テイルズオブフェイシア ―己が神を信ずるRPG―   作:澄々紀行

13 / 28
Chapter11 震える我が身を食い破るのは

 

 まだ幼くて、まだ女神の愛に縋るしかなかった頃の僕。似たような境遇の子供達と共に、優しい父母達によって育てられた。

 

 産みの親である男女のことを、僕は殆ど知らない。けれど寂しいと思ったことはなかった。周りの子は皆、僕と同じだったから。育ててくれた大人は皆、とても優しかったから。

 

 

 唯一無二の女神を敬い、愛を繋ぐに相応しい人間を育てる場所。

 

 孤児院の彼ら――沢山の親と兄弟姉妹達が、僕にとっての家族だった。

 

 

 

 暖かな記憶が崩れる。

 

 燃え盛る火の中、轟々と音をたてて小さな教会が崩れ落ちていく。

 

 悲鳴が聞こえる。

 

 大人も子供も関係ない。誰もが迫り来る火に怯え、泣き叫び、どうにか外に出ようと扉を叩いている。ドンッドンッと拳の骨が折れかねない力で叩いて、叩いて、けれど扉は開かない。

 

 ステンドグラスが爆ぜるように割れる。出せ、出してくれ、と扉を叩いていた誰かは不意にいなくなり、代わりに血を怖れた女子供の絶叫が響く。――それもすぐ、崩れた天井の下? に消えていった。

 

 

 消えていく。

 命の火が消えていく。

 

 僕はただ震えていた。父母達の励ましがやがて我先にと吠える怒号となっても、兄弟姉妹の慟哭が煙によって少しずつしぼんで消えていっても、何もできず、震えていることしかできなかった。

 

 

 “おお……神よ……!”

 “開かない、ごほっ、誰か、誰かいないのか!?”

 “げほっ……げほぉっ……苦し、よぉ……”

 “だいじょうぶよ……きっと女神、様が……”

 

 

 助けを求めている。

 

 

 “死にたくない……死っ、退けぇっ!”

 “がァっ、熱い! 熱いぃいい!!”

 “いやだ! いや、ぎゃあっ!”

 “ぁあ……やめて、あぁあああああっ……!!”

 

 

 助けを得ようと足掻いている。

 

 

『ぅ……ふ、ぅ、うぅっ……!』

 

 

 僕はただ、震えているだけ。四方八方から迫り来る熱に惑い、今にも叫んでしまいそうな喉を痙攣させて、ただぶるぶると震えているだけ。

 

 

 燃え盛る火の中で、優しかった家族が次々に変わり果てていく。

 

 愛情も優しさも、全てを呑んで焼き尽くしていく。

 

 

『たすけてください……めがみさま』

 

 

 あのひから僕は変わった。

 

 

『みんな、ほんとうはやさしいから……おこらないで。みちびいて。こわがりなぼくを、たすけて……』

 

 

 怯えて惑い、ただひたすら祈り続けた。

 

 錯乱したまま炭と化した皆を受け入れてほしいと。

 頭の隅々にへばりついた火を越える力が欲しいと。

 

 偉大な女神に乞い願い続けた。

 

 

 ――――

 

 そうして少しずつ、愛を語れるようになっていった。

 

 女神の従僕に、近付いていった。

 

 

 もう火だって怖くない。

 もう願うだけじゃない。

 

 悲しみも恐怖も、全て女神のおかげで思い出になった。

 

 だから、皆にも女神の愛を。

 

 女神フレイヤの謳う愛の軌跡を。

 

 怖いものを皆で乗り越えて、一緒に、穏やかに、女神の御許へ往こう。

 

 

 

 ――そう思って、今まで生きてきたのだけれど。

 

 

 

***

 

 

 艶やかなる葉の屋根が、不意に途切れる。

 

 

(! 外、か……)

 

 

 がらりと変わった光景によって、フォルセは思考の底から浮上した。

 

 道は続くが森はここでおしまい、視界に現れたのは広大なる平原だった。森から続く道以外、短い草がどこまでも生え広がっている。道は途中から小高い丘を有し、日が昇っていたのなら、青々とした草原が視界の半分を埋め尽くしていたことだろう。

 

 見上げれば、月と星の煌めく夜天が相も変わらず続いていた。森から垣間見た光景と同じだ、少しくらい明けに近付いても良いのだが――やはりレムの黙示録が読んだ通り、夜はずっと明けないのだろうか。

 

 

(火が怖いと自覚したせいか。さっきから、昔のことばかりが思い浮かぶ。思い出になった筈なのに、つい昨日のことのように胸の奥がざわついて……)

 

 

 再発した火への恐怖。乗り越えた筈のそれが生まれたそもそもの原因。自身にとっての“トラウマ”であり“転機”である過去を、フォルセは思い返していた。

 

 

 フォルセが育った孤児院――ティティス孤児院。そこに住まう者達全てを巻き込んだ、とある火事。

 

 否。巻き込まれたのは孤児院の者だけではなかった。孤児院があった町そのものを焼き払い、老若男女問わず全てを炭にした、大規模な火災だった。

 

 町の名から、その火災はこう呼ばれている。

 

 “アルルーテンの業火”――フォルセはその唯一の、生存者だった。

 

 

(あの日、アルルーテンが火に包まれたあのひから……僕は始まった。

 どうして僕だけが助かったのかは未だにわからない。けれど、見聞きした全てに震えていたことだけは覚えてる。だからこそ……今の僕がある)

 

 

 幼き頃の辛かった記憶は、後に世話となるヴェルニカ騎士団やフラン=ヴェルニカ教団の人々、そして何より女神フレイヤの優しい教えのお蔭で、悲しいだけの思い出へと昇華した。

 

 そして、成長したフォルセは望んだ――女神フレイヤによって、自分と同じように誰かが救われることを。

 

 そのために、フォルセは女神の従僕として相応しくあるよう努力した。その努力もまた、フォルセのトラウマを安らかに昇華させ、よりいっそう彼自身の目指す理想に近付く糧となった。

 

 そんな風にフォルセは生きてきた。震えることがなくなって、それどころかそんな過去があった素振りすら見せなくなって――フォルセ自身、既に乗り越えられたものだと思っていた。

 

 

(ああまただ……また、呑まれていく皆の姿が……!)

 

 

 淡い思い出が再び辛い痛みとなって、フォルセの心身を苛んでいる。

 

 

 

「聖職者サマ」

 

 

 先に駆けていったミレイに呼ばれ、フォルセは意識を完全に切り替えた。――見ればランタン片手に、森から出て左側にあった看板の前から手招きしている。

 

 

(ああ、やけに明るいと思ったら……ランタンの火を大きくした、のか)

 

 

 重い足を動かし歩み寄れば、灯によって照らされた不満そうな顔が、看板をじいっと睨みつけていた。

 

 

「どうしましたか?」

 

「……」

 

 

 ミレイはちらり、とフォルセを見遣り、しかしすぐに看板へ視線を戻してしまった。何か言いたげに、唇をもごもごさせている。

 

 呼んでおいて何も言わない――実に不審な姿だ。が、特に何も突っ込まず、フォルセは静かに返答を待った。その間、僅か数秒ほど。結局ミレイは目の前の不満を解消することを優先したらしく、ゆっくりと口を開いた。

 

 

「……看板、読めない。何か書いてあるのはわかるんだけど」

 

 

 ミレイが指し示した方に、フォルセも視線をやる。彼女の言う通り、看板には何やら文字が刻まれていた。文字自体は大きいのだが、作られてだいぶ経っているらしく、掠れて読みづらくなっている。

 

 

「どうする? ……あっちとか、丘になってて結構見晴らし良さそうだし、読まずに進んでみる?」

 

「土地の情報は少しでも欲しいところですが……流石にこれを読むのは、ちょっと無理ですね」

 

「そっか……聖職者サマでも、無理か」

 

 

 ミレイの表情に、落胆の色がかすかに乗った。

 

 

(……期待されていたのかな)

 

 

 フォルセは少しだけ思考を巡らせ、自嘲を交えて苦く笑う。

 

 

「そうですね。……今は、無理です」

 

「今は?」

 

「禁呪を受ける前なら、ヴィグルテイン技術を応用してなんとかできたでしょう。ただ、マナやリージャの細かい操作も必要なので……今はできません」

 

 

 不甲斐なくて申し訳ない、とフォルセが笑えば、ミレイは顔をくしゃりと歪め、視線を逸らした。

 

 

「……ヴィグルテイン技術って、あたしのナイフにも使われてる……モノを分解して、本とかにしまっておく技術のことよね?」

 

「ええ」

 

「ふーん、どんな風にやるの? 看板読むのはいいからさ、やり方だけ教えてよ」

 

「少し、長くなりますよ」

 

「へっちゃらよ! どーんと喋っちゃって! ……知れることは、知っておきたいの」

 

 

 声色だけは、明るい。表情と違えていることに気付いていないのか、とフォルセは密かにミレイを窺ったが、やはり何も言わず、問いに答えることを優先した。

 

 左手を上げ、意識を集中し――澄んだ水でできたペンを生み出す。

 

 

「わっ! なに……水の、ペン?」

 

「ヴィグルテイン技術で使うものです。普段ならリージャを用いて作るのですが……今は、水のマナで代用しますね」

 

 

 驚いたミレイに微笑みかけ、フォルセは空中に何かを書く動作をした。

 

 

「ヴィグルテイン化する時、通常は対象の情報をヴィーグリック言語で書き表し、経本などの媒体に刻みます。……その際、マナを過剰に含ませることで、対象の情報を分断することができるのです」

 

「情報の分断……? それがさっき言ってた、今はできないっていう方法?」

 

「ええ。例えばこの看板なら……風と地のマナを絡めてヴィグルテイン化することで、“看板”と“書かれている文字”の情報に分けることができます。……マナと文字を置き換えた、ということですね」

 

 

 そこで一区切りし、フォルセは慣れた手つきでヴィーグリック言語を書き出した。水でできた文章が次々と空中に浮かぶ。その一部にフォルセが指で触れた瞬間――目の前の看板に刻まれた文字だけが、陽炎のように揺らめいた。

 

 

「マナと看板は、通常通りヴィグルテイン化されます。そして分断された文字情報は、マナとなって術者の体内に入り込む」

 

「文字がマナになって……入る? え、それ大丈夫なの? 痛くないの?」

 

「痛くはありませんが、危険ですよ」

 

「え」

 

「マナといっても、元は別の物質のもの。人体にとっては異物ですからね。そのままにしていれば、やがて肉体や精神は崩壊し……最後には、女神の御許へ」

 

 

 ――そのような理由で参っては、女神に顔向けできませんね。ふふ。

 

 さらりと言ってのけたフォルセの面を、ミレイは化け物を見るような目で凝視した。酷いな、とフォルセが考えていると、彼女は俯いてゆるゆると首を振り出す。

 

 

「そう、なんだ。教えてくれて……ありがとう。でも、そんな危険な方法なら、やらなくていいわよ」

 

「やりませんよ。というより、できないのですが…………、?」

 

 

 若干ずれた返答をしたフォルセは――一瞬顔色を変え、瞳を宙へ向けた。

 

 法衣で隠れた肌が、ゾクリと粟立つ。

 

 

「違うっ、できてもやらなくていいって言ってるの!」

 

「……、…………」

 

 

 激昂するミレイへ、フォルセのやけに透き通った眼がゆるりと向いた。

 

 

「あなたが大丈夫でも、ちょっとでも危険なら駄目だから、しちゃいけないから……だからあたしは……その……」

 

 

 鏡のようにまんべんなく、容赦なく映すような翡翠の眼差し。フォルセの視線の些細な変化を“責められている”とでも感じたのか、ミレイの声が尻すぼみになっていく。

 

 

「えっと……だ、だから……死んじゃうのは、駄目よ」

 

 

 ミレイは弱々しく言った。が、その顔には死への拒絶がありありと浮かんでいる。生半可な気持ちではないと言いたげに、ミレイの双眸はフォルセに負けず劣らず澄んでいる。

 

 

「……体内に入った物質情報のマナは、」

 

 

 瞬きをひとつして。あるようでない表情を向けたまま、フォルセは話を戻す。

 

 

「リージャに変換する要領で放出することで、体内から出て、リージャではなくヴィーグリック言語となります。……それを読み解けば、情報の詳細を知ることができるのです」

 

「……? え、と、つまり、術者の中に入ってきたマナを解放したら、ヴィーグリック言語に訳されて出てくるってこと? この看板だったら、読めない文字がヴィーグリック言語になるってこと?」

 

「そういうこと、です」

 

 

 頭の中で噛み砕きながら理解したミレイに、フォルセは口角をきゅっと上げて微笑んだ。危険だが、危険ではない。体内に入ったマナはすぐに出すから大丈夫、そう言いたげだ。

 

 が、そもそもはヴィーグリック言語に関する知識、マナやリージャの細かい操作など、多くの技術が必要不可欠とされる方法だ。どちらか一方が欠けていてもできない、更には自分の体内に異物のマナが入ることを受け入れる度胸も必要。できる者も、やろうとする者も、それどころかやる機会すらも少ない、そんな技法だった。

 

 

「私のリージャが戻って、必要な機会が訪れたなら……その時は、お見せしましょうか」

 

「だから……危ないなら、いいってば」

 

「貴女の助けになるのなら、特にどうということはありませんよ。それに……折角こうして、御理解頂けたのですし」

 

「っ!」

 

 

 俯いていた顔をバッと上げ、ミレイはフォルセを射抜くように睨み付けた。その視線はかち合わず、彼女自身もそれを望まずすぐに地面を向いてしまった。

 

 

「……なによ。ホントに大事なことは、理解しなくてもいいくせにっ」

 

 

 ミレイがボソリと吐き捨てた言葉は、思いの外よく響いた。が、既に意識を別の方へ向けていたフォルセの耳に、それが拾われることもなく――結局、可視化しかけた二人の溝は、再び姿を消してしまった。

 

 

(……さっきの気配、幸いミレイのものではないようだ。なら、一体何処から……)

 

 

 フォルセは微笑んだまま、剣呑な表情を浮かべた。その意識は、先程唐突に感じた“寒気”の出所を探している。

 

 

(それとも、気のせい、か……?)

 

 

 左手に持ち続けていた水のペンと書いた文章を払って消し、脳と神経をフル回転させて気配を探る。隣に立つ少女に気付かれないよう、慎重に、慎重に――

 

 

 その時。バラバラのマナが一斉に鳴き、フォルセの全身がズキンと軋んだ。

 

 

「っ…………はあ……」

 

 

 禁呪の痛みは唐突にやって来る。無意識のうちに大きな溜め息が漏れた。その、疲労を思わせるかもしれない失態にフォルセはサッと顔色を変えた。

 

 知られるべきではない、いらぬ心配を与えたくない。

 

 “異端”である彼女に不安を感じさせるわけには――

 

 その一心で、尖らせていた神経を放り出し、慌てて隣を窺った。

 

 

「…………あ」

 

 

 呆けた顔と目が合った――ミレイもまた、彫像のように固まりながらフォルセへ視線を向けたところだった。彼女は彼女で、自分の呟きに怒りを覚えられたのかと慌てていたのだが、フォルセには知る由もない。

 

 ひときわ冷たい夜風が吹くまで、暫し沈黙が落ちる。

 

 

「せ、聖職者サマってさ」

 

「……はい」

 

「えと、ひ、左利き、だったの? 銃は左で持ってたけど、剣は右手よね。あはは……」

 

 

 ミレイは引きつった顔で、無理やり話題を放った。

 

 その問いにフォルセは首を傾けたが、すぐにああ、と納得した。先程までペンを持っていた左手に、一瞬だけ眼を向ける。

 

 

「右利きですが、ヴィーグリック言語だけは、どちらでも書けるんです。……何かあった時のため、両方で書けるよう練習したのですよ」

 

「あっ、そうなんだ。へえ……」

 

 

 ミレイは苦く笑い、視線を逸らした。どうにか誤魔化せた安堵で、全身から力を抜く。

 

 

(……何をやってるんだ、僕は)

 

 

 ミレイとは対照的に、フォルセの面からは表情が消えていた。再び漏れそうになった溜め息を呑み込み、鬱陶しげに髪をかき上げる。

 

 

(何も感じられない……やはり気のせい、か。なら、あれこれバレないうちに、早いところ先へ……)

 

 

 感じた寒気、感じている恐怖、そして痛み。もはやどれに焦っているのかわからない。

 

 気を引き締めなければ。フォルセはそう思いながら、震え続ける腕を抑えんと拳を握り、道の先を見つめ、ミレイに声をかけようとして(おぞましい気配に背を撫でられ)口を開き、

 

 森の方へ急いで振り向く。

 

 

 

 

 

 真っ赤な二つの眼が、闇の中に浮かんでいた。

 

 

 

「っ!? ……ミ、レイ」

 

「なぁに、聖職者サマ?」

 

「看板。読めませんし、そろそろ進みましょうか……」

 

「そうね。このまま止まってても仕方ないし」

 

 

 まあるい、まあるい――血色の目玉、だ。闇に覆われながらもそれだけは映る、なんと不自然な光景か。

 

 ミレイを背に庇うように、フォルセは数歩後退った。険しい表情で、呼吸すらも抑えている。

 

 突然近付いてきた法衣にミレイは驚くが、その背中越しに二つの赤を見つけ、ヒッと悲鳴をあげた。

 

 

「え、なっ!? な、な、な、ななな……っ!」

 

「……そこにいらっしゃるのは、どなたですか?」

 

「ち、ちょ、聖職者サマ……!」

 

「私が対応します。……貴女は、少し先まで歩いていてください」

 

 

 言外に逃げろ、と告げている――そう理解し、ミレイは法衣を引っ掴み、抗議の声をあげた。

 

 

「だ、駄目よ! あたしひとり逃げるなんて、そんなのできっこない。だって聖職者サマは、あたしが望んだ〈神の愛し子の剣〉だもの。一緒にいなくちゃ、駄目なのよ……!」

 

「何事もなければ、すぐに呼ぶか追いつきます。貴女をひとりにすることは謝りますが、ほんの少しだけですから」

 

「で、でも、何でそんな、」

 

「ミレイ。……お願いします」

 

 

 フォルセは内心の焦りを押し殺し、柔らかく笑んだ。それがミレイのためになると信じて疑わず、少ない言葉で彼女を透明な壁の向こうへ放り投げる。

 

 

「…………っ」

 

 

 唇を噛み締め、ミレイは悔しげな表情で一歩、また一歩と下がっていった。それを見送るフォルセの翡翠の瞳がうっすらと安堵に染まり、そして森の方へと向き直る。

 

 

 森の奥に見えた二対の赤眼が、フォルセの呼びかけに応じ、上下に小さく揺れながら近付いてきた。魔物にしては警戒心が感じられず、だがヒトにしては不気味すぎる動き方だ。

 

 浮かべていた微笑を消して、フォルセはいつでも得物を出せるよう身構えた。明かりも持たずにいる時点で、無害な旅人という可能性は否定している。

 

 

(気のせいと流しかけた失態はともかく……リージャが無い今、この状況はかなりマズい)

 

 

 長い金髪で隠れた米神を、冷たい汗が一筋流れ落ちる。フォルセの中のリージャは未だ応えようとしない――魔物の闊歩する森を抜けるのとは比べ物にならぬほどの焦りを、フォルセは感じていた。

 

 

(もしも間に合わなかったら、きっとみんなのように“変わってしまう”。この場で動けるのは僕しかいない。

 僕がやらなければ……ぼくが……)

 

 

 脳裏に過ぎるのはかつての、そして現在進行形でフォルセを悩ませる火のトラウマ。

 

 熱い火よりも、全てを焼き尽くす炎よりも――迫り来る死を前に身も心も醜く変わっていくことの方が怖かった。だからこそ今、らしくないほどに焦燥している。

 

 

「……似てるわね、グラツィオの時と」

 

 

 え、とフォルセは驚きに肩を揺らした。背にトンと小さな衝撃が加えられる――彼が振り返るのを防ぐように、先に行った筈のミレイがしがみついてきたのだ。

 

 背中越しに震えが伝わってくる。怖いならどうして戻ってきたのか、どうして言うことを聞いてくれないのか。せめてランタンを遠ざけてはくれないか。なんなら一緒にどこかへ離れてほしい――

 

 フォルセの頭は一瞬にして、ぐちゃぐちゃにこんがらがった。

 

 

「っ、ミレイ……言った、でしょう。此処は私に任せて、貴女は先に……」

 

「借りがあったら返すのがスジ。異端症(ヘレシス)は聖職者の言うことなんか聞かない。……あたしがそういう人間だって、知ってるでしょ?」

 

「……、ここでそれを、言うのですか」

 

「素直になったと思った? ザンネンだけど、あたしは自分に素直なだけ。やりたいように、返したいように借りを返す。

 まあ、今は借りがどうって話じゃないけどね。……知れることは知っておきたい、それだけよ」

 

 

 法衣を強く強く握り締めてくるミレイを、フォルセは苦虫を噛み潰したような顔で見下ろした。

 

 

(君が一番“危険”だから、遠ざけたかったというのに!)

 

 

 感じた寒気の出所を“ミレイから”だと勘違いした理由に、全ては起因している。

 

 

 そうこうしているうちに、赤眼の主が葉の屋根を潜り、その容姿を二人の視界にさらけ出した。見えた姿に、フォルセは更に顔を強張らせ、対してミレイはポカンと口を開ける。

 

 

「ぇ…………、こども?」

 

 

 ミレイの、気の抜けきった声がその場に落ちた。

 

 

 癖毛の髪に、指先まで隠れるほどの長袖、成長途中の二本足が伸びる短パン。平凡な、だが丸い二つの赤眼だけが爛々と輝いているその“ヒト”は――

 

 

「おにいちゃん達、迷子?」

 

 

 (よわい)十にも満たないほどの、一人の少年だった。

 

 

 

***

 

 

 闇に浮かぶ二つの赤――恐怖を煽るその光景に反して、現れたのは普通の子供。赤い瞳も、よくよく見れば幼いがゆえの無垢で輝いているようにも思える。

 

 小首を傾げ、トコトコと近付いてくるその姿は、ミレイの恐怖を容易く消し去った。

 

 

「な、なぁんだ……何かと思ったら、ただのこどもじゃない。もうもうっ、ビックリさせないでよ!」

 

 

 言葉とは裏腹に、ミレイはすっかり安心していた。そして疑問を浮かべる。――こんな時間に、こんな場所で、子供が一人で何をしているのか?

 

 

「なりません」

 

 

 近付こうとしたミレイを、フォルセの腕が遮った。彼らしくない、やや乱暴な制止だ。

 

 ミレイは眼を丸くし、驚いた――神父の横顔は未だ硬く、硬く、強張っている。

 

 

「どしたのよ。相手は魔物じゃなくて、ただの子供よ? そんな恐い顔、もうしなくても、」

 

「ミレイ。……よく聞きなさい」

 

 

 少年を見据えたまま、フォルセは小さな、けれど有無を言わせぬ声色で言い始めた。

 

 

「先に行って、できるだけここから離れて、大人しく待っていてください。これは貴女を想って言っています。……聞き分けるのなら今のうちです」

 

 

 その言葉で、ミレイは悟った。――まだ、安心できる状況ではないのだと。

 

 内心はどうあれ、ミレイはフォルセの判断力には絶対的な信用を置いているのだ。彼がそこまで言うのなら、きっとあの無害そうな子供には何かあるのだろう。

 

 聖職者なんて嫌い。そんな感情を蘇らせながらも聖職者の言葉を信じる。都合のいい自分に気付き、ミレイは複雑な心境になった。

 

 ――が、だからといって素直に引き下がるわけもなく。

 

 

「さっきも言ったけど、あたしはあなたから離れる気なんて、これっぽっちも無いわ」

 

「ミレイ……!」

 

「怖い顔したって無駄よ。あたしは逃げないし、理解しなくていいって言われても無理やりするわ」

 

 

 ミレイは神父との間に感じた透明な壁を壊すため、一石を投じる。

 

 

「どうしても聞いてほしいなら、まずあたしを納得させてちょうだい」

 

「納得、ですか」

 

「なによ。あたしと話すの……そんなにイヤ?」

 

「嫌だなんて、そんなことは……」

 

「だったら話せるでしょう? ……ねぇ聖職者サマ。あなたは今、何を考えてるの? 何をそんなに恐れているの? あそこにいる子が、なんだって…………あっ」

 

 

 二人が押し問答――というよりミレイの一方的な詰め寄り――をしている間に、少年は彼らのすぐ傍まで歩み寄っていた。

 

 重量を帯びた温い風が、鼻先を通る。

 

 

「おにいちゃん達、迷子?」

 

 

 少年が、どこかぼんやりとした様子で先程と同じ言葉を紡いだ。

 

 

「迷子!? ……あー、言われてみればそう……なのかしら? あたし達、ここがどこかよくわかってないし……」

 

「ここはゲイグスの世界だよ」

 

「ああっ、それならレムの黙示録に書いてあったわ! やっぱりゲイグスって名前の土地なのね」

 

「ちがうよ、ここはゲイグスの世界だよ」

 

「? そ、そう……」

 

 

 妙な言い方に首を傾げながら、ミレイは少年をまじまじと見つめた。頭から足先まで無遠慮に観察するが――どこからどう見ても、普通の子供にしか見えない。

 

 可笑しなところと言えば、両手が見えないくらい長い袖の服を着ているくらいだ。それさえも、服に着られているようで微笑ましい。

 

 

「やはり……………………」

 

 

 頭上から聞こえてきた吐息のような声に、ミレイはえっ、と反応した。

 

 

「聖職者サマ、今なん……」

 

「…………」

 

 

 フォルセは無言でミレイから離れ、少年に近づいた。

 

 当然あるものと思っていた返答が無く、ミレイは息を呑んで硬直した。――何も言われなかった。人に優しい彼のことだ、ミレイがこうもあからさまに狼狽えていれば柔らかな言葉のひとつでも送ってきそうなものなのだが――実際には配慮ある言葉どころか、忠告も警告も、ただの一声さえも与えられず、けれど僅かに開いた彼との距離は、警告以上にミレイの奥深くをざわつかせた。

 

 

(やだ、何でこんなに不安になるのよ……逃げないって決めたんだから、堂々とここにいればいいじゃない。

 ……そうよ、さっきの話が途中だから、こんなにモヤモヤするんだわ。あたしの質問に答えてくれなかった、聖職者サマが悪いのよ……)

 

 

 身勝手だとわかっていながら、ミレイは何かしらの言葉をフォルセに求めた。先程のように理由も述べずに離れていろとでも言ってくれないか、そうしたらまたここに居座る主張をして元気を出すのにと、ミレイ自身が不安から逃れたいがために深く願う。

 

 が、願うだけのそれが届く筈もなく――或いは気付いていてなお何も言わぬのか、彼はその背のみで何かを語るようにミレイから離れていく。

 

 

(さっき聞こえたひとりごと……それが、これから起こる何かに繋がるの?)

 

 

 不安で胸を揺らしながら、ミレイは先程聞いたフォルセの呟きを心の中で反復する。

 

 “やはり、手遅れだったか”――?

 

 

 

「ぼくも迷子なんだ。おにいちゃんに会いにきたんだけど、会えなかった。おにいちゃん達、赤毛のおにいちゃん、見なかった?」

 

「……いえ、森では誰ともお会いしませんでしたね」

 

「そっかぁ。……おなかすいたなあ」

 

 

 ミレイの混乱を置いて会話は進む。

 少年は寂しそうに空腹を訴えながらトコトコ歩き、フォルセの腹に顔を埋めた。

 

 フォルセは憂いの帯びた表情のまま、しかしそれ以上の慈しみを湛えて少年を見下ろした。

 

 温い熱とにおいが伝わってくる。右手で優しく頭を撫でてやれば、甘えるようにくっついてくる。

 

 

「おにいちゃん、いい匂いがする……サンドウィッチの匂いだ。ぼくね、お母さんの作るサンドウィッチが大好きなんだ。お肉をたくさん入れてくれるから」

 

「ふふ。……貴方のその嬉しそうな顔だけで、美味しさが伝わってきますね」

 

「うん。お母さんと一緒にね、いつも食べ物にアリガトウ、って言ってるんだ。……でもね、みんなひどいんだよ?」

 

「みんな、とは?」

 

「ぼくの町の、他のみんなのこと。この先にある、エリュシオンっていう名前の町」

 

 

 エリュシオン。少年の町のものだというその名称を、フォルセは小さく復唱した。

 

 

「ま、町っ? 町があるの!?」

 

 

 町。聞き捨てならない内容に、ミレイが混乱の渦中から復活した。

 

 

「うん。そこの看板にもかいてあるよ」

 

「文字が掠れて読めなかったのよ!」

 

「エリュシオン……変わった名の町ですね」

 

「えっ、どこが? もしかして聖職者サマ、何かわかったの?」

 

 

 ミレイの色々な期待のこもった質問に、フォルセは首を横に振るだけで返答する。

 

 

「ひどいんだよ、エリュシオンのみんな」

 

 

 少年は二人のやり取りに興味を持たず、自分の話を再び開始した。両手は下ろしたまま、小さな頭を、フォルセの腹へぐりぐりと押し付ける。

 

 温いにおいが増す。此処は戦地かと違えそうな程に濃厚な、温いにおいが。

 

 

「お肉をね、嫌いだっていうんだ。ぼくには好き嫌いしちゃだめっていってたのに」

 

「……」

 

「どうして嫌いっていうのかな、どうしてみんな逃げちゃったのかな。わからなかったから、おにいちゃんに聞きにいこうと思ったのにどこにいるのかわからなくて、気付いたら夜になっててずっと夜でお肉はたくさんできちゃって……」

 

「ちょ……お、落ち着いてよ。怖かったのはわかるけど、ねっ……?」

 

 

 宥めようとするミレイの想いは届きそうにない。

 少年の声がだんだんと色を失い、けれどただ一色に染まっていくかのような性急さで口からこぼれ、法衣にぶつかって霧散する。

 

 フォルセの右手が、少年の頭を優しく撫でる。下ろされている左手がゆっくりと閉じ――静かに現れた拳銃のグリップを、握った。

 

 

「っ!? せ、聖職者サマっ、どうして銃、なんか……!」

 

「ひどいよね。ね? みんな、ひどいお肉よね? ねぇ、ね?」

 

 

 ミレイの驚愕の声に、少年の形容し難い上擦った声が重なる。

 

 法衣に埋まっていた頭が天を向く。白目までも赤く染まった幼き双眸が、慈悲に満ちた緑眼とかち合う。

 

 

「……お肉。焼かなくてもこんなに、」

 

 

 少年の両腕がゆらりと持ち上がり、長い袖で隠れていた両の手がフォルセの眼前に

 

 

 

「おいしいのに」

 

 

 ――現れなかった。あるべき五本と五本は既に無く、時間をかけて肉と神経を切り骨を砕いた断面が、双方それぞれ五つずつ。断たれた管から流れる赤は、吹き出すことも地面に垂れ落ちることも無く、細い腕へ巻きつくように伝っている。

 

 フォルセの鼻先を、生温い鉄のにおいと共に焦げた臭いが掠めていった。悪臭ではないが、不快。少年の腕を伝い、衣服に隠れた肌を撫でる赤き道は――成長途中の肉を焼き、至るところから細い煙をあげている。

 

 

「……ひっ!?」

 

 

 その異様な光景に、ミレイは喉奥から小さな悲鳴をあげた。あんなにも逃げないと意気込んでいたにも関わらず、その両足は勝手に後退っていく。これが、これこそが送られ続けていた警告の正体なのかと、動揺などせず少年を撫でたままのフォルセを見て悟る。

 

 

「ねえおにいちゃん」

 

「はい」

 

「おにいちゃんも、食べよう? おいしく、アリガトウして、お肉おなじお肉食べよしよう?」

 

 

 小さな口が開くたび、細長い何かが数本見える。両頬に好物を貯めこむ小動物の如きその面は、本来ならもっと与えたくなる幸福の姿。沢山お食べ、と成長を祈りたくなる筈のもの。

 

 

「……そうですね」

 

 

 フォルセの唇が笑みとなる。

 

 

「いつかの世では、共に」

 

 

 銃口が少年の米神に当てられる。フォルセの右手がいっそう柔らかく優しげに少年の頭を撫で、同時に引き金は引かれ――、

 

 

「――――だ、駄目よッ!!」

 

 

 銃声が、明けを知らぬ夜空に響き渡った。

 

 

 

***

 

 

 夜天に響き渡った一発の銃声――しかし、その弾丸はあらぬ方向へと飛び、役割を果たせぬまま何処かへ消えた。

 

 

「……っ、なにを……!?」

 

 

 フォルセが戸惑いで眼を見開いた。が、すぐさま状況を理解し、己の左腕に突進してきた邪魔者をキッと睨み付ける。

 

 

「――ミレイッ!!」

 

 

 激しい怒りのこもった大声に、ミレイはビクリと肩を揺らした。怯えながらも、フォルセの腕を放そうとはしない。それどころか、絶対解放しないとばかりにより力を込めてくる始末だ。

 

 

 脳天を撃ち抜かれかけた少年は――ミレイがフォルセに掴みかかった直後、その非力そうな身体にはそぐわぬ速さでバックステップし、二人から大きく離れていた。くちゃくちゃと口を動かしながら、赤い両目だけを爛々とさせている。

 

 

「お肉、おいしい」

 

 

 少年はそう呟いて、掴むことを忘れた手をぺろぺろと、ぶちりぶちりと堪能し始める。

 

 遠く離れた場所で己を楽しむ少年を、フォルセは痛ましげな表情で見遣った。そして、ぶるぶる震えながらも決して離れようとはしないミレイに、激しい怒りで染まった顔を向ける。

 

 

「君は……あれほど残ると豪語しておきながら、いざ事が始まれば邪魔をするのか。――一体何のために此処にいるつもりだ!!」

 

「だ、だって、いきなり銃なんか出して、あんなちっちゃい子に向けるんだもの! 止めるに決まってるじゃない……!」

 

「よく見ろ、腐臭と瘴気を漂わせ、自分の肉を喰らうあの姿を!!

 あの子は完全に、“暴走”して…………っ!?」

 

 

 慈悲など無い、憤怒で顔を歪ませたフォルセは――突如我に返り、ミレイを思いきり突き飛ばした。

 

 

「きゃあっ!」

 

「っ、ぐぅッ……!!」

 

 

 ミレイの悲鳴と被さるように呻き声をあげ、フォルセは苦悶の表情で崩れ落ちた。両膝をガクンと落とし、荒く息を吐き、右手で自身の腰辺りを押さえる。

 

 

「いたた……せ、聖職者サマ……!?」

 

「っ、しょ……き、ぐうっ……!」

 

 

 額に汗を浮かべ、フォルセは掠れた声を漏らした。――見れば、大きな針とでも言えるような長さの赤黒い刃が、彼の脇腹を刺し貫いていた。傷口から黒い煙がのぼっている。溢れ出る血が法衣と地面、傷口を押さえる右手をしとどに濡らす。

 

 

「っ!? あ、あたし……そんな、っぁ……!」

 

 

 そんなつもりじゃなかった、聖職者サマが傷付くことを望んだわけじゃ――言い訳にすらならぬ言葉は、ミレイの喉につっかえて出てこなかった。代わりに出てくるのは、事態を打開してくれる魔法のような言葉を探す、未熟な声音のみ。

 

 心配で、けれど恐ろしくて近付けない。触れれば余計に痛みを与えそうで、触れれば自分の行動が間違っていたと認めてしまいそうで――ミレイは泣きそうな表情で、おろおろと立ち往生するしかない。

 

 一方でフォルセは、ミレイの突発的な行動を読めなかった自分を責め、焦っていた。

 

 

(これは、瘴気の塊か……! 抜かった、半端に浄化から逃れたせいで、あの子の暴走は一気に進んでしまったみたいだ。

 っ……くそ、マナの脈を、瘴気が焼いて……っ、……?)

 

 

 痛みに耐えながらも、唐突に疑問符を浮かべる。遠くで立ち尽くす少年を見据えながら、フォルセは苦痛に歪んでいた双眸を大きく見開いた。

 

 

(……瘴気にしては、あまり痛くないな。もとから禁呪の痛みがあるせい、か? ……いや、違う……)

 

 

 視線を合わせたまま、自身の体内に意識を向ける。そして気付いた。禁呪でバラバラになったマナ――否、リージャが、フォルセの意思とは別の動きをして、その力を発揮していることに。

 

 光と闇、そして治癒の効果を持つ力が、持ち主――つまりはフォルセの痛覚神経を柔らかく包んでいる。

 

 あまりに大きな痛みから、リージャはフォルセを守っている――

 

 

(……っ! これか! リージャが残っているのに法術が使えなかった理由……!)

 

 

 怪我の功名とでも言えようか。今この時になってわかった事実に、フォルセは焦りを僅かに消した。

 

 が、だからと言って止まっている暇は無い。フォルセは自身の脇腹を貫いている刃を乱暴に掴む。

 

 強引に引き抜き――かけて止め、片手を背に回して後ろから刃を掴み、

 

 

「ぐっ、ぅ……はぁッ!!」

 

 

 ――“雷撃”を帯び出した片手でバキリと折った。

 

 

「っ!? ほ、法術……!?」

 

 

 どうして、使えないんじゃと驚くミレイを他所に、フォルセは元の三分の一ほどの長さになった刃を腹の側へと引き抜いた。

 

 傷口から血がドプリと吹き出す。体内に瘴気を直接流し込まれたことで、出血が普通よりも多くなっているのだ。

 

 

「あは、なにか飛んでった……ぼくの手から、赤いもの……お肉? あれ無いぼくの、ぁ、?」

 

「はあっ、はっ……っぐぅ……!」

 

「……食べたらうれしいかな? おにいちゃんのサンドウィッチおいしそう、おいし、お肉……アリガト……あれ? あれ?」

 

 

 少年は小首を傾げ、歳相応に笑んだ。あまりに無邪気な姿だが――その腕から固形となってカランカランと落ちる血が、少年による攻撃があったことを物語っている。

 

 

「う、なによ、なんなのよ……! そんなことして、ああ、あんなこともして、なんで笑ってられるのよっ!!」

 

「っ、はやく……」

 

「え、聖職者サマ?」

 

「早く……浄化、しなければ……」

 

 

 常の柔らかさなど欠片も存在していない顔で、フォルセはゆらりと立ち上がった。翡翠の両眼がうっすらと淀み、瞬きひとつで澄んだ光を灯す。

 

 

「愛情も優しさも、全てが呑まれるその前に! ……今ここで、僕が救ってやらなければ……!」

 

 

 慈悲ゆえ、というよりはどこか必死な様子も窺えるフォルセの叫び。――神父フォルセではなく、フォルセ・ティティス個人のものなのだと、ミレイはどうしてだか思った。

 

 フォルセの脳裏に幼き頃の光景が蘇っていることなど、彼女には知る由もない。

 

 

「女神の名の下、白き浄化を!!」

 

 

 バチッ! 細い音と共に稲妻が弾けた。全身からうっすらと“リージャ”を発しながら――フォルセは血で濡れた右手を払い(抜剣し)、勢いよく地を蹴った。

 

 

「っ!? 待って、聖職者サマぁっ!!」

 

 

 我に返ったミレイの悲鳴にも似た声が背に投げられる。が、フォルセは何も言わず、前方で笑う少年に向かって一直線に駆け抜ける。

 

 

「ぐ、うっ……!!」

 

 

 フォルセの相貌が更に歪む。腹の底から膨れ上がる“痛み”を、気力で必死に抑えつけているのだ。

 

 構えた剣に力を込める。フォルセの命に従って、刀身がバチバチと真白の火花をあげる。

 

 

「いつかの世で……またお会いしましょう!」

 

 

 刃が爆ぜる。眩きリージャの雷が、枝葉の如く萌え盛る。

 

 慈しみと必死さを孕んだフォルセの叫びに、少年は五指を失くした両の手を広げ、喜びを。

 

 

「うん。ありがとう、おにいちゃん」

 

「――招雷閃(しょうらいせん)!!」

 

 

 聖なる雷を伴った渾身の突きを、フォルセは躊躇無く、少年へと放った。

 

 

 




2015/08/28:完成
2016/12/10:加筆修正
2016/12/10:ハーメルン引越し

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。