テイルズオブフェイシア ―己が神を信ずるRPG―   作:澄々紀行

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Chapter1  女神を信ずる世界

 

 木造の簡易な教会――その礼拝堂に、本を閉じる音が鳴る。静寂に満ちた空間に、その音はどこまでもどこまでも続くように反響した。

 

 (こうべ)を垂れて祈りを捧げていた者達が、一人、また一人と音の出所へと眼を向けていく。誰も言葉を発しはしない。言の葉を紡ぐのは誰なのか、皆知っていたからだ。

 

 

「心の波を静め、答えなさい」

 

 

 成人を控えた青年の声だ。どこか、悠然たる精神の色を帯び、礼拝堂を包む静寂へふわりと溶けていく。

 

 

「“あなた方が信じる神は、何者ですか?”」

 

 

 ステンドグラスから溢れる光を浴びながら言の葉を紡ぐのは、白い法衣を纏った一人の青年だった。天使の輪を築く金糸の髪を背に流し、目を閉じて、安らかに眠っているが如く穏やかな相貌に透けるような笑みを浮かべている。

 

 

 青年の言葉に沈黙無くして続くのは――“女神フレイヤ”の御名のみ。

 

 

「愛しましょう。何処かの彼方のその先までも。始祖ユーミルの名の下に、女神フレイヤの愛を片手に、ただただ等しく愛しましょう」

 

 

 青年は大きく両手を広げた。先程まで読み上げていた物語〈始祖ユーミルの軌跡〉の表紙を撫で、瞼を開く。慈愛に満ちた翡翠の眼が現れ、眼下に居る多くの“子羊”達を優しく見下ろした。

 

 

 祈ります、我らが愛する女神フレイヤよ――巡礼者達の声が幾重にも響き渡り、

 

 

「……祈ります、我らが愛する女神フレイヤよ」

 

 

 青年もまた、それに続く。

 

 

 

 祈りが終わった。青年は両手を下ろし、窓の外へゆっくりと目を向けた。どこまでも続く、緑を被った雄大なる山脈が広がっている。山脈内を流れる穏やかさを硝子越しに感じ取り、青年は笑みを深くした。

 

 

「祈りは聞き届けられました。女神はあなた方を祝福するでしょう。尊く思い、隣人を助け、ただ等しくその愛を広げなさい」

 

 

 青年は再び巡礼者達を見つめ、片手を広げて祝福の言葉を告げた。

 

 女神の慈愛に感謝します――巡礼者達の言葉が響く。その声を耳にしながら、青年は本を片手に台を降りた。

 

 

「……さあ皆さん、私の役目は終わりです。後は係の方に従って、清く正しく支度なさってください」

 

 

 纏う神聖さを霧散させ、青年は僅かに言葉を崩しながら軽く手を叩いた。それを合図に巡礼者達は多種多様な笑みを溢しながら席を立つ。

 

 神父様、ありがとうございました、これで安心して聖地に赴くことができます――そんな言葉を告げながら、巡礼者達は礼拝堂を出て行った。それら全てに言葉を返しつつ、青年は終始笑顔で彼らを見送る。

 

 老夫婦、幼子も含めた家族、また老夫婦、青年よりも歳が上や下の若者達――最後の巡礼者が出て行ったのを見届けて、青年は漸く息を吐くことができた。

 

 

「これで、此処での修練も終わりか。終わってみると、何だか寂しい気もするな」

 

 

 その言葉通り寂しげな表情で、青年はポツリと呟いた。もう一度、窓から外を見つめる。そこに神聖なるフェニルス霊山が広がっていることを、青年はよく知っていた。彼が居るこの教会は、霊山へ至る途中に在る所謂“休憩所”なのだから、知っているのは当然であった。

 

 

 青年が窓から目を離した時だった。お疲れ様です――老いた男性の声が青年の耳に届く。

 

 礼拝堂の脇から一人の神父が現れ、青年の元へと歩いてきた。穏やかな笑みを浮かべ、その顔の皺を更に深く増やしている。

 

 

 その神父は、教会の司祭であった。

 

 

「お帰りなさい、ペトリ様」

 

 

 青年は労いを込めてにこりと微笑んだ。神父ペトリが霊山を登る巡礼者達の案内をし、それが思いの外疲れることを知っていたがゆえに、青年は心からその労をねぎらっているのだ。

 

 青年の労いを嬉しそうに受けながら、ペトリは柔らかく口を開いた。

 

 

「学びのために貴方が教会に来て、今日で半年。思えば短いものでしたね」

 

「ええ本当に。今日で終いと言わず、もう少しこちらでお世話になりたいものです」

 

 

 冗談ともつかぬ青年の言葉にペトリは朗らかに笑う。

 

 

「貴方はまだ若い、学ぶ事は沢山ございましょう。半年という期間、このフェニルス霊山で貴方が学んだことを深く吟味し、広げ、愛し、いつかまた此処に訪れてください」

 

 

 ペトリの言葉に青年は小さく頷いた。もう少し此処に、とはやはり冗談であったようだ。神妙な面持ちではあるが、その瞳は存分に青年の想いを語っている。“聖地フェニルス霊山教会での修行”――青年にとっては確かに良い経験となっていた。

 

 

「ペトリ様とこの地に、女神フレイヤの加護在らんことを」

 

「ありがとうフォルセ。貴方にも、女神の加護在らんことを」

 

 

 敬愛する神父からの祝福を受け、青年――フォルセ・ティティスは己が感謝と親愛を込めて深く深く(こうべ)を垂れるのだった。

 

 

 

***

 

 

 惑星ホルスフレイン。全てを蝕む毒素たる瘴気の蔓延によって、嘗て滅びの危機を迎えた星。

 

 慈愛の女神フレイヤによって滅亡から救われたがゆえに、この世界では女神信仰が栄えていた。

 

 

『目の前の者を愛しましょう。隣人を愛しましょう。隣人の隣人を愛しましょう。名も知らぬ誰かを愛しましょう。――それこそが世界を満たす愛への軌跡だと知りましょう』

 

 

 女神フレイヤ、そしてその思想と言葉を継ぎ広めた始祖ユーミル、その愛によって救われし惑星ホルスフレイン。

 

 

 この三つを象徴とする唯一宗教を、フレイヤ教と呼ぶ。

 

 

 愛ゆえに愛せよ、とはフレイヤ教に触れた者なら誰もが耳にする言葉だろう。聖地フェニルス霊山を下りる青年、フォルセ・ティティスもまたその一人。否、寧ろ彼は、その言葉を信者に教え広める立場にあった。

 

 

 宗教団体フラン=ヴェルニカ教団――フレイヤ教信者を取り纏めるこの団体に、フォルセもまた一人の聖職者として所属していた。階位は司祭。その信仰心と才ゆえに、いずれは司教としての未来を期待されている若者だ。

 

 

 しかし、フォルセ自身はそういった権威には興味の欠片も無いように、時折こうして――此度のフェニルス霊山教会での修行のように――各地の教会に赴き、年配の神父達に教えを請うていた。それが一部の人間の苦笑を生んでいることをフォルセは知っていたが、己はまだまだ若輩の身ゆえ学ぶことは多いのだと、歳に見合わぬ微笑でのらりくらりとかわしている。

 

 

 

 フェニルス霊山中腹。教会での修練を終え、フォルセは(ふもと)へ向かって下山していた。それに伴い、現在フォルセは教会で着用していたものとは別の法衣を纏っている。

 

 山吹の紋様をあしらった白い祭服、それをベースにした僧兵服だ。司祭位を表す深緑のストールを首に掛け、左耳にはトパーズとアメジストのあしらわれたイヤーカフを着けている。腰回りを黄金の紐で締め、そこに修練用の経本と小さな荷物袋を提げていた。

 

 動きやすそうな要素と言えば足に穿くブーツくらいで、端から見ればひらひらと布地が舞って動きづらそうである。が、見た目通りではないのか、フォルセは何の苦もなくその格好で歩いていた。

 

 やがて、辿り着いた登山道の脇――落下防止のために作られた柵の近くでフォルセはおもむろに立ち止まった。晴れた蒼穹の下、雄々しき山々が一望できる。(ふもと)に比べれば風が強いが、気にするほどでもない。

 

 風で乱れる金髪を押さえながら、フォルセは山の光景をゆったりと楽しんでいた。澄みきった風を浴びながらこの山の上を飛べたらどんなに気持ちの良いことだろう、いっそ飛ぼうか此処から――実に満足そうな笑みを浮かべているが、こうして崖際に立つ者などそうはいない。現在、運良く昼前。時間が時間なら、フォルセは多くの者から奇異の目で見られたことだろう。

 

 

 下山するわりに、フォルセは実に身軽であった。荷と言えば、腰に提げる経本と小さな荷物袋のみ。霊山の道とはいえ時折魔物も現れるこの場所で、それは余りにも軽装過ぎた。

 

 しかしフォルセにとって、この荷の少なさは決して無謀などでは無かった。そもそも普段は荷物袋すら提げていないのだが――此処では割愛しよう。

 

 無謀ではない理由。それはフォルセがフラン=ヴェルニカの所持する自警団――ヴェルニカ騎士団に所属する騎士であるからだった。左耳に着けたイヤーカフが、真実騎士団の者であることを証明している。今回は騎士としてではなく一聖職者として出立しているために帯剣はしていない――が、それでも尚充分なほどの実力をフォルセは持っている。

 

 

『慈愛深く温厚な性格とは裏腹に、ヴェルニカの騎士はまるで無慈悲だ……』

 

 

 かつて何処かの地で一人の罪人が処刑の間際そう呟いたというが、果たして――。

 

 

 

 ふと思い立ち、フォルセは己の腰に提がる荷物袋を持ち上げた。落とさぬように注意しながら中を見る。旅人には必需品と謳われるグミ状の回復薬が数個、支度時と変わらず鎮座していた。フォルセ自身は甘いもの――特にフルーツの類を好いているのだが、この回復薬という名のグミにはどうも眉を顰めてしまうらしい。

 

 

「…………」

 

 

 暫しグミを見つめる。できれば使いたくないな、と小さく溜め息を吐きながら、フォルセは再び袋を腰に提げた。もう一度、眼前に広がる山々を一望する。深い緑、吸い込まれそうなほどに広がる空間。美しい。心が洗われるようだ。やはり飛ぶか。

 

 

 美しい光景から視線を外し、フォルセは再び歩き出した。重力に従い、そしてそれなりに逆らいながら悠々と道を下る。時折参拝客とその護衛たる騎士団員に出会いつつ、やがてフォルセは眼下に木々の生い茂っている崖へとやって来た。崖下を覗く。低い。容易に降りられそうだ。

 

 

「もうすぐ(ふもと)かな。“普通”に行けば、あと一時間くらいで着くけれど」

 

 

 小さく呟きながら、その足を道の外――崖へと向ける。周囲には誰もいない。誰もフォルセが登山道から外れていくのを見てはいない。フォルセは何の躊躇も無く歩を進め、崖下へと降りていった。

 

 

 崖の下には高い木々が生える森があった。歩を進めるにつれ、徐々に鬱蒼としていく。舗装されていない地面は少々歩きづらい。そして人の手の入らぬ地には、必然的に魔物が多く生息していた。一見愛らしい歩く小さな植物、群れで行動を成す狼、ぎょろりとした眼の小鳥――実力の差ゆえか、フォルセの敵意の無さゆえか、あまり襲われることは無かったが。

 

 

「……マナが、乱れている」

 

 

 暫く歩いた後、フォルセはポツリと呟いた。

 

 

 マナとは、あらゆる物質に宿る生命の源である。

 “星の息吹”とも言われ、大気中や大地、無機物、人と魔物の区別無く全ての生物に宿っている。また地水火風の四属性を操る術――魔術の行使に用いられるエネルギーとしても使われている。

 

 人間はその身にマナを宿している。フォルセも例外ではない。だからこそこうして周囲のマナを感じ取ることができる。身体を巡る血脈にも似た流れに意識を集中させ、己から外気へと這わせていく。

 

 

 揺れる。震える。弱々しく、暴れだしそうなほどに。感じたマナの乱れように、フォルセは僅かに眉を寄せた。

 

 

「霊山一帯は四属性のバランスが良い筈なのに。……熱く、揺らぎ、冷え、収まり、震えている。まるで彷徨える子羊のように……これは一体、」

 

 

 フォルセは訝しげな表情で立ち止まり、マナを一層感じ取るべく瞳を閉じた。瞑想でもしているかのように微動だにせず、ただただ星の命脈を探る。深くまで、探る。探る。その時――、

 

 

「――!」

 

 

 無防備なその背に、鋭利な爪が突き立てられた。

 

 

 




2013/12/01
2014/04/09:加筆
2014/05/01:加筆
2016/11/13:ハーメルン引越し

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