テイルズオブフェイシア ―己が神を信ずるRPG―   作:澄々紀行

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Chapter13 狂い火と試練の訪れ

 

 萌え盛る森の前で、二つの異端が狂っている。

 

 その様子など全く見えない距離にある道の真ん中で、赤毛の男が夜天を見上げていた。

 

 橙の灯がちらほら見える小さな町を背に、男は立っている。

 

 

「偶然の面倒かと思ったが……あれ、必然じゃねぇか」

 

 

 男は一応、森のある方角を向いていた。けれどもそれだけだ。途中が緩い丘にもなっている公道からは森の頭角すらも見えない。

 

 しかし男の金眼は、現在森で起きている“面倒”をしかと映しているかのように瞬いている。

 

 

「つーか、着いてきた異端も結局あのザマかよ、やっぱりこうなった絶対なると思った……今から行くのすっげえ面倒臭い」

 

 

 そう言いながらも、木の杖を持って歩き出す。

 

 森から“飛んできた”ようにはいかないため、男は己の足で移動するしかない。

 

 

「まあ、俺が行くまで耐えきりゃいい。必然だっていうなら、精々試練に組み込んでやるさ。……試練の審判者権限で、な」

 

 

 喜劇を楽しむ観客のようにフッと笑い、男は少しばかり足を速め、荒れる森へと向かっていった。

 

 

 

***

 

 

 飛び交う烈風の槍は、術者から対象に向けて一直線に飛ぶ性質上、対象が身軽であればあるほど避けられやすい。

 

 

「あたしの〈神の愛し子の剣〉をどこへやったのよ! あなたを倒せば、あぁ、どこっ、聖職者サマっ……聖職者サマぁっ!!」

 

 

 が、身軽とは、なにも肉体の重さや大きさだけを指すものではない。

 

 

「グォオオオォオオッ!!」

 

「ぐ、うっ……!」

 

 

 対象の、周囲へ払う意識が多いほど――当てるのは容易となる。

 

 

(……くそ、防戦一方だ。ミレイがヘレティックに合わせているのか、攻撃の隙が全く見えない……!)

 

 

 フォルセはヘレティックの鉤爪を弾き返し、追撃の態勢を取った。直後、飛んできた風槍に妨害され、左腕を幾度か切り裂かれる。

 

 顔をしかめながらバックステップし、魔術の効果範囲から逃れる。――風槍がまたひとつやって来た。衝撃波で弾く。風槍がまたひとつ、ふたつ。横っ飛びするが全ては避けきれず、風圧に押され裂かれながらどうにか耐える。

 

 

「ちっ、身体が重いのがここにきて足を引っぱ――っ!?」

 

 

 上空から鉤爪が降ってきた。

 

 見た目に反して素早いヘレティックを剣で受け止め、その重圧と諸々にフォルセは苦しげに呻く。

 

 

(っ! ち、かい……火がっ……!)

 

 

 フォルセの顔が恐怖一色に染まった。ヘレティックの身体から降り落ちる火の粉に、全身の筋肉が一斉にビクつく。

 

 力が抜ける、けれど抜けきったが最後、目の前の鉤爪に裂かれるか炎に焼かれるかして死ぬ。フォルセはすんでのところで腹に全神経を込め、踏み留まった。

 

 

「くっ、ぅ……は、ぐッ……!!」

 

 

 ガチガチと、剣と鉤爪のかち合う音が喧しく鳴る。上から押し潰さんとするヘレティックに対し、フォルセは剣を持った両腕を上げるのみ。

 

 燃えている。火が眼前にある。もうそれだけで、フォルセは視線を地に落とすしかなくなる。

 

 

 周囲のマナが渦巻く――暴走する、もうひとりの異端によって。その色が今もっとも忌避したいものであることに気付き、フォルセの顔色は更に悪くなった。

 

 

「ぐうっ……! ライトニング!!」

 

 

 恐怖をも吐き出す勢いで、ヘレティックに向けて雷撃を落とした。バンッ! と雷鳴が轟き、鼓膜を強かに弾く。

 

 「グォオオオッ……!」聖なる雷に頭部を削られ、ヘレティックが大きく仰け反った。フォルセもまた、釣られるように倒れる――気力で首だけ動かし、ミレイを視界に入れ、左手を伸ばす。

 

 “リージャを放て”

 “活路を開け!”

 

 その意志強き視線も指先も、迷い無くミレイの心臓に向けられたのだが、

 

 

『えっと……だ、だから……死んじゃうのは、駄目よ』

 

 

(――っ、)

 

 

 一瞬の戸惑いと躊躇によって、足元まで下げられた。

 

 

「んぎゃっ!?」

 

 

 フォルセの指先から光弾が飛んだ。それはミレイの足元に着弾して一気に爆ぜ、太陽を思わせるほどの光を放った。

 

 視界を真っ白に染め上げられ、ミレイは両目を抑えてドサリと尻餅をついた。目が痛むほど眩く、加えてリージャそのものでもあるその光は、異端症(ヘレシス)であるミレイにとっては効果てきめんだった。

 

 ミレイが止まったことで、魔術の嵐もまた止んだ。戦況を変えるなら今のうち、早くせねばヘレティックの再生が終わってしまう。

 

 しかし――、

 

 

「あっ……! ぐ、ぅああッ!!」

 

 

 リージャを放ったことで本来の痛みが復活し、フォルセは耐えきれず、受け身を取れぬまま地面へ倒れ込んだ。

 

 固い地面に打ち付けた痛みが、倍増したかのように脳天を揺らす。みっともなく呻きながらフォルセは身を起こし、そして再び地に倒れた。

 

 

「っ、リ、リージャを無理に練りすぎた……」

 

 

 呼吸を整え、時間をかけてどうにか立ち上がる。ミレイは未だに動けないようだが――ヘレティックの損傷は、既に再生し終わっていた。

 

 

「ガァアアァアアッ!!」

 

 

 休む間など無かった。咆哮ひとつで空気を痺れさせ、無情にもヘレティックは動き出す。

 

 炎と腐肉を撒き散らしながら、ヘレティックはおもむろに鉤爪を振り下ろした。赤い影が空を切る、また鉤爪が飛ばされたのだ。

 

 覚悟を決めねば、いずれ押し抜かれる――

 

 

「っ、ふっ……!」

 

 

 フォルセは鋭く息を吐いて身構えた。軽く地を蹴り、飛んできた鉤爪を剣で弾く――金属音の余韻が消える、眼前には既にヘレティックが迫る。

 

 両腕を振り上げ、フォルセを引き裂かんと狙うその姿に対し、

 

 

(怖いなら――見えなければどうだ!)

 

 

 翡翠の眼は、不意に閉じきった。

 

 

閃空裂破(せんくうれっぱ)――!」

 

 

 目を瞑ったまま、フォルセは横回転しながら高らかに飛んだ。回転と飛翔による力が加わり、より深く、ヘレティックの肉体を斬り裂いていく。

 

 ヘレティックの目線より上まで飛んだフォルセは、空中に留まったまま剣を振り上げ、リージャを解放した。白い雷が枝葉のごとく萌え広がり、腐った肉体を削っていく。

 

 「襲爪(しゅうそう)、ッ」フォルセの両腕に力がこもる。「……雷斬(らいざん)!!」振り下ろされた刃がヘレティックの肩に食い込み、雷と共に斬り裂いた。

 

 重力に従い刃が下りる。フォルセが地に足を着けたと同時に――刃は肉を断ち終わり、ヘレティックの左腕は呆気なく、肩からボトリと落とされた。

 

 

「ギャアアアアアァアアァッ!!」

 

「っう、っ!」

 

 

 ボウッ! 落とした左腕の断面から、炎が噴き出した。勢いよく噴射されるその熱に、フォルセはビクリと肩を揺らし、トドメを刺すべく構えていた姿勢を硬く強張らせた。

 

 怒りに満ちたヘレティックの咆哮と共に、残った右腕が力任せに振るわれる。フォルセは思わず眼を開き、咄嗟に剣を構えた。が、恐怖で凝り固まった身体はとにかくその場から離れたかったのか、フォルセの意志に反して殴られるままに吹っ飛ばされた。

 

 

「ぐああっ!!」

 

 

 フォルセは数メートルほど飛ばされ、地面に叩きつけられた。――視界が霞む。力が入らない。頭をぐったりと押さえ、深い自責の念を感じる。

 

 

(何をやっているんだ僕は……見ようが見まいが、意味が無い!)

 

 

 げほっ、と激しく咳き込みながら、剣を支えに身を起こす。法術使用による痛みを流すべく呼吸を整えるが、その様子はあまりにも隙だらけである。が、幸いなことに、ヘレティックもまた無くなった左腕を嘆いて、その場から動かずにいた。

 

 そう、全て幸いなこと。ささやかな幸運だけで、フォルセは今辛うじて生きている。

 

 

(これでは埒が明かない! せめて、身体が重くなければ……痛み無く法術が使えれば……火への恐怖が戻っていなければ!

 昔、浄化した覚えのあるあのヘレティック。苦しまず、御許へ送ってやれるのに!!)

 

 

 人狼(ワーウルフ)系統のような獣に近い姿のヘレティックならば、これまで何度も発見されている。しかし、今ここにいるヘレティックはとても珍しいタイプに該当し、フォルセも経験上一度浄化したことがあるだけだった。

 

 職業柄多くのヘレティックを相手にしてきたため、その記憶がいつ頃のものだったのかを思い出すのは難しい。それでも浄化の経験があるのだから、フォルセが問題視するレベルのものではないのだ――本来ならば。

 

 

「ぅ……なんでぇ? どうしてよ……」

 

「! しまった……」

 

 

 リージャのダメージから、ミレイが復活した。未だ目を覆っているが、眩んでいるのではなく泣いているようだった。俯きながら立ち上がる姿はどこか痛々しく、けれどもこの状況では同情よりも焦りの方を誘う。

 

 

「もう……無理、か。僕では、彼らを救うことはできないのか……」

 

 

 どこで間違えたのか――わかっている。怯えたり痛かったり戸惑ったりで、最後の一撃を踏み込むことができなかったからだ。全ては自分の不甲斐なさゆえ。フォルセは諦めの心でそう考える。

 

 

(……それとも)

 

 

 〈神の愛し子の剣〉というものであったなら、それこそ奇跡のように全てを救うことができたのだろうか。

 

 フォルセも満足し、ミレイも喜ぶ、それこそ“神の愛し子”が成すような救いを――

 

 

「どうしていないのよ、聖職者サマ……あ、ぁ、そうよ、あたしマナの扱い得意だから、こんな火簡単に消してあげられる……」

 

「っ? これは……!」

 

「だから見てて、聖職者サマ。必ず連れ戻す、そして救ってもらう、だってあたしの〈神の愛し子の剣〉だもの! う、ぅうぁあああ……!!」

 

 

 ミレイが再びマナを練り始めた。だが風ではない。火でもない。それは火の対極に位置する、清涼なマナ。その質量から察するに、烈風の槍と同等の力を持つ――多くの水を生み出す魔術。

 

 

「まだ……」

 

 

 フォルセの眼から諦念の色が消えた。

 

 

「まだ、終わらせはしない……!」

 

 

 その魔術の対象を確認し、フォルセは剣を構え直した。

 

 

「早く消さないと、火、火ぃっ……早く消えて!!」

 

「グ、ォオオオオオッ!!」

 

 

 術が発動する。ヘレティックが殺気を強めて咆哮する。

 

 フォルセの胸元に拳大の水の塊が出現した。――水が広がる、その直前、フォルセは剣を振るい、衝撃波を“ヘレティックに向けて”放った。

 

 「グオァッ!?」衝撃波によってヘレティックが怯んだ。同時にフォルセの全身を水が包み込む。地から足を離され、巨大な球となった水の中で湧き出す泡に何度も何度も殴打されながら、フォルセは息を止めて必死に耐える。

 

 バシャン! と水が弾け、最後の一撃をフォルセに与えて魔術が終わった。全身びしょ濡れになったフォルセが、力無く着地する――足が着いたその瞬間、フォルセは持てる全ての気力を振り絞り、駆け出した。

 

 向かう先はヘレティック――今度こそ浄化するため、弱った己を鼓舞するために、フォルセはミレイを利用した。

 

 

(濡れているから大丈夫、怖くない、怖くない怯えるな、

 ――平常心を、信仰心を、女神に倣った愛を保て!!)

 

 

 火への恐怖を誤魔化して、フォルセは左手を力強く翳した。

 

 

「フォトン!」

 

 

 全身にかけて走る痛みを無視し、光球を放つ。ヘレティックの防御などものともせず、光は爆ぜ、その腐った肉体を削り取った。

 

 怯んだヘレティックの懐に飛び込む。飛んでくる火の粉など問題ないと自らに言い聞かせ、

 

 「閃空裂破(せんくうれっぱ)!!」フォルセは剣を構え、横に回転しながら飛翔した。光球によって削れた場所をできうる限り正確に斬り裂き、空中に留まったまま、リージャを使いきるつもりで解放する。

 

 

「……っ、」

 

 

 フォルセの身体が、ミシリと軋んだ。

 

 

襲爪雷斬(しゅうそうらいざん)!!」

 

 

 刀身より広がる雷がヘレティックを焼く――重力に身を任せ、腐肉の肩から足までを容赦なく斬り裂いた。轟音のごとき咆哮が響くが、それ以上にフォルセの放つリージャが唸る。

 

 雷が、腐肉を繋ぐ炎を呑み込んでいく。それに伴いヘレティックの肉体は崩れかけ、もはや誰が見ても脅威とは感じられない。

 

 

「さあ……これで、女神の御許へ!」

 

 

 慈愛の戻った眼で見据え、フォルセは姿勢を低く構えた。

 

 

界脈(かいみゃく)……烈震往(れっしんおう)ッ!!」

 

 

 剣を振り抜き、全力の衝撃波を放つ。間髪入れずにもう一度――そして渾身の力をこめて、自身すらも容易く呑み込むほどの巨大な衝撃波を放ち、ヘレティックを吹き飛ばした。

 

 

「ガァアアアアッ!? ガ、ァアア、アア…………!!」

 

 

 腐肉を削りながら地面を転がり、ヘレティックは断末魔の叫びをあげ――瘴気の煙となって、消滅した。

 

 

 

***

 

 

「っう、う……はぁっ、はあっ……!!」

 

 

 ヘレティックの気配が完全に消えたことを確認し、フォルセは膝からガクリと崩れ落ちた。

 

 残ったかすかなリージャを封じ、痛みの余韻に呻きながらどうにかこうにか息を整えようとする。

 

 

(浄化、できた……こんな荒っぽい気持ちで申し訳ないけれど、どうか安らかに眠ってくれ……)

 

 

 ヘレティックの元の姿である少年を思い浮かべ、フォルセは密かに祈りをこめた。

 

 

(あとは……彼女だけ)

 

 

 荒く呼吸しながら首を動かす。フォルセの視線の先で、ミレイが脱力していた。――先程の魔術もそうだが、彼女はずっと中級クラスの魔術を連発していた。マナが切れるのも仕方が無い。

 

 

(早く動かねばならない……わかってる、でもこんな想いは初めてだ)

 

 

 あの少年――ヘレティックのように、ミレイも浄化しなければならない。けれども僅かな戸惑いが、その義務感を押し留める。

 

 

(……彼女が僕の救いを望まないとわかっているから、か)

 

 

 生かして救え、とミレイは言った。はっきりと、確かな意志をもってフォルセにすがったのだ。

 

 だからこそフォルセは戸惑う。気付いた――否、知ったうえで見過ごしてきた事実を改めて再確認したために。

 

 “女神の御許へ送ること”。それを異端が望んでいると、普段確信しているわけではない。

 

 現世での死が救いであると信じているのは――フォルセや、彼と志を同じくする者達。

 

 

(けれど、今ここで僕がやらなければならない。彼女が本格的に暴走して、誰かを襲うその前に。愛情も優しさも、全てが呑まれるその前に……!)

 

 

 ミレイの望みに反していると理解しながら、“いつか何処かで彼女が殺すかもしれない誰かを守るため”、フォルセは剣を持ち、立ち上がった――

 

 

 

 

 

 ころん。

 

 

「…………え?」

 

 

 視界の隅で何かが転がった。夜闇に紛れているそれが、差した月光できらりと光る。

 

 掌に乗せられそうな小さな球体。深淵を思わせる赤と黒が入り交じった、どことなく薄気味悪い小石大の――宝石。

 

 

「…………」

 

 

 フォルセは渇ききった喉をこくりと鳴らした。つい最近、もしかしたら見てまだ一日も経っていないのではないかとすら考えられるその宝石は、フォルセの五感から第六感までをがんがんと揺さぶってくる。

 

 十中八九、ヘレティックの死体から出てきたのだろうその宝石は、まるで意思でもあるかのごとく、フォルセに向かって転がってきた。

 

 

 “――終幕にあらず”

 

 

 聞こえたその男の声に、フォルセの喉がひゅっ、と鳴った。

 

 

 “――始まりすら、未だ。〈神の愛し子の剣〉が抜かれるまで夜は続く。定められた約束が果たされねば、

 

 夢と現の狭間は終わらない――”

 

 

 パキッ――軽い音をたて、宝石が真っ二つに割れた。割れ目から黒い瘴気がシュウシュウと鳴りながら立ち昇り、濃い煙の塊となっていく。

 

 

 フォルセの顔がゆっくりと歪んだ。目の前で起きている事象に得体の知れない不快感を覚え、警戒を顕に後退る。

 

 

 その時――瘴気の奥から、何かがぬうっ、と現れた。

 

 

「おにいちゃん、迷子?」

 

 

 既に懐かしく思える、その台詞。

 

 

「…………は、」

 

 

 フォルセが言葉を詰まらせたのも無理はなかった。瘴気の煙から現れたのは――ヘレティックとなって浄化された、あの少年の顔だったのだから。

 

 それが本来の色なのだろう。少年が、血色からは程遠い澄んだ瞳でフォルセを見た。

 

 

「ぼくね、おなかすいてるの」

 

「…………」

 

「ぼくがどうしておなかすいてるのか、どうして焼いたお肉食べてしたいのか。……わかったら、とってもうれしいよ」

 

「っ!? 待っ……!」

 

 

 少年はにっこり笑い、瘴気の奥へと再び消えた。フォルセのことを心から親しんでいるような、本当に無邪気なその顔が、フォルセの頭に焼きついて離れなくなる。

 

 

(……何が、起きた?)

 

 

 あまりの驚愕に思考が狂う。

 

 

(一体何が……起きている?)

 

 

 頭で鳴り響く警鐘が、フォルセの全身を冷やしていく。

 

 

 “――世界は未だ繋がらない。ノックスは望む、心底より燃え上がることを”

 

「っ……貴方はあの核の魔物ですか。グラツィオを焼き、僕達をこんな場所に飛ばし、そうしてまたあっさりと現れた……!

 ――お前は一体、何者だッ!!」

 

 

 フォルセは八つ当たりのように怒鳴った。未だに状況が掴めず、嫌な予感も意味のわからぬ事柄も増える一方――いくらフォルセと言えど、怒りを覚えずにはいられない。

 

 

 “――名を望まれたならば、返すことは道理”

 

 

 男の声は、存外素直に応えた。

 

 

 “――名はノックス。現在より千年の夜を戻る頃、者達によって“魔王”と呼ばれ、凍てつく封印を与えられたモノ”

 

「魔王……ノックス……!?」

 

 “――続行せよ、〈神の愛し子の剣〉を抜くために。ノックスの下へ世界を繋ぐために”

 

「っ、待て、まだ話は終わってない!!」

 

 

 急速に遠ざかっていく声に、フォルセは焦りを浮かべて叫んだ。

 

 が、無常にも声――ノックスは、耳を傾けてどうにか聞こえる程度の声量となっていく。

 

 

 “――阻むもの無し。黙示録は語り、者は語った。神である彼女が正しいのなら、〈神の愛し子の剣〉は燃え上がる――”

 

 

 名乗りはしたが、結局は好き勝手に囁いて――ノックスの声は、完全に消えた。

 

 

 宝石より噴き出していた瘴気が、ぶわりと霧散する。

 

 

「――ガァアアアァァアアアッ!!」

 

「なっ……そんな……!?」

 

 

 瘴気を払って現れたのは、全身から炎を噴き出す腐乱死体。

 

 

(……浄化しきった筈なのに、あの核……ノックスと同じ……!)

 

 

 何事もなかったかのように復活したヘレティックの姿に、フォルセは唇を震わせた。

 

 

(また浄化を、どうにか懐へ飛びこ……ああ駄目だ、怖い、それに減ったリージャが回復しきってない。このまま耐えて、機を見ないと、でもそれでは……)

 

 

 浄化せねばと思う一方で、身も心も逃げ腰だった。

 

 ミレイの魔術によって濡れた身体は、既に乾き始めている。状況と、飛んでくる火の粉から少しでも離れようと、フォルセの足は勝手に後ろへ行く。

 

 

「……わかった、火が足りないんだわ」

 

 

 聞こえてきた物騒な言葉に、フォルセは血の気を引かせて振り向いた。

 

 ミレイが切羽詰まった笑みを浮かべ、フォルセを通り越して何かを見ている。

 

 

「そうよ火……火よ。あの時だって沢山燃えてた。花とか沢山燃えて、聖職者サマがかっこよく戦ってた! アレがあれば……きっと聖職者サマも戻ってくる!!」

 

 

 ミレイの髪がふわりと揺れた。放心している間にマナが回復したのか、止める間もなく練り終わる。

 

 

「っ!? ま、まさか……」

 

 

 フォルセの肌がゾクリと粟立った。集まったそのマナの色は、気配は、先程彼が利用したものとは正反対。彼が無意識に感じている絶望を剥き出しにして、肥大化させる力。

 

 

「よしなさい……よせっ……!」

 

 

 復活したヘレティックも纏っている、最も忌避すべき熱が集束し、そして――

 

 

「早く戻ってきて! あたしの〈神の愛し子の剣〉!」

 

「っ、やめろぉおおおっ!!」

 

 

 ボウッ! 異彩な音と共に、夜闇が一気に照らされた。

 

 ミレイの上半身を隠すほどに大きく、ほんの僅か前にあの少年が放ったものと同じ。

 

 巨大な火球が現れ、そして制止も聞かず――放たれた。

 

 

「! うわあぁっ!?」

 

 

 眼前に迫った脅威に、フォルセは情けない悲鳴をこぼした。初めての訓練に立つ新兵のように剣を握り、己をかばうように身構える。

 

 けれども火球はフォルセもヘレティックも素通りして、その背後にある場所へと飛び込んだ。

 

 

 ――――

 

 その瞬間、フォルセの周囲から音が消えた。光景が消えた。何もかもからズルリと落ち、真っ暗闇にやって来た。

 

 

「――あ、」

 

 

 落ちる感覚が消えた。――視界が晴れる。音が来る。けれどもそれらは現実ではなく、フォルセが越えたと思い込んでいた過去の残滓。

 

 

 全てが燃え上がり、崩れていく。悲鳴が聞こえ、皆の心も身体も焼け朽ちていく。

 

 互いに焼いて、焼かれてを繰り返し――喰らっていく。

 

 ただ見ていることしかできなかった過去を再び見つめ、今にも爆ぜてしまいそうなほど震える身を抱え、

 

 

「あ、あっ……ぁああっ……!!」

 

 

 ――フォルセは、現実に戻ってきた。

 

 

 

***

 

 

 轟々たる爆音が鼓膜を焼く。豊かな緑を呑む赤が瞳を焼く。空気を伝う熱が肌を焼き、立ち昇る煙と光が空を焼く。

 

 あの広大な森が、燃えていた。

 

 もはや入り口すらもわからぬほどに燃え盛り、バキリバキリと木々を蹴落としながら四方八方へ広がっていく。

 

 

「っ、っ……ひ……、……!」

 

 

 何の覚悟も許されぬまま現れた炎の壁に、フォルセは拒絶の声も出なくなった。

 

 闇を裂き、偽りの夜明けをもたらしたその業火によって――フォルセの記憶も心も身体も、全てが惑い、震えてしまう。

 

 

「ガァアアアアアアッ!!」

 

 

 己の身から溢れるものと同じモノの出現に対してか、ヘレティックは荒々しく吠え叫んだ。

 

 が、フォルセは森を見つめたまま動かない。目を見開いているのに、近付いてくるヘレティックに警戒すらしない。それだけ、彼の思考が火とトラウマに埋もれているということだった。

 

 鋭利な鉤爪が振り下ろされる。天をも焦がす業火を背に、フォルセに仇なさんと腐肉が動いて、

 

 

「! 来るなぁッ!! ――!?」

 

 

 フォルセは必死の形相で雷撃を放った。使いきるつもり、なんて甘いものではない――かすかに残った全てのリージャを、ただ視界で動いたものに向けて考えもせずに出しきったのだ。

 

 

「グォオッ!?」

 

 

 雷撃がヘレティックの全身を呑んだ。何の狙いもなく、ただ反射的に飛ばされたそれは量の割に殺傷能力が乏しく、けれども運の良いことにヘレティックの身体を僅かの間痺れさせることに成功した。

 

 身体の痺れに対して苛立ったように吠え、ヘレティックはふらふらとよろめきながら腕を振り回す。鉤爪の分だけ長いその腕は――フォルセに当たることなく空を切り続ける。

 

 

「ぐ、ぅ! ……い、だい……あ、ぐぁああっ!!」

 

 

 フォルセは痛みに呻き、崩れ落ちていた。先程考えなしにリージャを出しきったせいで、彼の身体に走る痛みを抑制できなくなったのだ。禁呪を受け止めた時と同じように呻き、唸り、思考もできない状態を晒す。

 

 あんまりにも痛すぎて、火への恐怖すらもぶっ飛んでいることに、フォルセは気付かない。

 

 

「お、かしいわよ……」

 

 

 ミレイがつかれきった顔で、フォルセの背後に近付いてきた。

 

 

「ここまでしたのに戻ってこない……あたしが間違ってる? そんな、そんなハズない……」

 

「……ぐうっ……ぅ……!」

 

「もうこれしか残ってない……“わたし”が直接、あなたを迎えに行くのよ……!」

 

 

 ミレイはうっとりと笑った。フォルセの背へ倒れこむようにのしかかり、そのまま彼の胸倉を引っ掴んで起こし、鼻先がつきそうな近さで向かい合う。

 

 その手にはナイフが、投げるのではなく刺すために持たれていた。

 

 痛みで歪んだ神父と、暴走して歪んだ少女の顔が見つめあう。が、どちらも互いを見る余裕など皆無。

 

 

「さあ、戻って、わたしを救ってよ、聖職者サマ」

 

 

 血色に染まった瞳が笑い、フォルセではない――“ミレイにとって理想のフォルセ”を射抜いた。

 

 彼女の力でも難なく肉を突き破るだろう刃が、ゆっくりと埋められるその瞬間――

 

 

 

『えっと……だ、だから……死んじゃうのは、駄目よ』

 

 

 痛みで呑まれたフォルセの脳裏に、つい最近の過去が蘇った。

 

 看板が読めない、禁呪が無かったら読めてたのにな、などと言っていたあの時の。

 

 

『あなたが大丈夫でも、ちょっとでも危険なら駄目だから、しちゃいけないから……だからあたしは……その……』

 

 

 そんな言葉から繋がる、フォルセの身を案じる言葉。たとえ相手に対して複雑な心境でいようとも、大切ならば死を恐れ、拒絶する想いだけは変わらず伝えるその心。

 

 

 “いけない”

 

 

 フォルセの思考が勝手に動く。

 

 

 “彼女の手にかかってはいけない”

 “死を恐れる彼女にだけは……!”

 

 

 不意に落ちてきた思いのままに、痛すぎる身を叱咤した。

 

 

 

「っ!?」

 

 

 青い光が弾けた。何処かで見た、そう、禁呪を突然止めた光に似た、青い光が。

 

 その光の中にヴィーグリック言語を見た気がして、息を呑んだ者――ミレイは、焦点の合った空色の眼をぱちぱちと瞬きさせた。まるで目の前で大きな風船を割られたような心境だ。驚きで頭がとても重い。

 

 

「あれ……あたし、なにを……」

 

 

 直前までの記憶が見つからない。不安。とても不安。ならばどうするべきか。知ってる。思い出そうとすればいい。頭をうんうん唸らせて、それでも駄目なら周りをよーく見つめて――

 

 

「ミ、レイ」

 

「…………あっ」

 

 

 轟音をたてて燃え盛る森(得意な炎を飛ばして燃やした)、己の名を呼んだヒトの腕や足はところどころボロボロに切り裂かれていて(今の自分じゃ使えない筈の風槍が裂いた)、

 

 そして――己の手に今も握られているナイフを、逆に握り返す神父の手(真っ赤に染まったそれ、利き手だろう、よりにもよってどうして右手なのか)

 

 

「あ、あたし……あたしっ……!!」

 

 

 そんなつもりじゃなかった、なんて言い訳は通用しない。

 

 なんせミレイは覚えているのだ、自分が心底正しいと思って行っていたという事実を。

 

 

 それ以上傷付かないようにするためか、フォルセの右手がゆっくりと離れていった。

 

 彼らしくなくしかめた顔に、ミレイは泣きそうになった。痛いのか。痛いのだろう。怒っているのか。怒っているのだろう――

 

 

異端症(ヘレシス)って、」

 

「へっ?」

 

「戻れるのか」

 

 

 痛みと怒り――ではなく、痛みと“常識がいきなり覆されて”呆然としているのだと、ミレイは知ることができた。

 

 

「ッガ、ァアアアアッ!!」

 

 

 痺れの取れたヘレティックが、フォルセ達二人の状況を理解しているかのようにゆらり、ゆらりと歩いてきた。

 

 状況は絶望を極めている。フォルセのリージャは未だ回復せず、ミレイのマナとて似たような状態。唯一違うところと言えば、フォルセは全身痛みだらけで、ミレイは暴走から無事帰還した、ということだけ。

 

 それでも、フォルセは立ち上がった。血濡れの利き手ではなく左手で剣を持ち直してまで、ミレイを庇って向き直った。

 

 

「う……ぐ、っ」

 

「聖職者、サマ……こんな、あたしを守ってくれるの……?」

 

 

 あたしはなんてことを、とミレイは涙をぼろぼろ流す。

 

 けれどフォルセは気付かない――気付く余裕がなかった。身体は痛みに支配され、記憶はトラウマに囚われ、心は覆った常識に戸惑っている。

 

 ミレイを庇ってヘレティックと対峙するのも、頭の片隅に残っていた義務感ゆえ。

 

 誰を救いたいのか、誰を守るべきなのか――もう、わからない。

 

 

(浄化をせねばと誰かが言ってる。でも異端症(ヘレシス)が戻れるのなら……今僕がやろうとしていることに、)

 

 

 そんな心身で目の前の脅威を止めるなど、

 

 

(意味なんてあるのだろうか)

 

 

 無意味でしかなかったのだ。

 

 

 

 ――キィンッ!

 

 

「うっ!」

 

「っきゃあ!?」

 

 

 構えた剣は容易く弾かれた。

 

 フォルセはたたらを踏み、背に庇っていたミレイを下敷きにして倒れた。背中に確かな生の鼓動を感じながら、纏わりつく苦痛も忘却し、ただ目の前に迫る脅威に目をやる。

 

 

 咆哮する“何か”。メラメラと音をあげる熱い“何か”。

 

 

(ああ、からだがうごかないのがわかる……)

 

 

 現実から逃げたがる迷い子と同じ顔で、フォルセはぎゅっと目をつぶり、

 

 

 

 

 

 ――落ちる剣を、受け止める音が聞こえた。

 

 

 

***

 

 

 ――キィンッ!

 

 

 つい先程と同じ、けれど少しばかり違う音が響き渡った。

 

 

 メラメラと燃え盛る森、殺意を振りまくヘレティック――その更に手前で、鉤爪を受け止める“何か”が増えていた。

 

 まず目についたのは、肩を越すほどまでに伸びた見事な赤毛。火の中にあっても、その力強さを示すように靡いている。――一瞬、髪の毛の中で何かが光った。装飾品でも着けているのかもしれない。

 

 そして、目立つ髪の代わりのように地味な暗色のレザージャケットを羽織り、右手には何の装飾もない木の杖を持っている。

 

 一人の男が、そこにいた。フォルセの細剣を左手に構え、ヘレティックの鉤爪を器用に受け止めている。

 

 ガキィン! 男が剣を一閃し、鉤爪を押し返した。仰け反ったヘレティックに素早く肉薄し、横に回転しながら飛び上がる。一瞬で何度も腐肉を抉り取り、間を開けず、真白の雷を放って斬り下ろした。

 ヘレティックが断末魔の叫びをあげる。軽い動作で着地した男は、完璧としか言いようのない構えと動きで剣を引き、ヘレティックに向けて衝撃波を一度、そして二度、最後に特大のものを振り放った。

 

 「グォオオァアアアアッ!?」衝撃波によってヘレティックは吹き飛ばされ、燃え盛る森へと突っ込んだ。

 

 勢力を増すばかりの火と轟音が、ヘレティックの姿かたちを呑みこんで消す。それを見送って、どこかで見たような連携をこなした男はポキ、ポキと首を鳴らした。

 

 

「見た感じ、確かこんなんだったか? ……何かひとつ、抜けた気がするけど」

 

 

 剣使うのすげー久しぶり、と、男はのんびりと呟く。

 

 

「……にしても面倒なことしてくれたな。荷馬車まだ中に入ってんぞ。馬車はともかく御者が燃えそうだ。いなくなると流石に困るんだよな、俺も。

 ……、……はぁ? 別に心配なんかしてねーし! 盗み聞きすんな柔らか石頭!!」

 

 

 男は怒鳴りながら、フォルセの剣を地に刺し、右手に持っていた杖を構えた。

 

 

「……予定通り、試練に組み込む。巻き込まれないよう注意しな」

 

 

 ――その瞬間、場の空気は一変した。巨大な熱が傍にあるにも関わらず、いっそ冷たさすらも感じられるような、そんな空気に。

 

 

「な、なに……肌をチクチクされるような、変な空気。あの人……何をする気なの?」

 

「同じ……」

 

「せ、聖職者サマ……!」

 

 

 ミレイにもたれかかっていたフォルセが、天を見上げたまま呟いた。

 

 

「あの禁呪と……同じ気配……」

 

 

 

 男は杖を構えたまま、燃え盛る森をぐるりと見渡した。

 

 崩れ落ちる木々によって、煙と灰が舞い上がる。男の近くにも届いたが、男は気にすることなく力を収束させる。

 

 

「異端に焼かれし森から破壊の象徴に告ぐ。

 求めるは一時の消滅、天よりの再誕。我が声に耳を傾けよ、規律の()を断ち切りたまえ」

 

 

 研ぎ澄まされた“気”が男へ向かって一気に集い、

 

 

「――【ユシェル・バイツァル(yuciel,buyturl)】」

 

 

 暗色のエネルギー球となって、男の眼前に現れた。

 

 

「再誕命ずるは、〈神の愛し子の剣〉試練の場……エリスの神殿」

 

 

 抗うことを許さない声で命じ――男は杖を振り、エネルギー球を森へ向けて飛ばした。

 

 

(今のは……)

 

 

 炎の海から視線を外し、音だけを聞いてフォルセは思う。

 

 

(どこかで聞いた……いや、“読んだ”。今の術の名、もしかして……ヴィーグリック言語?)

 

 

 己にとって身近な言葉を耳で聞き、フォルセの思考に驚きが散る。

 

 

 凄まじい速さで飛んでいったエネルギー球は、渦巻く火や倒れる木々を器用にかわし、燃焼範囲のほぼ中心でピタリと止まった。おもむろにぎゅっと圧縮される――直後、エネルギー球は一気に爆ぜ、澄んだ闇となって拡散した。火を消すわけでも木々を癒すでもなくただ呑み込んで、ついには燃えている範囲全てを包み込んだ。

 

 そうして、闇は再び収束する――呑み込んだ全てを巻き込んで。

 

 

「う、うそ……」

 

 

 ミレイの唖然とした声が落とされる。

 

 

「森が……消えた……!?」

 

 

 爆ぜた闇が再びエネルギー球となるのに従って、燃え盛っていた森もまた跡形なく消えてしまった。

 

 

 

 

 

 遠くに鬱蒼と生い茂る森が見え、その手前には草一つ生えていない地面が現れた。燃え盛る森“だけ”が消し飛ばされたその光景は、現実味が無さすぎて非常に違和感がある。

 

 

「落ちてきたから借りたぞ? 結構使いやすい剣だなあ」

 

 

 森を消すなどという所業をなした男は、何事もなかったように振り返り、フォルセとミレイを見下ろした。地に刺していた剣を抜き、褒め称えながらまた突き刺す。

 

 

 大きな光源は消え去り、辺りは再び夜闇に包まれた。ゆえに男の顔は少しばかり見えづらく、ミレイは安堵と不安の入り混じった顔でおずおずと口を開く。

 

 

「あ、あなた、誰……?」

 

「あん? 俺? ああ、名乗るほどの者じゃねえけど、名乗んなきゃ面倒臭いよなあ。……俺、試練の審判役だし。関わらざるを得ないし。あっははは」

 

 

 ミレイに名を聞かれ、男は笑いながらしゃがみこんだ。ようやっとはっきり見えるようになったその顔を見て、

 

 

「……、えー……」

 

 

 ミレイは目に見えて引いた。その腕に抱き締める聖職者を盾に構えるほどに、引いた。

 

 男の黄金の瞳は確かに珍しく、フォルセと同年代ほどの顔立ちはだいぶ整っている。だが、それら全てを台無しにするほどに、男の目は“死んでいた”。生気も無ければやる気もない、声色が軽さと笑みを醸し出している分、余計にその目が目立つのだ。

 

 黄金なのに深遠とはこれ如何に。

 

 目の前の男を見ていると自分まで死んでしまいそうだと、ミレイは恩も忘れて思った。死にきった目から逃げようと、視線をうろうろさせる。――赤毛の中で、月光に照らされ何かが光った。目立たないそれ、桃色の花弁を模した飾りだ。

 

 

(あたしの花飾りと同じ……?)

 

 

 自身の帽子についた花飾りを思い、ミレイは目の前の男に若干の親近感を抱き、見つめ、そしてまた視線を逃げさせた。

 

 

「助けて、いただき……」

 

「お?」

 

「!? 聖職者サマ」

 

「あり、がとう……ございました」

 

 

 フォルセが、弱々しい声で礼を言った。リージャが徐々に回復しているのだろう――痛みの表情は僅かだが、疲労がだいぶ見えている。

 

 

「気にすんなって、ちょっとしたトラブルに対するちょっとしたフォローだから。おまけみたいなもんさ。これくらいはいいだろうよ」

 

 

 男の口角がきゅっと上がった。恐らく、彼は笑っているのだろう――気力皆無な瞳が、見る者の自信を失わせる。

 

 それでも、フォルセを見つめる視線はどこか柔らかいように、ミレイには感じられた。

 

 

「……にしてもまだ暑いな、むしろ熱い! さっさとここ離れるぞ。俺は荷馬車呼ぶから、お前はそいつをどうにかしとけよ」

 

「…………」

 

「最近の異端は返事もしねぇの?」

 

「……、えっ!? あたしに言ったの!?」

 

 

 わかんないわよー! と動揺しながらミレイは叫んだ。

 

 

「当たり前だろ! こんな弱った奴になんとかしろとは流石の俺もいつか言う時まで取っておくっての!」

 

「いつか!? いつか言う気なの!?」

 

「だって俺、試練の審判者だもん! 〈神の愛し子の剣〉候補に頑張って無理しろ、って言うのは至極トーゼンのことだろうが!!」

 

 

 男の主張に、ミレイは目を余計に見張った。

 

 

「〈神の愛し子の剣〉……!? あ、あなた、何を知ってるの!?」

 

「だーかーらー。そういう面倒なのは全部後で、時間できたら言うから。今俺、火事飛ばして疲れてんの。荷馬車呼ばなきゃいけない面倒を嘆いてんの。ホントは全部面倒くせぇの! ……わかるだろ?」

 

「わかるかぁあああっ!!」

 

「うるせーなあ、元はと言えば火事はお前のせいだろ! 試練に組み込むついでに尻拭いしてやったんだから素直に聞けってのー!!」

 

 

 己の所業を突きつけられ、ミレイはうっ、と黙り込んだ。

 

 

「……ふう。ま、良いや。もうそいつも限界みたいだし、名乗りと挨拶くらいはしてやんよ」

 

 

 男は唇でニイと笑い、胸を張って姿勢を正した。

 

 

「俺はハーヴェスタ、女神が創りし夢と現の狭間――ゲイグスの世界の住人。この世界で〈神の愛し子の剣〉に与えられる試練を見守り、助け、審判する者。

 ……名前呼びづらいだろ? 気軽にハーヴィって呼んでくれ」

 

「ハーヴィ? ……あなたが、〈神の愛し子の剣〉の試練……審判者?」

 

「ああ、よろしく。……ってわけだ。軽く挨拶も済んだことだし、今は安心して眠りな、〈神の愛し子の剣〉候補」

 

 

 僅かに愉悦を浮かべた金眼が、フォルセを見下ろした。

 

 その視線と、驚くミレイを背に感じつつ、

 

 

(気を抜いてはダメだ、信用できるかわからな……ああ、もう……ねむ)

 

 

 疲労によって気力を鎮火され、フォルセは糸が切れたように意識を失うのであった。

 

 

 




2015/09/07:完成
2016/12/22:加筆修正
2016/12/22:ハーメルン引越し

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