テイルズオブフェイシア ―己が神を信ずるRPG―   作:澄々紀行

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Chapter16 あいを知る舞台

 

 二つのベッドが並べて置かれ、脇には小さな棚が備え付けられている。使い古された化粧台が女性の存在を思わせ、けれども窓辺に放置された鞄は妙に男臭い。

 

 ミレイが入ったその部屋は、十中八九クルトの両親が使っている寝室だった。

 

 

「……、騎士サマが立ってたから開けたけど……なんで、寝室?」

 

 

 困惑するミレイを置いて、フォルセは躊躇無く足を踏み入れた。

 

 フォルセが腕を一振りすると、淡かった光が少しだけ強まった。「法術? 使って大丈夫なの?」ミレイが心配そうに尋ねれば、深い笑みだけが返ってくる。

 

 

「クルト少年のことを知りたいのでしょう? まだ小さい子ですから、御両親の部屋の方が手がかりを探しやすいかと思いまして」

 

「手がかりって……あなた、知ってるんじゃないの?」

 

「言ったでしょう。私は此処に来てすぐにあの子を追ったのです。当時調べたのも一階だけで、此処まで来るのは私も初めて。

 ……この“夫妻の寝室”は、女神の記憶から補完している部分なのですよ」

 

「へぇ。ということはあなた。この先に何があるか、とか、そーいうのは……」

 

「はい。知りません」

 

 

 やっぱりね……とミレイはガクリと脱力した。勢い勇んでやって来たのに、拍子抜けもいいところである。

 

 

「てっきり、あなたが全部教えてくれるのかと思ったわ……」

 

「ハーヴィがお教えしていなかったために、先程は余計に説明致しましたが……本来なら、私が与えられるのはフォルセ・ティティスが知るだけの情報と、思っただけの情報のみなのです」

 

「……? 聖職者サマがここに来ようって“思った”から、ここに来たってこと?」

 

「はい。クルト少年を追う必要があったので、結局来ることはありませんでしたが。

 ……私が伝えられるのは、後にクルトの父親から聞いた『困ったことに、あの子は動物好きだった』という情報だけです」

 

「え? 困ったことにって……別に、動物好きで困るようなことないと思うけど」

 

 

 ミレイは首を傾げながら、もう一度寝室内を見渡した。が、普通。特に変わったところは見当たらない。ならば手当たり次第に探すべきかと一瞬考えるが、まるで盗人のような行いをするのは、かなり気が引ける。

 

 

(……あれ、ドレッサーの上に何かある)

 

 

 クルトの母親が使っていただろう化粧台に何かを見つけ、ミレイはソッと近寄った。本来なら化粧道具を並べる台の上にあったのは――花柄表紙が愛らしい、一冊の手帳だった。

 

 

「これって……」

 

 

 「クルトのお母さんのものかしら?」ミレイが思わず手を伸ばすと

 

 

 

「わたしはあの子を愛していたの」

 

 

 青白い女の顔が、眼前をぼんやりと覆った。

 

 

「――」

 

 

 ミレイが止まった。女も止まった。決意を新たにした少女と、向こう側に化粧台が透けて見える女の顔が、まるで親しい仲を思わせる距離で向き合った。

 

 「愛していたの」冷気が肌をなぞり、絡みつき、ミレイの頬を粟立たせ「わたしもあの人もあの子も、」血の気の無い両腕がゆうるりと伸び、眼に黒目は無くけれども極限まで見開かれ、いっそ殺せと叫び「みんなであの子を」たくなるほどの悪寒が、背から足から全身へと伝い「愛していたのに」キンと耳鳴りが頭を揺らす。

 

 

「なのに間違えたから、食べられちゃ、」

 

「――ギャァアアアアアアアッッ!!」

 

 

 漸く復活したミレイが、腹の底から絶叫した。

 

 恐怖だけをそのまま凝縮した叫びは、寝室の壁に当たって跳ね返り、にこやかに立っていたフォルセの耳を直撃した――ついでにミレイ本人も直撃してきた、フォルセはんぐ、と呻きながら、逃げてきたミレイを受け止める。

 

 

「ああ、あ、ああ、おおおば、おば、お、おお、お、……っ!」

 

「落ち着いてください、ミレイ」

 

「オバケぇえええええ!!!」

 

「落ち着いてください、ミレイ」

 

 

 よしよし、と背を撫でてくるフォルセを涙目で見上げ、ミレイは絶叫を繰り返す。

 

 

「無理! ムリムリ! だってオバケっ、オバケは嫌なの!! 非科学的よっいるっていうなら証明しなさいよぉおおおあああああっ!!」

 

「あれは、マナを纏った残存思念ですね。此処にいるということは、現実世界にもいるでしょう。機会があれば行ってみるとよろしい」

 

「……、……残存、思念??」

 

「ええ、“残存思念”……周囲に漂うマナの集合体です。

 マナは生物にとって第二の血であり、同時に世界の映し鏡とも呼ばれています。あまりに強い感情は世界を漂うマナに残りやすく、結果、感情を核にマナが結びつき、俗に言う幽霊のような存在に変化するのです」

 

「……マナって……魔術に使う以外にも、変化するの?」

 

「霊魂系の魔物は、殆どが残存思念のなれの果てですよ。

 そしてそのように残る思念には、異端症(ヘレシス)が関わっている可能性が高い」

 

 

 ひゅっと喉を鳴らして、ミレイは恐る恐る振り返った。

 

 闇に同化しそうなほどに不気味な女が、化粧台からぬうっと抜け出した。白目ばかりかと思えた双眸は、よく見ればうっすらと黒目部分が見え、真っ直ぐミレイを射抜いているのがわかる。全身の肌は青白く透けており、向こう側の化粧台と手帳、寝室の壁が見えた。

 

 ミレイの顔がぎゅっと歪んだ。恐ろしい、つい先程ミレイに恐怖を与えたばかりの女の思念体には、異端症(ヘレシス)が関わっているらしい。また異端症(ヘレシス)か。また同胞なのか――まるで化け物を生み出すしか道は無いと、世界中から言われているようだ。“皆を救いたい”というミレイ自身の願い、その芯がぐらりと揺れる。

 

 ミレイは頭を大きく振った。生かして救ってくれ、とフォルセに縋って叫んだことが、遥か昔の出来事のように思い出される。相当な無茶を言っていたのだと、理解がストンと落ちてきた。

 

 

(そうよ、あたしだってクルトの暴走を見て、化け物だって怖がった。きっとそれが普通の反応なんだわ。同じ異端症(ヘレシス)だから助けたいと思うなんて、ホントに勝手だった。記憶があろうと無かろうと、あたしは何もわかっていなかったんだわ)

 

 

 こんな状況にならなければ、ミレイは異端症(ヘレシス)の危険性も何もかも、ちゃんと理解できなかったのだ。言葉だけで語られても、きっとそんなことはない救えるに違いないと、机上の空論にも劣る主張を延々と繰り返していたことだろう。ギリギリになるまで何も告げなかったフォルセの行動は、ある意味正しかったのかもしれない。

 

 

 「わたしはあの子を愛して、間違えて、食べられた」女が声を発する度、強い耳鳴りがミレイを襲う。が、全身を這うような恐怖は無くなっていた。“オバケ”か“残存思念”かの違いはミレイにとってかなり大きいもので、更に異端症(ヘレシス)が関わるという事実が、ミレイの頭に冷水をぶっかけたのだ。

 

 

「……、マナが思念を映しやすいって、要するにどういう理屈なの?」

 

「魔術と同じですよ。詠唱や陣と共に術者の“思念”を核とし、マナを変化させる――それが魔術。残存思念は、簡単に言えば詠唱や陣を省略し、思念だけで無理やり練られた魔術、といったところです」

 

「つまり、科学的に証明できるってことよね!?」

 

「ええまあ」

 

 

 引きつっていたミレイの顔が、にんまりと笑顔を浮かべた。

 

 

「そういうことなら……大丈夫よ! オバケだからって怯える必要なんて無い、だってちゃんと説明できる存在なんだもの! ふふ、うふふふふ……難関ひとつ、クリアね!」

 

「それは良かったです」

 

「こほん……それで、この女のヒトも……異端症(ヘレシス)だったの?」

 

「思念が残される際に異端症(ヘレシス)が関わっていることが多い、というだけで、彼女が異端症(ヘレシス)だったという確証はありません」

 

「あっそう……まあいいわ。このヒトが誰なのかはわかったし、もしそうなら絶対異端症(ヘレシス)が関わってる筈だもの」

 

 

 女から視線を逸らさぬまま、ミレイはゆっくりと横に動いた。ベッドサイドへ手を伸ばし、カタリと音をたてて何かを掴む。

 

 ミレイが取り上げたのは――小さな写真立てだった。先程逃げ惑っている間、視界の隅で見つけたらしい。得意げな表情を隠さぬまま、ミレイはフフンと笑う。

 

 フォルセが、幼子を褒めるような微笑を浮かべた。

 

 

「フラン=ヴェルニカ教団と、西のサン=グリアード王国による共同開発が進んで、昨今では、それぐらいの写真は手軽に撮れるようになりましたね」

 

「へーえ。ちょっと興味あるお話だけど、今は写真の中身が重要よ。……見て!」

 

 

 ミレイは手にした写真立てをフォルセに見せた。壮年の男女と少年が二人、幸せそうに並んで写っている。

 

 そのうちの二人に、ミレイは見覚えがあった。二人の少年のうち、より幼い方がクルト。そして優しげな表情を浮かべている女性が――目の前にいる、青白い顔の女である。

 

 

「このヒトが、ううん……この思念の本当の持ち主が、クルトのお母さんなのよ……実の子供に殺されたんだもの。最期に何か強い想いを持ったに違いないわ。

 ……ところで騎士サマ。このヒトまで、ゲイグスの住人ってわけじゃないわよね?」

 

「住人ですよ」

 

「……、すげぇわね」

 

 

 ここまで怖気の走る存在までも、ゲイグスの住人とやらは演じてしまうのか。ミレイは驚きで一瞬放心した。が、すぐに気を引き締める。演技であろうとなかろうと、自分にとっては紛れもない“現実”として真摯に受け止めるべきなのだ。

 

 

「わたしはあの子を愛していたの」

 

 

 女――クルトの母親が残した思いが、再び言葉を発する。

 

 

「あの子って、クルト……あなたの子供のこと?」

 

「クルト……愛していたの。優しい子だった。……優しすぎた」

 

「優し……すぎた?」

 

 

 対話になっているのだろうか。僅かに変化した女の言葉に、ミレイは訝しげに眉を寄せる。先程フォルセが言った「父親曰く『困ったことに、あの子は動物好きだった』」という情報が、不意に脳裏を過ぎる。

 

 

「動物や魔物を飼って、狩って、生きていたの。誰かが使う旅道具、誰かが着る衣服、糧となる食べ物。その素を作っていたの」

 

「! 『父親と兄は仕事で森に出かけてる』って、町長さんが言ってたわね……」

 

「素が沢山売れると、あの人はとても喜んでいた。あの子もあの子も喜んでいた。わたしも嬉しかった。きっと女神様も喜んでいた」

 

「商人だった、ってことね。確か町長さん、『兄は父親の跡を継ぐため頑張ってる』とも言ってた。……何代も前からそうやって暮らしていたのかしら」

 

 

 毛皮や角といったもののほか、植物系の魔物からは回復薬の素となる実や葉なども採取できる。更に魔物の肉は、時に家畜以上の値打ちになるとも言われており、地域によっては名産品と謳われている。

 

 一家の姿が少しずつ見えてきた。自給自足を兼ねた商人の家だったのだ。幸せそうな写真と女の言葉から察するに、きっと穏やかな日々を過ごしていたに違いない。

 

 ならば何故、クルトはああも“暴走”してしまったのだろうか――

 

 

「やっぱり異端症(ヘレシス)だったから……しあわせは、壊れてしまったの……?」

 

「いいえ」

 

「っ! せ……騎士、サマ」

 

「異端だったから壊れたのではありません。

 ……異端になってしまったから壊れたのです」

 

 

 相も変わらずにこやかな顔で告げられた――その言葉の些細な違いをミレイが理解し、噛み砕くその前に、

 

 

「わたしが間違えてしまったの……」

 

 

 女の――母の思念が黒く染まった。

 

 

「生きる糧への感謝を、“ありがとう”を告げる先を、ちゃんと教えてあげられなかったから――

 

 ……ぁ、ァ、あああああ!!」

 

「え……っ、」

 

 

 女が叫び、いっそう長い耳鳴りが響いた。直後、窓辺の鞄やベッド脇の棚が、あろうことか宙に浮き、ミレイの真横を勢いよく“飛んでいった”。

 

 

「っ、きゃあっ!」

 

 

 ミレイは悲鳴をあげながらもなんとか避けた。ガシャン! と音をたてて床に叩きつけられた物体達は、しかし再び宙に浮かんでミレイを狙う。

 

 

「な、なに……!? 一体何が起きてるの!?」

 

 

 飛び交う家具をギリギリで避ける。持ち前の身軽さを生かす最中、ズズ、ズズ……と何かが引き摺られる音が聞こえ始める。

 

 慌てて周囲を見渡すミレイ、その顔から血の気が一気に引いた。――女の叫びに従って、二つのベッドまでもが動き出した!

 

 

「――フォトン!!」

 

 

 ミレイの背後から飛んできた光弾が、宙に浮かび上がったベッドに直撃した。ベッドはそのまま壁に激突し、轟音をあげて床に落ちた。

 

 

「ほ、法術……! っ、騎士サマ!」

 

 

 飛び交う家具を、光弾が次々に撃ち落とす。出所はひとつしかない、けれどもミレイの心は冷える一方。

 

 法術が使えない、否、“リージャで痛みを抑えているから使えない”フォルセを見つめ、ミレイは焦りと混乱で立ち止まる。

 

 

(ど、どうしよう、なんとかしなきゃ。また聖職者サマが無理してる)

 

 

 全身の痛みを抑えることを止め、救い、助けるために法術を使う。クルトと戦っていたフォルセと同じ。たとえ演じているだけであろうとも――いやだからこそ、今ここにいる“フォルセ”にも、ミレイは同じように罪悪感を覚える。

 

 唯一違う点といえば、フォルセが相変わらず薄い笑みを浮かべていることだろうか。が、その頬には一筋の汗が流れ、少しずつ、少しずつ反応が遅れてきている。

 

 

(止めなきゃ、でもどうすればいいの……せっかく変わろうと思ったのに。結局何もできないまま聖職者サマを傷付けて、また、あたしは……)

 

 

 この場にいるフォルセと、森でクルト相手に戦ったフォルセの姿が、ミレイの脳裏でピタリと重なる。罪悪感が胸いっぱいに広がり、また間違えるのではないかと恐怖を募らせる。

 

 

「ぁ、ああ、お肉が好きなあの子……それが大好きな友達だって、知らなかったあの子……!」

 

「えっ……!?」

 

「食べるのはありがとうなのよ、そうして繋がるの、怖くないのよ、……わたしの言葉が届かない、届けるのが遅かった。わたしは間違えてしまった。あの子は大丈夫だったから、あの子も大丈夫だと思ってしまった。

 ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 

 ごめんなさい、ごめんなさい――続く謝罪の言葉と共に、宙に浮く家具が増えていく。

 

 恐怖で染まっていたミレイの心に、同調と哀れみの色が落ちてきた。

 

 

「このヒト……あたしみたいだわ。あたしは聖職者サマを責めるばかりだった。そしてこのヒトは自分を責めている。責め苦ばかりの残存思念……向いてる方は違うけど、あたしみたいに、暴走してる」

 

「そう……」

 

「! 騎士サマ!」

 

 

 光弾を撃ち続けるフォルセが、それでも笑ってミレイを見つめてきた。

 

 

「癒されぬ思念はマナを蝕み、残存思念は魔物となる。たとえ言葉を失っても思念は残り、強い思念は周囲のマナへ再び干渉する。

 ……ポルターガイストって知ってますか?」

 

「ポ……え??」

 

「誰も触れていないのに、物体が宙を飛んだり、物音がするといった……大昔から語られている心霊現象のことです。

 ……ああ怖がらないで。昨今では、残存思念から昇華した魔物、あるいは異端症(ヘレシス)の仕業だったのかもしれないと言われているのですよ」

 

「……へれ、しす…………あっ!!」

 

 

 ミレイは思い出した。エリュシオンに来る前、ハーヴェスタが語った言葉だ。

 

 異端症(ヘレシス)は、ひとつの事柄に対する想いが尋常でなく強い。だから暴走しても、仕方がないのだと。

 

 

異端症(ヘレシス)が肉体を変貌させヘレティックとなるのも、強すぎる感情が瘴気汚染を促し、肉体のマナを一気に変質させるがゆえ。

 ――感情が強いほど、マナは映し鏡のように変じる。善悪関係なく、マナは望まれるままに応えるのです」

 

 

 言い終えた直後、フォルセは光弾を放っていた両腕を下ろした。荒い息遣いが聞こえる。真白の法衣が肩で息をしている。“フォルセ”と同じようにリージャを使いきって、全身を酷い痛みが襲っているのだろう。

 

 既に殆どが大破している家具は、しかしなおも浮き上がり、フォルセへと狙いを定める。

 

 

(感情、強い感情……)

 

 

 戸惑ってばかりだったミレイの瞳が、浮き上がる脅威を真っ直ぐ睨む。

 

 

「あたしにも、できるかしら」

 

「……」

 

 

 苦しげだったフォルセの表情が、どこか安堵したように美しく微笑んだ。

 

 

「貴女に応えられる情報を、私は持ち合わせておりません」

 

 

 アアアアア……ッ!! 獣の咆哮となった女の“謝罪”が、浮き上げた家具を一斉に吹き飛ばす。

 

 

 

「――止まれぇっ!!」

 

 

 ミレイの渾身の叫びを最後に――その部屋は、痛いほどの静寂に包まれた。

 

 

 

***

 

 

 肉も記憶も感情も、留まる理由がないそれらは綺麗にキレイに削げていく。

 

 

「貴女を何故強いと感じたか、結局伝えられませんでしたね。

 ――言わぬことは正しかった。これは役目ではない」

 

 

 彼女(ミレイ)の意識に登らぬよう、静寂よりなお自然に消えていく。

 

 

「……わたしの役目も終わりました。帰りましょう」

 

 

 騎士フォルセ・ティティスを演じた役者が一人、舞台から降りた。

 

 

 

***

 

 

 ――ピィン! 糸を張り詰めたような音が響き、宙を飛ぶ家具達が一斉に留まった。

 

 ミレイは女を指差したまま、ポカンと口を開け放心する。

 

 

「あ……あ。できた」

 

 

 強い感情でマナに干渉する。残存思念体である女と同じ、否、それ以上の力を発揮する。異端症(ヘレシス)である自分ならできると思ってやったことだが、いざ成功すると現実味がない。

 

 ググ、と浮いたままの家具が揺れ始めた。ミレイはハッと息を呑む。そうだ、気を抜いてはいけない。まだ力比べの真っ最中なのだ。集中せよ、感情を爆発させよ、頭がキンキン唸るが知ったこっちゃない!

 

 

「んぐぐ……飛んでいけっ!!」

 

 

 窓を指差し、ヤケクソ気味に命ずる――ミレイの脳みそが熱く沸き立つと同時に、ベッドやチェスト、化粧台、鞄や手帳までもが窓を目指して飛んでいった。

 

 轟音をたて、窓が盛大に割れる。縁ごとガラスを突き破り、周囲の壁をもぶち抜いて、ほぼ全ての家具が外へと放り出された。夜闇を切り裂く落下音がエリュシオン全域に響き渡る。

 

 ミレイは詰めていた息を一気に吐き出し、ガクリと脱力した。

 

 

「っ、はぁ、はぁ、はあっ……うげ、うえぇ……きもちわるぅ……」

 

 

 全身の血をいっぺんに抜かれた気分だ。頭をくらくらさせながら、ミレイは吐き気を我慢する。

 

 

「アア、アアアアア――」

 

「っぅぇ、ちょ、待って……!」

 

 

 ミレイが動けなくなっている間に、女が窓から飛び出していった。思念体である彼女にとって、二階の窓から降りることなど容易だったらしい。

 

 ――窓から消える間際、女の後姿がぼう、と揺らぎ、紫紺の光となった。ミレイは悟った。理性らしきものが消え去ったとわかった。女の思念は、完全に魔物と化してしまったのだ。

 

 

「逃げちゃった……大変だわ、早く追いかけないと!」

 

 

 町にいるのはゲイグスの住人ばかり、そして今飛び去った魔物も元は住人が演じている思念体だ。魔物となっても住人なのか、そもそもゲイグスの住人とはどういう存在なのか。未だによくわかっていないものの、森の魔物が容赦なく襲いかかってきたことをミレイはしっかり覚えている。

 

 

(放っておいたら、誰かが襲われるかもしれない――!)

 

 

 その“襲われる誰か”に、聖職者サマが入っているかもしれない――ミレイは重い足を動かし、慌てて女を追った。

 

 つい先程まで窓のあった場所に立つ。壁は崩れ、天井にまで届く大きな穴が無残にも開いていた。

 

 唯一落ちなかったベッドが穴の近くで大破し、ただの鋭利な木片と化している。持ったままだった写真立てを置き、ベッドを乗り越え、外を見る。

 

 相変わらず明ける気配のない夜空と、程よく距離を開けた先にて隣家を望むことができた。一体どれだけ強い力で家具をぶち当てたのか――ミレイは自身でやっておきながら、ブルリと震えた。

 

 夜の冷たい風が寝室に吹き込み、ミレイの黒髪も服も容赦なく揺らす。帽子を押さえ、恐る恐る下を覗き見れば、街灯に照らされた家具の残骸と女だった魔物の影を発見した。どちらも隣家の方まで寄っている。家具はともかく、急がねば女を見失ってしまう――。

 

 

「いた! よ、ようし……あたしもいっちょショートカットしてやろうじゃないの……!」

 

 

 少し前までなら、部屋から出て階段を駆け降りたことだろう。が、感情だけでベッドまでふっ飛ばせたのだ。少しばかり応用すれば上手く着地できるだろうと、ミレイは武者震いしながら結論付けた。

 

 

「いち、にの、さん! ……で、飛ぶわよ!」

 

 

 誰に言い聞かせているのか。ミレイは興奮を隠さぬまま、先程と同じように心をわざと震わせた。鼓動が痛い。深呼吸をひとつ。先程できたのだから絶対できる、できなければ終わりだ。ミレイとしても、黙示録所持者としても――

 

 

「いち、にの、――!?」

 

 

 大層な決意でミレイは飛ん――大破したベッドの木片が、彼女の服を掴んで止めた。正確には服の装飾のリボンを掴んで、だ。運の悪いことに、ミレイのリボンは絶妙なタイミングで引っかかり、彼女のバランスを大きく大きく、致命的なまでに崩してみせた。

 

 

「うぇっ、ちょ、ゃ……うゃあああああっ!?」

 

 

 引っかかったリボンがしゅるりと解け、ミレイは当初の予定通り飛んだ。落下した、と言った方が良いかもしれない。彼女がどんな精神状態で宙に舞ったか――それは、彼女の悲鳴がよく表していることだろう。

 

 二階から地面までそう長くはなかった。ミレイは悲鳴をあげながら、迫りくる地表に向けてヤケクソ気味に感情をぶつけた。「痛くない!!」と意味不明な叫びだったが、どうにか周囲のマナをクッションに、ミレイはふわりと着地することに成功した。

 

 

「あ、危な……っ!」

 

 

 ホッと息吐く間もなく、強風のごとき殺意がミレイへ容赦なく吹き荒ぶ。

 

 

「っ、霊魂系の魔物になるって、さっき騎士サマが言ってたわね……!」

 

 

 ミレイは強張った顔で身構えた。夜闇に浮かぶ紫紺の光が、ふわふわ浮きながら睨んでくる。

 

 

(……やっぱり、もう言葉は話せないみたい)

 

 

 言葉を失う前に会話できて良かった――そう考えた直後、ミレイはどうしようもない胸の痛みに襲われる。

 

 

(聖職者サマは、いつもこんな気持ちで戦ってるのかしら。どんな相手にも、こんな……)

 

 

 胸中を渦巻くこの痛みは、魔物と化した思念への哀れみか。現実世界には何ら影響しない戦いへの虚しさか。――それとも、演じられた悲劇に一喜一憂する自分自身への嘲りか。

 

 

「命を狙ってくる相手のために、祈る必要なんてない。そう思ってたのに……あたし、やっぱり勝手だわ」

 

 

 胸が痛い理由をはっきり言葉にできぬまま、ミレイは目の前の魔物に向けて、ナイフを構えた。

 

 

 

***

 

 

 エリュシオンの道を荷馬車が走る。カタカタと音を鳴らし、門へ向けてゆったりと進んでいる。

 

 

「ディーヴは御者、ディーヴは頼れる御者――」

 

 

 ローブにすっぽり包まれた小柄な御者――ディーヴは、荷馬車に座って延々同じ言葉を呟いていた。

 

 馬用の鞭でぺちぺちリズムをとるその様子は、少しどころかかなりおかしい。だが、普段それを突っ込んでいる赤毛の審判者は、残念ながらこの場にいない。いるのは演技中の住人ばかり、皆この町で起きた母殺しの事件を怖がる演技を、一生懸命続けている。

 

 その最中、荷馬車に向かって突風がやって来た。

 

 

「――黙示録所持者と〈神の愛し子の剣〉は、契約をきっちり結んでから戻るべきだ」

 

 

 突風が通り過ぎる間際、ディーヴは独り言を止めてそう言った。

 

 

「でないとハーヴィが怒る。ずっと試練を嫌がっていたのに、今は三割増しで張り切っている。やる気があるハーヴィは面倒な馬だ。

 だから黙示録所持者と〈神の愛し子の剣〉は、契約をきっちり結んでくるべきだと推奨する。でないとハーヴィが怒る。これ以上試練の内容が変わるのは、ディーヴ達もちょっと困る。演技が雑になる」

 

 

 ほんの一瞬止まった突風は、熟考し、首を傾げながら、再び吹いて通り過ぎていった。

 

 

「覚えておくといい“〈神の愛し子の剣〉は全てをすくう。”ディーヴは御者、ディーヴは頼れる御者――」

 

 

 黄金で真白の、焦りばかり乗せた突風を見送って、

 ディーヴは独り言を再開し、荷馬車をゆったり進めていった。

 

 

 

***

 

 

「アサシネイト!」

 

 

 正面突破だとばかりに、ミレイはナイフを鋭く投げた。真っ直ぐ飛んだナイフは確かに魔物の中心に突き刺さったが、霊体である魔物にあまり効果はなく、そのまま虚しく通り抜けていった。

 

 

「やっぱり工夫しないと駄目ね……! それならこれよっ、アサシネイトドライ!!」

 

 

 軌道は先程同様、ただ対象に向けて一本のナイフを真っ直ぐ飛ばすものだ――しかしその刃には、魔力による冷気がうっすらと纏わりついていた。結果、刃を受けた魔物の身体は一瞬にして凍りつき、巨大な氷の塊となってドスンと落ちた。

 

 氷塊が爆ぜる。細かな欠片はそのまま消え、掌サイズの塊が三つ出来上がった。氷はすぐ蒸発するように解け、塊の数だけ霊魂の魔物は分かれ、ふわりと浮き上がってしまう。

 

 元より一回り小さくなったとはいえ――三体に増えたことで、ミレイは圧倒的に不利となる。

 

 

「うげっ……増えちゃった。もうっ威力が足りなかったのかしら……って、きゃあっ!」

 

 

 魔術の光弾が、ミレイへ向けて次々と飛んできた。悲鳴をあげながら間一髪で避ける。目標を見失った光弾は、地面あるいはクルトの家の壁に当たり、小さな焦げ痕を残していく。

 

 重量が無い分、家具が飛んでくるよりは遥かにマシだが、それでも三体でバラバラに放たれるのは厄介である。

 

 

(でも三つに増えた分、力は弱くなってるみたい。もう家具を飛ばしてくることはなさそうね。とにかく、早く一体だけでも倒さなくちゃ……!)

 

 

 けれどもミレイが選べるのは、ナイフか魔術の二択だけだ。強力な魔術を使うには隙が無さ過ぎて、投げナイフで戦うために距離を取っているのは、相手にとっても有利に働くだろう。

 

 フォルセのように詠唱もなく法術で戦えれば、あるいはフォルセのように接近戦ができれば。そうすれば、例え魔物が三体だろうが三十体だろうが、一気に倒してしまえるのに。

 

 想像上のフォルセが剣を片手に戦って、勝って、ミレイにふわりと微笑みかけてくる。フォルセ、フォルセ――ミレイの頭はフォルセでいっぱいである。

 

 

(剣……け、ん?)

 

 

 ふと視界の隅――自身の腕に、剣が見えたような気がした。こんな時に幻覚か、たとえ在ったとしてもあんな重そうなものを自分は振り回せそうにない。ミレイは己の非力さに苛立ちながら、魔物の攻撃から必死に逃げる。

 

 

「反撃するスキが……あぁんもうっ!!」

 

 

 逃げている間も、視界の隅っこを剣がちらちらと映る。一体なんだ、そんなに剣が好きなのかと、ミレイは苛々しながら自分の腕を見下ろした。

 

 ちらちらと視界に入っていたのは、ひらひらと揺れる服のリボンであった。

 

 

「……リボン……。……!」

 

 

 ミレイの頭が、落雷のごとき衝撃を受けた。

 

 魔物の方へバッと振り向く――ミレイの眼前に、ぼやあっと幻覚が現れた。一体の魔物から光弾が放たれる。飛んできた光弾を、ミレイの姿をしたその幻覚は腕を振って、まるで剣を扱うように軽々と――

 

 

「――おりゃあっ!!」

 

 

 一刀両断にした。二つに分かれた光弾はミレイの背後の地面に落ち、僅かな焼け跡を残して消えた。

 

 幻覚――否、不意に浮かんだイメージ通りに、ミレイは柔らかな筈のリボンを剣のように扱ってみせた。

 

 

「あ……あ。またできた」

 

 

 家具を留め、ふっ飛ばした時同様、ミレイは感情を震わせマナに強く干渉することで、リボンを鋭利な刃へと変化させたのだった。気を抜いた瞬間、リボンは再びただの装飾に成り果てたが、いつまでも刃であってはミレイも困る。

 

 唐突なひらめきに心ゆくまま従って、ミレイは新たな力を得た。

 

 

「……、ふ、ふふ、ふふふふふ……!」

 

 

 我に返ったミレイが、湧き起こる興奮を小刻みに漏らす。ある意味不気味な笑い声が、ミレイのテンションを更に更に高くし、理性が無い筈の魔物を困惑させる。自責と罪悪と、他にも色んなストレスで縮こまっていたためだろう――氾濫した河水のように、ミレイの脳を駆け巡る熱は止まるところを知らない。

 

 

「ふふふ……これなら、いけるわ!!」

 

 

 ミレイは漸く、調子に乗り出した。

 

 飛んできた光弾を再び両断し、勢いよく駆け出した。気分は完全に“聖職者サマ”だ。かっこいい彼がするように、恐れなく魔物へ突っ込んでいく。

 

 

昇舞連(しょうぶれん)!!」

 

 

 一体の魔物へ一気に距離を詰め、魔力を纏わせたリボンを構えた。ジャンプしながら下から抉るように斬り上げ、仰け反らせる。

 

 が、やられるばかりの魔物達ではない。詠唱の必要な光弾ではなく、霊体の身でありながら体当たりを仕掛けてきた。ミレイはフフンと笑い、イメージする。強くてかっこいい聖職者の姿を。

 

 

「まとめて吹っ飛べ! ――風裂閃牙(ふうれっせんが)!!」

 

 

 両腕のリボンを伸ばし、回転しながら飛び上がる。フォルセの剣技「閃空裂破(せんくうれっぱ)」をイメージしながら、非力さをカバーすべく風の魔力を纏わせて、ミレイは三体の魔物をいっぺんに斬り上げた。

 

 最初に一撃見舞った魔物が、マナの粒子となって消えた。残るは二体。あと一撃ずつ与えれば、きっと勝てる筈。魔力を伴うこの攻撃は、ミレイが思った以上に強力であるようだった。

 

 

(あたし、もしかして記憶を失う前もこうやって戦ってたのかしら)

 

 

 ただのひらめきにしては、なんだか身体が軽すぎる。

 

 

「っあ!」

 

 

 ふっ飛ばした魔物のうちの一体が、ゆらゆら揺らめきながら特攻してきた。攻撃した直後であるミレイは、その思考も含めて隙だらけだった。魔物の突進を食らい、小さな悲鳴と共にたたらを踏む。霊体の体当たりはそれほど威力のあるものではなかったが、それでもミレイの調子を崩すには充分だった。

 

 

「いったぁ……! んもうっ、どうして失敗してから気付くのかしら! もうもうもうっ!」

 

 

 苛立ちながら腕を振り回し、突進してきた魔物をリボンでぶっ叩く。バチン! と弾くような音が響き、二体目の魔物が消え去った。リボンは気持ちひとつで剣にも鞭にもなるらしい、便利なものだが、それに感動している余裕はミレイにない。最後の一体から飛んできた光弾を避けるため、バックステップを繰り返す。

 

 いつの間にか、クルトの家の壁が背に迫っていた。

 

 ――ガラッ。

 

 

「えっ」

 

 

 頭上から小石がひとつ落ちてきた。驚き、見上げれば――二階で唯一留まっていたベッドの残骸が、今まさにミレイ目掛けて落ちようとしていた。

 

 

(あ、さっき避けてた攻撃……壁にたくさん、当たってたっけ)

 

 

 詰めが甘いというか、周りが見えていないというか。

 

 調子に乗りながらも冷静に注意していれば、気付くことができたに違いない。こんな突然では、先程できたマナへの干渉なんて――できやしない。

 

 

(聖職者サマだったら、ぴょんって飛んで、かわして、魔物の攻撃だって……)

 

 

 魔物の詠唱と、もはや避けられぬ残骸の落下がゆっくりと感じられる。

 

 窮地にあってなお、ミレイの頭はフォルセでいっぱいだった。

 

 

 

「――っんぐえっ!?」

 

 

 そんなミレイの横っ腹を、突風が思い切りかっさらっていった。

 

 

 

 みっともない悲鳴をあげたミレイが、突風に煽られ――否、何かに引っ張られてどしゃりと倒れこんだ。同時に二階の穴からベッドが落ちて、落下音と共に土煙をあげる。

 

 間一髪。あと少し遅ければ、ミレイはベッドの下敷きになっていた。

 

 

(な、なに……? ――あったかい)

 

 

 ミレイは茫然とした。身体を何かが包んでいる。冷たい地面ではない。暖かな白、顔を上げた先に見えたのは――少々土で汚れた、黄金。

 

 ミレイが下敷きにするその白くて黄金の“突風”は、バッと右腕を魔物へ翳し、

 

 

「――フォトン!!」

 

 

 法術の光弾を放った。魔物も対抗するように――否、同時よりも少し早く光弾を飛ばす。

 

 二つの光がぶつかり、マナとリージャを撒き散らしながら爆発した。双方に強烈な向かい風が吹く。リージャを含んでいるのに、異端症(ヘレシス)であるミレイに害を及ぼさない風が。

 

 

 衝撃で揺れた魔物に向かって、

 

 

「――いけ!!」

 

 

 ミレイはいつもより荒い口調の“突風”に背を押され、我に返って駆け出した。

 

 

「……っ! 終わりっ、昇舞連(しょうぶれん)!」

 

 

 マナと胸の痛みをリボンにこめて、ジャンプと共に斬り上げる。

 

 最後の一体が、細かな粒子となって夜闇に消えた。

 

 思わぬ、けれど待ち望んだ、だがまだ会いたくなかった助力によって――ミレイは最後の一体を、漸く倒したのだった。

 

 

 


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