銀河英雄伝説異伝   作:はむはむ

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第36話

[失意]

 

兄の生気が失せた頭を膝に乗せ、私は茫然としていた。

時が止まった、いや思い出していたのだ、本当の両親を失ったあの日を。

人民が何かを知る事もコミットする事も許されない帝国の体制はあまりに理不尽で超える事の

出来ない大きな壁であった。

壁に投げつけらえた卵は、ただ爆ぜるしかない。

兄は何かを為せたのだろうか。

 

遺体を鑑識に回した後、ロイエンタール元帥は痛ましげに私にだけ聞こえるように呟いた。

「俺としても無念だ」とだけ。

その配慮も嬉しいとは思わず、ただ私はロイエンタール提督に守られたように立っている

女性、エリザベート大公女を意味も無く見つめていた。

この女性を救う為に兄は死んだ、少なくとも私はそう思った。

 

「…最も深いお悔みの念をお伝えさせて頂きます。いえ…私にはその資格はありませんが

そうさせて下さると…助かります」

エリザベート大公女はそう言葉をかけて下さった。

私は機械的に頭を下げる。

する事は多いが、何も頭に入らない状態であった。

 

「お父さん、お母さん、僕が傍にいながら…兄さんには何時も何時も守られていて…最後もそうでした」

沈痛に沈む父と母。

そっとお互いを抱き合い、慰めと悲しみを共有していた。

「マークス。お前がいてくれて、無事でいてくれて…あの子も安らかに逝けたと思うの、ありがとう」

 

兄を殺したのはオフレッサー大将だが、オフレッサーは道具に過ぎなかった。

帝国という硬直したシステムが兄を殺したのだ。

それだけは忘れない、私は自分自身にそう誓った。

 

ブラウンシュバイク公はガイエスブルグで留守中に、突如としてワープアウトしてきたローエングラム

大元帥の艦隊に囲まれ、抵抗も出来ず降伏した。

公の身柄は絶好の政治的道具として留保されていると聞いた。

 

オーディンに降下したロイエンタール旗下のベルゲングリューン大将がリヒテンラーデ公を捕縛し、国璽

を奪い、正式に現皇帝は終身年金と共に表舞台を去り、エリザベート大公女の即位が予定されている。

全ては暫時であった。

正式に賊軍となったローエングラム大元帥を倒し、同盟との和平を実現させてこその新皇帝であった。

 

ロイエンタールの部下から、ローエングラム大元帥の姉で寵姫であった、グリューネバルト妃を人質に

ブラウンシュバイク公を奪還する手も提示されたが、ロイエンタールは一蹴した。

 

血は血を呼び、復讐は復讐を求める。

それは少なくともロイエンタール元帥の側が求める正義では無かった。

ローエングラム大元帥が求める正義は、既にその大義を失っていた。

 

フェザーン星系に展開するローエングラム大元帥は同盟にも帝国にもその兵力を集中させることの出来る

立場にある。

同盟政府は星間航行能力のある船、武装船艇などをかき集め、アルテミスの首飾りとその寄せ集めの艦隊

でハイネセンを守る体制に入り、あえてヤン提督とビュコック提督は呼び返さず、同盟政府も今回の

協約による作戦展開にかけていた。

 

宇宙を3分する勢力のうち、そのどれもが終局を求めて動いている。

宇宙はその歴史の少なくとも銀河腕上で起きている人類という生命体の争いの歴史に一つのフィナーレ

を求めていた。

いや、宇宙の摂理などというものでは無く、卓越した英雄、そしてその英雄の周囲を囲う人々の意志

そのものが化学反応を起こ宇宙の歴史は大きく地すべりした。

 

「まさかこうなるとは。生きていると色々ありますな、提督」

ヤンは旗艦ヒューべりオンのガンルームで珍しく杯を傾けていた。

シェーンコップは、先日の死闘を特に色に見せず、平然と杯を重ねていた。

「想定内に行かないのが想定内さ。自己撞着だね、これは」

ヤンの瞳には若干の悲しみがある。

キルヒアイスという勇将への惜別以上に、ローエングラム大元帥へのそれであった。

からりと、ヤンの手元のグラスの氷がなる。

「結局、人類は個々意志を有しているからいけないのかね。一層原初のアメーバだった頃と今、どちら

が進歩したんだか」

「らしくもない。三文作家のような事を考えなくても貴方にはする事が沢山あるでしょうに」

「ローエングラム大元帥を倒すのかね、帝国の為に、この私が」

倒置したように言葉をスクラブルし、ヤンは今度こそ嘆息した

 

残存貴族勢力の内、リッテンハイム公がブラウンシュバイク憎しで、ローエングラム大元帥の側へと

走ったのはその数刻の後であった。

 

リッテンハイム公の私的艦隊数は2万隻。

ローエングラム大元帥は全銀河を戦慄される作戦をとった。

一度は受け入れる旨を申し渡し、リッテンハイム公の当座艦がガイエスブルグ要塞のガイエスハーケンの

射程に近づくと一斉斉射でもってリッテンハイム侯を葬り、彼と共にかってエリザベートと帝位の座を

本人の異に反して争ったザビーネも最後を共にした。

これによりローエングラム大元帥は、完全に大義名分を失った。

 

彼は一言「裏切りは許さぬ」とだけ語ったと伝えられている。


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