テイルズオブフェイシア ―己が神を信ずるRPG―   作:澄々紀行

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Chapter17 断末魔は突然に

 

 終わったと感じた直後、どっと疲れがやってきた。思えば酷い無茶をしたものだと、先程魔物からミレイを助けた“突風”――フォルセは、家屋の二階から崩れ落ちた寝台を見つめた。

 

 

(どうしてこんなことに)

 

 

 然程遠くない場所でミレイが今更ふるりと震えており、フォルセは呆れ顔になってその背を眺めた。己が駆けつけた時には寝台の下敷きになりかけていた彼女。それまで一体どんな無茶をしていたのか――考えるほど、真実から遠ざかる気がしてならない。

 

 

「……随分と無茶をしましたね」

 

 

 思わず、呆れと心配を含んだ声を背に投げた。

 

 悪戯のバレた子供のように肩を揺らし、ミレイが恐る恐る振り向いた。地面から起き上がるフォルセの姿を見て、言い訳するように苦く笑う。

 

 

「無茶したように、見えた?」

 

「ええ」

 

「ひとりで勝手に、って、怒ってる?」

 

「実はほんの少しだけ」

 

 

 なんて艶やかな笑みだろうか――フォルセの顔を見て、ミレイはそんな感想を抱いた。言い訳など通用しないとわかったのだろう、どこぞの赤毛審判者(ハーヴェスタ)曰く“空っぽ”な頭を勢いよく、風を鳴らして振り下ろす。

 

 

「――ごめんなさい! それから……ありがとうっ!」

 

 

 森での暴走、いやその前からずっと押しつけていた身勝手を含めた謝罪と、礼を。

 

 謝られたが、此度ばかりは許せない。フォルセはミレイの意を充分に理解した顔で、しかし何も言わず、今度は疲労を隠さず苦笑した。

 

 

 

***

 

 

 ――他に何か用事はあるか。できるなら一度に終えてしまおうと、フォルセはミレイに尋ねた。そんな彼に甘えるように、ミレイは「見てほしいものがあるの」と、クルト少年の家へと彼を誘う。

 

 二階に置いてきたクルトの家族写真を見せれば、二年前の当事者であるフォルセなら何かわかるかもしれない。ミレイはそう考えたのだ。

 

 移動の最中、ミレイは自分が知り得たことや行動中の出来事を簡単に説明した。このゲイグスの世界のこと、〈神の愛し子の剣〉の試練が行われていること、戦った魔物のこと、出会った騎士“フォルセ”のこと、自分が記憶喪失であることも、全て。

 

 

「〈神の愛し子の剣〉の試練のために、聖職者サマの二年前の経験が再現されているの。あたしは森で出会ったあの子――クルトに何が起きたのか、調べてた。

 って言っても、まだ調べ始めたばかりだったわ。ここに来たのも、あの子が自分の家で母親を殺したって聞いたからだし……」

 

「ミレイ、貴女は今でも私を〈神の愛し子の剣〉と考えているのですか?」

 

「え? う、うん……」

 

 

 ミレイはこてんと首を傾げた。てっきり過去を再現されていることを驚かれると思ったらしい。次いで、フォルセのどうにも形容しがたい表情を見て顔を曇らせる。

 

 

「もしかして……あたしが〈神の愛し子の剣〉だと認めないようなこと言ったから? それとも、聖職者サマ自身が、まだ……」

 

 

 ポツリと呟かれたその言葉に、フォルセは何も返さなかった。

 

 ミレイの望む救いができないなら〈神の愛し子の剣〉ではないのだろうと、フォルセは森で確かに言った。あの言葉が、ミレイが暴走する引き金だったとも言えるが――フォルセにとっては今もなお本心である。

 

 フォルセからすれば、負け続きの自分をどうして〈神の愛し子の剣〉であると信じられるのかと疑問が絶えないのだ。が、話が進まないので、ひとまず自分が〈神の愛し子の剣〉であることを前提に、フォルセは再び口を開いた。

 

 

「……、そうですか。ならば〈神の愛し子の剣〉である私が目覚めてから行動しようとは、思わなかったのですか?」

 

「聖職者サマの力に……なりたかったから。ハーヴィが言ってたの。『この世界には〈神の愛し子の剣〉とその協力者のため、力となる情報が用意されている』って」

 

「ハーヴィ……あの時助けてくれた、例の審判者ですか」

 

「そう。それにあたし、もう知らずに喚くのは嫌だったから。だから少しでも無知を無くして、あなたに謝りたかった」

 

「……」

 

「ごめんなさい、本当に。あたしは願うだけで、聖職者サマに勝手を押しつけてばかりいた。そのくせ自分の無知もわからずに邪魔をして、あの子が救われる機会を……失わせてしまった」

 

 

 ごめんなさい。ミレイから改めて謝罪され、フォルセの眼が瞬きに紛れて揺らいだ。

 

 

「その言い様から察するに、貴女はあの子の命を……」

 

「“奪わなきゃ”って、そう考えてる」

 

「死を恐れているのではないのですか? それも、貴女が救いたい“異端”を……」

 

「そりゃこわいわ、トーゼンよ。でも、時にはそうすることが救いになるのかもしれない。ううん、たとえならなくても、今“生きている”誰かを守るためにやらなきゃいけない時がある。

 ――自分ひとりで魔物に立ち向かって、ようやくわかったのよ」

 

「……」

 

「あの子に銃を向けたとき、あなたはこんなふうに考えてたのよね?」

 

「……そう、ですね。私は聖職者として、信者を守る義務がありますから」

 

 

 何処かの彼方にいるだろう信者を守るため、フォルセは異端に剣を向けた。

 

 

 夫妻の部屋に辿り着いた。先程より軋んだ扉をゆっくり開ける――壁にあいた大穴から、静かなエリュシオンの町が見えた。

 

 ――“騎士サマ”は、いない。

 

 

「私を演じているという方は……」

 

「いないわね。何も言わずにいなくなるとは思えないのに」

 

「……私が来たからかもしれませんね。過去の延長にいる私がいるのなら、過去を演じる必要もないでしょう」

 

「そう……なのかしら」

 

 

 けれど無言のお別れなんて寂しい。今度会えたら礼を言わなくちゃと呟きつつ、ミレイは目的のものを手に取った。

 

 

「……これよ。あの子の家族が写ってる」

 

「では、」

 

「待って! その前にひとつ言いたいことがある」

 

 

 ミレイが写真立てをぎゅっと抱きしめたまま、訝しむフォルセを見つめた。

 

 

「あたし、身勝手だった。そして今もそう……あんなに無理な要求をして、傷つけて、拒絶する言葉をたくさん言ったのに、今もあなたが〈神の愛し子の剣〉であると疑ってないの」

 

「……」

 

「このままじゃいけない。だから聖職者サマ、今は〈神の愛し子の剣〉としてじゃなくて、あの子のことを知るために、あたしに力を貸してほしい。……お願い、します」

 

 

 〈神の愛し子の剣〉ではなく、ただ一人の者として協力を。ミレイの懇願に、フォルセは思わず睨むような顔つきになって驚いた。

 

 

「……貴女は〈神の愛し子の剣〉を望んでいる、それにこの世界では〈神の愛し子の剣〉の試練が行われているのでしょう? 良いのですか?」

 

「いいの。たとえハーヴィが急かしてきても突っぱねるわ!

 それに……思うの。あの子は、あたしが救いたい“皆”のうちの一人だけど、再現(ここ)で何をしても、あの子自身が救われるわけじゃない。だったらここで覚悟を決めておこう。あたしは現実の世界できっと同じ悩みを持つことになるから。だから今のうちに知れることを全て知って、悩んでおこうって」

 

「つまり……この再現の世界で悩めることは幸運であると?」

 

「酷い話だけど、そうよ。その間に、〈神の愛し子の剣〉になってもらう為にお願いする言葉も考えたい」

 

 

 フォルセの大きな溜め息が響いた。次いで現れた苦笑に、ミレイもまた詰めていた息をホッと吐き出す。

 

 

「わかりました。今から私は、貴女と共に悩む子羊のひとりです」

 

「聖職者サマも悩むの?」

 

「ええ。私も、自分がどうあるべきなのか……今一度見つめ直さねばなりませんので」

 

「あっ、ありがとう聖職者サマ……じゃあこれ、あの子の写真」

 

 

 ミレイはまるで悩むフォルセを珍しがるような反応をし、すぐに慌てた顔で抱きしめたままの写真立てを彼に渡した。

 

 フォルセは無言でそれを受け取った。直後、虚ろに近かった双眸が見開き、何かしらの記憶が呼び起こされたことを傍から見ていたミレイに知らせた。

 

 

「どう? 何かわかる?」

 

 

 ミレイがらしくない小声で尋ねた。二人だけなのに、まるで内緒話でもするかのようで滑稽だ。が、ミレイは至って真面目だった。感情のまま戦う術を覚えたとはいえ、普段からそれではフォルセを困らせてしまうと、残念ながら経験で知っていた。

 

 

「……無知は嫌だとおっしゃいましたね?」

 

「うん」

 

 

 遠慮を捨てたフォルセに対し、ミレイの表情が緊張で彩られる。

 

 

「これから話すことは、私の……ヴェルニカ騎士の“日常”とも言える話です。異端症(ヘレシス)である貴女にはもしかしたら、辛いことかもしれません」

 

「心配してくれてありがと、でも大丈夫よ。あの子を殺したのが聖職者サマだって知ってるから、きっとそういう話なんだろうなって覚悟してる。……大丈夫よ、あたしはもう暴走しない」

 

 

 最後の科白は、ミレイ自身に向けたものだ。ミレイは様々な怯えを抑え、強い――芯の通った眼でフォルセを射抜いた。

 

 

「確証も裏付けもなんにもないけど、信じてほしい」

 

「……。私は神父であるべき身。常日頃から神の御言葉の尊さを信じてもらうために努める側です」

 

 

 フォルセは迷い子そのものの顔から、迷い子を癒すための透き通った笑みを浮かべた。

 

 

「だから信じますよ、ミレイ」

 

 

 

***

 

 

 二年前、フォルセ・ティティスは祭士の位を戴いたばかりだった。

 

 隊長から単独での任務を課せられる地位とはいえ、まだ書類上で受け取っただけのもの。祭士向けの任務が無かったことも相まって、フォルセは以前からと同じように、小隊にくっついてある任務へと赴くこととなった。

 

 

「ルスタ湖畔に住んでいる商人から、騎士団にヘルプ要請があった」

 

 

 その時から隊長であるテュールが濃紺の短髪を掻き上げ、祭士の任務じゃなくて悪いな、とそれこそ悪そうな顔つきで言ったのを、フォルセは今はっきりと思い出している。

 

 

「なんでも、採取場の森で見たことのない魔物を発見したらしい。あんまりに恐ろしいんで道中護衛がほしいそうだ。どう思う、我が祭士よ」

 

「……異端討伐ではなくただの護衛ですか? ならば騎士団ではなく、まず王国駐屯軍に任せるべきでは」

 

 

 向かう先は、西のサン=グリアード王国領地ルスタ湖――その周囲をぐるりと覆う森だった。同大陸にあるフェンサリル大樹海の陰に隠れがちだが、ルスタ湖森林もまたそれなりに深く、更に地面はデコボコと歩きにくいことで知られている。

 

 

「ルスタ湖畔には小さな村が一つあるだけだ。可哀想に……わざわざ王国軍が赴くことはない、自分達で解決しろと蹴られたらしい」

 

 

 サン=グリアード王国軍の徹底した階級主義――特に下層民に対する差別意識は、昔から教団にも届いている。

 

 

「そこで、俺達ブリーシンガ隊の出番というわけだ! 哀れな民草を守り、女神の謳う愛の軌跡を、」

 

「胸のうちに灯すのだ、ですか?」

 

「そうとも。正しく燃やせば燃やすほど、火はよき発展へと繋がる。発展はいつも燃焼から始まるんだ。特に今回の民草――商人の話、俺はすこぶる気に入った。この時期高く売れるチルデアの花を摘みに行きたいから、是が非でも森に行きたいそうだ! 商魂たくましくて結構だ、気に入ったぞ俺は!」

 

「はいはいわかりました。どちらにしろ、その方に案内を頼むことになるでしょう。チルデアの花は大聖堂の庭園にはありませんし、いい機会です」

 

「ようし決まりだな。小隊はラヴァナ修官に任せた、お前が着いてくことも伝達済みだ。聞く限り、見かけたという魔物はヘレティックじゃないただの魔物と思われるが……万が一、」

 

 

 ここで、軽薄そうなテュールの顔が“隊長のそれ”になり、フォルセは自然と背筋を正した。

 

 

「何か、小隊では御しきれない事態が起きた場合は。お前が動け。そのための祭士位だ」

 

「了解」

 

「それから」

 

「?」

 

 

 歴戦の名将。その実力を感じさせる強い眼差しで、テュールはクイ、とクールに指招きした。

 

 

「……出立は三時間後だ。急げ、俺にいってきますのキスをしろ。熱烈なやつを一発」

 

「一発、浄化の雷を御所望ですか?」

 

「おお嘆かわしいぞ我が祭士! 年々エイルーに言動が似てきている。あいつはイイ女だがお前がやるとただこわいだけだ何も燃えん」

 

「大司教たるエイルー様に失礼をするなと、何度言ったら、わかるのですか!」

 

「俺とて何度も言っているぞ? 俺は修導位を持つブリーシンガ隊隊長。教皇ヘイムダルに選ばれた四導赦(フォエドラーレ)が一人、テュール・スパルティーノだ! 大司教だろうが我が祭士だろうが、口説けるしラヴだしデートだって、行ける!!」

 

 

 行ってまいりますこの痴れ者が! フォルセは思いをリージャに込めてぶっ放し、足音荒く出立した。

 

 

 

 ヴェルニカ騎士団でいう小隊は、多くて三十人ほどの編成だ。他国と比べて規模を抑えているため、任務によっては更に数を減らして行く。

 

 此度の任務もまた、総勢二十人の騎士にとどめられた。新兵五人を含め、一応は“ヘレティック討伐”を意識した編成だ。

 

 本来なら、フォルセが同行する予定はなかった。する意味もない。任務も執務もなく暇ではあったが、それは騎士としての話。“司祭”であるフォルセは暇ではないのだ。

 

 司祭位とて、祭士となるより半年前に賜ったばかり。若いフォルセにはまだまだ覚えることが沢山あった。

 

 しかしテュールは、多忙なフォルセを引っ張りだしわざわざこの任務にねじ込んだ。そこに、信用できる“直感”があることをフォルセは知っている。

 

 

「任務自体は簡単なものだろう。だが嫌な予感がする。司祭フォルセには悪いが、今回はうちのフォルセに戻ってもらおうか」

 

「それは、いつもの直感……ですか?」

 

「まあな、俺の本能がさっきからうるさくて敵わん。

 ――若木が燻っている臭いがするんだが、わかるか? 我が祭士」

 

 

 テュールの勘はいつも当たる。だからフォルセは文句も言わず、急な任務であろうと従ってきた。神父としての修行中であろうとも――テュールのことを信用しているから、いつだって。

 

 そして、例に漏れず今回も。フォルセは上司の勘を末恐ろしく思うこととなる――。

 

 

 ニクスヘイム港から船に乗り、太陽がてっぺんに昇る頃、フォルセ含む小隊はルスタ湖のあるウィズバニア大陸へとやって来た。

 

 そこから急行の亀車(調教した魔亀(タートル)に引かせる、王国ではメジャーな車である)で数十分。大陸の半分を占める湿地を抜け、荒れ狂う亀エンジンによる乗り物酔いを多発させながら、ようやくルスタ湖畔に辿り着いた。

 

 湖畔にある小さな村の入口で、此度の護衛を依頼した商人と落ち合う。

 

 

「木がね、動いたんですよ! こんな大きい、えー……俺が三人肩車したくらいの大きさで、枝がひょろっと手みたいに伸びて、根っこでこうズルズルッと歩いてたんです!」

 

「あー、マットソン殿?」

 

「あ! それから真っ赤な目がぎょろっとしてて、いやあ恐ろしいヤツでした!」

 

 

 本当に怖がっているのか? 小隊を率いるラヴァナ修官は、興奮ぎみな依頼主を前に兜の中で引きつった笑みを浮かべた。その更に隣から、フォルセが苦笑して見守っている。

 

 商魂たくましいとはこの事か。小隊一同が考えていると、この場に出てくる筈もない幼い声が割って入ってきた。

 

 

「とーちゃん、そんな説明じゃわかんねー……いってえっ!」

 

「こらてめぇ! 今日は騎士様方と森へ行くから、絶対来るなって言っただろうがっ!」

 

「いーじゃんか、おれだってヴェルニカの騎士さま見たかったんだよ! とーちゃんばっかりずりぃだろ!」

 

「子供の出る幕じゃないの! 大人しく家に帰れ!」

 

 

 その子供は、商人マルクス・マットソンの息子だった。父からの拳骨を再び食らって涙目になりながらも、少年は反抗を止めない。

 

 

「子供って言うけどさ、魔物退治なんだろ? とーちゃんだって出る幕ねーじゃん!」

 

「お、俺は、道案内で行くんだ!」

 

「案内ならおれでもできるし! それにとーちゃん、こないだ思いっきり道間違えて大変だっただろ! かーちゃんもクーも、騎士さまにメーワクかけないかって心配……いってぇっ!」

 

「ああもうてめぇは! 何で! 余計なことばっか……ッ!」

 

「……ちぇっ、なんだよ……こないだも“余計なこと”とかって怒って……わかんねーよ。いつもは、早く大人になって楽させろ、ってうるせーのに!」

 

「! それは、……」

 

 

 少年のぼやきに、マルクスは突然ハッと息を呑み、ばつが悪そうに黙りこんだ。急激に暗くなった顔で溜め息をひとつ吐き、少年の頭に力無く拳を置く。

 

 その様子は、そこにいた誰もに疑問を覚えさせたが――答えは未だ得られていない。

 

 

「えーと。す、すいません、騎士様方。お見苦しいところを……」

 

「良いのですよ、マットソン殿。仲が宜しくて何よりです」

 

 

 思わず気遣ったのは、フォルセだった。他の面々は既に森へ出立する最終確認を行っている。非情と言うことなかれ、一応少年が着いてくることも想定し、陣形を整えているのだ。

 

 

「……にーちゃん、まさか騎士なのか?」

 

「ええ、そうですよ」

 

「……」

 

「?」

 

 

 まるで詐欺師でも見るかのような視線を受け、フォルセは訝しげに首を傾げた。

 

 何か失言したかと悩むフォルセを睨み、少年は、再び“余計なこと”を口にする。

 

 

「なんだそのかっこ。にーちゃん、全然騎士っぽくない!!」

 

 

 ――無音が吹いた。

 

 「あああああトビーィイイイイイイイッ――!!」マルクスの怒号が村の端まで突き抜けた。一斉に耳を塞いだフォルセらの前で、少年トビアス、もといトビーは、本日一番の拳骨を食らい、きらりと舞う星を見た――。

 

 

 

 その後、収集のつかないほどの親子喧嘩が勃発したため――ラヴァナはやむを得ず、トビー少年の同行を許可した。

 

 俺も祭士のような余裕が欲しいよ。そう愚痴をこぼすラヴァナは、フォルセよりも五つほど年上だ。修行あるのみです、と微笑んで返したフォルセは、マットソン父子を囲うように並ぶ陣形を見渡し、僅かな穴と思われる位置に移動した。

 

 

「村を経由するなら……いや、あの様子じゃ梃子でも離れないな」

 

 

 諦め顔でそうぼやいたのは当然、予定外の陣形を率いることになったラヴァナであった。森へ行く前に村の中を通り抜けることとなり、密かに期待したのだが――村民数人には会ったものの、マルクスらの家族には出会わなかった。

 

 トビーよりも幼い弟ならともかく、母親がトビーを捜していてもおかしくはないだろうに――

 

 

「下の子と違って、こいつは好奇心旺盛すぎて。エメリ……うちの家内も、俺に着いてったんだとわかったんだと思います」

 

「ですが、念のためお伝えしたほうが良かったのでは?」

 

「あ、そりゃ大丈夫です。うちの村は狭くてすぐ話が行き渡るから、誰か教えてくれますよ。うはは」

 

 

 豪快に笑うマルクスから、ヴェルニカ騎士団への全幅の信頼をも感じ取り――ラヴァナらは、彼らを何がなんでも無事に帰さねばと決意を固くした。

 

 

 

 豊かな木々が生い茂る森、しかし地面は酷くデコボコとしていて歩きづらい。ラヴァナを中心に指示を出し、魔物の気配に注視しながら小隊は進んだ。

 

 その間、民間人であるマットソン父子の緊張を解そうと、フォルセは神父寄りの顔で話しかけていた。

 

 

「流石、お二人は慣れておりますね」

 

「うちは代々、このルスタの森で採取を行ってるんです。だからうちのトビーも、将来の為に何度か連れてきてるんですが、いっつも俺からはぐれて……」

 

「おれじゃなくて、とーちゃんがはぐれてるんだよ。せっかくおれが近道見つけてやってるのにさ!」

 

「急がば回れ。あんな危ない道、軍人や騎士様でもないのに通れるわけないだろ!」

 

 

 「ねぇ?」同意を求めてきたマルクスに、フォルセは曖昧な笑みだけを返した。“近道”を知らぬのだから当然だ。次いでトビーを見れば、未だにフォルセを騎士と思わぬ表情だった。

 

 嫌われたものだと、フォルセは内心苦笑した。頭のてっぺんから足先まで“か弱げな神父”の格好は、どうやらトビーの抱く騎士像を少々破壊してしまったらしい。――確かに、浮いてはいる。小隊は皆、重厚な甲冑に身を包んでいるために。

 

 

「止まれ。……いたぞ、やっぱり妖老樹(トレント)だ」

 

 

 前方より聞こえたラヴァナの制止に、フォルセは顔を上げた。ピリリと冴え渡った空気を感じ取ったのか、小隊の中心で守られているマットソン父子の表情が揃って硬く強ばる。

 

 さてどうしようか。小隊と違って剣も抜かず、フォルセは視線だけをぐるりと動かした。おとな数人分の大きさを持つ、根っこで歩く恐ろしい木――この地域では珍しい植物系の“魔物”である妖老樹(トレント)。報告から推察していた通り、ヘレティックではない。新兵だけでも討伐できる相手である。

 

 もっとも、戦いに不慣れなものにとっては充分脅威となる魔物なのだ。特にその巨大な図体が、素人の抱く恐怖に拍車をかけている。

 

 

「き、騎士様……! 俺が見たのはアレですっ、早くやっつけてください!」

 

「静かに。今のところ、さしたる動きも見えない。恐らく必要とするマナが足りず、弱っているのでしょう」

 

 

 怯えのあまり大声を出すマルクスを、ラヴァナは冷静に宥めた。

 

 人間と同じく、魔物は体内に無属性のマナを持つ。しかし、人間よりも遥かに周囲のマナ環境に敏感であるため、時に適応するべく進化し、あるいは容易く滅びていく。

 

 一行の見つけた妖老樹(トレント)は、環境に適応できていないようであった。巨大な図体はよく見れば枯れかけで、先に朽ちた花の蕾が頭部で悲しげに揺れている。

 

 

「討伐より、もっと南方に連れたほうが良いのでは?」

 

「フォルセ祭士……そうだな。南はここよりも地のマナが豊富だ。妖老樹(トレント)の生息地もあったはず。あの一体だけなら、我々だけでもなんとか連れていけるか……」

 

「ちょ、ちょ……騎士様! あれ、やっつけないんですかい!?」

 

 

 ラヴァナとフォルセのやりとりに、マルクスは驚いた形相で詰め寄った。

 

 

「落ち着いてください、マットソン殿」

 

「神父さ……いや騎士様」

 

「あの妖老樹(トレント)という魔物は小規模ながらも群れをなすゆえ、通常、森にたった一匹でいることはありえないのです。ただ、稀に種子を鳥が運び、運良く発芽することがありまして……恐らく、今回もそれかと」

 

「祭士、魔物の輸送となると新兵には早すぎる。修官を中心に編成し直して……行ってくる」

 

「わかりました、ここはお任せを。……ですからマットソン殿、この森にいる妖老樹(トレント)は、今見えているあの一体だけと思われます。念のため、あとで森全域を見回ることも考えておりますが」

 

「なんでやっつけないんだよ……」

 

 

 はぁと頷くばかりのマルクスに代わって、息子であるトビーが不満げな声をあげた。

 

 

「弱ってるなら、さっさとやっつけたほうがいーじゃん」

 

「……君は、家族を心配しているんですね? 優しい子です」

 

「そ、そんなんじゃねーし! 危ない魔物はやっつけるのがフツーだって思ったから……!」

 

 

 フォルセの賛辞に、トビーはぎょっと目を剥いた。恥ずかしそうに喚くが、もう遅い。その幼い眼が訴える不安を、フォルセは既に見抜いている。

 

 

「大丈夫。あの弱りようでは、この森に住まうピヨピヨのほうがまだ手強い。このまま放っておけば、環境に適応できぬまま死んでしまうでしょう」

 

「じゃあ、なんで保護なんかするんだよ!」

 

妖老樹(トレント)の葉や果実は、加工すれば薬にも調味料にもなります。商人であるマットソン殿なら耳にしたことがあるのでは?」

 

「え? あーそういえば……はい。確かに聞いたことがあります、ウワサですけど」

 

「そ、そうなのか? とーちゃん」

 

「ああ。歩きながら地面に採取品を落としていくから、わざわざ戦って手に入れる必要がない。だから採り過ぎないよう注意すれば、商人にとっちゃあこんなに優しい魔物はいないってウワサだ。南方じゃあ“歩く薬箱”とかって呼ばれて……あーそうかそうなのか、あれがその魔物なのか……!」

 

 

 マルクスの目色が、商人独特の熱いものに変わった。先ほどまで恐ろしがっていたのはどこの誰だったのか――妖老樹(トレント)に向ける眼差しはもはや世界の共通通貨、輝くガルドのマークをギラギラと宿している。

 

 トビーもまた、父親の言葉なら信用できたのだろう。不安が払拭され、興味深げな表情を浮かべている。

 

 

「確かに魔物。時にヒトを襲い、時にヒトが襲う。けれどヒトは、魔物から多くの恩恵をも受けている。……ならば、たとえエゴであろうとも救えるものなら救いましょう。それもまた、女神の謳う愛の軌跡を紡ぐ道です」

 

「にーちゃん、やっぱり騎士には見えないな。森外れに教会あるからさ、そこで神父さまやったほうがいいんじゃねーの?」

 

「……ははっ! もう間に合っておりますよ。私は……

 

 ――ッ!?」

 

 

 キン、と響いた耳鳴りに、フォルセは息を呑み、険しい顔つきとなって構えた。

 

 柔らかな神父の面を取り払った、まさしく騎士の顔。その抜剣の構えに、マットソン父子は揃って目を白黒させている。

 

 

「よし、みな配置についたな? 妖老樹(トレント)を刺激しないようゆっくり、幼女でも扱うように……」

 

「ラヴァナ修官、お待ちを!」

 

「! どうした!」

 

「この肌を刺す冷たい気配……間違いない、暴走です!」

 

「なっ……んだって!? 何処に!!」

 

「……――戻ります! 修官、余波を受けた魔物に気をつけて!」

 

「っ祭士!」

 

 

 フォルセは背を向けたままラヴァナに“指示”し、元来た道を――否、トビーが見つけたという近道を軽々と抜け、一同の視界から消えていった。

 

 

 ――。

 

 ここからの会話を、その場からいなくなったフォルセは知らない。ただ事が終わったあと、ラヴァナ修官から伝え聞いたのだ。

 

 

「くっ……祭士の世話になってしまうとは、面目ないっ」

 

「ラヴァナ修官! 妖老樹(トレント)が突然……う、うわあああっ!」

 

「き、騎士様!?」

 

「まずいっ余波がここまで来たか!? 弱っていることが逆に仇となったんだな……総員! 何度も悪いが作戦変更! “異端”討伐用意! 急げ!」

 

 

 枯れかけの躯体を瘴気の色に染め上げた――もはや救うことなど不可能となった、“異端”の妖老樹(トレント)

 

 

「“異端”だって? ……じゃ、じゃあ祭士が言ってた暴走って、異端症(ヘレシス)の暴走……?」

 

「祭士、さっき戻るって言って……まさか、村に!?」

 

「村!? ……ああっ、かーちゃん、クー!!」

 

「お、おい待てトビー! ……わああっ!?」

 

 

 異端討伐すら早い、余計な口を持つ“新兵”達がいたと。

 

 ラヴァナ修官は、負傷した身でフォルセに悔いたのだ。

 

 

「なっ……お前たちッ、せっかく俺と祭士が隠し……ああくそっ! 新兵どもはマットソン殿について随時詠唱! 残りの修兵はトビー君を、祭兵はこっちへ!

 

 ――暴走余波(インフェクション)だ! 気を引き締めろ!!」

 

 

 

***

 

 

「――ギャアアアアアアッ!!!」

 

 

 その断末魔の叫びに、フォルセは思わず口を閉じた。二年前、己が村に戻った時も聞いた気がするその声に、話すどころではないと思い直す。

 

 

「ミレイ、……ミレイ!」

 

「へ?」

 

「大丈夫ですか? 私の声が……聞こえますか?」

 

 

 ミレイの肩を掴んで呼べば、彼女は呆けた顔で頷いた。

 

 

「大丈夫よ、それよりお話の続きを……断末魔が聞こえて、どうなったの?」

 

「続き? それどころではありません」

 

「へ?」

 

「町から悲鳴が。それと……血の臭いがここまで。貴女が聞いた断末魔は本物ですよ、ミレイ」

 

 

 再び抜けた声を出したミレイの前で、フォルセは鋭い眼差しで、壁の大穴からエリュシオンを睥睨した。

 

 フォルセの言った通り、静閑だった町には今や人々の悲鳴が響き渡っていた。生温い、空気が赤く染まってしまいそうなほど濃厚な血の臭いが、鼻を萎ませてしまいそうだ。

 

 豊かな想像力から帰ってきたミレイは、穴から見える光景に眼をこれでもかと見開いた。

 

 

「な、ななななにが起きたっていうの……!?」

 

「わかりません。私も先ほどの悲鳴で気付いたので。

 ただ……ここまで濃い血と悲鳴なのに、なんというか、まるで突然そこに現れたように急に気配が膨れ上がって……正直、何がなんだか」

 

 

 フォルセは自身の困惑を口にした。それを聞き、ミレイが何かに思い当たったように表情を変える。

 

 

「この世界では不思議なことがたくさん起きるから、きっと今回もそれなのかもしれないわね」

 

「ゲイグスの世界の不思議、ですか……」

 

「そう。ヒトも魔物も演じられてる、不思議な世界……だけど、」

 

「だけど?」

 

「こんな悲鳴を聞いたまま、放ってなんておけない。“ゲイグスの世界の不思議”でも関係ない、助けに行かなくちゃ」

 

 

 フォルセに負けず劣らず、ミレイの眼は強く真っ直ぐだ。漂う不穏な気配に呑まれることなく、自分のすべきことを訴える。

 

 あまりに気負いすぎて、容易く折れてしまいそうだとフォルセは思う――

 

 

「――ええ。私も同じ考えですよ、ミレイ」

 

「同じ」

 

「ただ……今の私はとても弱い。貴女が思ってくれているよりもずっと、弱いのです」

 

「知ってる。法術は使えるけど、使うと身体がミシミシ痛むって……騎士サマが……」

 

 

 ミレイの気遣う言葉に、フォルセは一瞬目を逸らしそうになった。

 

 弱くなったとは、何もリージャの減少や身体中の痛みだけではない。フォルセにとってはもっと重要な弱み――“火が怖い”という、致命傷がある。

 

 フォルセは気付いていた。血の臭いに混じり、町からは燃え盛る火の臭いも漂ってきている。

 

 

(リージャも身体の痛みも知られてしまった。ならばせめて、これだけは隠し通さないと……)

 

 

 火への恐怖を知られるわけにはいかない。身体の痛みを隠していた時と同じ理由で、フォルセは笑顔の裏に自身の弱みを押し隠した。

 

 “暴走しない”という言葉を信じると言った身で、彼女の暴走を“案じている”。

 

 

「……、えぇ。だからミレイ、私と一緒に戦ってくれますか?」

 

「一緒?」

 

「今の迷える私には、貴女の力が必要なのです。私が弱くなったかわりに、懸命に強くなった貴女の力が」

 

「必要……あたしが、必要?」

 

 

 人々の悲鳴は変わらず、いやいっそう大きくなって夜天を裂く。だが今のミレイに外の喧騒は掠れた風のようにしか聞こえていなかった。それはフォルセの思った通り――いやそれ以上の反応だったのだが、喜びに満ちたミレイは当然気がついていない。

 

 一緒。貴女の力が必要。

 

 強くなったと言ってくれた。

 

 

「……っ!」

 

 

 言われた言葉を頭の中で何度もなんども反響させる。現金なことだと言うことなかれ。フォルセの言葉はミレイの不安を柔らかく包み込み、歓喜とともにすくっていった。必要とされることがこんなにも嬉しいなんてと、ミレイの胸は感動でいっぱいになる。

 

 この場には決してそぐわない喜びだが――少なくとも、経験不足のミレイには必要なものだった。それをフォルセもわかっているからこそ、彼女を浮上させる言葉を本心から告げたのだ。

 

 

「こちらこそ! 一緒に悩んで戦いましょうっ、聖職者サマ!」

 

 

 緩む頬を精一杯引き上げて、ミレイは力強く頷いた。その反応が欲しかったフォルセは、艶やかに笑んでその手を取る。

 

 

「……では、行きましょう」

 

「うん!」

 

 

 フォルセは相も変わらず弱さを押し隠したまま、ミレイの手を握り返す。

 

 弱さを隠し、信を預ける。

 

 それが無意味な抵抗でしかなかったと気付くのは、フォルセが予想しないほど近い未来のことだった。

 

 

 


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