戦車道は衰退しました 作:アスパラ
「妖精……、にわかには信じがたい」
ノンナさんは独自の情報網を持って突き詰めた事実を前に目を見開いていました。
先日、聖グロのダージリンさんが幼児化するという怪現象を目撃したノンナさんが死力を尽くして調べたのです。
「しかしダージリンの事例をかんがみれば、受け入れるよりほかないのでしょう……」
その中には、大洗のとある人間が妖精に関する情報を独占している、あるいは妖精の関わった騒動を隠滅して回っているというものもありましたが、ノンナさんは関係ないものと握りつぶします。
「妖精の力さえあれば……。私の願いが……」
ノンナさんの瞳に、暗く冷たい炎が燃えました。
その後ノンナさんは妖精さんを探し回りました。大洗との試合で起きた不可思議な出来事は妖精さんの存在を確信に変えました。
「妖精、出てきなさい。お前たちの存在はすでに把握しているのですよ」
妖精さんじゃなくても絶対出てきたくなくなりますよ、それ。と忠告してくれる人などおりません。ノンナさんの苦労はそのまま徒労へと変換されていきます。
そんなあるときのことでした。妖精さんの道具を発見したのは。
「…………」
髪留めなどを入れておいたおせんべいの空き缶の中に、いつの間にか入っていたそれをノンナさんは凝視します。
「……ドックタグ、という奴でしょうか」
それは金属製のチェーンに名前を書くプレートがつけられたキーホルダーのようなものでした。軍隊なんかで使われている個人認識票のようにも見えますが、ネームプレート部分には紙がはめられていて、ペンで名前を書くことができる仕様です。
それが二人分ありました。その横に豆本も。
「取扱説明書、ですか。『あなたの名前は何ですか?』という道具? 自分と相手の名前を書き、首から自分の名が書かれたものをかける。その後タグを入れ替えれば、―-----精神が入れ替わるっ!?」
妖精さん道具『あなたの名前は何ですか?』。これこそ彼女が探し求めていたものでした。
高身長のノンナさんは、昔からそれをコンプレックスに感じていました。カチューシャさんが聞けば怒り狂うでしょうが、彼女は背の低いカチューシャさんがうらやましかったのです。
ノンナさんは読みかけの豆本を放り投げます。
「これでカチューシャの視線を体感できる。カチューシャと一心同体に……」
ハンバート・ハンバートみたいな欲望がにじんでいるような気もしますが、あえては触れますまい。
さっそくノンナさんはカチューシャさんの自室に向かいます。
「失礼します、カチューシャ」
「んー」
カチューシャさんはこたつに入って何かをしたためていました。
「お仕事ですか?」
「こないだの試合、連盟が感想書いてきてくれーっていうから書いてるのよ」
「ペンで大丈夫ですか? 失敗したら」
「バカにしないでよねノンナ!」
「そうですか。……カチューシャ、そのペンすこしお借りしても?」
「え? いいわよ、別に」
ノンナさんはカチューシャさんからペンを借りると、自分とカチューシャさんの名前を『あなたの名前は何ですか?』に書きました。
そして『ノンナ』と書いた分を自分が、『カチューシャ』と書いた分をカチューシャさんにかけます。
「なにこれ」
「ちょっとした贈り物です。ところでカチューシャ、そろそろお昼寝の時間では?」
「あら、そうね。なんだか眠くなってきちゃった」
「では、僭越ながら」
ノンナさんはいつもの子守歌でカチューシャさんを寝かしつけます。疲れていたのか、カチューシャさんはすぐに夢の世界へと旅立っていきました。
「……ふっふっふ」
永久凍土の奥底から湧き上がってきたかのような、冷たい笑い声。ノンナさんは野望を果たすべく、自分とカチューシャさんの『あなたの名前は何ですか?』を入れ替えました。
一瞬立ちくらみが襲い、気が付いたときには、
「やった! やりました。これでどこからどう見てもカチューシャです!」
ノンナさんの記憶はカチューシャさんの中にすっぽりと収まったのでした。
文字情報でしかお伝えできないのが悔やまれるほど、完璧に入れ替わっています。ノンナさんの体に入ってしまったカチューシャさんは、ノンナさんの体でぐっすりと眠っています。
「……自分の寝顔は初めて見ましたね」
少しだけ奇妙に感じながら、ノンナさんは立ち上がりました。立ち上がってるのかわからなくなるほどの視界でした。
「これが、カチューシャの世界……」
謎の感動に打ち震えています。ノンナさんは好奇心の赴くまま部屋の外へと飛びだしました。
いつもは低く感じる天井がはるか上にあります。見るものすべてが大きく感じました。
「あんれえ? ガチューシャ様でねえか? お仕事終わったんでべか?」
標準的プラウダ訛りで声をかけられましたが、ノンナさんはしばらく気づきませんでした。
「ガチューシャ様?」
「……あ、私ですか? ニーナ」
「へ? そーですけど……」
ニーナさんが奇妙な顔をしてそこに立っていました。ノンナさんは、自分がカチューシャさんであることを思い出し、敬愛する彼女の名誉を傷つけないよう振舞います。
「何用であるか、同志ニーナ」
「はあ?」
理想が出過ぎました。ノンナさんはゴホンと咳払いし、普段から詳細に観察しているカチューシャさんの挙動をまねします。
「ど、どうかしたの、ニーナ」
「れんめーからのお仕事、おわっだんだべか?」
「え、ええ。偉大なるカチューシャの手にかかればちょちょいのちょいよ!」
普段絶対にしないような言葉遣いで、すこしだけ顔が赤くなります。
「そうかぁ。てっぎりまたノンナ様に放り投げだんじゃないがって思ったですわ。あ、そんでも、あの人ガチューシャ様のお仕事なら何でも聞いてしまうぐらいお方だもんなぁ。さすがにどうかと思うべ」
「…………」
「ひいっ!? ノンナ様みたいな冷だい目っ!?」
「いえ、別に」
ニーナさんという少女は少しおしゃべりがすぎるようです。ノンナさん基準で考えれば、カチューシャさんの命に従うことは当たり前であるのに。
あとでニーナさんに再教育を行うことを決意したノンナさんは、その場を後にしました。すると今度は、
「おや? カチューシャ様ではアリマセンカ?」
ロシア語なまりの同志、クラーラさんと遭遇します。
「Здравствуйте, Клара Цеткин」
つい普段の癖が出ました。
「っ!?」
ロシア語を解さないはずのカチューシャさんが流ちょうなロシア語を話したことに、クラーラさんが目を見開きます。
「さ、さっきノンナに教えてもらったのよ! どう、あってるかしら?」
「ああ、ナルホド。ドーリでノンナのナマリだと思いマシタ。とってもオジョーズですよ!……
「
「!!!???」
カチューシャさんがわからないことを良いことに、ロシア語であれやこれやを呟いていたクラーラさんをけん制します。これでしばらくは大人しくしていることでしょう。
「ああ、いいです。最高です」
クラーラさんと別れ、再び廊下を進みます。憧れていたカチューシャさんの体に入り、ノンナさんのテンションは最高潮でした。普段なかなか目にできない微笑みを浮かべています。
ですので、
「おや、カチューシャ。ご機嫌ですね」
「……え?」
自分と出会った時、とっさに反応できませんでした。