戦車道は衰退しました 作:アスパラ
「もしかして私、体が縮んでしまったのっ!?」
流石隊長。状況をいち早く理解します。
ダージリンさんは目測で身長十センチほどにまで縮んでしまっていたのです。そう、以前クスノキ(以下略)がひどい目に合った、例の計量スプーンの類似品でしょう。
ですがここは妖精さんがいない過去世界。突然こんな童話事案に出くわすと尋常でない混乱に
「とりあえずペコのところに行きましょう」
おっとダージリンさん、慌て取り乱すことなくオレンジペコさんを頼ることに決めました。ペコさんに対する全幅の信頼が見て取れますが、こんなことで頼られても困るでしょうに。
なんてことは一切気にせず、ダージリンさんはとことことことこペコさんの部屋に向かいます。お隣の部屋なのですが妖精さんサイズの彼女には大冒険です。
数十分ほどして、なんとかペコさんの部屋にたどり着きます。
彼女は机に向かって何やら勉強中のようでした。
「ペコ~! ペコ~!」
入室するや否やダージリンさんが叫びますが、彼女には聞こえていません。
ダージリンさんは仕方なくえっせ、よいせ、と苦労して、ペコさんの机の上にロッククライミング、もといデスククライミングし、ペコさんの目の前に躍り出ます。
「こんなんなっちゃったー(聞いてペコ! 妖精さんにもらった道具のせいで私こんな姿になってしまったの!)」
「よ、妖精さんっ!? アッサム様が封印していらしたはずじゃ……」
「ちゃうちゃう(違うのよ! 私はダージリンよ! 妖精さんじゃないの!)」
「それは……ダージリン様のコスプレ? よくできていますね……」
「ごほんにんとーじょーです?(だから本人だって!)」
語彙レベルが妖精さん水準まで低下しているため、全然話が通じません。ダージリンさんはしょぼんとしょぼくれてしまいます。
「ふふふ。ダージリン様ではないですけど、よく見ればかわいいですね」
「にんげんさん? (ペコ……)」
「はいはい。今大事な勉強の最中なので終わったらアッサム様のところに戻りましょう」
「べんきょーですか?(あら? お勉強中だったの?)」
「はい。ダージリン様が購入されたり、図書館で借りられた格言の本を私も予習しているんです」
ダージリンさんがノートを覗くと、そこにはたしかにダージリンさんが昨日ネット通販でこっそり手に入れた「恋の格言集~甘酸っぱい言葉を乙女のあなたに~」が広げられ、一つ一つが丁寧にノートにまとめられていますた。
「にんげんさん……(ペコ、あなたここまでして)」
「ダージリン様にお付きするものとして、当然の努力ですよ。インターネットの閲覧履歴や普段の行動もカメラにしっかり記録して、一挙手一投足を見逃さないようにしています」
「すごいですー(ペコ……。あなたがここまでの努力をしていたなんて私知らなかったわ。隊長失格ね)」
「あれ? そういえばさっきからダージリン様がお部屋にいらっしゃらない……普段ならアンチョビさんから借りた『恋愛詩集100選』をベットで読まれているはずなのに……。談話室? いや、ここにもいらっしゃらない……」
ペコさんは机の前に置かれたパソコンディスプレイをにらみながら、カーソルをカチカチと忙しく動かし始めました。
これ以上、ペコさんの邪魔をしてはいけない。そう感じたダージリンさんは、こっそりとペコさんの部屋から抜け出します。
「いないいないいない。定点カメラの設置されていないところに行ってしまわれたなんて……。ダージリン様……。いけない、オレンジペコ。ここはダージリン様の爪の垢でも飲んで落ち着かなくては」
このあとのペコさんの行動については、深くは記述しません。
ただ、「他人の爪の垢を煎じて飲む」というよく知られた慣用句ですが、これを実行するのはいかがなものかというクスノキの里のうら若き美人調停事務所所長の個人的な私見を、参考までにここに挿入しておきます。
次にダージリンさんが訪れたのは、聖グロの頼れる情報通、アッサムさんの部屋です。
「アッサーム? アッサムー? 聞こえたら返事してちょうだいー?」
しかし返事は返ってきません。かわりに、
「はい。そうです。データ通りにお願いします。はい、では、入金は後ほど」
という声が聞こえてきました。どうやら、どなたかとお電話中みたいです。
「まったくダージリンったらまた体重を増やして……。また作り直さなおす羽目になってしまったわ。これで12体目……。でも私のダージリン・コレクションに。うふふふふ」
電話を切ると、開口一番ダージリンさんへの愚痴が飛びだします。
「……やっぱり怒ってるわよね」
ダージリンさんは扉の前で躊躇してしまいました。自分が大はしゃぎしたせいで、アッサムさんは大洗への連絡をはじめ、妖精さん対策の奔走する羽目になってしまったのですから。
あれほど危険だから触れるなと口を酸っぱくしていたアッサムさんの前に、今のダージリンさんが姿を現せば、どうなるかは火を見るより明らかです。
「ろ、ローズヒップのところに行きましょう」
ダージリンさんはくるりと背を向けました。
ローズヒップさんのところへ向かうと、
「ローズヒップー」
「ムニャムニャ……、リミッター外しますわよぉ~」
「ルクリリ―」
「ばぁかめー、にどもだまされるかぁ~」
お二方ともご就寝していました。
「け、健康的なのはいいことね」
頼みの綱がぷっつり切断されましたが、ダージリンさんはめげません。
「そ、そうだわ、今度はバニラのところに」
その時、ダージリンさんは何かの気配を察しました。それは、戦車道にいそしむ彼女だからこそ感じることができたものでしょう。
「……なに?」
全神経を集中させます。聖グロの廊下は大理石。足音なら聞こえるはずです。
ダージリンさんの耳は、あの音をとらえました。
カサカサ、カサカサ。
「ひっ!?」
本能がその存在を感知した時、やつは目の前にいました。
「食事食事食事食事食事食事食事」
生態的にほとんど害がないにもかかわらず、全人類から親の仇のごとき扱いを受けるあれ。
ゴキブリ目チャバネゴキブリ科に属し、日本中ほぼどこにでも出現するあれ。
「き、きゃぁぁぁぁぁあああああっ」
ゴキ、登場。
「食事食事食事食事食事食事食事」
しかし今、ダージリンさんとゴキの関係は完全に被食者と補食者でした。
「ひ、や、止めて……」
壁際に追いつけられるダージリンさん。追い詰めるゴキ。
文字通りの絶体絶命でした。
「ペコぉ……、アッサムぅ……」
仲間たちの顔が脳裏をよぎります。走馬燈でした。いろいろな思いが彼女の心中に去来します。
「もう、終わりなのね……。もっとみんなと、戦車に乗りたかった……」
ダージリンさんが、その短い人生を振り返った直後、
「検知! 逃亡逃亡逃亡!」
ゴキが突如逃げ出しました。
「あれ?」
「見つけましたよ、ダージリンさん」
「あ、あなたは!」
片手にぶら下げた妖精さん羅針盤。もう片手には殺虫剤。
「だから言ったのに」
わたしです。
――――――――――――――――――
「というわけで、こちらでも緊急の処置をしたのですが」
「ダダダダ、ダージリン様っ!?」
「ああ、なんてこと……」
身長110センチ台のダージリンさんを前に、オレンジペコさんとアッサムさんは言葉を失っていました。
紅茶に変えられたダージリンさんの知能ですが、このドタバタの間に蒸発してしまったらしく全部飲んでも元には戻りませんでした。
「お勉強すれば元に戻ります」
「おべんきょー……」
ダージリンさんの顔が引きつります。心なしか舌っ足らずになっているようです。
「聞きましたね、ダージリン。明日から勉強漬けですよ」
「ち、ちょっとぐらいいーんじゃないかしら?」
「だめです! そんな姿じゃ表に出れないでしょう! 私の部屋で付きっきりで見てあげます!」
「けち」
「ダージリン?」
母と娘みたいな会話を聞きながら、わたしはとあるものが目に入りました。部屋に置かれているステレオ。ここから「英国集団兵」が流れています。
「……ペコさん、あのステレオは?」
「え? ああ、そういえば初めて見ました」
ステレオに近づいて、よく観察します。英国風の調度品に囲まれた中では異彩を放つメカニカルなステレオ。
「わーにんわーにんー」
妖精さん羅針盤がバンバン反応しています。
「妖精さーん?」
「はーいー」
ぴょーんと中から出てきました。
「これ、妖精さんのものですよね?」
ステレオを指さすと、妖精さんが自慢げに胸を張ります。
「がんばったったー」
『ステレオタイプステレオ』。それが、妖精さん製ステレオの名称でした。
これは、聞いたものを「ステレオタイプ」的行動に誘導してしまうという代物だそうです。ここにいる皆さんはおそらく、このステレオの影響下に入っていたのでしょう。
わたしがその説明をすると、みなさん首を傾げます。
「「「そう言われても……」」」
自覚なしですか。では、先日継続高校を訪問した際にいただいたあれを使い、我々の時代まで伝わっている古典的ジョークを使って検査をしましょう。
「ではお尋ねしますが……、このサルミアッキ、食べたいですか?」
妖精さんですら拒否した、それを「飴」と形容すればこの世のすべてが飴になるだろう味のそれを差し出すと、皆さん予想通り顔をしかめます。
「「「いいえ」」」
「食べた方は淑女ですよ」
「「「もらいますっ!」」」
はい決定―。ステレオは回収します。
たしかにこれ以外に異常はないようですが、もしかしたら見えない部分で何かしらの影響を受けていたのでしょう。ええ。
さて、聖グロでの事案も解決したことですので、これにて一件落着としましょう。
じゃなくて!
なんでまた、わたしのいない聖グロで童話事案が起きてしまったのでしょう。彼女たちは妖精さんを一目見ただけなんですよ。それだけで、ここまで影響を及ぼすようになるなんて。
「……妖精はまだ黎明期もいいとこのはずなんですけどね」
「何かいーましたか? ちょーてーかんさん」
「いいえ、ダージリンさん。早く元に戻ってくださいね」
――――――――――
「か、カチューシャ、どど、どーしたのとつぜん来るなんて」
「え? 大洗について教えてくれるっていうのになかなかプラウダに来ないから来てあげたんじゃない。……なんだか視線近くない?」
「ききき、気のせーよ。ええ。気のせー。人がちぢむなんてあるわけないじゃない!」
「そうね! きっとカチューシャが大きくなったんだわ!」
【……! ダージリン様の身長、135センチ! 確かに縮んでおられる!】
「何か言った? ノンナ」
「いいえ」
【これは……、調査しなければ】
ステレオタイプステレオ……本来ステレオタイプとは、ある集団に向けられた固定概念のことを言うそうです。これから流れる、「場にぴったりな音楽」を聞くと、その人や集団に向けられた固定概念通りに振舞ってしまうんだそう。ちなみにどこから向けられた固定概念なのか妖精さんに尋ねたところ、「うえのほう?」「じげんちゃうとこかもー」という答えをいただきました。
―わたしの使ったジョークの元ネタ―
船が沈没しかけているが、避難ボートが足りない。船長はイギリス人の客にこういった。
「ここで飛び込んだ人は紳士ですよ」
イギリス人は飛び込んだ。
これ以外にもバージョンがあります。日本人に言ったのは、
「みんな飛び込みましたよ」
だそうです。