見つめる先には   作:おゆ

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第百三話  宇宙暦801年 七月 残照消ゆ

 

 

 その次の月のことだ。

 

 ハイネセンから行政補佐官ジェシカ・ラップと、フェザーン駐留艦隊になるグリーンヒルの第七艦隊がフェザーンへ到着した。

 

 そして同盟情報部随一の腕利き、バグダッシュ大佐も一緒だ。

 これから思想面での工作活動にあれこれ活躍してもらう。

 

 

 当然だがフェザーン市民は同盟風の統治法に直面し、大いに戸惑った。

 柔らかいが自主的な規律を求めるやり方だ。

 しかしフェザーン市民は予想より早く順応した。やはり帝国ではフェザーンが一番自由闊達の精神があり、順応性が高かった。これは同盟の戦略にとってとても幸先がいい。

 そして思いがけないことにフェザーン市民の間で同盟官僚、同盟軍人のいずれも人気が出た。

 統治者や進駐してきた軍が人気を博すというのも不思議なことだが、同盟から来た人々は節制と自重をきちんと実践していたせいである。

 とりわけ元から清廉潔白なドワイト・グリーンヒル元帥は人気者になった。

 

「料理達者な元帥」「家事も元帥級」本来の仕事とまるで関係のない呼び方で親しまれたものだ。

 

 

 

 

 

 一方、オーディンのラインハルトは治療の甲斐もなくゆっくりと衰弱が進んでいった。

 

 当初は病床にあってもキルヒアイスとこれからの帝国軍の戦略について語り合った。

 しかし今ではそんなこともめったにない。

 体力はすっかり失われ、そして覇気もまた消えつつあるのだ。

 

 キルヒアイスはそんなラインハルトを喜ばせようと良いニュースを運んできた。

 

「ラインハルト様、先日ミュラー提督がマリーンドルフ伯爵令嬢と婚約なさいました!」

「そうか。ヒルダというあの嬢は聡明だからいいだろうな。ミュラーとお似合いだ」

 

 ミュラーは明るく屈託ない性格だ。ただし心の奥底は見かけとは違う。

 寂しがりで理解者を求めている、そうラインハルトは看破していた。

 そしてヒルダが聡明なのはよくわかっている。そうであればこそ、ヒルダの愛情だけでなく、その理解力はきっとミュラーの心の芯を癒すだろう。

 

「それでラインハルト様、婚約式の席でビッテンフェルト提督が二人の付き合いはいつからか、と聞いたのです。するとマリーンドルフ嬢は302日前と正確に答えたのです!」

 

 これにラインハルトは笑わざるを得ない。

 

「あの嬢らしいな」

 

 いかにも聡明な嬢らしいエピソードではないか。

 しかし話には続きがある。

 

「ラインハルト様、お聞き下さい。調子に乗ったビッテンフェルト提督が、それで子供はいつ生まれるのか、と言いました。それに対し、何とマリーンドルフ嬢は467日と答えたのです」

 

 ラインハルトは怪訝な顔をした。

 頭脳明晰という問題ではなく、どうやったらそんな日数の出しようがあるのか。

 未来、しかもけっこう先の未来まで。

 

「会場の皆もしばらくラインハルト様と同じ顔をして静まり返りました。するとマリーンドルフ嬢は、顔を赤くして私が25歳のうちに産むからです、と答えました」

 

 いっそう大きな声でラインハルトは笑った。

 

「もちろん、ビッテンフェルト提督はその後ミュラー提督に首を絞められておいででした。ミュラー提督は顔は笑っていましたが、力は物凄く強かったと思います。ビッテンフェルト提督は全く呼吸できなかったようですから。そしてわたくしはビッテンフェルト提督の腕を押さえていました。足はアイゼナッハ提督が」

 

 ラインハルトは目を閉じる。

 そんな賑やかな提督たちの情景が目に浮かぶようだ。

 

「その時アイゼナッハ提督も笑っているように見えました」

「まさかアイゼナッハが? よし、ミュラーの結婚式にはアイゼナッハが祝辞を読むのだ。これは命令だ。アイゼナッハも声を出す練習をするがいい」

 

 冗談を言いながら、そんな提督たちを持って自分は幸せだったな、とラインハルトは思う。

 たぶん諸提督は自分が病床にあるからこそ慶事をするのだろう。

 自粛ではなく、その方がラインハルトが喜ぶと知っているのだ。能力もだが気遣いもまた一級品の提督たちだ。

 

 そんな彼らをラインハルトは誇りに思う。よくこれまでついてきてくれた。

 

 

 

 

 次の日にはアンネローゼがラインハルトのためラズベリーパイを焼いて持ってきた。

 

 ラインハルトに食欲がないのを知っている。

 やや酸味を強くして食欲が増すように考えて作った。アンネローゼは菓子の味など自在に操るのだ。

 

 ラインハルトは久しぶりにパイの小片を残さず食べた。

 

「姉上の作ってくれる味だ。わざわざありがとうございます」

 

 何を他人行儀な。

 アンネローゼは鋭気をなくした弟に不吉な影を感じた。

 

 アンネローゼがそう思ったくらいだ。いつも横にいるサビーネが思っていないはずがない。

 そして見るところ、サビーネはそういう鋭気を失ったラインハルトと楽しく談笑している。まるで慈しむかのような時を過ごしている。

 

 これは、覚悟を決めたからだ!

 

 残りの日々を大切に大切に一滴も余さず愛おしんでいるのだ。

 これも一つの愛の形、なんと美しい刹那の愛であることか!

 

 そしてアンネローゼは弟に対し、これ以上ないたむけを言う。

 

「ラインハルト、夫婦になりましたね。おめでとう。あなたはようやく私から離れられたのですよ」

 

 

 

 

 その次にはまたキルヒアイスが良いニュースを持ってきた。

 

「ラインハルト様、二人で乗った駆逐艦、ハーメルンIIを憶えていらっしゃいますでしょうか」

「こいつ、忘れるわけがないだろ! あの反乱やらアルトミュールの脱出やら、思い出深いことだらけだ」

 

 ラインハルトもキルヒアイスも最初から将官だったわけはない。

 幼年学校を卒業し、ただの准尉から始めている。艦の中でもほんの下っ端だ。

 一番最初に乗ったのがこの駆逐艦であり、そこでも地位は高くない。だがこの駆逐艦は同盟領の中を長駆するという大作戦に従事し、絶体絶命の中を逃避行するという羽目になる。その危機をラインハルトとキルヒアイスの機略によって凌ぎ切ったものだ。思い出深くないはずがない。

 

「そのハーメルンIIが未だ現役で稼働しています!」

「な、何! まだ撃沈もされず無事なのか」

 

 それは嬉しい。あれからも幾度も戦場に出たはずなのに、奇跡的だ。

 

「さすがにアデナウアー艦長はとっくに栄転されていました。ですが、アラヌス・ザイデル伍長は准尉になってまだ機関部に勤務しておいででした」

「そうか、良かった。本当に」

 

 キルヒアイスがラインハルトのためにわざわざ調べてくれたのだろう。それだけでも嬉しいことだ。

 

「よく調べてくれたキルヒアイス。それと一つ頼みがあるのだが」

「何でしょう。ラインハルト様」

「先ごろ生まれたミッターマイヤーの子と、置いて行かれたというロイエンタールの子を見たい」

 

 

 

 ちょっと意外なラインハルトの頼みではある。

 しかしさっそくノイエ・サンスーシーにミッターマイヤー夫妻とその子、そしてロイエンタールとその子が同時に出仕した。

 ロイエンタールは未だ自分で子を抱かず従者に任せていたが。

 

「近くで見せてくれ」

 

 ラインハルトにこう言われ、先ずはミッターマイヤーの妻エヴァンゼリンが我が子フェリックス・ミッターマイヤーを抱いておずおず近付く。エヴァンゼリンはさすがにこういう場には慣れていない。

 その生まれたばかりの子を一目見てラインハルトが言う。

 

「良い子だ。さぞかし名将になるだろう」

 

 次にロイエンタールの子を近付けさせた。

 ロイエンタールに自分で抱かせて近寄らせたが、なんとも危なっかしい抱き方をしている。

 

「何だ。ロイエンタール。抱き慣れていないとは悪い父親だ」

 

 ロイエンタールには釈明のしようもない。事実なのだから。

 実際、子供とどう接したらいいかわからないのだ。自分がされた子育てがふと頭をよぎる。それはあまりに不幸だった。親と子、どちらにとっても。

 

 だが本当のところ自分はこの子とうまくやっていけるという気がしていた。ありのままのロイエンタールで。なんとなくそう思うのだ。

 

「ミッターマイヤーの子とロイエンタールの子は八カ月違いと聞いている」

「御意」

「すると、もし二人が軍人になれば幼年学校では同じ学年になるな」

 

 それがまたラインハルトには嬉しい!

 

 この子らに自分とキルヒアイスを重ねて見てしまうのだ。

 無二の親友、自分を構成するもう一つの部分、決して失ってはいけない魂の片割れ、そんなことをこの新しい世代に見て取ってしまう。世代も時代も変われどそれはたぶん永遠に素晴らしいつながりであろう。

 

 横にいるキルヒアイスにもラインハルトの思いはよくわかる。

 

 ふいにロイエンタールの子がぐずりだす。

 するとエヴァンゼリンが自分の子をミッターマイヤーに預け、どうしていいか分からないロイエンタールからその子供を受け取ってあやす。

 

 偶然のことなのか。

 

 二人の子供が近寄せられるた瞬間があった。

 その途端、ロイエンタールの子がぐずるのを止めてもう一人の子を認める。

 不思議なものを見るように見て手を伸ばそうとしている。

 

 それに呼応して、ミッターマイヤーの子もまた指先を懸命に伸ばし、つながりを求めようとしている。

 この二人の子は……

 

 夢ではなくラインハルト様のお考え通りになる、キルヒアイスさえ確信めいたものを感じた。

 

 

 

 

 

 いよいよその時が迫った。宇宙歴801年7月26日のことだった。

 

 ラインハルトの最期は親しいものしか見ていない。公式の記録に残されているものはほとんどないのだ。

 だがラインハルトが全ての人に感謝の言葉を述べたことは疑う余地がないことである。

 

 それ以外の最期の様子は、むしろ残された人々の行動にこそヒントがあるのかもしれない。

 サビーネは涙を隠そうともしなかった。

 しかし顔は決して伏せず、気丈に振る舞う。

 

「ラインハルト様は死んだのではありません。命数を使い果たしたのです。誰もできない仕事を成し遂げて、それが終わったのです」

 

 

 しばらくの月日の後、キルヒアイスとアンネローゼは結婚した。

 二人はラインハルトが最期の時に見せた気遣いを思い出す。

 

「姉上、キルヒアイスを長い事お借りしていました。今、お返しいたします」

「ラインハルト!」

 

「そしてキルヒアイス、姉上を頼む」

「…… 承知しました。ラインハルト様」

 

 

 キルヒアイスとアンネローゼはいつまでも憶えている。

 二人には、もう一人ラインハルトという決して切り離せない存在があったことを。

 桁外れの才気を持ち、気難かしいが真っすぐな心を持つ黄金の若者がいたのだ。

 いつも三人で笑っていた。

 そんな時代があったことを忘れない。

 

 

 こうして一つの伝説が終わった。

 

 

 

 




 
 
次回予告 最終話  見つめる先には

とうとう最終!
明るくどんちゃん騒ぎの大団円!

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