この第三次アムリッツァ会戦は中盤に差し掛かっている。
今、本隊以外の帝国軍はビッテンフェルト、メックリンガー、アイゼナッハのわずか三人の将が担っている。
昏倒から回復したミュラー、同じように負傷したルッツやワーレンも指揮をとり続けたが、本来の辣腕ぶりからは程遠いものだ。
一方の同盟軍の戦線も似たようなものである。
モートン第三艦隊、カールセン第四艦隊、ビュコック第五艦隊、アップルトン第八艦隊、ボロディン第十二艦隊、そしてヤンの第十三艦隊が戦っているのみだ。
帝国軍は本隊救援を意識せざるを得なかったため各艦隊の思惑で大きく動き、乱戦に入りつつある。
だが乱戦の中でもヤンの指揮は卓越していた。
帝国艦隊へ長距離ミサイルを放ち、その連携を妨害する。
味方の同盟艦隊については各個に目の前の相手に専念させながら、その上でうまく連携がとれる位置に誘導していくのだ。そんな巧妙な全体指揮を行なっている。
結果的に帝国軍艦隊はいつのまにか死地に誘い込まれ思わぬ方向から攻撃を受けることになる。
逆に同盟軍は危機に陥ったと思ってもすぐに支援が来る。
全体を大きく見て艦隊の位置を調整するのはヤン・ウェンリーの得意とするところだった。
そんな本人の姿は行儀が悪い。
指揮コンソールの上にわざわざ上がり、座り込んで指示を考えている。
たまに艦が振動することがあると手に持った紅茶をこぼさないように体勢を整え直す。
そこだけ見たら艦隊総司令ではなく曲芸師だ。
「……とても器用だわ。でも椅子に座っていたらいいだけなのに」
フレデリカはいつもそう思う。
柱の陰に立つシェーンコップはやれやれという顔をしていた。
「先に不明だった第一艦隊クブルスリー大将、戦死を確認」
「第三艦隊旗艦アキレウス撃沈、モートン中将負傷!」
こういう悪いニュースを聞いても同盟軍はすぐに戦線を再構築し、全体として帝国軍に決定機を許さない。
帝国軍は思い知った。
自分たちは今までラインハルトの天才にいかに頼っていたのか。
帝国軍の強さは艦数の優越ではなく、覇王の全体指揮の下にあってこそのものだ。それがここにきて裏目にでた格好だ。
一方、そのラインハルトである。
ようやく帝国軍本隊と第九艦隊の戦いに終結が見えてきた。ラインハルトの思わぬ形で。
第七艦隊の側面援護をもらい、第九艦隊はただひたすらラインハルトの総旗艦ブリュンヒルトへと向かう。
防衛陣を突き崩し、突破に成功、そのまま躍り込む。
次第にスクリーンに白い艦が見えてくる。
必死の守りも排除し、ついに照準に捉えた!
その頃ブリュンヒルトではラインハルトが皆に退艦を勧められていた。
「閣下、ここで負けてもまた諸提督を糾合し復讐戦を挑めばよろしいではありませんか。いっときだけのことです。退艦は決して恥ではございません」
負けという言葉を使ってしまったのがまずかった。
ラインハルトは即座に反対する。
「卑怯者が最終的に勝者になった例があるか! ブリュンヒルトを降りなどしない」
周りは諦め、その説得をキルヒアイスに期待した。
その意を受けてキルヒアイスが近付こうとする。
その時オペレーターが叫ぶ!
「エネルギー波急速接近、本艦に来ます!」
いくつかがブリュンヒルトに当たったが、第一波は全てシールドが弾いた。ブリュンヒルトは帝国軍がコストを度外視して作った特別な艦、その性能は卓越している。
キルヒアイスは砲術士官と自らが交代し、素早く反撃にかかる。同盟の戦艦一隻を見事に沈めた。
こうして一度は危機を凌いだが、第二波はこうはいかなかった。
直撃弾の振動が艦体を鈍く揺らす。これで艦首部が破損し砲撃はできなくなった。だが艦橋や動力部に支障はなく、まだ航行は可能だ。
一方のキャロラインは帝国軍総旗艦ブリュンヒルトの白く美しい姿をスクリーンに見ている。
帝国の直衛艦はそれを必死に守ろうと遮ってくる。
文字通り命に代えても守る。気迫の守備だ。それらの艦をいくつもキャロラインは見た。そんな艦は皆、大破されてもなお火線から退避しない。ブリュンヒルトの身代わりを爆散する瞬間まで勤め上げるために。
しかし気迫では私も負けるものか。
それらを排除し、パラミデュースと僚艦は突き進む。
正面からブリュンヒルトを見据えて言う。
「あの白い艦だけに照準を合わせて下さい。攻撃開始!」
キャロラインは一瞬心が動揺したが攻撃を命じた。
白い艦はさすがに総旗艦らしく強靭だ。しかも的確な反撃をしてきた。味方の戦艦一隻が沈められ、二隻が大破する。
だが、立て続けの砲撃でやっとシールドを破ったようだ。
ついに止めを刺すか。なぜか心の動揺が激しくなる。
またしてもそうはさせじという帝国艦の群れが殺到するのを横目で見る。
キャロラインは攻撃を止めた。
僚艦と共に防備態勢を取りながら後退に転じる。
それを認めたラインハルトは数瞬の間だけ動きを止めていたが、やがて命じた。
「こちらも後退し、艦列を立て直す。他の艦隊も同様に下がらせよ。また損害状況を報告するように」
キャロラインは自分のした判断を何とも評価できず戸惑いの中にあった。
「これでよかったのだろうか…… この戦いは本当に悲劇だわ。こんなに悲惨なのに敵意や悪意は感じられないなんて」
先のアンドリューへの帝国軍の攻撃も決して騙し討ちではない。
悪意のない堂々の戦いだった。
それは悪意どころか立派な信念に基づいたもので、それが余計に戦いを悲劇にしてしまうのだ。
パラミデュースは後退し第九艦隊もまとまりつつある。
そしてキャロラインには一つ、やらねばならない辛い仕事が待ち構えている。
全体通信の封鎖を解かなくては。
無理やり心の重みを跳ね除けて言う。
「通信を開いて下さい。私はヤン提督と連絡を取らないと」
それを実行する前にスールズカリッターとフェーガンが何事か語り合い、キャロラインに近付いてきたではないか。
「済みません、司令官。通信封鎖はしていませんでした。それでお伝えしたいことがあります」
艦長フェーガンがそう言う。
キャロラインが何か言う前に急いでスールズカリッターが言葉を足す。
「アンドリューの奴は、無事だった! あいつは秀才のくせに器用な奴だ」
「え!?」
アンドリュー・フォークは生きている!
あの時残った三百隻の方に移って逃げ切っていた。
キャロラインは知る。兄さんは無事だった。
ああ、本当に良かった。
感情が乱れ、心の持って行き場がなくなったキャロラインは指揮シートやコンソールや、スールズカリッターまで叩いて回る。困ったな、という顔をスールズカリッターはしていたが、そんなことはキャロラインには当然だ。
おそらく通信を切るよう命じたキャロラインに配慮して今まで黙っていたのだろう。
実際は通信を切ってなどいなかったのだ。
スールズカリッターもフェーガンもキャロラインに軍規違反を犯させるつもりはなかった。そしてアンドリューの無事を先に聞いていたに違いない。叩かれて当然だ。
戦場はいったん停戦状態になる。
両軍とも再編し、損失を算定、そこで残存艦数が分かる。帝国軍は六万九千隻、同盟軍は五万七千隻ほどだ。
普通には考えられないほどの死闘だ。同盟側は敵領から生還するため、帝国側は大戦略を無にしないため激しく戦った。結果失われた艦は共におびただしい。
なおも帝国軍の艦艇が多いが、当初から比べればその差はかなり縮まっている。何より帝国軍には無事な将が少ない。
ラインハルトは最終的に断念し、オーディンへ退いた。
その胸中を知る者はキルヒアイスを除いて誰もいない。
こうして第三次アムリッツァの戦いが終わった。
「勝った! 俺たちの勝ちだ! 奇跡のヤン、魔術師ヤン、万歳!」
同盟軍の将兵は歓声を上げてやまない。
一時は全滅も覚悟せざるをえない劣勢だったのに、見事な勝利を収めたのだ。まさに奇跡の勝利としか言いようがない。
第九艦隊に限って言えば、当然だがヤンよりもキャロラインを賞賛する声がいっそう大きい。
「無敵の女提督はまたしても無敵! その知謀にかなうものなし!」
戦いで唯一あのラインハルト夫君陛下を追い詰めた誇りがある。
第九艦隊の士気は高い。
当事者のヤンとキャロラインは戦いが終わりほっとしていることは確かだが、喜色満面というわけではない。何よりも損害が多く出たのは確かなのだ。
「ヤン提督、やっと終わりました」
「本当に大きな戦いだった。やっとこれでイゼルローンに帰れる」
「そうですね。しかし犠牲は大きく、たくさんの人が同盟に帰り着くこともなくここで死ぬことになりました。その帰りを待っている人たちは更に多いでしょうに。何と言っておわびすれば」
キャロラインは非難をしているのではない、その言葉は自分に向けて語ったものだ。
「確かに多くが死んでいった。提督でも、クブルスリー提督、パエッタ提督、ウランフ提督、ファーレンハイト提督が。こんな戦いは終わらせなくてはならない」
平和への思いが更に強くなったのだろう。ヤンが力を込めて言う。
次回予告 第百一話 柔らかな灰