テイルズオブフェイシア ―己が神を信ずるRPG―   作:澄々紀行

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Chapter19 惑い火との過去

 

「……っ、聖職者サマ!」

 

 

 ミレイはすぐにフォルセを呼んだ。呼んだからといって何をしたい、すべきかなどわからなかったが、とにかく呼ばずにはいられなかった。

 

 返事はない。フォルセは(うずくま)ったまま、己の右腕だったモノを見つめ、固まっている。

 

 

「……失いたくない」

 

 

 フォルセはぽそりと呟いた。残った左腕を力無く上げ、か細いリージャを発し、光のペンを出す。慣れた手つきで空中に書かれるのはヴィーグリック言語――ミレイにもわかるほど複雑な文章を、無心で書き連ねていく。

 

 書き終わった直後、地面に落ちた右腕を光が包み、赤きヴィーグリック言語となって弾けた。現れた文字の羅列は、まるでフォルセが剣を収める時のように収束し、彼の経本に吸い込まれていった。

 

 

「……ぅ…………」

 

 

 ボタボタと血の流れる切断部位を押さえ、フォルセが苦しげに呻いた。それを見て、ミレイは弾かれたように駆け出し――じっと佇んでいたハーヴェスタを引っ張り、彼の元へと走っていった。

 

 

「おい、何すんだ異端」

 

「何、じゃないわよ! 治癒術使えるでしょ! 早くかけてあげて!」

 

「自分で使えるんだからいいじゃねーか」

 

「こんな状況で、そんなこと言わないでよ!」

 

「だったらお前が使ってやればいいだろう? 今すぐ改宗してさ」

 

 

 ハーヴェスタの言葉に、ミレイはぐっと黙り込んだ。改宗などと簡単に言うが、それはミレイ自身のアイデンティティや存在価値を捨て去ることと同義だ。容易くできるものではなく、無力な自分に歯噛みすることとなる。

 

 

「……大丈夫、です……」

 

「聖職者サマっ」

 

「彼の言う通り、自分でなんとか、でき……」

 

 

 フォルセは弱々しく、左手を胸に当てた。自分で治癒する、と言い、暫しの間黙り込む。しかし、いつまで経っても治癒の光は現れない。

 

 

「……仕方ねぇな」

 

 

 ハーヴェスタがはあ、と大きな溜め息を吐いてしゃがみ、フォルセの肩をぐっと抱き込んだ。呻く彼に構わず、小さく詠唱し、強力な治癒術を発動させた。

 

 

「サービスだ。ったく……こりゃ、俺もディーヴ達のことは言えねぇな」

 

 

 傷口が塞がり、フォルセの腕の流血が収まった。とはいえ既に大量の血を流していることに変わりなく、肉の欠損は治癒術では保護しきれない痛みをフォルセに与えている。

 

 

「し、神父様……手、てが……」

 

 

 先程までミレイに庇われていた幼女が、彼らの元へ怯えながらやって来た。その顔はフォルセに負けず劣らず真っ青だ。短い間に見た光景は、幼き彼女にとって恐ろしく、想像を絶するものだった。

 

 

「ウミちゃんのせい! ウミちゃんが、おねえちゃんから逃げたから……」

 

「! 悪いのは……」

 

 

 ミレイは思わず幼女を見た。ウミちゃんと名乗った彼女の言葉を聞き、ほんの一瞬、憎しみのこもった視線を向ける。

 

 

「……違うわ。元を正せば、あたしが異端って名乗ったからよ」

 

 

 が、ミレイはすぐさま思い直し、見当違いな憎悪を払うように頭を振った。自分が軽率な発言をしなければこんなことにはならなかった。そう言いたげに、唇を噛む。

 

 

「……誰のせいでも、ありません……」

 

 

 そんな彼女らに聞かせるように、フォルセは小さく口を開いた。

 

 

「悪いのは、私です。弱いままの、無力な僕の……」

 

「聖職者サマ……? ……っ、」

 

 

 フォルセの言葉に自責以外の弱さを感じ、ミレイは声をかけようとした。そこに降り注いだのは、崩れる瓦礫の音。未だ燃え盛るエリュシオンの小さな崩落の響きだった。

 

 

「! ひ、嫌だ……」

 

「え?」

 

「嫌だ、こわい、憎い……ぁあ……!」

 

 

 弾けた火の粉に大きく肩を揺らしたフォルセを見て、ミレイはずっと目撃していた疑惑をはっきりと感じ取った。クルト少年と戦っていた時の表情、そして――先程の戦闘での、ありえないほど弱々しい戦い方。

 

 

「……もしかして聖職者サマ……火が、怖いの?」

 

「……! ゃ、違います。怖くない、怖くなんてないんです……ぅ……」

 

「聖職者サマ、あたしの目を見て。火を得意とするあたしを見て……同じことが言える?」

 

 

 フォルセは涙をこぼす寸前のような顔でミレイを見上げ、そして力無く俯いた。

 

 

「……あたしが、森を燃やしたから。だから聖職者サマ、火が怖くなったの?」

 

「っ、違います! 貴女のせいで怖いわけでは……ぁ……」

 

 

 告白した。フォルセは今はっきりと、ミレイに対し“火が怖い”と弱音を吐いた。

 

 

 

***

 

 

 取り乱したフォルセが僅かに落ち着いた頃、彼らは幼女を連れてエリュシオンの教会に向かった。

 

 幼女を送り届け、ヘレティックの脅威が消えたことを住民に知らせる。人々は安堵に包まれたが、それを伝えたミレイの心は思わしくなかった。

 

 フォルセは教会に入らなかった。こんな無様な姿を見せたくないと駄々をこね、教会の外で待っている。

 

 

「神父様……大丈夫かな……」

 

「大丈夫、今はちょっと元気無いけど……きっと、元の優しくて強い聖職者サマに戻るわ」

 

「……おねえちゃん、優しい異端なのね。ごめんなさい……ありがとう」

 

「……っ、こっちこそ、ありがとうウミちゃん」

 

 

 幼女の頭を軽く撫で、ミレイはフォルセとハーヴェスタの元へと戻っていった。

 

 

「聞きたいこと沢山あるだろう? 俺も話すことあるし……屋敷に連れてってやんよ」

 

 

 ハーヴェスタの案内で、二人は彼の屋敷に行くこととなった。フォルセが休ませてもらっていたという屋敷だが、無我夢中で飛び出してきたフォルセは場所をよく覚えていなかった。そうでなくとも、彼は今心身に負った怪我によってふらついている状態だ。ミレイは大人しく、ハーヴェスタに付き従うことにした。

 

 エリュシオンを見下ろす高台にある、ひときわ豪奢な造りの屋敷。金縁の窓が沢山ある、三階建てのその屋敷に入り、ハーヴェスタは一階にある客間に二人を案内した。

 

 豪奢なソファとテーブル、そして簡易な暖炉がどこかミスマッチな客間だ。フォルセは暖炉を見るや否やビクリと肩を揺らして立ち止まる。結局ミレイが暖炉側に座り、彼はその横に何とか落ち着いた。

 

 

「……はぁ……」

 

 

 フォルセの溜め息が響き、ミレイは彼の顔を心配そうに覗き込んだ。

 

 

「聖職者サマ……顔、赤い」

 

「大丈夫、です……」

 

「そんな筈ない。……ほら、やっぱり熱あるわ。すっごく熱いもの」

 

 

 嫌がるフォルセを無視して頬に触れば、それこそ燃えているのではないかというほどに熱かった。

 

 

「……ごめんなさい、あたしが治癒術使えれば良かったんだけど」

 

「謝ることではありません……私とて、使えないのですから」

 

「えっ、使えないって……法術が?」

 

「リージャが反応しません。だからさっきも、自分で治癒ができなくて……」

 

 

 熱っぽい息と共に吐き出された事実に、ミレイは驚愕で目を見開いた。

 

 

「そんな……ど、どうして」

 

「憎しみと共にリージャを使ったから」

 

「憎しみ?」

 

「……大切な信仰を、忘れてしまったから」

 

 

 フォルセがぼんやりと語る原因に、ミレイは言葉を失った。“憎しみ”など、フォルセに一番似合わぬ言葉と思う。けれど、とミレイは思い直す。あのヘレティックを打ち倒す直前、リージャを発揮したフォルセがどんな状態だったか、記憶に新しい。

 

 

『この……穢れた獣畜が……!』

 

 

 あの時のフォルセの叫びは、確かに憎しみで濡れていたように思われる。

 

 

「よーう、待たせたな」

 

 

 暗い空気を吹き飛ばすように、ハーヴェスタが茶と菓子を持ってやって来た。美味しそうに香る紅茶とクッキーだ。出来立てだぜ、とハーヴェスタは得意げにそれらをテーブルに置いた。

 

 

「召し上がれ」

 

「う、うん……ありがと」

 

「……辛気くせーぞお前ら、リージャが応えなくなっただけじゃねぇか」

 

「あのねぇ……! って、気付いてたの?」

 

「まぁな。だから治癒してやったんだし」

 

 

 「俺も腕まで吹っ飛ばされるのは想定外だったから」ハーヴェスタは一瞬、心配そうにフォルセを見た後、自身の持ってきた菓子を摘んで食べた。

 

 

「ま、その腕に関しちゃ自業自得だろ。古毒者(アンティペッカー)相手にあの動きじゃあな」

 

「確かに、いつもの動きじゃなかったけど……でもそれは、火が怖かったからでしょ? あたしが知ってたら他の戦い方だってできたわ。だから……」

 

「そう。他の戦い方もできた。だから結局はこいつの自業自得さ」

 

 

 ハーヴェスタの痛烈な言葉に言い返せず、ミレイはぐっと口を噤んだ。チラ、とフォルセを横目で見れば、彼もまた充分理解した顔で俯いている。

 

 

「……どうして言ってくれなかったの、聖職者サマ」

 

 

 責めたくはない、けれど言わずにはいられなかった。

 

 

「火が怖いって。一言言ってくれれば、あたしがヘレティックの囮になることだってできたわ」

 

「……」

 

「聖職者サマ!」

 

「……言えるわけない。これ以上僕の弱い部分を伝えて、不安にさせることなんてできるわけがない」

 

 

 フォルセは熱っぽい眼差しでミレイを睨みつけた。明確な拒絶を受け、ミレイの表情が硬く強張る。

 

 

「不安にさせて……暴走でもしてしまったらと思うと、僕は……」

 

「……っ、わかってたわ。聖職者サマがあたしを信じてくれていないことは」

 

 

 ミレイの言葉にフォルセは弾かれるように顔を上げ、そして肯定するように力無く俯いた。

 

 

「でも、それでもあなたは信じるって言ってくれた。あたしはそれが嬉しかった」

 

「ミ、レイ……」

 

「嬉しかったから、もう暴走するわけにはいかないって思ってる。でも難しいわね、どうすればそれを信じてもらえるのか、あたしにはわからない……」

 

 

 一番簡単に信用される術を、ミレイは知っている。フォルセと同じものを信じればいいのだとわかっている。しかし、それだけは選べないために、ミレイは深く苦悩している。

 

 ミレイの悲しみを重々理解しているフォルセは、それでもそれ以上の言葉を紡げないまま、足りなくなった己の手に視線を落とした。

 

 二人の様子を見て、ハーヴェスタが嘲るように笑った。

 

 

「辛気くせーなぁ。悩んでばかりで行き詰まってるなら、別の話をしてやろうか?」

 

「なによ……別の話って」

 

「試練のことだよ。今どういう状況になってるか、俺には話す義務がある」

 

 

 どうだ? ひとりクスクス笑うハーヴェスタに、二人は力無く向き直った。

 

 

「試練のことを話すには、まず黙示録の伝説について話さなきゃならない。

 『この世に未曾有の危機が訪れた時、神の遺した黙示録が再び勇者を呼び寄せるだろう』……ってな」

 

「“勇者を呼ぶ黙示録”……教団に伝わるものと同じですね……」

 

「! フラン=ヴェルニカ教団に、黙示録の話が伝わってるの!?」

 

「えぇ……だから私は貴女に着いてきたのです。黙示録の真偽を確かめるために……」

 

 

 教団、そしてフォルセが知っていたという事実に、ミレイは驚きを顕にした。

 

 

「勇者とは……恐らく二千年前に世界を救った女神の勇者を指すのでしょう……伝説が本当なら、世界に未曾有の危機が訪れたということですが……」

 

「あぁ。その未曾有の危機ってのが、あの核野郎……魔王ノックスだ」

 

 

 「魔王、ノックス……?」ひとり知らないミレイが、ポツリとその名を呟いた。

 

 

「……千年前、マナとリージャを独占しようと現れ、太古の魔獣をも復活させようとした……恐ろしき魔術師です」

 

「千年前?」

 

「はい……魔獣復活を目前としながら、当時の偉大なる聖人達により打ち倒され、永遠の夜に封じられたと」

 

「だが、封印は完全じゃあなかった。千年経った今、奴は不完全ながらも復活を果たし、グラツィオに現れたのさ」

 

 

 フォルセの話を引き継ぎながら、ハーヴェスタは憎々しげに菓子を頬張った。

 

 フォルセもまた渇いた喉を潤さんと紅茶に口をつけ、再び話を紡ぐ。

 

 

「声だけなら……この世界にも現れました。クルト少年を一度討った際、自ら魔王ノックスと名乗り……去っていった……」

 

「グラツィオでもそうだが、奴はこっちの世界にも介入してきてる。さっき戦った古毒者(アンティペッカー)もそうだ、再現よりずっと強力で、邪悪な個体にさせられた。ワケありってのはそういうこった」

 

「! 再現より強力……じゃあ、ノックスのせいで聖職者サマは……!」

 

「どうだかな? たとえ再現通りでも、あの戦いっぷりじゃあ結果は同じだったかもしれないぜ」

 

 

 結果は同じ――折角の逃げ道を塞がれ、ミレイは恨めしげに目の前の審判者を睨みつけた。

 

 

「あなた、助けてくれるのに意地悪よ……」

 

「そりゃどーも」

 

「そういえば……」

 

 

 ミレイの愚痴に軽く返したハーヴェスタに対し、フォルセはふと熱に浮かされた顔で尋ねた。

 

 

「どうして異端であるミレイを治癒できたのですか? 私は、確かに貴方へ治癒術をかけたのに……」

 

「あぁ、そりゃあ審判者特権だ」

 

「……特権、ですか?」

 

「おう。折角だ、もう一度見せてやんよ」

 

 

 そう言ってハーヴェスタは両手を広げて見せた。治癒術特有の白い光が右手より溢れる。そして左手にはマナでもリージャでもない不可思議なる力が集束し、小さな魔法陣を形作る。

 

 

「……ロウディン(lo wdin)、」

 

 

 ハーヴェスタの唇がフォルセも聞いたことのない詠唱を紡いだ。

 

 

「【ライフ・マテリア】」

 

「っ!」

 

 

 術の完成と共に、治癒術による白い光が虹色の光となってミレイに移った。今宵二度目の光景にフォルセとミレイは目を見張る。光はミレイの身体から細かな傷跡すら消し去り、僅かな虚脱感を与えて消えた。

 

 

「今のは……」

 

詠歌律唱(ルフィアス)だ。マナもリージャも使わぬ古代の秘術。俺は今、リージャによる治癒をマナによる治癒に変換したってわけ」

 

「変換……そんなことが可能なのですか……?」

 

「実際、効果あっただろう? 森で使った術も詠歌律唱(ルフィアス)の一種でね、審判者である俺にしか使えない」

 

「凄い……でも残念ね。あたしにも使えるようなものだったら、何か違ったかもしれないのに」

 

 

 感動しながらも残念がるミレイを見つめ、ハーヴェスタはクッと口角を上げてわらった。

 

 

「審判者特権だっつったろ? まあ……核野郎の介入っていう予定外の問題もあったから、今回の試練が終わるまではお前らに着いてってやんよ」

 

「! 協力してくれるの!?」

 

「あくまで道中の戦闘だけな。試練は手出ししねーよ」

 

「それでも充分心強いわ! 良かったわね聖職者サマ……」

 

 

 喜び勇んでフォルセを呼んだミレイは、視線の先で見た横顔に息を呑んだ。

 

 熱に濡れながら、凪いだ緑眼。腕の無い右肩を抱くフォルセの姿は、とても試練を受け入れているようには見えない。

 

 

「腕も、リージャすらも失った僕を……君はまだ〈神の愛し子の剣〉と思うのかい?」

 

「! それは……」

 

「貴方もです、ハーヴィ。こんな私は、まだ〈神の愛し子の剣〉と呼べるのですか……?」

 

「勘違いするなよフォルセ、お前はあくまで〈神の愛し子の剣〉候補。いいか、“候補”だ。それ以上かどうかは俺がこれから見極めてやんよ」

 

「っ、これからなど……!」

 

 

 フォルセは顔を歪め、弱々しく頭を振った。

 

 

「僕にはもう何の力も無い! リージャも……リージャを奮うに相応しい信仰心も! 僕は、そんな大層な存在じゃあないんだ……」

 

「……聖職者サマ……」

 

「……ミレイ。こんな僕からは一刻も早く離れた方がいい。僕は〈神の愛し子の剣〉にはなれない。君の役には立てないのだから……」

 

「っそんなことない! だって聖職者サマは!」

 

「離れろと言ってるんだッ!!」

 

 

 フォルセの怒号を最後に、客間は恐ろしいまでに静まり返った。その静寂で我に返ったフォルセは、隣に座るミレイの驚きに満ちた顔を見て、激しい後悔に襲われる。

 

 

「っ、風に当たってきます……頭を冷やさなければ……」

 

「聖職者サマ!」

 

 

 ミレイの止める間もなく、フォルセは立ち上がり客間から出ていった。

 

 

 

***

 

 

 行くあてもなく外に出て、フォルセは屋敷の外れにある高台に落ち着いた。エリュシオンを一望できるそこで風に当たるも、昂った熱は収まらず、大きく息を吐く。

 

 

(腕を失おうとも、片腕がある……)

 

 

 十数年前の戦争以後、心身の傷付いた民は多く存在し、フォルセも神父としてそんな民を慰めたことがあった。

 

 そんな自分が、“たかが腕一つで”落ち込むわけにはいかない――フォルセはそう考え、失った右腕をそろりと撫でる。

 

 

(けれど、リージャは……)

 

 

 リージャが再び応えなくなった。その理由にフォルセは気付いている。

 

 

(憎しみをもってリージャを使ってしまった。僕にはもう、リージャを使う資格は無い……そうでなくとも、ミレイにあんなことを言ってしまって、僕は……)

 

 

 悲しみと後悔に暮れるフォルセ。その背後から静かに近寄る者がいた。

 

 柔らかな気配に、フォルセは何故か懐かしさを感じながら恐る恐る振り返る。

 

 

「再び悩んでおられるのですね、司祭フォルセ」

 

「! 貴方は……ペトリ様!?」

 

 

 誰だろうかと振り向いた先にいた者の姿に、フォルセは驚きを顕にした。

 

 ペトリは優しげな笑みを浮かべ、高台を登ってくる。エリュシオンの町長役として演じている彼が現れても何らおかしくはないのだが、フォルセにとってペトリは司祭。現実世界ではフェニルス霊山にいるべき者だ。たとえゲイグスの不可思議を聞き及んでいても、驚くのは無理もなかった。

 

 

「ペトリ様……何故、ここに」

 

「この世界の有り様を知っているのなら、わかるでしょう?」

 

「っ……『〈神の愛し子の剣〉とその協力者のため、力となる情報が用意されている』……しかし! 私は〈神の愛し子の剣〉などでは……」

 

「……、話してごらんなさいフォルセ。貴方の悩みを、昔のように……」

 

 

 恩師の言葉にフォルセは言い淀む。話したい。吐き出してしまいたい。目の前のペトリが演じられた者とわかっていながら、フォルセの心は決壊寸前だった。

 

 結局、フォルセは教会で懺悔するように頑なな口を開く。

 

 

「……私は、愚かにも憎しみと共にリージャを使ってしまいました。私にはもう、リージャを使う資格はありません……」

 

「“再び”憎しみに呑まれてしまったと?」

 

「っ……そう、です。昔の……十年前のあの頃のように。アルルーテンの業火から逃れた際に抱いた憎悪が、恐怖が……私を締め付けて離さない」

 

「言ってごらんなさい。何がそこまで貴方を追い詰めるのですか?」

 

 

 気持ちの吐露を促され、フォルセはぐっと黙り込んだ。俯き、エリュシオンの外景へと視線を向ける。火は消え始め、落ち着きを取り戻しているが――それでも、怖い。

 

 

「ペトリ様は……御存知の筈です。私は……僕は、家族を殺した異端が心底憎いと!」

 

 

 「……憎い?」か細く聞こえてきた声はペトリのものではなかった。聞き慣れたその声にフォルセは顔色を変え、声の方へと視線を向けた。

 

 

「聖職者サマ……」

 

 

 物陰から現れたのは、ミレイだった。フォルセを追いかけてきたのだろう、少しばかり息が切れている。

 

 

(っ、聞かれた……!)

 

 

 フォルセは思わず視線を逸らした。聞かれたくないことだった。迂闊だった。けれども後悔してももう遅く、どう誤魔化そうかと頭を働かせる所為で、心臓がバクバクと高鳴ってしまう。

 

 

「ペトリ様……っ、あれ……?」

 

 

 助けを求めた先に、ペトリは既にいなかった。まるで最初からいなかったように、役者が壇上から静かに降りたかのように消えた恩師の姿を、フォルセは迷子のような顔つきで捜す。

 

 

「……続きを話してよ、聖職者サマ」

 

 

 ミレイが高台へ一歩一歩近付いてきた。逃げ場はなく、フォルセは緊張のこもった顔で彼女を見遣る。

 

 

「それとも、町長さんじゃないとダメ?」

 

「町長、さん……?」

 

「さっき聖職者サマが話してたヒト。この町の町長さんなんだって。……クルトの家が何処か聞いた時、あたしを導いてくれたの」

 

「……ペトリ様が、貴女をあの家に」

 

 

 「ねぇ聖職者サマ」フォルセの隣に立ち、ミレイが彼へと手を伸ばした。ビクリと肩を揺らすフォルセに同じようにビクつきながら、上腕を半分だけ残した右腕にそっと触れる。

 

 

「……あたし、聖職者サマに信頼されたい」

 

「ミレイ……」

 

「異端をやめる以外の方法なんて思いつかないし、それを選ぶ気になんてなれない。でも、信じてほしい。……もう失わせたくないもの」

 

「……この腕は、貴女のせいでは、」

 

「確かに、聖職者サマの責任かもしれない。でもあたしが信用を勝ち得ていたら、起こらなかった現実かもしれない。……この腕は、あたしが聖職者サマの信頼を得られなかった証。忘れずに……覚えておく」

 

 

 ミレイは悲しみを呑んだ顔で、フォルセを見つめた。強い眼差しで、迷いも後悔も踏み越えんとする顔で、今は迷い子のフォルセに訴えかける。

 

 

「あたしね、ウミちゃん……さっき助けた女の子にお礼を言われたの。異端だって怖がってたのに、最後にはありがとうって言ってもらえた」

 

「……貴女の勇姿に、あの子も思うところがあったのでしょう」

 

「そうね、とっても嬉しいことだわ。きっと現実でもそう……沢山怖がられて、信じてもらえない時が来る。その度にあたしは勇気を持って立ち向かわなきゃいけないんだって、あの子と……聖職者サマの反応を見て思った」

 

 

 ミレイの言葉に、フォルセは言葉を失った。なにが暴走してほしくないだ。言葉よりも態度で、フォルセは“異端を信じられない”と雄弁に語っていたのだ。

 

 フォルセは罪悪感にまみれた顔でミレイを見た。見返してきた瞳は昼空の青のように澄み、希望に満ちていた。

 

 

「諦めないで、必死に頑張っていれば信じてもらえる時が来る。だから聖職者サマ……あたしにできることは何でも言って?」

 

「は……?」

 

「戦いになったらあたしが聖職者サマを守る。ヴィーグリック言語が書きたいなら、あたしが勉強して代わりに書く。〈神の愛し子の剣〉が嫌なら……もう、そうは思わない」

 

「っ!」

 

「諦めずにいれば得られるものがあるって、この世界で知った。だから聖職者サマの信頼を勝ち取るまで諦めない。……信じてもらうまで、絶対に離れないから!」

 

 

 夜天の下で響いた宣言は、フォルセの心を何倍にも震わせた。

 

 

「あ、貴女は……」

 

「なに、何でも言ってちょうだい!」

 

「……願いのために、〈神の愛し子の剣〉が必要なのではなかったのですか……」

 

「そりゃあ必要だけど、今は聖職者サマが大事だもの」

 

 

 ふんす、と鼻を鳴らして堂々と立つミレイに、フォルセは観念したように溜め息を吐いた。

 

 

「何でも、と言ったよね……」

 

「うん」

 

「それじゃあ……聞いてほしい、僕の過去を。僕がどうして異端を憎んでいるのか……どうして火が怖いのか、その理由を」

 

「聞くわ、全部。暴走なんてせずに、町長さんみたく……落ち着いて」

 

 

 ミレイの笑顔に心から観念し、フォルセは己の過去を思い描きながら口を開いた。

 

 

「僕は捨て子でね、アルルーテンという町のティティス孤児院という場所で育った。町自体はそう盛んな町でもなかったけれど、孤児院では未来の神官を育てるための教育がずっとなされていた。

 十年前のあの日も、僕は兄弟姉妹達、沢山のマザー達と一緒に教会で祈りを捧げていた。けれど……そう、丁度今宵のような夜空だった。教会が……いや、町全体が突然火の海に包まれたんだ……」

 

 

 眼前が、過去の光景へと転移する。火に包まれた町、教会――泣き叫ぶ人々の声が、今もなおフォルセの耳で反響している。

 

 

「教会に閉じ込められて、だんだんと暑く、熱くなっていくなか、僕の家族は必死に足掻いた。外の空気を吸おうと扉を叩いて、けれども崩れ落ちた天井……の下敷きになっただけで終わって。蒸し焼きにされて死ぬ恐怖が、信仰を上回ったんだろう……祈る声が、次々にヘレティックの声となっていった」

 

「! まさか……」

 

「そう、暴走した。死の恐怖が異端症(ヘレシス)を発症させ、暴走させてヘレティックにした。密閉された空間の中で、ヘレティックどもはまだ人の形を保っていた家族達を喰らい、暴れ、火に呑まれて死んでいった。

 僕は……それをただ震えて見ている事しか出来なかった」

 

「……」

 

「教会に起きたことがアルルーテンの町全域に起きていた。生き残りは僕だけだった。ススだらけで丸くなっているところをテュール隊長……今の上官に拾われた。それ以来、僕は教団の世話になっている。

 当時、隊長は言っていた……アルルーテンの業火は七日七晩続き、明らかにヒトの魔術の痕跡があったと」

 

「な……人為的なものだったの?」

 

「僕も隊長もそう思ってる。それに、僕はあの夜聞いたんだ……」

 

「聞いたって、何を」

 

 

 フォルセの瞳が色を変え、ヘレティックを前にしたかのような憎しみに彩られた。ミレイはひゅっと息を呑む。まるで、自分に対して向いているかのような憎悪が炎のように熱い。

 

 

「……、『神など信じるものかッ!!』」

 

「ひっ」

 

「……あの夜、憎悪にまみれたこの言葉を確かに聞いた。今も耳に残ってる」

 

 

 驚かせてすまない、とフォルセは眦を殊更和らげた。こくこく、と頷いて返事をするミレイに苦笑し、そして感謝する。

 

 

「僕の故郷を焼き尽くしたのは神への不信を持つ異端。そして、僕の家族を喰らったのも元は家族とはいえ暴走した異端……。

 僕はあれ以来ずっと異端が憎い。この心の底を焼くような憎しみを思い出すから……火が、怖いんだ」

 

 

 フォルセの話が一通り終わり、ミレイは黙り込んだまま天を仰いだ。星々の煌めく空が美しい、けれどもミレイの望む答えは降ってこない。

 

 

「聖職者サマの過去はわかったわ……異端を憎むのも仕方ないことだと思う。でも聖職者サマはそう思わないのよね?」

 

「ええ……憎しみに振り回されてリージャを……尊き女神の力を奮ってしまった僕には、もうリージャを持つ資格なんて」

 

「ねぇ聖職者サマ、森であたしが暴走してた時のこと覚えてるかしら?」

 

「えっ……?」

 

「森で、あたしが聖職者サマを刺そうとした時。あなたは動けなくなってたのに、あたしのナイフを受け止めてくれた」

 

 

 今は無い右手で受け止めてくれたのだと、ミレイは視線を動かして言う。

 

 

「あの時の聖職者サマは、あたしを心から助けようとしていたわ」

 

「そ、それは……君が、死を恐れていたから。だから君の手にかかるわけにはいかないと思って、身体が勝手に……」

 

「やっぱりね。身体が勝手に動いたなら、それが聖職者サマの本心なのよ。

 聖職者サマは、異端のあたしを命をかけて救うヒト。憎しみでなんて濡れてない。だから……リージャを使っても大丈夫」

 

 

 フォルセの胸にそっと触れ、ミレイは自信満々に笑った。

 

 彼女の言いたいことに気付き、フォルセは両肩から思わず脱力する。

 

 

「は、はは……あんなに不甲斐ない姿を晒したのに、君はそんなことを言ってくれるのだね?」

 

「何度も言うわ。聖職者サマが迷うたび、何度だって」

 

「……わかったよ。少しだけ、迷いが晴れた気がする」

 

 

 高台にやってきた時よりもずっと清々しい顔色で、フォルセは子供のように微笑んだ。

 

 

「話してスッキリしました。もっと早くに話していれば……あんな無様な姿は晒さなかったのに」

 

「うん、充分反省して? そしてこれからもあたしに何でもぶちまけてちょうだい」

 

 

 ミレイの言い様にフォルセは声をあげて笑った。

 

 

「……あの子を、浄化しなければ」

 

「クルトのことね?」

 

「ええ。二年前のあの時のように……トビーの弟であるあの子が、これ以上悲しい罪を犯す前に」

 

「行きましょ? ハーヴィが待ってるわ」

 

「俺ならここにいるぜ」

 

 

 高台にハーヴェスタがやって来た。相変わらず神出鬼没だとフォルセは思うが、彼の表情は常よりも硬く、苛立ちを秘めていた。

 

 

「ハーヴィ……どうしましたか、そんな顔で」

 

「緊急事態だ。お前らには悪いが、このままエリスの神殿に向かってもらう」

 

「エリスの神殿って?」

 

「俺がヘレティックを転移させた場所だ。もう少し閉じ込めておける予定だったんだが……またノックスの野郎が介入したみたいでな。いつ出てきてもおかしくない」

 

 

 また予定が狂った、とハーヴェスタは忌々しげに、赤毛の頭をがしがしと掻き毟っている。

 

 フォルセとミレイは互いに顔を見合わせた。今しがた、クルト少年を浄化する決意を固めたところだ。寧ろ決意の揺るがぬうちに出立できて、ありがたいとすら思う。

 

 

「望むところです。……などと、私が言えたことではありませんね」

 

「お? なんだよ〈神の愛し子の剣〉候補、少しは顔色良くなったじゃねぇの」

 

「おかげさまで……己のやるべきことを思い出しました。どうか力をお貸しください、ハーヴィ」

 

「着いてくって言ったろ? 二言はねぇよ。暴走しそうな異端がいることだけが心配だけどな」

 

「彼女は暴走しません。……信じております」

 

 

 フォルセの即答に、ミレイは当然よ、と頬をほんのり染め、大きく頷いた。

 

 それを見てハーヴェスタはククッとわらい、踵を返す。

 

 

「すぐ出発する、着いてきな」

 

 

 手招きする審判者に応と返し、フォルセとミレイは哀れな異端を浄化すべく――決意を新たに、高台を下っていった。

 

 

 


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