銀河英雄伝説異伝   作:はむはむ

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第30話

[もう一人の皇帝候補]

 

イゼルローン討伐は失敗した。

表向きはそうなっている。

ロイエンタール元帥は数千隻の損害を受け、補給が尽きたために撤退。

ヤン艦隊とイゼルローン要塞は健在であった。

 

「失態であったな、ロイエンタール元帥」

長距離通信で、ラインハルトの白磁のような顔に、若干の嘲弄が浮かんでいる。

ロイエンタールは「はっ」とだけ述べ、頭を深々と下げた。

「まあ良い。これで俺が出なければあのヤンは倒せないとはっきりしたわけだ」

「安心しろ。今回はセレモニーだ。卿への処罰は無い」

ロイエンタールは再度、礼をした。

 

 

ロイエンタールは帝国艦隊の集結地となったガイエスブルグ要塞に帰り着くと、

フレーゲル男爵経由で、ブラウンシュバイク公との面談の約束をとりつける。

帝都オーディンの壮大なブラウンシュバイック公の邸宅に招かれたのは、その3日

後であった。

 

無駄に広大に庭が見事に手入れされている。

全て人間による手仕事であった。

 

「して、どうした元帥」

入室し、開口一番、ブラウンシュバイク公は不機嫌そうに言った。

実際、皇孫であるアンリエッタが皇帝の座につけず、リッテンハイム公が我が世

の春を謳歌しているのが気に食わなかったのだ。

「公へとご相談に参りました」

アンリエッタ…評判の悪いブラウンシュバイク子女、その子供が皇帝レースに

失敗しても、もう一人、ブラインシュバイク公には娘が居た。

エリザベート。

アンリエッタの影に隠れたように目立たない存在ではあったが、豪奢というより

も可憐な、そして詩や歌舞よりも学問が好きな、公からすると地味な子であった。

だが、今はその子、エリザベートが頼りの綱である。

 

しかし、問題が一つだけあった。

エリザベートは公の血を引いていない。

ブラウンシュバイク公が党首となるために、先代のブラウンシュバイク公爵家当主

から座を貰い受ける為、身持の悪かった当時の公爵の娘、元ブラウンシュバイク公

の奥方は婚礼を上げる前に、既に身重の身であった。

父親はようとしてしれない。

それがエリザベートを日陰の身とする理由でもあった。

 

「公よ…エリザベート様はご機嫌如何か?」

ロイエンタールは、彼らしくもなく、歯切れ悪く言う。

「息災でおるわ。アンリエッタの奴はあれ以来、荒れておるがな、知らんわ」

アンリエッタは、即位を逃した後、荒れに荒れ、メイドを電気鞭で鞭うち、その

感情のうっ憤を晴らしたという噂もあった。

 

ロイエンタールは、コーヒーを飲みくだす。

それと共に、苦いものをも飲み干した。

「一度、エリザベート様にお会い出来ないものかと思ってな」

ブラウンシュバイク公は鼻白む。

「卿の噂は聞いておる。まさか、エリザベートに手を出すつもりではなかろうな?」

ロイエンタールは今度こそ苦笑した。

「そんなつもりでは無い。…公よ、現在のザビーネ皇帝の体制を長続きさせるつもり

か?」

直裁に尋ねた。

「そんなつもりは無いわ。必ず…アンリエッタを皇帝にしてくれる」

ちんと、コーヒーカップを指で弾いた。

「そこが意識の切り替えようなのだ。アンリエッタ様でなくとも、公にはもう一人、

御子がおるであろう?」

「…エリザベートの事か。あれは…皇孫では無いぞ」

「皇孫でなくとも、優れた資質があれば…それは帝国の為にもなろう」

ブラウンシュバイク公は思案する。

「それで一度会いたいと申すか。…確かにあれは英邁な娘だが…果たして、卿の思う

ように物事は動くものかな」

ブラウンシュバイク公は、ロイエンタールの差し出した餌に食いつく。

「それはお会いして決める事だろうな」

 

一層、質素とも言える部屋の三方の壁が全て書棚で覆われ、どこかかび臭い。

貴賓の子女の部屋は薔薇の香りと決まっているものだがなと、ロイエンタールは思った。

眼鏡をその細い鼻筋にかけ、エリザベートは立ち上がる。

「…これはロイエンタール元帥。御機嫌よう。貴方の噂は聞いておりますわ…。良い噂

もそうでない噂も」

テーブルの椅子を手で示し、ロイエンタールはそれに従い、腰を下した。

「凄い書籍の山だな…エリザベートどのは読書家と聞いていたが、これほどとは」

眼鏡を外し、テーブルに置く。

「まだまだ読み足りませんわ。世界は知るにたると私は信じておりますの。それに…」

「それに?」

「私は殿方のように表に出られない身。書物にしか救いはありませんもの」

ふと、エリザベートは嘆息した。

その美しい表情が少しだけ、陰る。

ロイエンタールは首を傾げた。

「そうとも限るまい。俺の旗下には女ながらに提督をやってる部下もいる。貴女の決心

次第であろう」

エリザベートは首を振る。

「お父様が許してくれません…」

ロイエンタールは単刀直入に言った。

「エリザベート殿、皇帝になる気はありませんか?」

 

エリザベートの白磁の肌がうっすらと朱に染まる。

「それは大逆ですわ」

「そうではない。現在のザビーネ皇帝陛下は美しいが凡庸な方、英邁な君主において

同盟との戦争に終止符を打ち、宇宙に調和をもたらす事、そしてその方にこそ至尊の

座は相応しい」

「叛徒…いえ、同盟とは…戦争ではなく、確かに、もう一つの道が必要ですわね」

さらりと、続ける。

「戦争で片がつくなら、もうついておりますものね。私はもう一つ…興味と観察の対象

がおりますの」

「ほう、なんでしょうな」

「事象ではありません、人です。…ヤン・ウェンリーという生きている至宝に」

 

賽は振られた。

エリザベートはこの世界の変革を望んでいる。

そして、英邁な彼女は同盟の完全制圧などでは無く、共存、そして立憲君主制という

新しい皮袋においてのみ、新しい世界という美酒が注がれるのを理解出来るだろう。

ブラウンシュバイク公やリッテンハイム公などに何れ消えて貰わなくてはならないかも

しれないが、或いは彼らも時代の趨勢を理解出来るのかもしれない。

 

世界は昏く不分明であったが、夜明け前が一番昏いと聞く。

フェザーンへの帝国と同盟の対外債務は莫大であった。

そして、フェザーンの消滅は、その対外債務を消滅させ、新たに生じた、フェザーンの

政体から新たなる借財を強制出来る。

そう同盟と帝国の支配層に思わせる事が、この作戦の肝要な点であった。

 

そうして、同盟との秘密裡の会談の上、一つの事実が決定された。

近い将来、フェザーンの現政体は宇宙から消滅する事になる。


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