同盟のイゼルローン要塞攻略作戦が密かに進行する頃、ラインハルトもまたイゼルローン要塞への航行を終えようとしていた。
要塞まであと数時間というところで電波妨害が強まっているという報告を受ける。
何か。叛徒の軍が来ているのか。そして何か目的があるのか。
ラインハルトはイゼルローン要塞へ急がせた。艦隊戦になるなら先ずは駐留艦隊と合流して作戦を考えなくてはならない。
そこへ更に報告が届く。
「叛徒の艦隊を発見しました。総数およそ千八百隻、左舷方向です」
そんなに多い数ではない。
戦って叩き潰そうか。羽虫のようなもの、造作もない。
いや、無視してもいい。戦略的にここでわざわざ叩く意味はない。見えた敵をその都度叩くなど近視眼のすることだ。
「先ほどの艦隊が後退していきます。通信を傍受しました」
「向こうの通信か、何だ」
「電波妨害のため一部しか解読できませんが、いったん、応援、レグニッツァ、です」
短い言葉だが、この言葉には反応せざるを得ない。
同じく聞いていたキルヒアイスが言う。
「ラインハルト様、レグニッツァとは」
「そうだキルヒアイス、敵はまたそこにいるのか」
前のティアマトの戦いでの前哨戦、ラインハルトは惑星レグニッツァで核融合弾という大技を使って見事に勝った記憶がある。
しかし、それを除けばお互いに有効な攻撃はほとんどできなかった。
加えて、あの吹き荒れる大気中では索敵も難しく、だから前回は思わぬ遭遇戦になったのだ。
艦隊を潜ませておくには恰好の場所である。どのくらいの規模でそこにいるのか分からず、そういった不確定要因であれば放置できない。行って叩く必要がある。
「全艦隊に告ぐ。これよりレグニッツァ方面に向かった敵を追い、もしもレグニッツァに潜んだ敵がいればまとめて叩く」
キャロラインとフィッシャー分艦隊はラインハルトの帝国艦隊をうまく引き付けた。
あとは付かず離れず、逃げればいい。そうすればこの危険因子を無いことにできる。
しかし、長くは続かなかった。さすがにラインハルトの洞察力は並外れている。
「キルヒアイス、どうもおかしい。敵は全力で後退しているわけではない。あの艦数ではそれしかないはずなのに。そもそも、イゼルローン要塞近くにこの規模で存在するのがおかしい。とうてい要塞を攻撃するような規模ではなく、偵察というのには数が多い」
「ラインハルト様、とすれば敵側は何か企みが」
「そうだキルヒアイス。おそらく敵の目的はこの艦隊の妨害にある。何かをやろうとしていて、それにはこの艦隊が邪魔なのだ。そうであれば当初の目的に立ち返るべきだ。すぐにイゼルローン要塞に向かい、敵の意図を挫いてやろう」
ラインハルトは要塞の状況を知らないとしても、その危機を察知している。
イゼルローンへの進路に戻り、電波妨害の濃い中、慎重に要塞へ向かう。
要塞がまもなく見えるという辺りまで進むと、要塞駐留艦隊がなぜか要塞から離れて遊弋しているではないか。
直ちに駐留艦隊ゼークト大将に連絡を取る。
「これは、敵襲なのか、何が起こっているのか。ゼークト大将」
「何かは知らぬ。要塞とは連絡が取れん。こっちは要塞から出撃したあと、ここまで戻ってきたところだ。叛徒の艦隊が近いと思ったのでな」
ラインハルトの方が階級では上官なのだが、ふてくされたようなゼークトの言い分だった。ラインハルトに対する反感もあるが、そもそもゼークトには状況がどうなっているかわからないのだろう。
ラインハルトからすれば単なる艦隊戦で戦力をぶつけるしかできない能無しにしか見えない。
だがそんな言い方には囚われず、ラインハルトの明晰な頭脳は状況を分析してみせた。
「ゼークト大将、トゥールハンマーが撃たれた形跡はあるか」
「それはない。さすがに離れていてもトゥールハンマーは観測できる」
「なるほど要塞に連絡が取れず、トゥールハンマーが撃たれない時点で、既に要塞は何かの方法で無力化されていると見える。それは明らかだ」
「何! そんなはずはない!」
もうラインハルトはゼークトなど相手にしない。
この状況は危機的、しかし面白い。さてどうするか。考えるラインハルトの話し相手になるのはキルヒアイスしかいない。
「キルヒアイス、状況をどう見る」
「そうですね、ラインハルト様。要塞には浮遊砲台も出ていません。つまり無防備です。しかし、敵の艦隊があの数であの位置にいた意味は」
「こちらを引き付ける罠かもしれないが、こちらがどのみちイゼルローンに航行するつもりと分かり切っている以上、敢えて罠として艦隊を見せる必要などないはずだ。引き寄せてトゥールハンマーを撃てばいいことだろう」
「それでは、ラインハルト様」
「そうだ、キルヒアイス。敵はまだ要塞を占拠できたのではない。早く辿り着けば内部と呼応して敵を挟撃できる」
状況を正確に推測する。
ラインハルトは艦隊をすぐに前進させ、ゼークトの要塞駐留艦隊を追い抜き、尚も要塞に向かう。
要塞が大きく見えるところまで近づいた。
「敵艦隊います! 総数約五千隻、イゼルローン要塞表面に停泊中!」
同時刻、旗艦ヒューべリオンにいるヤンは自分が絶対絶命の危機にいることを自覚していた。
第十三艦隊はフィッシャー分艦隊を除き約五千隻である。今はイゼルローンに入港するのを今か今かと待っている。ラインハルトが察知したのはこの第十三艦隊である。
今たとえ要塞に入港表示が出ても、おそらく間に合わない。
帝国艦隊一万六千隻の攻撃の方が早いだろう。
予想より要塞の占拠が遅かったのだが、むろんそれは小さなことだ。
帝国艦隊の接近が早かった。要塞駐留艦隊は充分要塞から引き離せたつもりだったが…… まさか別の帝国艦隊が要塞へまでいたとは!
それが急進してくる。おそらく要塞でまだ戦闘中であることを分かって急いでいる。
艦艇数ではこの第十三艦隊の三倍以上、おまけにもっと後方には要塞駐留の帝国艦隊がいるのだ。
これは、逃げるだけで至難である。
これまでか。ベレー帽を取り、ヤンは手に持ったまま冷めてしまった紅茶を飲む。せめて最後には暖かい紅茶だったらよかった。
そのとき、やっとキャロラインのいるフィッシャー分艦隊が要塞に着いた。電波妨害のためゆっくり行軍してきたラインハルトより先回りには成功した。
しかし、たかが千八百隻なのは変わりがなく、戦局をどうこうできる力はない。
ラインハルトの艦隊はそれも見つける。
「左舷方向に艦隊発見、これは、最初に会敵した敵艦隊です」
「何? 逃げずにまた来たのか。差し当たってワーレンの分艦隊をそちらに向けよ。本隊はこのまま進路を維持。あの五千隻の方を一気に撃滅する。その後要塞に突入だ」
あくまで邪魔しようというのだろうが無駄だ、今度は釣られなどはしない。
「左舷のその敵艦隊、当艦隊に向かわず要塞表面に沿って進行中」
何だろう。いったん合流して態勢を整えようとでもいうのか。しかし五千に千八百を合わせても大した数ではない。
問題ない。それならまとめて片づけるまでだ。帝国軍一個艦隊一万六千隻にはどうやっても敵うまい。二倍以上の数であることを活かし、半包囲で迫って逃がしはしない。
「敵艦隊、要塞表面から動かず。イエローゾーン突破、間もなくレッドゾーン!」
「攻撃開始! ファイエル!」
その一瞬後、旗艦ブリュンヒルトのスクリーンが白い輝きで満たされた!
撃たれたのか。ブリュンヒルトの艦橋に。
いや、艦に損害はない。
何が起きたのか。
フィッシャーの分艦隊はラインハルトの一個艦隊に対し、戦いを挑んだのではなかった。
どのみち数に大差があり、おそらく足止めにもならないだろう。
もちろん第十三艦隊本隊に合流しても無駄だ。
そこで要塞の方に急進し、ありったけのエネルギーをビームにして要塞の表面に叩きこんだ!
イゼルローン要塞の表面は滑らかな流体金属であり、ビームを簡単にその鏡面で弾き返す。
しかし、この場合はそれが狙いなのだ!
要塞が白く輝き出す。ビームが乱反射し、それが迫りつつある帝国艦隊の目の前に飛び散る。
もちろん一度反射したビームにはもはや破壊力はない。しかし、探知システムを無効にするのは充分なエネルギー量になるのだ。
白く輝く要塞のせいでスクリーンは役に立たない。
こんな状態では砲撃をしようにも照準の定めようがない。
キャロラインは要塞の性質を見事利用したのだ!
反射という性質を。
「要は、時間を稼げればいいのです。それには奇策があります。ここでしか使えない策が」
フィッシャーは策を出した若き参謀の横顔を見る。
それはどうみても小娘に過ぎない。ベレー帽から亜麻色の髪をあふれさせ、姿勢よく立っている。
フィッシャーは考える。
ヤン司令官もまた少しも軍人には見えない。このキャロライン・フォークといい、時代は変わりつつあるのだ。
その場にいたアッテンボローも考える。
まさに無敵の女提督。
すさまじい戦術だ。いったい誰が予想できるだろう。
かつて自分を艦隊戦シミュレーションで打ち負かしたのは必然だ。
ヤン先輩といい、世に異才はあるものだ。
菓子作りも上手い。顔も、アッテンボローから見て綺麗だ。何より表情がいい。しなだれたところがなく、いつも芯が通っている。
これでブラコンさえなければなあ。いや、彼女からブラコンを取れるとは思えないが。
ラインハルトの艦隊は探知システムを無効化され一方的に撃たれて損害を被ったあと、より大きい損害を受けたワーレン分艦隊も収容して後退した。
「やられたな。キルヒアイス。敵にはなかなかの策士がいるようだ」
「そうですね。味方にしたいくらいの策士です」
「そうだな。ここで葬るのも惜しいくらいのものだが、片付けようか。あんな奇策は一度しか通用しない」
ラインハルトは相手の策に感心したが、対抗手段を瞬時に思いついていたのだ。
艦のスクリーンを調整し、それと同時にミサイルの準備を整えて再度要塞に迫る。
同じ手は二度と食わない。
今度はミサイルを最初に放ち、それは敵艦隊へ当てるものではなく要塞表面で爆発させる。照準も要らず、ただ要塞方向へ撃てばいい。あの要塞の大きさなら当てるのは簡単だ。そして流体金属をその爆発でかき回すのだ。
そうすれば要塞の表面はもはや鏡面ではなくなり、ビームの反射は拡散され、ほとんど意味をなさなくなる。
キャロラインの策を瞬時にして無効にする、さすがにラインハルトだ。天才である。
「再度敵艦隊に接近、間もなくイエローゾーン!」