見つめる先には   作:おゆ

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第百二話  宇宙暦801年 五月 深慮遠謀

 

 

 そうしている間にも銀河の歴史は止まることなく動く。

 

 今度は政治の季節だ。

 同盟政府は第三次アムリッツァ会戦の結果を踏まえ、帝国に改めて和平交渉を持ちかけた。

 

 同盟軍はつい先日オーディンへの道筋の半分まで進軍したという事実があり、その後の戦いでも充分に善戦している。それを交渉材料に変える。

 帝国は今傷を負っていて戦うことは考えてもいない。

 それは同盟も同じだが、先手を打って弱みに付け込んでいるのだ。

 

 同盟は進軍した分の辺境帝国領の割譲とフェザーン共同統治、賠償金、同盟有利な軍縮を要求した。

 ここまで大きく出たの帝国側の事情を見透かしてのことだ。

 

 しかしサビーネ皇帝と帝国政府はこの要求を突っぱねた。

 

 ラインハルトが病床にあるこの時期に要求してきた、ということで逆にサビーネは敵愾心を燃やしたからだ。

 

「ラインハルト様がせっかく戦って下さった帝国領をわたくしが奪われてなるもんですか。攻めるというなら攻めてきてごらんなさい。今度はわたくしが戦います」

 

 サビーネは実際に自分が陣頭に立ち、ブリュンヒルトに乗ることまで指示した。驚いた廷臣が止めにかかる。銀河帝国皇帝が戦いの矢面に立つなど過去の例を見ても極小で、少なくともここ数代はなかった話だ。

 サビーネが本気だということは皆に分かった。

 

 

 一方、同盟政府はヤンに命じてしばしばイゼルローンから帝国領に出ての示威行動を行わせた。

 

「なんで仕事を増やすんだ。もう一生分、いや二生分は働いたと思っていたんだが」

「それならブランデーの方も一生分飲まれたと言ってますわ」

 

 フレデリカがやんわりとなだめにかかる。だいぶヤンの操縦法も分かってきたようだ。

 実際のところ航行だけで戦闘はない。

 ヤンの方も帝国軍も無意味な遭遇戦など願い下げなのだ。

 

 

 

 和平交渉はそれでも水面下で進み、同盟側は早々と領土要求を取り下げた。

 元々そこは重視していなかった。軍縮交渉もこれからの課題ということで先送り、賠償金もほぼないに等しいところまで下げられた。

 それらは単なる同盟の面子のようなものだ。

 

 そしてやっと一定の合意を見た。積極的軍事行動の停止と開拓民の保護、通商の再開などがそれに含まれる。

 

 それともう一つ、同盟の要求の中でフェザーン自治領の共同統治だけは勝ち取っている。

 同盟からも行政補佐官を出すことになったのだ。

 

 また同盟から艦隊を派遣してフェザーン駐留艦隊としておくことも認められた。

 同盟市民を保護すると同時にフェザーンににらみを効かせて統治をスムースにするためである。この駐留艦隊の選考も秘密裏に行われたが、さほど難しい話ではない。この駐留艦隊の人選は最初から決まっているようなものだ。

 イゼルローン回廊とは違い、純軍事的なことはあまり問題ではなく、それよりも政治的な力量と培ってきた名声が必要とされる。

 

 公正で良識に溢れたといえばドワイト・グリーンヒル元帥しかいないではないか!

 

 そして麾下の同盟第七艦隊がフェザーン駐留艦隊になることに決められた。グリーンヒルの統合作戦本部行きはいったん棚上げだ。

 

 ただし軍人であるドワイト・グリーンヒルに行政補佐官を兼任させるわけにいかない。文民統制を是とする同盟としては当然である。というわけで政治家の中から補佐官を選んで派遣する必要がある。

 

 しかしこのフェザーンの行政補佐官を誰に命じるか…… 同盟政府は頭を悩ませた。

 これに評議会の誰もが尻込みしたからだ。

 もちろん未経験の仕事だ。統治がうまくいくかも分からないのに加えて、テロの危険もある。もちろん帝国との軍事的最前線であるからにはその緊張が付いて回る。

 前向きなのはホアン・ルイやアイランズだが、皮肉なことに彼らに行かせるわけにいかない。逆にそういった有能な人材は今の最高評議会に欠かせない。

 

 考慮の上、候補者を一人に絞り込んだ。

 先のクーデター事件以来とみに評判を上げている評議員、ジェシカ・ラップである。

 

 

 

 

 ホアン・ルイとアイランズがジェシカのもとを訪ねた。

 率直にホアンが話し出す。

 

「さて、フェザーン行きについて君に同盟政府から打診が来ていると思うんだがねえ」

「ええ、確かにそういう話が来ています。なぜか私に……」

「それの返事を聞く前に君に私たちから説明させてもらいたいことがあるんだよ」

「説明、ですか?」

 

 ジェシカは訝しく思う。

 改まって何だろう。最高評議会議員が二人も来て説明とは。

 先にアイランズがジェシカに言う。

 

「そもそも今回、同盟から帝国に対し交渉をもちかけ、政治的に仕掛けたことを不思議には思わないだろうか」

「…… それは、今回の戦いで同盟軍もまた大きく傷ついた結果なのでは? それで話し合いと」

「うん、そうともいえる。しかし今までの同盟ならそれでも軍事に頼り、帝国を力ずくで民主化しようとすると思わないかな」

「それは確かに。よく考えたら同盟は帝国民衆の解放を国是とし、政治的交渉など考えるはずはないといえばそうです。何で変わったのか……」

「それには二つある」

 

 話は大きいものだ。

 アイランズが問いかけた通り、なぜか同盟は話し合いという手段を用いた。強硬派が不協和音を奏でても、それを押さえこんでまで。

 

 

 今度はホアンからジェシカに話す。

 

「それは、一つにはジェシカ女史、君の反戦運動の結果だよ」

「私の……」

「そう、君の努力が一定実ったんだ。戦いによる悲劇に皆が目を向けるようになったんだよ。これは誇っていいい」

「ありがとうございます。そう言って頂けて。しかしホアン評議員、もう一つというのは?」

 

 ジェシカの行動も意味があったのだ!

 しかしジェシカはもう一つのことというのに興味があった。なぜなら頭脳明晰なジェシカはそれこそが重要なことだと感じ取っていたのだ。

 

 

 

 ホアンはその同盟の戦略の根幹に関わるものを説明していく。

 

「以前のことだ。同盟軍が帝国領侵攻作戦を行ったが無残な失敗に終わったことは知ってると思う」

 

 いきなり話題が随分前に飛ぶ! いったいどういう話なのだろう。

 ジェシカは取り合えず分かっていることを話す。

 

「ホアン議員、それはもちろん、同盟軍は補給を受けられず、勝利条件のないまま戦いを続けたということでしょう。最後は帝国軍の大軍に包まれて、大損害を受け、かろうじて撤退できたという結果に」

「確かにそうとも言えるけれど。しかしジェシカ女史、それは一面を切り取ったものに過ぎない。問題は別にあるんだよ」

「その問題とはいったい…… やはり政治的なことでしょうか」

 

 

 ジェシカにはぼんやり分かるものがある。ホアンの言いたいことは戦いそのものではないに違いない。今話題にしているのは政治のことなのだから。

 

 アイランズがそれに明確な解答を与えた。

 

「それは同盟が民主主義を唱えて進軍しても、帝国の民衆は何の動きもしなかったということなのだ! 一緒に蜂起どころじゃない。理解すらされない。かえって厄介者扱いされただけに終わった」

「それで、補給もままならなかったのでしょうね」

「そう、帝国領に入って初めて分かった。尤も深刻な問題は、民主主義に賛同どころか理解もされなかったことなのだ。分かってもらえると思ったのはこちらの思い込みに過ぎなかった。それが帝国領侵攻ではっきりした。侵攻した意義は唯一そのことが分かったことだと言っていい」

 

 少しジェシカにも理解できてきた。

 そのことと、今回のフェザーン行きの関連について。

 

 

「帝国民衆にただ民主主義を押し付けても喜ぶどころか迷惑に思われる。ならばゆっくりと意味を教えてあげないと」

「おお、さすがにジェシカ女史、分かってきたようだね」

「その教える突破口がどこかに必要……」

「確かに突破口、さて、それはどこだろう」

 

 自分で思考をまとめにかかるジェシカをホアンが喜んで見ている。

 

「それがフェザーン!」

「そうとも! ジェシカ女史、それが正解だよ。今回同盟がフェザーン共同統治を勝ち取ることにどうしてもこだわったのもそこに理由があるんだ。表向きは経済支配の打破ということにしてある。フェザーンの持つ同盟企業の債権をなんとかするためのね。それは実は帝国に対する目くらましだ」

「実際に狙うところはそうじゃなく、帝国に民主主義を浸透させる広告塔にフェザーンを使うんですね」

 

 これは、まさに同盟側の深慮遠謀だ!

 

 武力ではなく先ずは思想を浸透させるのだ。

 民主化はそうでなければとんでもない混乱しかもたらさない。

 

 そのためのフェザーン共同統治だ。

 まさにそこへ銀河の行く末がかかっている。人類社会の未来が行政補佐官の肩にかかるのだ。

 ジェシカに事の重大さが恐ろしいほど分かった。

 

 

「ご名答。時間をかけ、帝国の民衆自身に民主主義を理解してもらい、自分の手で帝国を変えようとしてもらう。そうなってから同盟軍は手助けにかかればいい。そうでなければ、たとえ軍事的に同盟軍が勝ってオーディンを陥としても帝国の民衆に恨みを買うだけで、帝国は何も変わらない」

「では、フェザーンの行政補佐官は治安を守りつつ、民衆への思想面での戦略を行うと。かなり重要な役職ということになりますが、しかし逆に私にできるかどうか」

 

 ジェシカは政治家として闘志を燃やすどころか、ちょっと尻込みしてしまう。

 あまりに話が大きいからだ。

 

「君にできる、いや、君にしかできないとお墨付きをもらっているんだよ」

「ええ? いったい、誰がそんなことを?」

 

 ここでホアンとアイランズが視線を合わせた。

 今が内幕をばらす時だ。

 

「実は今話したことは私らの独創じゃない。軍の上層部と話してそこからもらったアイデアなんだ。もちろん軍上層部といえば当然元帥が入ってくる」

 

 それならばジェシカの知っている人間は一人しかいない。

 

「あっ、ではこのアイデアも、私の推薦も、ヤンの!!」

 

 その通りだ。

 ヤンは積極的に同盟軍上層部に今後の戦略の話をしていた。

 そして、ついに国防委員長アイランズとその友ホアンとも話をする機会があったのだ。軍事より交渉、そして思想戦略こそ鍵を握るものだと。

 

 

 ジェシカはフェザーンの行政補佐官を受けることにした。

 

 ヤンのジェシカに対する信頼があるのだ。

 それに応える。

 女としてのことは過去のことだ。しかし、今は政治家として応えるという道がある。

 

 ヤン、私はそれに応えたい!

 

「ヤン・ウェンリーがそういうのなら、私にきっとできるのでしょう。フェザーンへ行きます」

「それは嬉しい! ジェシカ女史、承知してもらえるのならまだ公表されていない機密を教えよう。フェザーンには一時同盟第七艦隊が駐留するが、いずれそれに代わり同盟第九艦隊が駐留することに決めた」

 

 もちろん、ジェシカの夫であるラップが一緒にフェザーンに行くということでもある。

 これは粋な計らいだ。

 

 

 

 

 一方、フェザーンが同盟主導の統治となることを聞いて動き出した者がいた。

 先に拘禁から脱出して潜伏していたニコラス・ボルテックである。

 

「今こそ帝国に復讐し、同盟に恩を売りつけてやろう」

 

 ボルテックは旧来の価値観しか持っていない。

 単純な帝国と同盟、フェザーンのパワーバランスだった過去のことしか。そんな時代は既に終わっている。フェザーンはキャスティングボードを握る立場ではない。

 

 今は思想や戦略という高度な次元に行ってしまっているというのに。

 

 そしてボルテックは同盟に恩を売れば同盟の保護下でフェザーンの自治領主として返り咲けると思っている。

 描いているのは自分にとって都合のいい幻想の未来だ。もはや現実など見えていない。どのみちもう強大な自治領主が登場できるわけはなく、亡きルビンスキーがフェザーンの栄華を極めた時期に君臨した事実上最後の自治領主だった。

 

 

 この頃、オーベルシュタインは粛々とフェザーン明け渡しの準備を進めている。

 

 統治行政の大半は同盟に譲り渡し、帝国側は通商面で主に権利を残す。

 ということは帝国側のフェザーン駐留要員で必要なのは監査官や経済官僚になる。もうフェザーンにオーベルシュタインがいる必要性はなく、その頭脳はオーディンにあった方が有効なのだ。

 

 オーベルシュタインは変な工作などせずに自分の作り出した行政機構を同盟に明け渡した。

 むしろ積極的にそっくり渡したといっていい。

 そのため、後に同盟は苦労することなくフェザーンを運営できている。

 そしてその行政機構は大変にしっかりしたもので、実に合理的な組織体制であり、また適材適所に各人が登用されている。素晴らしく効率的なものだった。

 

 これによりフェザーンでは後々までオーベルシュタインの行政官としての評価が高い。

 

 

 そんな折、事件が起きる!

 

 オーベルシュタインは老いた愛犬がいつもと違う吼え方をするのに気付いた。

 異変に対処する間もなく館にロケット弾が次々と撃ち込まれた。多方向からの同時襲撃、しかも防備システムの探知範囲外ぎりぎりからの攻撃だった。

 

 オーベルシュタインは館のシェルターに駆け込むのが間に合わない。

 腹部に致命傷を負ってしまう。

 

 ボルテックのような二流の役者があのオーベルシュタインへのテロに成功するとは、やはりフェザーンには時代の流れというものが分からず、ボルテックと同じような考えを持つ者が多かったのだ。帝国を裏切る企てに賛同する人間は少なくない数に及んでいた。

 

 それ以上に実行に当たっては地の利がある。武器を購入するのも隠すのも容易だ。フェザーンはボルテックの庭も同然なのである。

 

「このテロはおそらくボルテックの仕業だ。見つけ出して必ず処罰するよう」

 

 オーベルシュタインが淡々と指示を部下のアントン・フェルナー中佐に伝えている。

 それは治療を拒否し、確実に死にゆく者とは思えない落ち着いた様子だった。

 

「それとフェルナー中佐、うちの犬の世話を頼む。もう老い先短い。やわらかく煮た鶏肉を思い通りに食べさせてやってくれ」

 

 そこまで言うとオーベルシュタインはいったん目を閉じて考え込んだ。

 また目を開けて最後の指示を伝える。

 

「机の二番目の引き出しを開ければ、ペンダントが見つかる。その中にある情報チップをサビーネ陛下に渡るようにせよ。これは亡きリヒテンラーデ宰相の置き土産だ。必ず頼む」

 

 そこまで言うと安らかな表情をした。自分の一生の仕事に満足した者の顔だ。

 オーベルシュタインはそのまま眠るように逝った。

 

 

 

 その翌日ニコラス・ボルテックは捕らえられ、オーディンへと移送された。フェルナー中佐もまた怜悧であり有能である。

 

 そしてオーディンではオーベルシュタインの後を引き継いでいた国家安全保障局長ハイドリッヒ・ラングが手ぐすね引いて待ち構える。

 

 ボルテックはラングにとっては尊敬する上司をテロで死なせた犯人だ。

 裁判など迂遠なことは必要ない。

 そんな楽な処刑で終わらせてしまうなどするものか。

 

 ボルテックは本人の予測とは真逆の未来を甘受する。

 二度とは出られぬ闇の深みへと消えた。

 

 

 




 
 
次回予告 第百三話  残照消ゆ

ついにこの時が……

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