テイルズオブフェイシア ―己が神を信ずるRPG―   作:澄々紀行

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第1章 ―剣と魔王と黙示録―
Chapter6  非日常告げる言の葉


 

 あと十数分程で二十一の刻を迎えるだろうか。話の途中で祈りを捧げるのは、相手が相手ゆえ避けたいところだとフォルセは思う。

 

 目の前には一人の少女がいた。名をミレイという。彼女は現在、ヒルデリアの花壇を熱心に見つめていた。人目を憚ることなくしゃがみこみ、上機嫌に揺れ、時折きゃあきゃあと感動している。

 

 夜も更けてきた。周囲にはフォルセとミレイ以外誰もおらず、またやって来る様子もない。鮮やかな古代花の咲くこの一画――そこに漂う幻想的な静寂が、人々の来訪を退けているようだった。

 

 とはいえ、そんな静寂を震わせる楽しそうな声が、フォルセの眼下より聞こえてくるのだが。

 

 もしも他の信者がいたのなら、今度こそミレイは不審者として通報されていただろう。この場にフォルセ以外の人間がいないことは、実に幸いと言えた。

 

 

 ミレイに気付かれぬように、フォルセはそっと、息を吐いた。

 

 

 

「綺麗な花! これだけでも、はるばるグラツィオまで来た甲斐があったってものね!」

 

 

 ミレイは丸い双眸を子供のように輝かせ、感動を顕にした。視線の先に在るのは桜色をした掌大の花々。楕円形の花弁は幾つも重なり、筒状となっている。花は重力に従って垂れ下がっており、時折淡い光――微量のマナを溢している。

 

 

 この花こそが、ミレイが探し求めていたヒルデリアの花であった。

 

 

「そういえば……」

 

「どしたの、聖職者サマ」

 

「貴女の帽子の飾り、ヒルデリアの花を模したものですね」

 

 

 フォルセの指摘にそうよ、と呟いて、ミレイは自身の黒髪に乗る帽子――それに付けられた花飾りに触れた。桜色のそれは眼前に広がるヒルデリアの花をそのまま小さくしたようなもので、だが触れる様子を見ればそれが精巧なガラス細工であることがわかる。

 

 こういった旅人の装飾品は大抵しっかりと強化されるため、ミレイの花飾りは傷一つ無く、とても美しい状態を保っていた。

 

 

「綺麗でしょ? 多分あたしのお気に入りよ。……でも、別にこれ目当てでヒルデリアが見たかったんじゃないの」

 

「では、何が目的で?」

 

 

 ミレイは花壇から目を離した。すっくと立ち上がり、問いかけるフォルセの眼をしかと見据える。自信満々にふふんと笑い、自身の腰に提げられた白い表紙の本――レムの黙示録を手に取り、口を開く。

 

 

「『実りの舟が御座すその場所は、ある一柱(ひとばしら)の御許への扉なり。七つ目の鐘鳴りし時、〈神の愛し子の剣〉、一柱の前にて降臨する』」

 

 

 ミレイの口からすらすらと述べられたその言葉に、フォルセは眼を見開いた。

 

 

「……それは、」

 

「黙示録の一節。半年前に浮かび上がったこの文を頼りに、あたしは此処まで来たの」

 

 

 どう、凄いでしょ? そう言いたげに、得意気な表情でミレイは言った。

 

 「浮かび上がった?」フォルセが首を傾げれば、ミレイはよくぞ聞いてくれたとばかりにニカッと笑う。

 

 

「レムの黙示録には、元々何も書かれていなかったの。だけど半年前、このあたしが触れたその瞬間、黙示録は大きな音をたてて反応した。そして……そして、この文章が浮かび上がった!!」

 

 

 つまりあたしこそが黙示録の正当な所有者! 素敵! かっこいい!

 

 名乗った時と同様の口上を述べて、ミレイは持ち前の愛らしさを台無しにするようにアッハッハと笑った。非常に興奮している。危ない。どこからその高揚感が出てくるのか、全く不思議なものである。

 

 フォルセは頬をヒクリと引き攣らせた。半歩ほど下がり、乾いた笑いを浮かべてミレイを窺う。幼い顔に浮かぶ豪快なワハハ笑い――そんな状態でも、聖職者だからと警戒されるよりかはマシか、とフォルセは何処の誰とも知れぬ何かに向けて愛想笑いした。

 

 

 程無くして、ミレイはスッキリとしたイイ笑顔に落ち着いた。その様子を見届けて、フォルセは漸く声をかける。

 

 

「先程の文章、具体的にグラツィオを指しているようには聞こえませんでしたが……貴女はどう解釈なされたのですか?」

 

 

 疑問系で聞けば、ミレイは再び得意気な表情となった。が、そんな己の姿を“カッコ悪い”とでも思ったのか、コホンと咳払い一つし、至極落ち着いた様子を心掛けるようにゆっくりと答え出す。

 

 

「ヒルデリアの花は、別名“マナの方舟”。花が散る時、種と一緒に濃厚なマナを放出する神秘の花って言われてる。だからあたしは、このヒルデリアの花こそが、黙示録に書かれた『実りの舟』だと思ったの」

 

「なるほど」

 

「ヒルデリアの花がこんなに咲いてるのは、世界中でもこのグラツィオくらいだって思った。モチロン、根拠はそれだけじゃないわよ」

 

 

 そう言い、ミレイは夜空を背に聳え立つビフレスト大聖堂を見上げた。

 

 

「この大聖堂は、最も偉大な聖人の墓標だって思い出したの。だから文章の『ある一柱の御許への扉』っていうのが……」

 

「一柱とは神、即ち女神フレイヤのことですね。今では使われない数え方ですが……よく御存知で」

 

「えっ」

 

「えっ?」

 

 

 ミレイが突然声をあげた。その声色も表情も、驚きに満ちている。何をそんな思いもよらぬことを聞いたような顔をしているのかと、フォルセも内心動揺する。

 

 

「……一柱って神サマのことだったの? あたし、聖人……ユーミルって人のことだと思ってたんだけど」

 

 

 「神サマも聖人も同じようなもんだと思ったから」ミレイは暗い顔で呟いた。

 

 解釈の間違いは、ミレイが此処にいることそのものを否定することに繋がる。だから間違っているのはとてもマズイ。見る見るうちに青くなるその顔を、フォルセは苦笑混じりに見つめた。

 

 

「女神フレイヤが世界唯一の神として人々の心に宿る今、そのような数え方を用いることはありません。“一柱”という数え方は、旧暦時代……教えが統一しておらず、“神”と呼ばれる象徴が各地に複数存在していた頃に用いられたものです。

 貴女が仰った通り、ビフレスト大聖堂はフレイヤ教始祖である聖人ユーミルの墓、と言われています。ユーミルは女神フレイヤの教えを広め、最期には己の意志を継ぐ人々に見守られながら女神の御許へと向かわれました。ですから、」

 

「そ、そうなの? じゃあとりあえず此処で合ってるってことね!?」

 

 

 死後、聖人ユーミルは女神の御許へ向かった。ユーミルの墓は此処、ビフレスト大聖堂である。ゆえに大聖堂はユーミルの墓であり女神フレイヤへ続く道といえるだろう。「ある一柱の御許への扉」――その言葉を体現するように。

 

 やはり己は正しかった――ミレイは勢いを取り戻し、ひっくり返りそうなほど喜んだ。なんて嬉しそうなことか。フォルセはもう半歩ほど身を引いた。眼下に迫る少女の期待に応え、ぎこちなく頷く。鉄壁である筈の微笑みも若干危うくなってきたようで、どこか硬い。

 

 

「ええと……つまり、記述の前半はグラツィオの都を示している、ということで宜しいでしょうか」

 

「うん、そういうことになるかな。それがわかったところでぇ……」

 

 

 ミレイは意味ありげにニイッと笑った。

 

 

「『七つ目の鐘鳴りし時、〈神の愛し子の剣〉、一柱の前にて降臨する』」

 

 

 勿体振りつつ、黙示録の後半に当たる一文を再び読み上げる。そしてミレイは、ビフレスト大聖堂に隣接した鐘の塔を自信満々な表情で見上げた。

 

 あと少しで二十一の刻――一日の内の七度目に当たる鐘が鳴らされる。

 

 

「ほらほら、早く」

 

「……、はい?」

 

「ふふ、惚けても無駄よ。この黙示録はあなたに反応した……つまり! あなたこそがこの文章の中で一番意味わかんなかった〈神の愛し子の剣〉に違いないの! ……さあ、早く何かしてみて!」

 

「ええっ!? ……き、急にそんなことを言われても……」

 

 

 突然。あまりに突然の流れに、フォルセの笑みは今度こそ消え失せた。期待のこもった強い視線を真正面から受け、理不尽な要求をされているにも関わらず何故かどうにかしなければならないような気になってくる。いや流されてはいけない、兎に角彼女を落ち着かせないと、とフォルセは暴れ牛でも扱うようにどうどうと、ミレイを諌めようとした。

 

 が、そんなフォルセの努力も虚しく、ミレイの勢いは止まるところを知らない。

 

 

「もう覚悟はできてる、何が起こっても大丈夫よ! だからあなたも覚悟するの! さあ……さあさあさあっ!!」

 

「落ち着いてください! 確かにその本からはとても強い力を感じますが、ぼ……私がその〈神の愛し子の剣〉とやらであるという確証は、」

 

「黙示録の正当な所有者のあたしが! グラツィオにやって来たその夜に! あなたに出会った! そして黙示録が反応した! これが……これが必然でなくて何なのよっ!」

 

 

 ミレイの人差し指が、フォルセの鼻先にビシィッと突き付けられた。可笑しいな、どちらかと言えば最初は僕の方が“押して”いたのに、とフォルセは逃れるように指から目を逸らす――逸らした先まで指が追ってきた、どうあっても逃す気は無いらしい。

 

 対面してそれほど経っていないにも関わらず、ミレイの勢いは増す一方であった。フォルセもまさかここまで押しの強い少女だとは思わなかったがために、最早言葉を失っている。暫しの間視線を交わし、そらし、そして交わす。

 

 

「んもう! わかったわよ……ほら、特別に見せてあげるから! ねっ!!」

 

 

 ミレイは痺れを切らし、指もそのままに片手で器用に黙示録を開き、フォルセへ向けて勢いよく突きつけた。余程力を込めているのか、紙面に跡の残りそうな皺が寄っている。

 

 

「あ、ちょ……あまり乱暴に扱わないように……!」

 

 

 頁が折れてしまう――! フォルセは声を荒げ、慌てて両の手を伸ばした。歴史を感じさせる紙質でありながらたったの二文しか記されていない頁に、フォルセの指が軽く触れる――、

 

 

 

 “グラツィオに在る、〈神の愛し子の剣〉よ”

 

 

 

 ――ドクン、と一つ、鼓動が鳴った。

 

 

「っ!?」

 

 

 今宵再びとなる――心底より鷲掴まれる不快な感覚に、フォルセは鋭く息を呑んだ。音だけではない。聞こえてきたのは声。雑音混じりで聞き取りづらい、脳を直接揺さぶるような――男の声。

 

 フォルセは僅かに視線を落とした。指が熱い。見れば、レムの黙示録に刻まれた二文――「実りの舟が御座すその場所は、ある一柱の御許への扉なり。七つ目の鐘鳴りし時、〈神の愛し子の剣〉、一柱の前にて降臨する」――その全てが赤く赤く、光を発していた。

 

 

(……ヴィーグリック言語!)

 

 

 思考の殆どを持っていかれながら、フォルセは黙示録の文章を見て驚いた。黙示録に書いてあるのは、紛れも無く、聖なる神の言語であるヴィーグリック言語。予想通りといえばそうなのだが――、

 

 

(この娘……読めるのか?)

 

 

 どう見ても聖職とは関係ないミレイがヴィーグリック言語を読み解いたことにも、フォルセは驚きを隠せずにいた。

 

 

「ああっ!」

 

 

 ミレイが驚きに声をあげた。同時に、遥か頭上で荘厳なる鐘の音が高らかに響く。七度目の鐘、二十一の刻の鐘――フォルセは反射的に跪こうとした。だがそれは叶わなかった。ミレイがフォルセに押し付ける形となっていたレムの黙示録が、小刻みに震え、その存在感を急速に肥大化させていく。

 

 

「なっ、なに……レムの黙示録が……きゃあっ!」

 

 

 二文を照らす赤い光は勢いを増し、次いで黙示録ごと吹き飛んだ。ミレイの悲鳴があがり、後方へ落ちる――フォルセは手を伸ばし、倒れかけたその身を掴み、引き寄せた。

 

 

「……あ」

 

「御無事で?」

 

「う、うん……ありがと……」

 

 

 茫然とした表情で呟かれた礼に、フォルセは小さく微笑んだ。そしてミレイの無事を素早く確認し、笑みを消して向き直る。

 

 庭園を照らす赤い光――空中より湧き出でるその中にレムの黙示録は在った。風など吹いていない。にも関わらず、黙示録の頁はパラパラと勢いよく捲れ、そして止まった。そこはミレイの語った二文の刻まれた頁――ヴィーグリック言語で書かれたその文章が紙面より離れ、ふわりと浮き上がった。

 

 

 刻まれた文字が輝き、浮き上がる――まるでビフレスト大聖堂で行ったヴィグルテイン化のようだと、フォルセは目を見張った。そんな彼の視線の先で、赤く光る文字の羅列はくるくると回転し、集束していく。

 

 

 “グラツィオに在る、〈神の愛し子の剣〉よ――”

 

 

 再び聞こえた男の声に、フォルセ、そしてミレイは反応した。その声はどこから聞こえているのか、目の前で勢いを増す赤い光か、文字か、黙示録か、それとも――ふるりと震えるミレイを窺いながら、フォルセは神経を尖らせる。

 

 

 “その名の持つ、運命を――”

 

 

 声が、脳髄に直接入れ込むようにゆっくりと響き渡り、

 

 

 “――再誕せし、ノックスに示せ”

 

 

 レムの黙示録を包む赤い光が揺らぎ、爆発した。

 

 

 




2014/05/08
2014/08/05:加筆
2016/09/14:修正
2016/11/16:ハーメルン引越し

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