っているだけではないのだろう。おそらく彼女は現場からの叩き上げであり、キャロラインのような二十歳そこそこで士官候補生、おそらく直ぐに階級で追い越すような者を嫌っている。これはどこでも見受けられることだ。

 

 主計部にはもう一人のそこそこ若い女性兵がいたが「目に入るだけで邪魔だけど」とチクリと来た。キャロラインへ向けたいきなりの牽制だ。

 この人たちは先入観で物を見ている。

 女性士官学校を優秀な成績、いや首席卒業というキャロラインへのいけ好かないイメージだけで。

 たしかにエリート意識を鼻にかける者もいるかもしれないが、そうでないかもしれないのに。

 それに先の女性兵はキャロラインに嫌味を言った後、上司である女性士官をチラリと見て、意志疎通をしている。そこにはキャロラインを攻撃しようという女同士の歪んだ連帯感が見える。誰かを敵とすることで生まれる見せかけの連帯感で、そこに友情も何もない。

 

 そんな居心地の悪い主計部であってもキャロラインは黙々と職務をこなした。

 職務は職務だ。感情とは関係ない。

 

 男性兵からもからかいの言葉が掛けられた。

 

「秀才ってのはみんなメガネしてるもんだぜ。メガネしてないようだが、前見えてんのかい?」

 

 受け流してはいるものの、むしゃくしゃしないはずはない。

 

 

 一方、この駆逐艦の艦長アッテンボロー少佐は事務処理に手が一杯だった。

 普通でも忙しいのに、追い打ちをかけるような出来事があったからだ。補給物資の到着遅れと内容物違いがあった。焦るのは訓練航海が間近に迫っているからで、そしてそのスケジュールの変更許可が下りない。

 航路使用の都合上、スケジュールの変更ができないなら仕方がない。それは理解できる。それなら物資を適当にどんどん入れてくれれば、多少の内容物違いがあってもなんとかなるのに、それはできないというのだ!

 上の者は自分の管轄のことしか考えておらず、実情を無視し、トラブルを他人事のようにしか思っていない。

 そのしわ寄せがアッテンボローの身に降りかかり、いらだちが募っていた。

 

 そんな中、アッテンボローは艦橋に立ちながら主計部から補給物資の不足品目の報告を受けた。

 報告をしてきたのは新任の士官候補生、むろんキャロラインである。

 

「あ~、主計部か。また物資の不足ね、物資の。まさかまた不足が出たのかい」

「…… 艦長、またそれが見つかりました。梱包を解くと事前の目録と相違がありまして」

「何だって! 悪い予言ばかりが当たる。なんでそんなに不足ばかりになるんだろう」

「艦長、残念です。今回発覚した不足分のリストはここに作ってあります」

「こんなにか。後方補給部はいつから嫌がらせの名人ばかりが集まったんだ!」

「も、申し訳ありません……」

 

 

 士官候補生は艦長のいらだちを受けて困った顔をしている。

 自分のせいではないが物資の不足を報告することになって所在なさげだ。

 もちろんアッテンボローも主計部が物資不足を作ったわけでもなく、むしろそれを早期に見つけてくれて良かったとも理解している。ここは褒めるべきなのだろう。訓練公開に出てから発覚したらどうにもならなかったのだから。

 ただし目の前が暗くなるほどがっかりしたのも本当である。

 

 そこでつい思ってしまった。

 その不足分をいち早く見つけてくれた優秀さ、この士官候補生は確か、首席卒業だったな。

 

「主計部としては報告すればそれで済むだろう。でもこっちは困ってしまう。なんかいい知恵はないかい。艦長はどっちかというと落ちこぼれのほうだったんでね。で、首席さんの考えはどうだい?」

 

 アッテンボローのいらいらから来た悪乗りである。

 しかしキャロラインはそれにも一定の答えは用意してあった。仕事は仕事である。正直、キャロラインからすれば、こんなくだけた艦長だからこそ艦内の雰囲気がだらけて、自分にもいらないからかいが来るのだ。兄さんのようにきっちりした艦長だったならどんなにいいか。

 

「艦長、補給不足品目の中でも代替の効くものと効かないものとがあります。代替の効かないものは少ないので、それだけに絞ったリストをお作りいたしましょうか。それを優先にすれば少しでも早く充足できると思います」

 

 キャロラインはその優秀さを活かして解決に少しでも役立とうとした。それが精一杯の回答なのである。

 

 ところが、アッテンボローはそういう答えを期待していたのではなかった。

 一緒に後方補給部への悪口の一つでも言い、仲間になって欲しかった。

 

 その生真面目過ぎる言葉を聞き、思い出す。確かこの士官候補生はアンドリュー・フォークの妹だったな。

 アンドリュー・フォークはアッテンボローから見て士官学校の一期下に当たる後輩である。士官学校でアッテンボローとあまり現実的な接点はなかった。しかし、生意気な首席とだけは噂で聞いている。

 そしてあのロボスのお気に入りであり、そのお膝元で早くも中佐だそうだ。

 ロボス元帥はもちろん嫌いだ。そのロボス元帥についているのだから、アンドリュー・フォークにもあまり良い感情を持てるはずがない。

 

 

「そっちの兄さんが物資を回さないんじゃないのかい? 妹の艦が困っているのになあ」

 

 後方補給部と艦隊部とを結ぶ分配運輸部に勤務しているアンドリュー・フォークのことを揶揄してしまう。

 

 この瞬間、アッテンボローは虎の尾を踏んでしまった。

 

 キャロラインにとり、自分のことを言われるのならいい。しかし、兄アンドリューのことを言われるのは絶対に赦さない。相手が誰であっても。

 

「アンドリュー・フォークはそのような恣意的な行動はいたしません。重要な職務であれば、確実に、絶対に」

 

 妙に好戦的になった士官候補生を見て取ったが、このとき不覚にもアッテンボローは軌道修正が遅かった。既にキャロラインはスイッチが入り、目の光が変わっていたのに。

 

「ロボス元帥とその取り巻きさんの艦には物資が充分と想像するがねえ。覚えがめでたくてよろしいことで」

 

 艦橋にいた何人かが笑った。

 いつもの艦長の軽口だ。このアッテンボロー艦長は若いが実力も確かで、しかもざっくばらんで付き合いやすい。こんな軽口も許される。

 

 だが今、アッテンボローは虎の尾をぐいぐいと踏みつける。キャロライン・フォークは涙が出てきたのを自覚したが、その目で睨みつけた。

 そしてアッテンボローはダメ押しを加えてしまったのだ。

 

「物資ってのは回るところには回るもんだ。いや、回すから回るんだよな。誰かさんが」

 

 

 切れた。

 

 キャロラインは手にしたリストのファイルを全力で目の前の艦長に叩きつけた。

 十枚を超えるリストの紙が散らばって落ちる。同時に、かつん、と青いプラスチックのホルダーが床に落ちる。

 

「この、知りもしないくせに…… 兄さんのことを何も…… 」

 

 キャロラインには続く言葉が出てこない。

 アッテンボローもとっさに声が出ない。

 目の前の士官候補生は涙と怒りとのないまぜになった感情をぶつけてきている。

 

 しかし、艦橋にいた周りの士官はとんでもない成り行きに驚きつつも規則に乗っ取った判断をした。

 

「キャロライン・フォーク士官候補生、いきさつはどうであれ艦長に対する礼を逸した行為である。この場で謝罪を行うように」

「私が謝罪? 謝罪などいたしません!!」

「謝罪がなければ処罰対象にせざるを得ない。これは軍規なんだ。話は聞いていたから君に大いに同情するが仕方がない。謝罪しなさい、早く。それだけで済む」

 

 誰もこんなことで処罰などしたくはない。そうキャロラインに言った士官も困っている。

 学校を出てきたばかりの可愛い、しかも有能な女性士官候補生である。

 そしてただの軽口から始まったことだ。おまけに彼女が悪いのではない。

 

「ちょっと待てくれ、これはたいしたことじゃないんだ」

 

 思わぬ大ごとにアッテンボローが慌てて口をはさむ。

 しかしキャロラインの態度も表情も、もちろん内心も揺るがない。ファイルをぶつけたくらいが何。決闘だって申し込みたい気分だ。

 

「謝罪など決していたしません。兄の名誉にかかわることで私は謝罪しません!」

 

 

 キャロラインは手錠をかけられ艦橋から連行された。一時的にでも全てを剥奪され、処罰を待つ身になる。

 

「ごめん、こっちが悪かった。あの、士官候補生、ごめん」

 

 逆にアッテンボローの方が繰り返し謝罪しているが、そんな声など耳に入らない。

 

 

 これは意図的な反逆ではなく、ただのいさかいに過ぎない。ただし艦長職へのこの態度は処罰にならないはずがない。キャロラインは一週間の営倉入りになった。本当なら三日で済むところを反省文を書かないので一週間になる。この基地はドックの他、居住施設、娯楽施設、そして処罰のためのものも設置されていた。

 

 

 この事件のニュースは同盟軍でも珍事として伝わった。

 

 営倉から出てきたキャロラインは当たり前だがそのままエルムⅢ号に勤務にはならなかった。

 即座に退艦して別の艦に移る。

 

 公式にはこれだけしか記されていない。

 しかし、実際には空白の半日間があった。

 

 キャロラインが営倉に閉じ込められている間、アッテンボローの方では改めて彼女に関する情報を集めている。

 概してキャロラインは評判がいい。

 誰にも公正で、人当たりも悪くない。そして不思議なことに男関係の噂はまるでないのだ。

 しかし、誰もが特別な注意として付け加えることが一つある。

 

「兄の悪口だけは絶対にしてはいけない」

 

 キャロラインの決定的な特徴だ。

 兄の悪口が聞こえるや否やキャロラインは人格が変わり、相手が誰であっても全力で戦いを挑むのだ。

 あまりに思い当たるふしの多いアッテンボローは溜息をつくばかりである。

 同盟軍の規則では、艦長に直接反抗し謝罪も反省もしないならばむしろ一週間の営倉は軽い方、しかし、アッテンボローはこの場合自分が一方的に悪かったことを知っている。それならキャロラインに誠意を尽くし、分かってもらわなければならない。

 

 悩んだ末、一番気軽に相談できる先輩、ヤン・ウェンリーに話を聞いてもらった。

 

「そういうわけで先輩、ちょっと女の子に謝らなくちゃいけない次第で。機嫌を直してもらえる方法知ってますか?」

「なんだって。アッテンボロー、お前さんがパンチ食らったのはそんな理由だったのかい」

 

 噂というのはたいてい変化して伝わるものだ。

 

 

 

 


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