テイルズオブフェイシア ―己が神を信ずるRPG― 作:澄々紀行
リージャの雷が収束する。空気中でうねり、地面を叩き、夜闇を一瞬にして白く照らしあげたそれは――やはり一瞬にして、かき消えた。
「っ、ぐ、くそっ……」
フォルセの口からこぼれた悪態は、ミレイのもとへは届かなかった。だが彼女には見えた。たとえ恐怖のあまり両手で顔を覆っていても、声無き悲鳴をあげていても、目の前で起きた刹那の結果は、離れている彼女の目にもよく映ってしまった。
「間に、合わなかった……!」
少年の、血の滴る両手――合わせて十ある肉の断面から生える赤黒い鉤爪によって、フォルセの細剣は、誰を貫くこともなく受け止められていた。
「ああ、ひどい……」
「っ、」
「ひどいひどいひどいひどいみんなが酷い! どうして焼くの、どうして燃やすの、どうして誰も悲しくないの!?」
「ぅっ、ぐああっ!」
少年の顔から笑みが消えた。赤き眼をカッと見開き、同じ色の涙を流して狂ったように叫ぶ。
そして、その小さな身体からは想像できないほどの怪力で腕を振り回し、受け止めていた剣ごとフォルセを吹っ飛ばした。
「っ! う、ぐ、ぅ……あ、ぁが、あっ……!!」
道の脇の地面にドサリと落ちる。背を強かに打ちつけ、フォルセの呼吸が一瞬止まった。――どこか様子がおかしい。転がって草を何本か掴んだまま、起き上がることができずにいる。
背への衝撃だけでは説明できないほどの苦悶の表情で、フォルセは喉奥から呻き声をあげた。
「聖職者サマ! ……きゃあっ!」
フォルセに駆け寄ろうとしたミレイの近くを、熱い何かが横切った――直後、遠くで一発の爆発音が聞こえた。ミレイは悲鳴をあげて立ち止まり、恐る恐る視線を向ける。
道の先の、草原の一部が燃えていた。夜闇を開きながらメラメラと燃え、黒い煙を上げているその光景を見て、ミレイは飛んでいったものが大きな大きな火の塊であったことを理解した。
「う、うそ……魔術? え、あの子がやったの? え?」
「どうして……」
「ひいっ!?」
驚きのあまり動けなくなったミレイのもとへ、いつの間にか少年が近寄っていた。血色の涙を流し、両手から生やした鉤爪をずるずると引き摺っている――その異様な姿に、ミレイは引きつった悲鳴をあげる。
「どうして……眠っていただけなのに、どうしていじめるの、どうして燃やすの……」
「あ……あぁ……」
「ともだちだったのに……みんな、ともだちだったのに! どうして笑うのどうして平気なのどうして燃やして捨てちゃうの!? ……アリガトウって言ったよ? お母さんと一緒にお祈りしたよ? なのにどうして誰も食べないの!? ぼくちゃんと食べたよ、焼きすぎたけどちゃんと……!!」
「いや、い、いや……!」
喉を裂きかねないほどに絶叫する少年から、ミレイは震えながら後退る。わからない。意味がわからない。少年の言うことも、その異様な姿も、自分の傍に神父がいないこの状況も。
踵に当たった石ころでバランスを崩し、ミレイは尻餅をついた。が、悲鳴すらこぼせない。目の前に迫る少年への恐怖が、彼女の心身を凍らせている。
「だから、お母さんにもアリガトウって言ったんだ。焼いたお肉にして食べてにしたんだぁ……」
少年が、幸せそうに笑った。不規則な呼吸を繰り返すミレイを見下ろし、両腕を――血色の鉤爪を、ゆらりと振り上げる。
「おねえちゃんも、しよ?」
「っひ、」
「ぼくと一緒だからきっとできるよ。ほら、ねぇ? こうやって、おててを合わせて、ぼくと一緒に……」
“アリガトウ”
血塗れた少年の唇がとろりと動いた。
「――い、イヤァアアアアアァッ!!!」
恐怖が臨界点に達した。
多大な負荷のかかった思考によって、考えるより先に生きることを命じられ――ミレイは少年目掛け、ナイフを放った。
「っ!? っうぇ……!!」
放たれた刃が少年の喉を掻き切った。血飛沫と共にくぐもった声がもれる。
「来ないで、来ないで! こっちに来ないでよぉっ!!」
本能が叫ぶままにナイフを投げる。夢中で振るう。一心に放つ。己の武器たる刃を投げて投げて投げて――。
恐怖と生存本能に急かされたその姿には、もはやフォルセを止めた時の必死さは無い。
目の前のあれはもはや庇護すべき子供ではない。恐ろしい武器を振り上げ、理解不能な言動を散らす、排除すべき“敵”だ――!!
刃の曇った煌めきに伴い、幼き身体が血濡れと化していく。肉が裂かれるその度に、少年の全身から焦げた臭いと煙がのぼる。それこそがまさに、世界の毒素たる瘴気なのか――誰に問われることもないまま、小さな異形はミレイから一歩一歩と離れていく。
「はやく倒れなさいよ! どっかいってよ! いやっ、なんで、なんでこんなっ……」
「ぃどい……ひどいよ……お、ねえちゃんッ!」
「っきゃ、っ!」
されるがままだった少年が、たどたどしい怒りと共にナイフを薙ぎ払った。
「っ! あ……ぁあっ……!」
足元に幾本かのナイフが無情に転がる。ただ一度攻撃を跳ね返されただけで、ミレイの抵抗意志は針を刺された風船のように割れてしまった。後に残ったのは修復不可能な意志の残骸――死への恐怖で打ちのめされ、ミレイは力なくへたりこむ。
「ひどいよ、ひどい……とてもひどい……」
少年がゆらゆら揺れ動きながら近付いてくる。引き摺る鉤爪はとても鋭く、きっとミレイの柔な身体など簡単に引き裂いてしまうだろう。
ミレイの脳裏に、自らの死んだ姿が浮かんでは消える。死にたくないと、誰もが抱く本能的な恐怖に包まれる。
――身の心配ばかりしていたから、心はとても無防備だった。
「ひどいよ、おねえちゃん。
……ぼくもカミサマを信じない子なのに、どうしてひどいことするの?」
「……………………え?」
長い時間をかけても理解できなかった(したくなかった)その言葉に、ミレイは思わず呆けた顔を向けた。
視界の外から真白の影が駆け抜ける。
「ゥア……っ!?」
背に衝撃を受け、少年が驚きの声をもらした。
少年の背に勢いよく突進した白――フォルセが必死な形相で、突き立てた細剣を押し込む。
血肉を抉る音がやけに響いて。
ミレイの頬にピチャリと血飛沫が飛び散った。生温かいそれに触れるよりも先に、細剣がグイと動かされ、
「――はああああぁっ!!」
躊躇なく薙ぎ払われた。少年をミレイから引き離すべく、フォルセが剣を思いきり振り回したのだ。
少年は何をされたかわからない顔のまま、森の方へと吹っ飛んだ。
「光明導く、ッ、眩耀の使徒!!」
急いた様子で剣を収め、フォルセが苦悶を顕にしながら詠唱を紡いだ。
「レイ!!」
少年の頭上に、神々しい光の球が出現した。地面に向けて幾本もの光線を放ち、幼い身体を焼き貫き、その場に縫い付ける。
「……はぁっ……はぁ、ぁぐ、くそ……」
フォルセは悪態をついて、大きくよろめいた。剣を支えにどうにか動き、歪めた顔をミレイに向ける。
「大丈夫ですか? 怪我は、ありませ……」
笑みを浮かべようとして失敗したフォルセの相貌が、ミレイを――恐怖で眼を見開き、口許だけ笑みを浮かべては震えている様子を見て、更に強張った。
「…………聞いてよ聖職者サマ。あの子、こどもだった」
焦点の合わぬ目でミレイが語る。
「近くで見るとね、目がね、ぱちぱち動いて可愛かったわ。おかしいわよね、だってあの子魔物……化け物でしょ? なのに、なんであんなヒトの子そっくりなのかしら、変なの」
「……ミレイ、落ち着いて。貴女の信じるものを心に浮かべなさい。“皆を救いたい”のでしょう? 自分を見失っては、なりません」
顔を青ざめさせたフォルセは、ミレイをどうにか引き上げようとつっかえながらも言葉を尽くす。
が、それは逆効果だった。
「おかしいわよね、違うわよね? だってあんなに恐ろしくて気持ち悪いんだもの、違うに決まってる…………あれが、あたしと同じなワケないッ!!」
頭を抱え、ミレイは否定を求める否定を叫んだ。
「あたしはあんな風にならない! “皆”だって、違う! だから倒そうとしたっ、聖職者サマだって攻撃したものっ!!
……黙示録は、全てを救ってくれる勇者を呼ぶ。だから〈神の愛し子の剣〉はそうなの。そのハズなの。だから違うのよ!!」
ミレイは見開いた眼で、すがるようにフォルセを見つめた。睨み付けていると言っても過言ではないほどに力のこもった眼差しに、彼女の動揺が見て取れる。
「違うって言ってよ聖職者サマ。あなたは〈神の愛し子の剣〉だから、あたしを、みんなを……
「……っ」
「あたしは
フォルセの放った法術が消え、少年を阻むものがなくなった。光線によって全身を貫かれ、鉤爪も数本折れた少年は、ガクガクと痙攣しながらもその身を再生させていく。
猶予は無くなった。望まれるままにこたえれば、ミレイの混乱は収まるだろうとフォルセは思う。
けれど、たとえ窮地とわかっていても――嘘はつけなかった。
「……私はあの子を殺します。哀れな“異端”を、救うために」
混乱で揺れる眼が、ピタリと定まった。
「こんな時におかしなこと言わないでよ、聖職者サマ。殺す? 救うため? ……誰が救われるって言うのよ」
「異端であるがゆえに歪んだ“魂”が。……女神の御許からまた始まることができるよう、現世にて、隣人を愛し送り出すことこそが我らの務め。ゆえに……」
「……ふざけないで!」
腰が抜けていたとは思えぬ勢いでミレイは立ち上がり――憎悪にも近い怒りで顔を染め――フォルセの胸ぐらをグイと掴み取った。
「死んじゃったら、全部終わり! 何も、始まりなんかしない! なのにどうして……どうして笑っていられるの!?」
信頼など皆無、あるのは憎しみと失望だけだとミレイは吠える。
――笑うどころか無表情、或いは苦痛で歪んでいるとすら言い表せるだろうフォルセの面に、彼女が気付くことはない。
「…………ミレイ」
常を知る者なら震えていると称すだろう声で、フォルセはミレイを見つめ返した。
「貴女はあの少年を、どうしろと言うのですか」
「さっきから言ってるでしょ!? 化け物なら倒して! 殺して!
「では救います。……この剣とリージャをもって」
「っ、違う違う! そんなの願ってないっ、アレは
あなたは黙示録に読まれた〈神の愛し子の剣〉なんでしょう!? だったらちゃんと生かして、救いなさいよっ!!」
「……、それならば、」
祈るように眼を閉じ――フォルセは覚悟を決めて、深い緑眼にミレイを映し直した。
「私はきっと……〈神の愛し子の剣〉ではないのでしょう」
「あぁハハ……はは、は……あぁああァああ……!!」
少年が、知性を思わせない虚ろな表情で笑った。
「ひどいひどいひどイヒドイィ……! あっは、ハハハ、あはァははは……ッ!!」
べちゃり、と泥のような血が落ちる。再生したかのように思われた少年の身体は、腐臭をいっそう強くして、所々に開けられた風穴から黒い
「焼かないのっ、ヒドイねぇァアハハは……っ!」少年の笑い声を合図に、ボシュ、ボシュ、とガスの破裂する音が断続的に鳴り、噴き出す瘴気に炎が混じり始める。
「ははハっ、ハッ……ガぁっ……ぐる、じ……ぐるじィ、あはハァハハ……ハ、は……おかあさん?
――ガ、ァアアアァアアアァッ!!」
少年を覆う瘴気がいっそう濃く広がり、そして爆ぜた。
「……、始まってしまったか……
ミレイに背を向け、フォルセは険しい表情で息を呑んだ。
暴風のような咆哮が続く。夜闇の下に生まれた闇から、少年“だったモノ”の姿が現れた。
全身の筋肉は膨らみ、けれども肉の全てが腐ってしまったためにどこか不安定。炎は変わらず噴き出して、まるで今にも腐り落ちそうな肉同士を繋ぎ止めているかのようだ。大きさは成人男性ほど。もはやその“化け物”に、少年の面影は欠片も存在しない。
「グォアアァアアァアッ!!」
赤黒い鉤爪を引き摺り、身体中から噴き出す炎で身を守る腐乱死体が――瘴気の中から生まれ出でた。
(こうなる前に、浄化してやりたかった……暴走した
無念に染まった眼差しを少年――否、ヘレティックへと向ける。
信仰心の一切存在しない、全てを破壊する獣ヘレティック。その正体のひとつが
ヘレティックの起源全てがそうではないのだが――確実に言えるのは、あまりにも痛々しく哀れである、ということだ。
(せめてすぐにでも送ってやりたい……けれど、リージャを使おうにもそう長くは続かない。……痛みが、強すぎる)
瘴気を伴った攻撃を受けたことで、フォルセは自身のリージャが応えない理由を理解することができた。――彼の身体は、彼が思う以上に損傷していたのだ。
禁呪で体内マナを破壊されたフォルセの身体には、本来、禁呪を受けた瞬間と同等の痛みが走っている筈だった。しかし、あまりに強いその痛みは、残ったリージャによって元の一割程度にまで抑制されていた。フォルセ自身が無意識に行っていた防衛本能のようなものだったため、瘴気を食らうまで気付くことができなかったのである。
リージャの働きに気付いた今、フォルセが意識すればリージャは普段通りに応えてくれる。その代わり、マナを破壊される痛みと同じものに耐えなければならない。
(加えて、よりにもよって火を出して……ああ駄目だ……怖い、この距離ですら震えてしまう。
いつものようにリージャ任せの戦い方では駄目、けれど近付くこともままならない。一体どう動けば……)
常にリージャを解放していては、禁呪相当の痛みでまともに動くことができない。しかし一撃で終わらせるつもりで挑まねば――確実に、殺される。
溢れんばかりのリージャがあったからこそ、心の余裕を持つことができたのだ。悲しいかな、愛をもって隣人を救おうと教えるフォルセは今、愛とはあまり関係のない力不足で窮地に立っている。
(できるのか? この僕に……)
ヘレティックの咆哮が再び響き渡る。
(身も心も、女神の従僕とは言えなくなったこの僕に……“彼ら”を救うことはできるのか?)
剣を構えたフォルセの米神を、冷たい汗が流れ落ちる。身を硬く強張らせているのは痛みか、それとも不安か恐怖か――
『あなたは黙示録に読まれた〈神の愛し子の剣〉なんでしょう!? だったらちゃんと生かして、救いなさいよっ!!』
異端の少女に乞われた“救い”が脳裏を過る。
ブワリと広がった殺気に対し、フォルセは――“背後”に向けて、剣を振るった。
「
衝撃波を放ち、魔術である“烈風の槍”に対抗した。
圧力の塊同士が衝突し、嵐が一瞬やってきたかのような轟音が鳴る。
間を置かず、再び風槍が飛んできた。相殺は間に合わない。剣を真横に構えて防御する、が、凄まじい風圧で押されてしまう。
「グァアアアアッ!!」
「っ、ちいっ……!」
槍から放たれる鎌鼬で頬を浅く切られながらも、剣を押し込んでそれを弾き、瞬時に身を捩って飛びかかってきたヘレティックを迎え撃つ。
剣と鉤爪がぶつかり合った――キィンと高い金属音が鳴る。視界いっぱいに広がる腐肉よりも何よりも、肌が焼けそうなほど近くに迫った炎にこそ恐怖して、フォルセはひっ、とらしくない呻き声をもらした。
「っ、っ……フォトン!!」
火への恐怖で頭をいっぱいにし、とにかく離れたい一心で光球を放つ。
「グアァッ!?」眼前で弾けた聖なる光を嫌がり、ヘレティックは思惑通り大きく飛び退いた。
「っはぁ、はぁ……!」
幾分か落ち着きを取り戻したフォルセは、荒く息を吐き、戦場の両端を見るため数歩下がった。
視界の左端には、深い森とヘレティック。そしてその逆側、風槍の飛んできた丘の側には――
「そんなハズない……〈神の愛し子の剣〉じゃないハズない……あたしは、化け物になんかならないもの……!」
暗い声で怨嗟を吐く少女がひとりいた。その面には、見る者をゾッとさせるほどの絶望しかない。
「違う、違う……黙示録は正しいの、だってあたし信じてるもの、黙示録は全てを救ってくれる勇者を呼ぶんだって……だから違う……
あたしが攻撃したのは、
血色に濁った瞳がフォルセに向かう。聖職者サマ、と慕う想いも縋る想いも既に無く、あるのは親の敵でも見るかのような憎悪だけ。
「どうして救えないなんて言うのよ……全部ウソに決まってる。ウソ? 何が? どこがどこまでが?
あ、ぁあ……! あなた、あたしの聖職者サマを……〈神の愛し子の剣〉を、どこへやったのよぉおおおッ!!」
絶叫と共にマナが爆ぜ、鋭利な突風が巻き起こった。
一対一対一、いやむしろ一対二。
2015/08/28:完成
2016/12/14:加筆修正
2016/12/14:ハーメルン引越し