テイルズオブフェイシア ―己が神を信ずるRPG― 作:澄々紀行
今宵は泊まっていけと言われたため、一行は騎士団駐屯地の一室にて身を休めることとなった。
ミレイが文句を言うのを横目にしつつ、男女に分かれて部屋に入る。が、一人はつまらんと喚いた彼女によって、哀れなあみにんが連れていかれた。それをほんの少し心配しながら、相変わらず取材と称してあれこれ聞いてくるシドをかわし、フォルセは明日からの旅に備えてベッドに入る。
――。
そして――チュンチュンと小鳥のさえずりが聞こえてきた。朝焼けがカーテンの隙間から見える頃、フォルセは予定の半分も眠れなかった、ともすればずっと覚醒状態にあった瞳を開けた。
「グゴゴ……ゴガ、グゴォオオ……」
油の指していない歯車のような“声”が、隣のベッドから絶えず聞こえてくる。そこで眠るのは昨日同行者となったジャーナリストだ。大口を開け、気持ち良さそうに眠っている彼のいびきは、フォルセにとって不眠で瞑想するのに丁度良いものだった。丁度良い。んなわけはない。誰が旅立ち前夜に徹夜したいものか。フォルセはむくりと起き上がり、据わった眼で隣人を見遣る。
「こんなことなら……」
「ゴガゴゴ、グゴォ、ゴゴガガ……ガッ、ガッ」
「……法術で、無理やり眠りにつけばよかった」
神父のぼやきを聞く者は、いない。
「起きろ、司祭フォルセ」
「あっ、はい」フォルセは夢路から帰還した。ぼんやり気味の瞳を向ける先では、敬愛する大司教エイルーが呆れ顔で座っている。場所は昨日と同じ一室だ。彼女の足下には古びた箱やら書物やらが未だ積んである。
「らしくないな、旅立ちを思って緊張したか?」
「いえ、その……すみません」
「まぁよい。朝食前に呼び出したのだから、多少寝ていようがとやかくは言わぬ。……用事はこれだ」
エイルーは足下から小さな箱を取り出した。ソーサラーリングのものと同じような、しかし古くはない真新しい箱だ。また指輪だろうか、とフォルセが寝惚けた頭で考えている間に、その箱は開けられた。
箱の中には、何時だったかフォルセがフェニルス霊山より拾ってきた赤黒い宝石――その割り砕かれた一部が入っていた。
「! エイルー様、これについて何か……?」
フォルセの頭が一気に目覚めた。
「黙示録に合わせ、この石についても急ぎ調べさせていた。昨晩、
「何か、わかったのですね?」
「うむ。これは……小さな虫の集合体だ」
至極言いづらそうに告げたエイルーの顔を、フォルセは驚きを顕に見返した。次いでテーブルに置かれた石を見る。感じる禍々しさを抜かせば、ただの赤黒い宝石にしか見えない。
「虫……ですか?」
「勿論死骸だ。瘴気を纏った死骸が集まり、宝石と見紛うばかりの石を形成しているらしい。このような物は初めてだと、ミストカーフ隊の調査員が申していた」
「瘴気を纏った虫の死骸……一体、何の虫なのでしょう。ヘレティックから出てきたにしては、今まで発見されなかったのが不思議なものです」
「虫の種類については調査中だ。……それから、
「はい。私の何に反応したのかわからず……変質しきっては調査もできないと思い、触れぬよう袋に詰めて、」
「……見るがいい」
そう言うとエイルーは、躊躇なく素手で石に触れた。フォルセの眼が見開く――彼の予想に反し、石は何の変化もせず、赤黒く光るままだった。
「そんな……私が触れた時は、確かに」
「それを確かめるためにも、司祭よ……今ここで触れてみよ」
元は球体だった宝石の破片をフォルセはやや緊張した面持ちで見つめ、意を決して手を伸ばした。指先が触れる――その瞬間、破片は瞬く間に白く、そして透明になっていき、そのまま跡形無く消え去った。
「き、消えた……」
「うむ、やはり
「私だけ、ですか」
「そうだ。他の誰が触れてもこのようなことは起きなかった。そしてこのタイミングだ……この石もまた、選ばれし者である
選ばれし者――〈神の愛し子の剣〉であるフォルセにのみ反応する、禍々しい石。
フォルセはゲイグスの世界での出来事を思い出した。試練の最中、そして終わりの間際にも似たような宝石が現れた。加えてグラツィオに現れた魔王ノックスは、この宝石にとても良く似た姿をしていた。魔王は〈神の愛し子の剣〉の力でないと倒せなかった。石を拾った時にフォルセは力を持っていなかったが――関係性を、疑わざるを得ない。
「魔王ノックスは、この石が更に巨大となったような意姿をしておりました。関係があるとすれば、やはり……」
「……そうか。魔王に関連するのなら、
「わかりました」謎めいた宝石を心に留め、フォルセはこくりと頷いた。
「遅かったわね、聖職者サマ」
騎士団駐屯地を出たフォルセに向かって――既に待っていたミレイが、おはようついでに言ってきた。彼女の肩からぴょんと飛び移ってくるハーヴェスタを受け止め、フォルセは微笑みながらおはようを返す。
「船のチケット、用意しといたぜえ」
「ありがとうございます、シド」
「我が偉大なるサン=グリアード王国を案内するんだ。これくらいどうってことないさあ」
胸を張るシドを先頭に、一行はニクスヘイムの港へと向かった。早朝にも関わらず港には既に数隻の船が到着しており、積荷作業や荷降ろしが始まっている。
「王国行きの船は……おお、アレだな」
「……おおーっ」
シドが指さす船を、ミレイは感嘆の声をあげながら見上げた。
張り出された二本の帆は、風ではなく風のマナを受けるもの。後方部には主動力だろう巨大機関が顔を出し、出発を今か今かと待っている。ミレイが首をぐるりと回して漸く全貌を見ることのできるその帆船には、既に大勢の客が乗り込み、港へ向けて手を振っていた。
「あれでも、王国行きにしては小さい方なんだぜ」
「えっ、そうなの?」
「一等大きいのはこの次の次の次くらいの時間に出るなあ。まあこの時間に出る船だと、王都シルバレットに着く頃には大荒れの天気だから仕方ねえや」
「? 天気が荒れるって事前にわかるの?」
「空のマナを読めば、おおよその予測はできるのさあ。特に雨や雪の予報に関しちゃあ、王国以上の精度はないぜ」
「……雨や雪?」
「おお、特に王国北部……王都のある方面はよおく降るぜ。常に雨、気温が下がるとすぐに雪に変わるから、傘のひとつでも持ってないと後悔するぜ。ミレイ嬢」
「ふーん……」白雲流れる薄い青空を見上げ、ミレイは大荒れの天気とは何ぞや、と首を傾げた。
一行が乗船して十数分後、船はサン=グリアード王国へ向けて出港した。
三人分のベッドが備えられた部屋に入った直後、シドは「朝飯持ってくるぜ」と言って何処へと消えた。マイペースねぇ、と呆れるミレイに同調しながら、フォルセは口を開く。
「ミレイ、一つ尋ねておきたいことがあるのですが」
「なぁに?」
「エオスの遺跡地下でヘレティックと戦った際……赤黒い、宝石のような石を見ませんでしたか?」
そう言い、フォルセは自分が拾った石についてミレイに語った。その石もまた〈神の愛し子の剣〉や魔王に関連するかもと告げれば、彼女の眼がより真剣みを帯びる。
「見てない。そんな怪しいものを見つけてたら、真っ先に聖職者サマに言うわ。
それにしても、虫の死骸なんて悪趣味ね。絶対見たくないっていうか……肌がゾワゾワしてくるわ。一体何の虫なのかしら」
「教団でも調査中です。……ハーヴィは、何か知っていますか?」
『……虫なら、蟲喰いの虫が思い浮かぶな』
ハーヴェスタは小さな身体で腕を組み、言った。
「蟲喰い?」
『世界を蝕む“穴”だよ。こっちの世界じゃ知らねぇが、ゲイグスの世界じゃたまーに見かける。落ちたら最後、二度と生きて出ることはできない……絶対にな』
「その穴を作っているのが、石の虫だと?」
『さぁな。ただ……蟲喰いはずっと昔から世界を悩ませてるって、ディーヴから聞いたことがある。ノックスと戦ってる時にも見かけたから、虫だの蟲喰いだのがあいつと関係あるってのは、案外当たってるかもな』
ハーヴェスタがニイと笑い、毛糸でできた口を閉じた。これ以上の情報は無い、と言いたげな笑みだ。虫のこと、魔王のこと。わからないことは旅を進めていけばわかるはず――そう思い直し、フォルセもまた思考を止める。
「ただいま戻ったぜえ」
丁度よく、シドが食事の乗った盆を抱えて帰ってきた。海鮮を多量に使ったリゾットだ。ほかほかと湯気のたつそれらを見て、各々密かに唾液を飲む。
「王国行きの船は違うねえ。レシピの取材ついでに作ってきたが、材料が新鮮で堪らなかったぜ」
「えっ……これ、シドが作ったの?」
「おお、これでも一人旅が長いからなあ。料理は結構得意だぜ。……異端の口に合うかどうかはわかんねえけど」
「失礼ね! 異端だって味覚は普通よっ、とっとと置いて、食べさせて!」
「ひええっおっかねえ……」本気でビクビクしながら、シドは盆を置いた。豊かな海鮮とチーズの香りが部屋中に満ちるが――リゾットの数は三つ。省かれたハーヴェスタが、不満げにテーブルを踏み鳴らす。
『……俺の分は?』
「げっ。あ、あみにん君……アンタ食事するのか?」
『……』
「私と一緒に食べましょう? はい、あーん」
ふて寝しかけたハーヴェスタは、優しい神父の言葉に喜び勇んで飛びついた。普通の人間にとってはほんの一欠片をぱくりと頬張り、
『うめぇ』
ハーヴェスタはもぐもぐと長く咀嚼した後、花型ビーズを飛ばして感想をこぼした。フォルセとミレイも口にする。ハーヴェスタのわかりやすい感想通り、そのリゾットは海鮮とチーズが程よく絡み合い、しかし朝から食べようとも胃を刺激しない優しい味のするものだった。
「シド……あなた、ジャーナリストじゃなくてシェフだったの?」
「何言ってる。オレは根っからのジャーナリストだあ!」
『フォルセ、もっと』
「はいどうぞ」
トラブルメーカーの思わぬ長所に、フォルセらはすっかり感心した。胃袋を掴まれたと言ってもいい。それなりに底辺を這っていたシドへの好感度が、ほんの少しだけ上昇した。それくらい、目の前のリゾットは美味い。
「ところで」自身の手料理に満足げなシドが、海老を咀嚼しながら口を開いた。
「虫の石のこと、オレには聞かねえのかい?」
「! 聞こえていたのですか」
「おお。扉開けるのにちょいと苦労してなあ。立ち聞きみたいになっちまった。……オレもヘレティック退治の場にいたから聞いてくると思ったんだが、そんなに美味かったかあ? 光栄だねえ」
「ええ……とても、美味しいです」
食事の美味しさにつられて聞くことを忘れていた。フォルセは少々頬を染めつつ、仕切り直すようにこほんと咳き込んだ。
「ではシド……先ほど私が話した、赤黒い石。遺跡地下で見かけましたか?」
「知らねえなあ」
最後の一口を頬張り、シドは即答した。
「そうですか……確実に現れるものではないということか……?」
「レア物ってこと? それとも皆で見逃しただけかしら」
「だとすれば、遺跡調査に入った騎士団によって発見されているかもしれませんね。今度ヘレティックと戦うことがあったら……見逃さぬよう、注意しましょう」
「わかったわ」
何も疑わず、二人は頷き合う。シドは二人を他所に最後の一口を食べ、ご馳走さん、と呟いた。
朝食を食べ終えた彼らは、気分転換のため甲板に出た。一番はしゃいでいるのはミレイだ。朝焼けに照らされる海を見回し、これからの旅路に期待を寄せている。
「神父君」
彼女を見守るフォルセを、シドが甲板の端――日陰になっている場所から呼んだ。どうしてそんなところにいるのか、とフォルセが首を傾げながら近寄ると、シドは人好きのする笑みを浮かべながら口を小さく開いた。
「ミレイ嬢について詳しく聞きたいんだが……良いか?」
「本人に聞けば宜しいのでは?」
「暴走した時のことを聞きたいんだよ。でも直接聞いたら絶対怒るだろ? 怒ったら、また暴走するかもしれないじゃねえか」
「……そのようなこと聞かれたら、私とて怒りますが」
フォルセは眉を寄せて言った。
「怒るなよう、異端に対してのちゃんとした取材だからさあ。……暴走から立ち直った異端なんて聞いたことがないぜ。一体どんな浄化をしたんだ?」
「……お答えできかねます」
「んな意地の悪い」
「意地悪じゃありません」
わからないのだ、とフォルセはミレイが暴走した時のことを極めて簡潔に話した。ゲイグスの世界で、不思議な光に包まれたと思ったら、暴走が収まっていた――その程度に。
「不思議な光ねえ。それも神父君の特別な力なのかい?」
「不明です」
「なんでえ、わからないことだらけじゃねえか」
「ですから、本人に聞けと申したのです。……ミレイ!」
「げっ、神父君!」呼び止めるシドを無視し、フォルセはミレイを呼んだ。なぁに、と輝かんばかりの笑顔で振り向いたミレイが足早にやってくる。
「彼が、暴走した時のことについて聞きたいようです」
「はぁ?」
「いっいやオレは嬢さんに聞くつもりはなくて……」
「何よ、暴走って言ったらあたしのことじゃない。あたしに聞かなくてどうすんのよ!」
一転して眼をつり上げるミレイに、シドがヒイィと喉奥から引きつった悲鳴をあげた。フォルセの後ろに隠れる彼を睨み、彼女はふんと鼻を鳴らす。
「いいわ、暴走のことでしょ。……あたしが暴走したのはゲイグスの世界でのこと。そこであたしは聖職者サマを攻撃して、そこにあった森を焼いたの」
「……どうして暴走することになったんだ? 罪悪感とか、自制心は働かなかったのかい」
「それは――」
意を決して質問を始めたシドと答えるミレイを置いて、フォルセは甲板の端まで歩いていった。彼女なら心のままに答える。悪いようにはならないだろうと、ミレイを信頼しているからこそ、その場を離れる。
潮風が気持ちいい。任務や修行で船に乗ることは多いが、今日は格別の天候だ。これを魔王は崩そうとしているのか、一体何をするつもりなのだろうかと、青空を見上げながら思う。
頭上に広がる船の帆が、風を受け止める――
「……くしゅんっ」
くしゃみの出処はミレイだった。無意味にビビるシドを尻目に、彼女は鼻を啜りながら天を見上げる。
花弁のような白が、ミレイの鼻先に落ちて溶けた。
「冷たっ……もしかしてこれが雪? キレイね」
ちらちらと降り注ぐ雪にミレイは感動の眼を向けた。綺麗だ。青空でよく見えないが、触れた瞬間溶ける様は実に素晴らしい。他の乗客も、突然の雪に戸惑いの声をあげている。
「雪? そんな筈ねえ」
雪の結晶をその手に乗せ、シドが困惑ぎみに言った。
「でもあなた、王国では雪が降るって言ってたじゃない」
「そりゃあ王都近辺での話だあ。雨ならともかく、港じゃ雪は滅多に降らねえし、降ってたとしても、海上で出くわす筈ねえんだ。しかも、こんな良い天気で……」
良い天気、とシドが言い終えるうちに、青空は瞬く間に消え失せ、分厚い灰色の雲が空を覆った。遠くへ視線を向ければ、消えた筈の青空が僅かに見える。その雲は、どうやら彼らの乗る船の上空にのみあるようだった。
冷たい風が吹き荒ぶ。慌てて船内に戻る乗客も多く、また甲板にいた船員達はどうなってるんだと早口で言い合っている。
「おいおいなんだこの天気……。船員に聞いた予報じゃあ、王国までは快晴だって……」
「なに? 何かおかしいの……へっくし!」
「……。ああ。ええと。ううん……」
寒そうに素肌を摩るミレイを見て、シドは瞳を右往左往させた。鞄に触れては放しを繰り返し、何かを盛大に迷っている。
「あの人のだが、ちょっとくらいなら問題ないよな……?」
「へっくしっへっくし! ……何が?」
「……いや。嬢さん、これ身につけてな。王国で人気のもふもふマフラーだぜ」
シドは鞄から水色のマフラーを取り出し、ミレイに差し出した。彼の言う通りもふもふのそれを受け取り、彼女の眼が驚きに染まる。
「いいの?」
「だって嬢さん、見るからに寒そうだし。風邪ひかれても困るし。い、異端つっても少し貸すくらいなら大丈夫だろ、多分……」
「……ありがとう! 王国に着いたら返すわね!」
「王国はもっと寒いから、防寒具買うまでは貸してやるよう。……ああ。うん。大丈夫さ、あの人のだけど、ははは……」
何やら後悔を押し殺すシドを他所に、ミレイは遠慮なくマフラーを巻いた。やけに年季のこもった香りがするそれは温かく、顔が自然とほころんだ。やっぱり優しいんじゃないとシドを見直す。しかしこの天気は何なのだろうと、もふもふを堪能しながら再び空を見上げる。
――巨大な影が、雲の向こうに見えた。
「!?」
ミレイの顔がぎょっと歪んだ。影は雲の向こう側でゆっくりと動き、徐々に大きくなって――こちらに近付いてきているようだった。見ればフォルセもまたそれに気付いたようで、警戒を顕に空を見上げている。
「シ、シド、王国ではあんなでっかいものも降るの?」
「んなわけねえ……ありゃあ何だ? 未知の生物か? とにかくスクープには違いねえぜ!」
ひゃっほう、とシドが興奮ぎみにカメラを向ける。残った乗客や船員達がざわつく中、フォルセが緊張ぎみの顔で戻ってきた。
「ミレイ……」
「聖職者サマ。なんか凄い影よ、何かしらね」
「わかりません。ただ……」
「魔王ノックスと同じ気配を感じます」フォルセの言い放った言葉に、ミレイは眼を見開き、ばっと空を見上げた。
周囲を灰色の雲が覆う空間――そこにある巨大な“それ”はヒトを乗せるものではあったが、本来空を泳ぐものではなかった。あるべき場所へ向かうがごとく、“それ”はゆっくりと、雲を裂きながら降下する。
「あんな船に何の用がある?」
美しい氷の床が見えた。その上に佇む一人の、探せばどこででも見つかりそうな平凡な男が、自身の隣にいるローブの者に問いかける。
「最初の獲物にしちゃ、ショボイんじゃねぇか……?」
「生意気言うんじゃない、お前はアタシの言う通りにしていればいいのさ。そうすれば力を手に入れられると、その身でわかってるだろう……?」
ヒヒ、とローブの者は腰を曲げたまま笑う。それに男は下衆じみた、どこか調子付いた笑みを浮かべ、懐から赤黒い宝石を取り出した。
「確かに、アンタのくれた力は俺らを変えた。今じゃ俺らは無敵だ……頭領にも勝った、王国軍のクソ共にだって負けやしねぇ……! クハハ……!」
「血と恨みが力を強くするのさ。時間はたっぷりとある……今はアタシの言うことを聞いて、よりその力を強めるんだよ。――力に抗うな、わかったね?」
「……わかった、他ならぬアンタの頼みだ。ぜーんぶ俺らに任せときな。
要は殺しまくればいいんだろ? ちょっとは楽しめるといいんだがなァ……? ギャハハハハ!」
男は、鈍く光る宝石に呑まれたように笑い、ローブの者を置いて雲の向こうに消えていった。その姿はまるで愚鈍。力だけが秀でた、哀れな凡人。
氷上に残されたローブの者は、ヒヒ、ヒヒ、と薄気味悪い笑声をこぼしながら男の後を追う。
「たわけが。端役のお前らが敵う相手じゃあないよ、あそこにいるのは……」
ローブの者が取り出した杖には、赤黒く光る禍々しい宝石がついていた。その力を引き出さんと、しわがれた声が雲の中でねっとりと響き渡る。
「呪え。下等なりに血を求めるのだ。かの場所にいるのは現の勇者……我らが求む、魔王の宿敵よ……ヒヒ、ヒヒヒヒヒッ」
氷の床が冷気を放つ。冷気は命じられた通りに血を求め、雲を裂いて進む“それ”に恐ろしい力を与える。
力に覆われた“それ”が、分厚き雲を突き破った――。
「氷の塊……? いや、違え!」
カメラのレンズを合わせながらシドが叫ぶ。誰よりも視界を近付けている彼には、“それ”が何なのかいち早く知れた。
「船だ! 凍ったでけえ船が、こっちに突っ込んでくる!」
分厚い雲の向こうから現れたのは、帆のない氷の船。フォルセらが乗る船より一回り大きいその船は、水色に輝く見事な氷で形成されていた。
冷たい風と雪と共に、巨大な氷塊とも言うべき船が海上に向けて突っ込んでくる。「船内に逃げろ!」誰がそう叫んだのか。その声を皮切りに、パニックとなった乗客達が我先にと逃げていく。
「やべえよ……お、オレ達も逃げようぜ神父君!」
「いえ。あの船から魔王と同じ気配を感じます。逃げるわけにはいきません!」
「あたしも残る!」
「そ、そんなあ……」
情けない声を出すシドを置いて、フォルセとミレイは身構えた。
ゴオォォォ……と暴風のごとき音をたてて氷の船が近付く。フォルセら以外の乗客が甲板からいなくなった直後、氷の船は轟音をあげて海面――彼らの乗る船の真横へと着水した。
「――きゃあっ!」
衝撃にミレイが悲鳴をあげる。着水と共にあがった波のごとき水飛沫が、甲板を濡らし、船を大きく揺らした。ビキビキと耳障りな音が鳴り、船を濡らした海水が瞬く間に凍っていく。まるで氷の船から伸びる無数の手のように、船同士を繋いでいく――
「へへ、近くで見ると意外にいい獲物だな……」
フォルセらにとって聞き覚えのない男の声が響き渡った。緊張が走る――氷の船の奥から、一人の男が現れた。爛々と輝く血走った両目が特徴的な――しかし特徴といえばそれくらいの、何の変哲もないただの男だった。
「……貴方は?」
問いかけるフォルセに、男は熱のこもった表情を浮かべた。
「ただの、通りすがりの山賊さぁ」
「……、山賊?」
「いや、元山賊かな? 俺らはもう地べたを這い蹲る弱者じゃねぇ……!
ギャハハッ、アンタ教団の騎士だなぁ? その耳のイヤーカフを見ればわかるぜぇ……こりゃあ、ハハ、暴れるにはマズイ船だったかもなぁ……やられちまうよギャハハハハ!」
男が笑う度、氷の船から男と同じような雰囲気を持つ人間が現れる。皆一様に下衆じみた笑みを浮かべ、まるで集団で酒に酔っているかのような、ねっとりとした空気を発している。
「なぁ騎士さん」
「……」
「軍のクソ野郎共を殺す前に、俺らの糧になってくれや……!」
熱に浮かされた表情で言い、男は懐から赤黒い宝石を取り出した。
「その石は……!」
驚くフォルセらを尻目に、男の拳が石を砕く――直後、握られた拳の隙間から細かな黒い粒が這い出でて、男の全身を一瞬にして呑み込んだ。他の人間どもも同じように石を割り、おぞましい黒へと呑まれていく。
「せ、聖職者サマ……あれ……」
「ノックスに感じた気配と同じ……あの石が砕ける度、強くなっていく……!」
不安がるミレイに答えながら、フォルセは全身で怖気にも似た気配を感じ取っていた。法衣に隠れた肌が粟立つ。心底から、男どもに対して警鐘を鳴らしている。
「あ、あの石、もしかしてマジやべえもん……?」
シドもまた、様子のおかしい男どもを見て顔色を変えていた。割り砕かれた石が異常な気配を発し、神父が警戒を強めている今――己の懐にある“アレ”は、一刻も早く排除するべきなのかも……
石から現れる黒が収まった。男達の姿は変わらない――しかし纏う気配は一変し、雪舞う天候の中にも関わらず、肌に絡みつくような熱気が周囲を漂い始めていた。
「あぁ堪んねぇぜ……溢れ出る、この力……!」
男が笑んだ。
「野郎ども――奪え、奪いつくせぇッ!」
「――来ます! ミレイ、シド、構えて!」
「血肉の一片までもモノにしろッ、ギャハハハハ!」男の号令に従って、自称山賊どもが刃を抜く。
寒空に吹くおぞましい熱気の中――船上の暴挙が、始まった。