テイルズオブフェイシア ―己が神を信ずるRPG―   作:澄々紀行

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Chapter10 火はいつ何時昇るのか

 

 相も変わらぬ夜のもと、森を吹く風が少しずつ冷えていく。

 

 遠くで(ふくろう)がホウホウ鳴いている――これからもっと寒くなる、動くか寝るかはっきりしろ、そんな風にでも言いたげだ。

 

 

「…………、思ってた以上に面倒臭いことになってた」

 

 

 先程まで草木を掻き分けていた赤毛の男は今、森を続く道を全力で歩いていた。背にどんよりと怠惰な空気を纏い、しかしやらねばならぬことがあると自覚しているため、スタスタスタスタと懸命に急ぐ。

 

 予定外のあれやこれやが、男の頭をキリキリ悩ませていた。誰かが褒めてやれば少しは浮上しそうなものだが、残念ながら周囲の魔物や動物たちは、みんなグースカ狸寝入り中である。

 

 

「“あいつ”が黙示録を手に入れてこっちに来たんだと思ってたが……まさか“異端”が所持者になってるとはな。女神の試練に異端者が関わるとか……面倒臭い。絶対面倒臭い。“あいつ”だけで良いってのに、はぁ……」

 

 

 男がぶつぶつ文句を言いながら進んで、数分後。道が二手に分かれているところへ辿り着いた。

 

 男の歩いてきた道も含めて三方向に道は分かれ、誘導の為、交差地点に木製の看板が立っている。

 

 

「えーとなになに……『あっちもこっちもそっちも森。出口はあっち。ファイト!』…………、あ゛?」

 

 

 看板を、書いてある通り情緒的に読んで、男は頬をひくりと跳ねさせた。

 

 

「……いやいらねーだろ。誰だこんな無駄な立て看板置いたの」

 

 

 米神に青筋をたてて、男は看板に近付いた。力任せにズボッと引き抜く。相応に重量があるだろうそれを軽々持ち上げ、棒部分の端と端を握る。

 

 

「まあ丁度いいや。せーの、リサイクルっ……とぉ!」

 

 

 ――ブオンッ!

 掛け声と共に空気が鳴いた。男の手によって、看板が勢いよく回転させられたのだ。

 

 

「ふっ……カンペキだ」

 

 

 男は口角を上げ、手に持つ“それ”を満足げに見下ろした。

 

 看板はいつの間にか、男がつい先程破壊したあの木製の杖へと変じていた。看板の表示部分が折れたわけではない。どこをどう見ても、職人の手で一から創られただろう立派な“杖”である。

 

 看板と比べて数倍軽くなった杖をぎゅう、と抱き締めて、男は緩んだ唇に力を入れる。

 

 

「杖ひとつ手に入れるのにだいぶ時間食った。でもこれで、やっとエリュシオンまで飛べる。やっと“あいつ”に会える! 当分森には入らずに済む、かも! 本当に長かった……!」

 

 

 ああでもこの後“異端”にも出くわすんだよなぁ面倒臭い! 感極まりながらも、愚痴はしっかり溢す。

 

 

 男の目的は近道することだった。が、近道には杖が必要だった。杖は男が怒り任せに破壊していた。だから男は、杖を探して森を全力疾歩していたのである。

 

 そして今、彼はようやっと杖を手に入れた。感動もひとしおであった。苦労が大きければ大きいほど、達成の喜びは五臓六腑に満ちるのだ!

 

 が、その必要不可欠だった杖を元は誰がどうしたのかを考えれば――全ては、男の自業自得である。

 

 

「…………おふざけが過ぎたな。さっさと行くか……」

 

 

 昇揚した己をさらりと抑え、男は気構えを正した。先ほど得た杖を掲げ、黄金の瞳を静かに閉じる。――たったそれだけの動きや仕草が、少しばかり抜けていそうな男の本性と、底知れぬ力を滲ませる。

 

 

「自由を求めしゲイグスの地へ、女神が試練の審判者ハーヴェスタが命ずる……」

 

 

 言の葉と共に溢れ出た力が、周囲の気を否が応にも張り詰めさせる。風は止み、夜鳥は黙り、夜は僅かに明けへと進む。

 

 

「恵み、歴史、想い、天災。走者に抱かれし我乞うは、」

 

 

 男の周囲がグニャリと歪み、

 

 

「【ひとひと落ちひと落ちひと落ち落ちひと】」

 

 

 ――一瞬にして、弾けた。

 

 男が命じた通り、気味悪くうねる空間はブワリと広がり、彼の全身を呑み込み、そして消えた。

 

 

 男は唐突に、いなくなった。

 

 

 

 夜風が戻り、(ふくろう)がホウホウ鳴き始める。夜闇に浮かぶ赤毛は何処にもいない。歪んだ空間も見当たらない。男がいたのは事実。消えたのも事実。されどそれを騒ぐモノはおらず。もはや真実かどうかもわからず。それを不安に思うモノは此処にはいない。

 

 木々は相も変わらずざわざわ鳴り響き、夜は一向に帰る気配を見せない。ヒト一人が瞬く間に消えてしまったその事実、驚かざるを得ない筈の出来事を――広大な森はちらりと見ただけで、さほど気に留めはしなかった。

 

 

 

***

 

 

 ――弾切れだ。

 三度目の引き金が虚しく鳴ったのを聞いて、フォルセは左手に持った自動拳銃を手放した。拳銃は地に落ちることなく赤きヴィーグリック言語となり、フォルセの経本へと吸い込まれる。

 

 銀で彩られたその銃は、フォルセが持つもう一つの得物だ。彼のリージャ総量に応じ、連続して気弾を放つことができる――細剣同様、ヴェルニカ騎士にのみ与えられる特殊な武器である。

 

 正確に言えば弾切れではない。リージャさえあれば、弾丸は無数に放つことができるのだから。が、連続で発射できる弾数は使い手――フォルセのリージャ総量に準ずるため、現在の彼では連続で二発程度が精一杯だ。そんな己の情けない状態を、フォルセは無感情に“弾切れ”と表したのだった――。

 

 

 

「ミレイ、下がって」

 

「ふへ?」

 

 

 ミレイの持つランタンの光が、夜の森を淡く照らす。途切れること無く続く長い道、その途中で戦闘は始まった。

 

 膨れ上がる殺意――それに気付いたフォルセの撃った弾丸は、木々の間から飛びかかってきた魔物共に当たった。

 

 狙ったのは二匹の魔狼(ウルフ)。銃弾の一発は一匹の脳天を貫き見事絶命させたが、もう一匹には僅差で避けられる。

 

 

(……参ったな。この重さ、早く慣れないと)

 

 

 道の真ん中で自省しながら、フォルセは迫り来る魔狼へ向けて駆け出し、勢いのまま剣を振り抜いた。小さく舌を打つ。身体が重い。そして痛い。踏み込む毎に、一撃振るうその度に、己の知る感覚とのズレが顕著に現れる。

 

 煩わしい、いちいち軋むな――内心の苛立ちを抑え込み、神父としてあるべき慈悲を携えて、フォルセは何度目かの斬りつけで魔狼の命を摘み取った。

 

 

 次いで、新たに二匹の魔狼が駆けてきた。更にその背後には、鋭いくちばしを持つ巨鳥ガルーダも飛んでいる。

 

 眼を動かし、状況を把握する。剣をしまい、再び拳銃を取り出し、フォルセは群れを見据えてしゃがみこんだ。

 

 

「ま、魔物!? え、ええっと……くらえっ、アサシネイト!」

 

 

 ミレイは慌てふためきつつもナイフを飛ばした。伏せたフォルセの頭上を通り、魔狼をも抜け、ガルーダの片翼を刺し貫く。

 

 鳥特有の甲高い鳴き声を耳にフォルセは銃を撃ち、動き回る二匹の魔狼の脳天を飛ばした。

 

 

「さらにっ、ファングドライブ!!」

 

 

 風のマナを周囲より集め、ナイフに乗せて前方に飛ばす。

 

 ミレイの狙い通り、ナイフは初手以上のスピードを以て空を飛び、ガルーダの胸部に深々と突き刺さった。旋風が巻き上がり、両翼と胴体を無残に引き裂いていく。魔狼同様マナに還ったガルーダを見つめ、ミレイはやった! と歓喜の声をあげた。

 

 

(いや、まだいる……)

 

 

 撃ち終えた銃をしまい、フォルセは両足をばねのように動かし跳んだ。腰を捻り、道に沿って並ぶ森林側へと身体を向ける。そうして立ち上がった勢いに身を任せ、木の陰から飛び出してきた二羽目のガルーダを斬りつけた。

 

 

「うげっ、ま、まだいたの!?」

 

「どうやら複数の群れに遭遇したようですね。……範囲重視、前方へ魔術を!」

 

「うお、りょーかい! ……あたしのとっておき、初披露よ!」

 

 

 ミレイの周囲に濃厚なマナが集い始める。返す刃でガルーダを討ち、フォルセは大きくバックステップした。直後、彼のいた場所に新たな魔狼が襲い掛かり、しかしその前足は無人の地面を抉るに止まる。

 

 

界往波(かいおうは)!」

 

 

 剣を振って衝撃波を放ち、襲い掛かってきた魔狼を吹き飛ばす。大木の幹に叩きつけられたその姿を見送りながら、フォルセは一度体勢を整え直した。

 

 ――魔物の気配があと二つ。猪型の魔物サイノッサスが二匹、草陰から現れた。

 

 一匹はその場に留まり、もう一匹が勢いよく走り出した。ずんぐりとした見た目に似合わぬ強力な突進だ。鼻の両脇から伸びた牙が、フォルセの身体を貫かんと向かってくる。

 

 ミレイの術まであと少し。フォルセは剣を引き、下段に構え、己のリージャを集わせて、

 

 

(……っ!? しまった……!)

 

 

 ――焦りの表情を浮かべて斬り上げた。ぶれた体勢のまま放った攻撃が、サイノッサスの牙によって容易く弾かれる。

 

 うっかり、と言えばそれまでだが戦闘においては致命的――己のリージャが応えぬことを完全に忘れ、フォルセは法術を交えた剣技を出そうとしてしまった。

 

 剣と拳銃の弾丸は出る。障壁も薄いがどうにか使える。が、それ以上の法術、法剣といった、少量のリージャを消費する術技は未だ使えない。頭ではわかっているのに、身に染み付いた経験が邪魔をする。――フォルセの苛立ちが、冷えた背筋に反して胸中を沸騰させる。

 

 狼狽えている暇はない。サイノッサスは、もう一匹いる。

 

 剣を弾いた牙の持ち主は後退し、もう片方が同様に牙を剥いて突進してきた。狙いは無防備な横腹――避けられぬとわかってしまう体勢のまま、フォルセは眼だけを端まで動かす。

 

 

「――ぐ、うっ!!」

 

 

 身体を無理に捻った結果、横ではなく前から突進を受けた。牙は避けきったものの――腹の鈍痛に呻きながら吹っ飛ばされ、それでも意地でどうにか着地する。

 

 

「猛火激烈、天まで届け……!」

 

 

 ミレイの詠唱が漸く完了する。対象は二匹の猪。これで終わるか――否、フォルセの視界の隅から、倒しきれなかった魔狼が顔を出した。ミレイの術の範囲外だ。自身の腹を押さえながらそれを知り、フォルセは落としかけた剣を持ち直し、地を蹴った。

 

 

「焼き尽くせ、フレイムピラー!!」

 

 

 サイノッサス共を囲うように、地面から幾本もの巨大な火柱が勢いよく立ち昇った。『マナの扱いは得意』というミレイの言葉を体現するように、火は周囲の木々に燃え移ることなく、二つの巨体だけを容赦なく焼き焦がしていく。

 

 

「――――っ、く……!」

 

 

 攻撃態勢に入っていたフォルセがひゅっ、と息を呑んだ。眼前には魔狼、十数歩先には己に無害な炎の柱――心底で冷たい“何か”が顔を出し、血の巡りに乗ってフォルセの神経を一斉に撫で上げる。

 

 全身をフッと投げ出される感覚が、フォルセを襲う――

 

 

(不調の原因がひとつ、認めるしかないここまで堕ちたと……ああ本当に、煩わしいッ!)

 

 

 それこそ炎のような怒りで殺気立ち、フォルセは咄嗟に刃先をずらした。真っ直ぐ突き出された剣が魔狼の犬歯を砕き、その喉奥を刺し貫く。――剣が横に払われる。肉の内側への容赦ない攻撃によって魔狼は絶命し、炎柱の跡に残ったものどもと同じように、マナの粒子となって還っていった。

 

 

 敵意は消え、またやってくる気配ももはやない。数個の群れと遭遇したその戦闘は、それで漸く終わりを告げた。

 

 

 

「――、はぁっ……はっ……」

 

 

 フォルセの右手から、剣がするりと落ちた。刃が地に着くその前に、赤きヴィーグリック言語となって経本にしまわれる。剣を収めるのは、本来なら周囲を確認してから行うものだが――今の彼に、そんな余裕は全く無い。

 

 烈火のごとき怒りは消え、代わりに顔色は青白く、表情と言ったものを一切削げ落としている。

 

 動悸を抑えようと努める。詰めていた息を吐いては吸い、吸っては吐いて、短い間隔で呼吸めいたものをする。

 

 

「……っ、う、う……」

 

 

 喉奥を震わせて呻き、フォルセは口許を両手で覆った。頭を僅かに下げ、苦しげにピクン、ピクンと肩を揺らす。

 

 

「ふうー……あ、あんなにいっぺんに来るなんてヒキョーよ! こっちは忙しいんだからほっといてちょうだい!

 ……で、どーしたの、聖職者サマー?」

 

 

 ミレイが、口の割には足取り軽く近寄ってきた。背を向けているためか、フォルセの現状には気付いていない。

 

 後方支援に徹していたとはいえ、結構な疲労を感じているだろう。が、そんな素振りは微塵も見せず、ミレイは御機嫌そうに笑っている。それほど信頼し、気を許しているのだ――〈神の愛し子の剣〉であるフォルセに対して。

 

 

(ああ、応えないと。信頼されているのだから、応えないと……)

 

 

 込み上げるものを無理に飲み込み、焼けた喉を押さえつける。どんな姿が“己らしい”か考えて、表情筋を動かして、フォルセはもう一度だけ深く呼吸した。

 

 

 

***

 

 

 先程の戦闘は大変だった。魔物があんなに現れるとは思ってもみなかった。

 

 だが、ミレイは不安など感じていなかった――心の底から信頼しているヒトが、共に戦ってくれていたからである。現にその信頼通り、襲ってくる魔物の殆どはそのヒトの剣によって討ち倒されていたし、ミレイ自身も彼の指示に従っていただけだった。先程だけではない。これまでに発生した戦闘は全て彼――フォルセに導かれるように、終えている。

 

 

『投げナイフを得意とするのですね、丁度いい。私が合わせますので、貴女は指示通りに、それ以外では御自身のペースで攻撃してください。

 ただし、近付かれた場合は距離を取ること。必ず……相手との間に私を挟んで対峙してくださいね』

 

 

 聞こえは悪いが、要は任せきりであった。ミレイはそれを嬉しいと思いこそすれ、悪いとは思わなかった。〈神の愛し子の剣〉の彼なら、何でも信じられる。導いてくれる、だって黙示録に読まれた〈神の愛し子の剣〉なのだから。

 

 そんな思考でここまでやって来た。

 

 だから先の戦闘後、フォルセが自分に背を向けたまま微動だにしなくとも、何も気に留めることは無かった。どうしたの、さあ先に進もう、出口はきっともうすぐよ。そんな想いを込めて声をかける。

 

 一息おいて、真白の背がくるりと回り、憂いを帯びた聖職者の顔が現れた。

 

 

「……懺悔し、祈っておりました。今、己が奪った命に対して」

 

 

 フォルセは祈りの形で手を組み、笑みを浮かべていた。が、少しだけ影があるようにも見える。きっとこちらを向くまではいかにも祈っています、といった表情だったのだろうと、ミレイは心の片隅で思う。

 

 

「祈り? ……さっきの敵に?」

 

 

 ミレイは浮かんだ疑問をそのまま口にした。別に命を尊ぶ行為が珍しいのではない――むしろフォルセが“何者”であるのかを考えれば、至極当然の行為と言えよう。

 

 今、ミレイが言いたいのは――“何故その祈りを今になって行うのか”である。

 

 

 

 目覚めた場所での休憩を終えた後のこと――二人は、深い森の中を続く道を歩いていた。フォルセが見たという、荷馬車が通っていった道である。

 

 石ころが転がる道とはいえ、自然そのままの木々の間を歩くよりかはだいぶ楽だった。加えて、車輪の跡が道案内のように続いていたため、何度か分かれ道に行き着いても正しいだろう道を進むことができている。

 

 それよりも問題だったのは、現れる魔物の多さだった。個々は大したことのない強さでも、頻度で攻められては疲労も募る。そういう意味では、道を通るのも大変ではあるのだが――迷ってしまっては元も子もないので、魔物が出ようとも道を辿らざるを得なかった。

 

 だが、途中で何度かの休憩を取ることはできていた。道から伸びていた幾つかの獣道が、そのままテントひとつ広げられそうな空間に繋がっていたのである。

 

 どうやら其処は、旅人が幾度も利用した場所のようだった。かすかに寝泊まりの跡が見え、同時に周囲の理性ある魔物の視線がジトッと感じられた。せっかく避けられている戦闘を増やすわけにはいかないと、二人はそれはもう静かに穏やかに休憩した。

 

 ――因みに。最初、目覚めた場所での休憩中のことだ。

 

 ミレイの腹の音を抑えるべく、フォルセは幾つかの野菜とベーコンを使ったサンドウィッチを作った。程よい塩味が売りの薄切りベーコンを、経本に入れた当時のままのみずみずしさを保つトマトやレタスで挟み込み、それをグラツィオ商店通りのパン屋で生まれた麦の香る逸品で更に挟む。他に味付けはしなかった。実は結構味の濃いベーコンを考えればそれだけで充分だと、フォルセは経験上知っていたからだ。

 

 謙遜と共に出された食事を前に、ミレイの口内にはこれでもかとばかりに唾液が溜まった。結果、彼女は蕩けそうな顔つきで、フォルセの四倍ほどの量をぺろりと平らげた。その外聞など知ったこっちゃない幸せそうな食べっぷりに、フォルセは嬉しい一方で思わず引いてしまったのだが――まあ、仕方あるまい。

 

 閑話休題。

 

 運にも恵まれ、けれど戦闘は多い。それでもなお問題もなく進み、二人の連携もそれなりに形となってきた――そんな時、あの複数の群れといっぺんに遭遇する、という厄介極まりない戦闘が起きたのだった。

 

 

 

 両の手の指を交互に組み、まるでそこが教会であるかのような佇まいでフォルセは祈る。何かに耐え、そして鎮めるような横顔だ。ミレイにとって、その姿はここに至るまでで初めて見るもの――だからこそ、“今更”という感が拭えない。

 

 

「そりゃあ数は多かったけどさ、ここに来るまでだって何度か戦ったじゃない。それとも、あたしが気付かなかっただけで、もしかして……戦闘の度に祈ってたの?」

 

「心の中では。こうして貴女の前で祈るのは……此度が初めてです」

 

「ふうん、さっきの戦いで何か特別なことでもあったの?

 ……っていうか、結局倒さなきゃいけない相手には変わりないんだから、いちいち祈っててもしょうがないと思うんだけど」

 

 

 ミレイにとっては当然の疑問だった。わざわざ現れて邪魔をしてきたのは向こうの方。自分達はただ身を守るために戦っただけなのだから、その都度心を砕いていては身がもたない――苦々しい表情で雄弁に語る。

 

 

「……私が彼らの命を摘み取ったのは、ひとえに彼らを“救ってやりたかった”からです。女神の御許で不浄を払い、そしていつかの世では愛し合える存在になりましょう、とね」

 

「それは、女神フレイヤの教え?」

 

「教えを噛み締め、尊び、広げた結果……とでも言いましょうか」

 

 

 女神の教えそのものではなく、あくまでも教えを自分なりに解釈したがゆえの行動だとフォルセは語る。が、その言い様や彼自身の立場を考えれば――フラン=ヴェルニカ教団では珍しくない、むしろ一般的な行動なのだと知れる。

 

 

「ですから、私……いえ、我ら女神に仕える者共は、たとえ守るためであっても、慈愛をもって奪う命と向き合わねばなりません。ですが……」

 

 

 手を組んだまま、フォルセは憂いを漏らすようにほう、と息を吐いた。

 

 

「情けないことに、先ほど少々己を見失ってしまいました。想いを伴わず、ただこの身が動くままに命を奪ってしまった……そのようなこと、決してあってはならないというのに」

 

 

 最後の最後で、動揺が慈愛を押し退けた。救うべき命は慈しみの乗らぬ剣によって惨く貫かれ、しかし他の者達と全く同じように星へと還っていった。

 

 死に様は一瞬、結果は他と変わらぬのかもしれない。だが、僅かでもあるべき姿を見失ったことを、フォルセは深く恥じていた――恥じなければ、ならなかった。

 

 愛を謳う女神に仕え、その教えを信じるからこそ、いつ何時たりとも慈愛を忘れてはならない。忘れ、本能のままに剣を振るっては――それこそ“魔物”と言われても仕方がない。そんな風にさえ、思っている。

 

 

 己を恥じ、奪った命へ懺悔と祈りを捧げる。それが当然と言いたげなフォルセの姿を――ミレイは理解できない、けれど理解しようと悩む、そんな複雑な表情で見つめた。心の有り様がそんなに重要なのか、いつもそんなので辛くはないのかと、“異端”と称する頭でぐるぐるぐるぐる悩みだす。

 

 

「……うう、駄目。やっぱりわからない」

 

 

 諦めきれぬ苦しさと、理解できない悔しさと、訳のわからぬ考えに染まらなかったかすかな喜びを混ぜた表情で、ミレイはポイと匙を投げた。が、できることなら理解したいのだ――己が信じる〈神の愛し子の剣〉であるフォルセと僅かでも意識を共有できていないという事実は、とても、とても恐ろしいことのように思えたから。

 

 

「だって命がかかってるのよ? 気を抜いたらこっちがやられちゃう。……相手のことなんて、考えてる余裕無いわよ」

 

「それではならないのですよ。……女神はいつだって、どこでだって我々を見ていらっしゃるのですから。

 ……ああ、いえ、すみません」

 

「え?」

 

 

 理解に苦しむミレイを慈悲に満ちた瞳で見遣り、フォルセは小さく笑った。

 

 

「これは、我々が戒めねばならぬこと。……貴女が気に病む必要はありませんよ」

 

 

 ――貴女は、貴女が信じるままにいきなさい。優しい優しい神父の顔が、そう告げた。

 

 

「……っ、っ!? なに、よ。それ……!」

 

 

 思いも寄らぬフォルセからの“肯定”に、ミレイは声を震わせた。荒んだ心を慰めるような、柔らかな神父の顔――しかしミレイにとって、それはどうしてだか透明な壁の向こう側にあるような、そんな気がしてならない。

 

 不快、心外、焦燥、苛立ち――あらゆる負の想いがない交ぜになっているミレイを、フォルセは表情ひとつ変えずに“見守っている”。その優しげな面さえも、今は彼女の不快感を煽るだけだ。わかっていながら、フォルセは微笑みを絶やさないようだった。

 

 

「女神とか、教えとか、あなたにとって大事なものなんでしょ? だったらなんでもっと、」

 

「貴女には、他に信じるものがあるのでしょう。ならば私から申し上げることはございません。

 ――“異端”なら“異端”のままで良いのです。悩む必要はない。影響される必要はない。私は教えを強要しない」

 

「っ…………」

 

「……、足を止めて申し訳ありませんでした。もう結構です、そろそろ行きましょう」

 

 

 柔らかく包むような微笑で断ち切り、フォルセは法衣をなびかせて歩きだした。

 

 

 前へ進んでいく立派な聖職者の背を、ミレイは苦々しく見つめる。

 

 

「……なによ。結局見捨てられるの? 期待なんてされないの? “あなた”なら、もしかしてって思ったのに……」

 

 

 抱きしめていた信頼を割り落とし、ミレイは胸中から指先までを失望で凍らせた。信仰を押しつけられずに済んで嬉しい筈、だのに手酷く突き放されたような不快感が募る。もっと言葉を尽くしてくれても良いのにと、引かれた境界線を忌々しく思う。

 

 

異端症(ヘレシス)相手には、歩み寄る気すら起きないのね。こっちがどんなに理解したくても、全部全部優しく尊重して、決して一緒にはなってくれないのね……!

 したい、されたいとか、そう思いたいだけなのに。……やっぱり、聖職者なんて、」

 

 

 ――“嫌い”と言えればどれほど楽か。彼が黙示録に関係しなければどれほど良かったことか。

 

 どれほど失意に落とされても、ミレイは自分の目的のため、レムの黙示録を――〈神の愛し子の剣〉として読まれたフォルセを、信用しなくてはならない。

 

 ミレイが抱く信用は、願いのために必要不可欠な鍵。義務と言ってもいいものだった。だからこそ、それを否定したくてもできない現状に苛立ち、それを気持ちよく実施させてくれないフォルセに対し、考えるより先に怒りを覚える。

 

 自分が何を口走っているのかもわかっていない。

 

 失望が、己の芯とぶつかり合う。その気持ち悪さと醜さに顔を歪ませて、ミレイは重い足取りで聖職者の背を追っていった。

 

 

 

 ――――

 

 

 ――

 

 

 

 後方にて光るランタンの灯は、視界を照らすにはやや遠い。それでも既に慣れた眼で夜の道を歩き、神父は疲労のこもった息を細く長く吐き出す。

 

 左手で、右の腕を掴む。どちらがどう震えているのかわからない、どんどんと酷くなっている。今すぐ剣を持てと言われたら、恐らくは抜いた瞬間どこかに吹っ飛ばしてしまうだろう。ただ握るだけの動作にすら自信を失うほど、彼の両腕は力無く震えている。

 

 僅かな打開策はあった。せめて戦う時だけでも現れなければ、もしかしたら耐えられるかもしれない。が、それを成すには同行している彼女の協力が必要不可欠だ。やはり無理だと神父は嘆息する。ただでさえリージャが使えぬと告げてしまっているのに、これ以上心配事を増やさせたくはない。

 

 後ろで歩いている同行者を気にすれば、結構な距離が開いてしまったことに気付いた。無意識のうちに、歩く速度が上がっていたようだ。はぐれてしまっては元も子もない。言うことを聞かぬ身体へ強く命令し、少しずつ歩みを遅くする。縮まる距離に、また腕の震えが強まった。腕だけではない。禁呪で痛む全身が、気を抜けば逃げ出してしまいそうなくらいの力で神父の意思に抵抗している。

 

 震える。震える。身体が、だなどとはもはや言えない。身体も、その中身の心までもが、震えて震えて仕方が無い。耐えられない。耐えなければ。乗り越えなければ。昔のように。越えなければ。――どうやって?

 

 ああ、と神父は思い出した。そうだ、自分は昔も震えていた。その時からだ、女神の愛を乞い願うようになったのは。願って、祈って、ようやく乗り越えた頃には、少しばかり愛を語れるだけの人間になっていた。自分が女神の愛に救われたから、今度は誰かが救われることを望むようになった。その結果がこれだ。後悔はしていない。けれどまた震え出すなんて考えてもみなかった。恨めしい。憎たらしい。煩わしい。腹立たしい。全て、己に向いている。

 

 リージャが無くなったから、このような情けない状態になってしまったのだろうか。わからない。けれど、だからと言って信仰心までも失ったとは思っていない。この身に宿るは女神の従僕としての心。導かれ、導いて、そうして女神の謳う愛の軌跡を紡いできたという確かな記憶。思い起こせば頬が緩み、禁呪の痛みすらもうっすらと揺らぐ。それほどの喜びを感じてきた。それほどの愛を繋げてきた。

 

 ならばどうするべきか。わかっている。己はただ、信仰心に従って歩むのみ。抱く意義のまま、女神の謳う愛を紡ぎ続けることこそが、己すらも救う道に違いない。

 

 だから、と言うわけではないが。救うべき、導くべき者がすぐ近くにいるのもまた現状。異端と称す彼女は、自分に信頼を寄せてくれている。大切にしなくてはならない。出来うる限り導いて、助けてあげなければならない。

 

 義務感が、震えを殺す――

 

 先程彼女へ告げた言葉は、そんな神父の想いからきたものだった。教えにより戒められるのは自分達だけ、異端は異端のままでいい。影響される必要は無い。自分は何も強要しない。だからそのままでいてほしい。そのまま、その芯を揺らがせることなく存在して欲しい。頑張る弱者でいてほしい。異端は、女神を信じぬ異端者は、その意思が正しく機能しているだけで、愛おしい奇跡と言えるのだから。

 

 背後で、ランタンの揺れる音が聞こえた。徐々に近付いてくるその音に神父が身体を強張らせていると、隣に彼女が現れ、そしてそのまま走り去っていった。何か言っている。出口、そう出口だ。道の先にて見えた外の光景に、彼女は耐えきれず向かっていったようだった。

 

 早く、と彼女が言っている。なんとなく硬い声色に思えるが、やはり疲れているのだろうか。なるべく負担をかけぬように動いていたつもりだったが、上手くいかない。情けない。負の感情に頭をやられそうになる。

 

 腹に力を入れ、神父は詰まっていた息を吐き出した。やはり、酷くなっている。擦れ違っただけで、あの程度の大きさのものが寄って来ただけで、身体は震え上がり、心の臓は壊れたように暴れ出す。

 

 応えなければ。信頼されているのだから、応えなければ。応えなければ、こたえ

 

 

 

 

 

 ああ駄目だ。やっぱり震える。

 

 昔のように、あの頃のように、フォルセ・ティティスは心の底から――火が怖い。

 

 

 




2015/06/22:完成
2016/12/06:加筆修正
2016/12/06:ハーメルン引越し

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