テイルズオブフェイシア ―己が神を信ずるRPG―   作:澄々紀行

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Chapter8  夢と現に燃える火

 

 核を中心に炎や水を纏う魔物――魔精生物と呼ばれる種は、物理耐性も然ることながら術に対する守りも堅いものが多い。とはいえ弱点属性もわかりやすい、或いは核さえ破壊すれば消滅するため、人によっては相性の良い者もいるだろう。

 

 火に対するは水だ。他の生物と違い、魔精生物は基本的な相性に沿った弱点と耐性を持つことが常である。しかしフォルセはその身のマナを殆どリージャへ変換しているため、地水火風の術は使えない。使えるのは光、そして闇のみだ。

 

 油断があったと、フォルセは自嘲する。明確な弱点を突けないとはいえ、水と性質の近い闇の術でも使っていれば、こうも無様な姿を晒すことは無かったかもしれない。後悔する余裕は無いが、それでもせずにはいられないと、フォルセは胸中に闇の力を練り上げながら、剣を構えて飛翔する。

 

 

閃空裂破(せんくうれっぱ)!」

 

 

 身体を捻り、回転しながら核を斬りつける。炎をも巻き込み、さながら自身が炎の竜巻にでもなったかのように勢いよく飛んだ。鋭く食い込んだ刃は黒い核を確実に捉え、大きな破片を飛び散らせる。己への怒りも混じった連撃だ。普通以上に力が入っている。

 

 宙に留まったまま、フォルセは核へ素早く切っ先を向けた。回転の余力と共に振り抜き、近付いてきた核へリージャの弾丸を連続発射する。炎の勢いが僅かに弱まった。ダメージは確実に与えられている。

 

 

「氷槍鋭利……アイスランス!」

 

 

 ミレイの声だ。燃え盛る炎の中、僅かな水のマナを集束させ、鋭利な氷柱を発射した。切っ先が核を捉え、炎と揉み合いあって蒸気と化す。やはり弱点は水属性だったようだが――核が逃れていればフォルセに当たっていた。少なくとも誰かとの共闘は不慣れなようだと、フォルセは心の片隅で苦笑する。

 

 

「その闇は汝の罪業を翳すだろう――出でよ、冥府の暗色。……静かに呑まれよ! デルタパージ!」

 

 

 フォルセの詠唱に応じて、暗黒の球が三つ、対象たる核の上空に出現した。光の法術〈レイ〉と同程度、しかし孕む力は闇属性の攻撃だ。水属性に近い、冷気を纏った攻撃を選んだ、ということである。

 

 夜闇に呑まれそうなほどに深い色の暗黒球は、フォルセの命に従って順に落ち、爆ぜて凝縮する。燃え上がる炎を呑み込み、同時に静かな冷気を以て核を抉り、球は消えた。

 

 形だけは綺麗な球状となっていた核も、今や削られ、抉られ、酷く歪な形となっていた。その禍々しさは弱まらないが、それでも炎の燃え上がる間隔が徐々に伸びている――消滅の兆しが見えてきた。剣を持つ手に力がこもる。

 

 核が揺らいだ。炎が再び放射され、ミレイの悲鳴が遠く響く。フォルセは剣を構え、障壁と共に己を守りつつ空中にて体勢を整えた。

 押し退けられる。背後に人工灯の支柱が迫る。が、もはや無様に背で受けなどしない。高所からの着地の如き要領で、フォルセは支柱にダンッ、と足を着けた。

 

 

「……っつ、」

 

 

 支柱が曲がるほどの衝撃が全身を襲い、フォルセの表情が痛みに歪む。だが想定内だ。己をまるでバネのように縮ませ、神聖なる闇を奥底から膨れ上がらせる。

 

 

「はぁあああっ……!」

 

 

 ミシミシと軋む人工灯を地面とし、猛烈な炎を押し返すように――飛び上がった。

 

 

「――マーシフル、ドライブ!!」

 

 

 全身に闇の波動を纏い、燃え盛る炎を消し飛ばしながら突っ込んだ。背に痛みが走る。僅かに勢いは落ちたが、それでもフォルセの突進は核に直撃し、吹っ飛ばした。

 

 核に大きなヒビが入る。その表面を地割れのように走り、広がり、そしてついに――粉々に砕け散った。

 

 

 

***

 

 

 比較的安全な場所に居つつ、ミレイは不機嫌そうに頬を膨らませた。

 

 

(け、結局殆どなんにもできなかったわ……もうもうっ、無理やり居残ったのにカッコ悪いじゃない!)

 

 

 気恥ずかしさも相まって、ミレイはぷりぷりと怒った。ミレイとしては、助けてもらった礼としてかっこよく援護したかったのだ。が、逆にフォルセと自分との力の差を見せつけられたようで、嬉しいと同時に辛い。

 

 しかし、そんなミレイの不機嫌は、降り立ったフォルセがそのまま崩れ落ちるように膝を着いたのを見て、多大な焦燥へと変わった。

 

 

「聖職者サマ……! や、やっぱり大丈夫じゃないんじゃない!」

 

 

 ミレイが大急ぎで駆け寄れば、大きく息を吐き出すフォルセと目が合った。戦闘の余韻が残っているのか、それとも苦痛ゆえか、その表情は酷く険しい。だがそれも一瞬。ミレイを認めた途端、フォルセは神父らしい優しげな笑みを浮かべた。

 

 

「……大丈夫ですよ」

 

「どこがよ! そ、そうだ……回復にはグミ、グミ」

 

「……、結構です。今なら、治癒に割ける時間くらいあります」

 

 

 フォルセの手に剣は無い――再びヴィグルテイン化し、経本に封じたのだった。フッと息を整え、フォルセは詠唱に入る。治癒術を使おうとしている、邪魔をしてはならないと、ミレイは慌てて口を噤んだ。

 

 ミレイの気遣いに笑みを深くし、しかしフォルセはすぐに険しい顔に戻って詠唱を始める。

 

 

「傷付きし(われ)に祝福を与えん」

 

「……」

 

「ヒール。…………は、」

 

 

 仄かな光がフォルセの身体を包む。主に背を中心に、痛みが急速に引いていった。後に残ったのは治癒術特有の微細な倦怠感。細く息を吸い、怠さと共に外へ吐き出す。

 

 それなりに高度な治癒術を使った。やはりダメージは大きかったらしい。フォルセは曇った面のまま、前方を睨み付けた。

 

 

「ミレイ。……これを」

 

 

 視線も交わさずにフォルセは腕を差し出した。その手にあったのは、汚れ一つない白い表紙の本――レムの黙示録。容赦の欠片無く攻撃しておきながら、キチンと取り戻していた。

 

 

「あっ……やだ、すっかり、」

 

 

 忘れてた、とは流石に言えず、ミレイは居心地悪そうに、だが嬉しそうに黙示録を受け取った。

 

 

「ありがと。……もう、お礼は言えたけど、借りの方は返すどころかどんどん増えていくじゃない!」

 

「ですから、私は気にしていませんよ」

 

「あたしが気にするの! ……そうだ!」

 

 

 良いことを思いついたと言いたげな笑顔で、ミレイは周囲を覆う炎へと注目した。普通なら慌てるところだが、彼女には此処から無事脱出できるという自信があった。

 

 

「結構燃えてるけど……でも大丈夫、あたしに任せてちょうだい! これでもマナの扱いは得意なんだから!」

 

「……先程も魔術で助けてくれましたね。ですが、辺り一面火の海で逃げられない、ともおっしゃっていませんでしたか?」

 

「そ、それは……そうでも言わないと此処に残れないと思ったからで……ああもうとにかく、」

 

 

 「あなたの術に頼らなくても、片っ端から消火してあげるから!」その手に水のマナ特有の冷気を纏わせながら、ミレイは高らかに宣言した。大切であろう筈のレムの黙示録をぶんぶん振り回している。存外たくましいその姿に、フォルセは安堵の笑みを浮かべた。

 

 

「それは、安心できますね」

 

「でしょ? ふふん、あなたは休んでて良いからね。これっくらいで返せるとは思わないけど……ちょっとくらい役に立たないと借りなんてとてもとても返せな、」

 

「でしたらその力で――今度こそ逃げてください」

 

「……え?」

 

 

 高揚する心境へ自分こそが冷や水を浴びせられ、ミレイは眼を丸くしてフォルセを見つめた。彼の翡翠の瞳は相変わらず前方――燃え盛る花壇の方を向いている。その手にはいつの間にか、封じた筈の剣が存在していた。

 

 

「せ、聖職者サマ? 何でまた剣……」

 

「――あれだけ攻撃して、まだ浄化できない」

 

 

 フォルセの呟いた言葉に、ミレイはポカンと口を開け、次いで顔色を徐々に青くしていった。黙示録を強く抱き締め、まさかまさかと震え出す。

 

 

「これ以上被害が広がらぬよう、手早く終わらせるつもりだった。今度こそ油断していない。……本気、だったんだけれどね」

 

 

 自嘲を通り越した渇いた笑みを浮かべ、フォルセは剣をゆっくりと構えた。ミレイも恐る恐る視線を向ける。

 

 

 ――黒い気配が、そこにはあった。

 

 

 庭園を焼く炎が揺らめき、集束していく。粉々に砕け散った核の破片が浮き上がり、赤黒く禍々しい気を発して一つとなっていく。

 

 燃え盛る炎をも呑み込み、核は再び美しい球状となって、復活した。

 

 

(凄まじいほどの再生能力……細かな粒も残さぬほどに消滅させねばならない、ということか。厄介だな)

 

 

 予想以上のしぶとさに、フォルセは疲労のこもった溜め息を呑み込んだ。周囲は火――熱気が確実に体力を奪っていく。対して相手は再びピンピンし始めた。明らかな劣勢。単身で討とうとした結果がこれだ、助けが来るのは――恐らく、だいぶ先のこと。

 

 

 “女神より出でる力――”

 

 

 背筋が凍る。フォルセは鋭く息を呑んだ。隣に立つミレイも、口を押さえてあっと驚いている。それは黙示録が反応した際に聞こえた男の声。思えばこの炎の魔物は、あの声が響いた直後に現れたのだった。フォルセは警戒を強くする。また何か、起こるのか。

 

 

「ああっ! また、レムの黙示録が……」

 

 

 ミレイの声にフォルセは視線を向けた。レムの黙示録が再び震え、その存在感を大きくしていく。

 

 

「んもうっ、暴れないで! 大人しくしなさいよう!!」

 

 

 もう手放しはしないと、ミレイは振動する黙示録を両の腕で押さえ付けた。赤い光が溢れ出る。頁一枚一枚から、解放を求むように強く輝いていく。庭園を呑みこみかねないほどの強烈な光――、

 

 

 “女神より出でる力が阻む――阻むものは、リージャ――”

 

 

 雑音混じりの男の声には、感情の一欠片すらも存在しない。だが言葉そのものはどこか不穏であり、フォルセは不快げに胸を押さえた。

 

 

(リージャが……体中のマナが震える……何をするつもりだ?)

 

 

 胸中に宿るは意味のわからぬ不快感と、警鐘を鳴らす信仰心。声は魔物のものなのか、何をしでかす気なのか――周囲で好き勝手に踊る火炎に煽られるように、フォルセの思考はぐるぐるぐるぐる右往左往する。

 

 

 “阻むものを抹消せよ――心底より開き、ノックスの下へ世界を繋げ――”

 

 

 雑音が消え、

 

 

 “〈神の愛し子の剣〉よ――”

 

 

 捉えられる。

 

 

 “――夢と現の狭間で、燃え上がれ”

 

 

 火炎に包まれた核が姿を変えた。

 

 

 

***

 

 

「っ!?」

 

 

 火と緋に染まる夜天を見上げ、フォルセは驚愕に眼を染めた。心臓と共に身の内のリージャが跳ねる。ドクリドクリと、速いのか遅いのかわからない鼓動に吐き気すら覚えながら、渇いた息を呑み込む。

 

 

「これは……ヴィーグリック言語?」

 

 

 炎より現れたのは、真白に光るヴィーグリック言語の羅列だった。四方八方、核を頂点としまるで傘のように伸びていく。グラツィオを覆うように遠く、遥か彼方まで列を成し、数多の言葉が空を駆けていく。

 

 ヴィーグリック言語の列は、やがて美しい文様を描き始めた。瞳を忙しなく動かし、フォルセはその意味を理解していく。脳髄の先まで理解が及んだ。フォルセの顔色が青く染まる。

 

 

「……、ミレイ」

 

「へっ?」

 

「早く此処から、逃げなさい」

 

 

 突然名を呼ばれたミレイは、暴れる黙示録を抱き潰しながら気の抜けた返事をした。そして再度――先程よりも強い口調で言われた言葉に、丸い眼をつり上げる。

 

 

「に、逃げないわよ! だって、」

 

「黙示録なら取り戻したでしょう?」

 

「そうだけど、でも……!」

 

「火の海も、乗り越えられるのでしょう?」

 

「……あなたを巻き込んだ責任が、」

 

「貴女の優しさと誠実さはとても嬉しい。ですが、今は此処から一刻も早く逃げてください」

 

 

 言い訳をことごとく潰される。急に頑なになったフォルセの態度にミレイは焦りと不審を浮かべ、だが彼の言葉に反して一歩も動かず、恐る恐る口を開いた。

 

 

「……あれ、なんなの? そんなにヤバいもの、なの?」

 

 

 夜空を覆う無数のヴィーグリック言語。聖なる文字である筈なのに、暗闇を呑むようにうねるその姿は実に薄気味悪い。庭園を焼く炎よりもミレイの不安を煽り、心底より恐怖を覚えさせる。

 

 ミレイの問いにフォルセは沈黙を返した。否、答えを返す余裕も無く、無言で剣を封じ、己のリージャを極限まで練り上げていたのだ。天上に広がる慣れ親しんだ言葉の羅列を睨み付け、忙しなく眼を動かしていく。

 

 

「……ヴィーグリック言語が列を成し、方陣を展開している。あれは法術……いや、魔術の一種だ」

 

「魔術? そういえば、大きくてよくわからないけど……術式と、陣に見える……!」

 

 

 マナの扱いは得意、と言うだけあって、魔術に関する知識は常人よりもあるのだろう。蠢くヴィーグリック言語が、よく見れば魔術発動の際に使用する術式や陣の形状を取っていることに、言われたミレイはすぐに気が付いた。

 

 

「それじゃあ、こんなに広い範囲でなにか魔術が発動するってこと!? マズいじゃない! グラツィオ全部呑み込んでるのよ!? 一体、どんな術が……」

 

「術式から判断はできない、僕も話に聞いたことがあるだけだから。でもあのヴィーグリック言語を読めばわかる。あれは……あれは、」

 

 

 フォルセの掌に、輝く光球が生まれた。

 

 

「リージャを奪う、禁忌の呪文――!!」

 

 

 腕を払いながら鋭く声をあげ、フォルセは光球を空へ飛ばした。濃縮された光が空を駆ける。尾を引くそれは一直線に飛び、ヴィーグリック言語の一文字を破壊した。

 

 調和した方陣がぐにゃりと歪む。文字一つ崩したことで、空を覆う方陣は中央の核へ向けて僅かに収縮した。

 

 

「術式を形成するヴィーグリック言語を崩せば、術の範囲を抑えられる。でも足りない。僕一人では、あれを完全に消滅させるには足りない……」

 

「た、足りないって……」

 

 

 不安げなミレイの声を聞きつつ、フォルセは二つ、三つと光球を放ち、次々にヴィーグリック言語を消していく。が、現状は無理やり術の発動を妨害している状態だ。一つ間違えれば周囲のマナ暴走を引き起こし、グラツィオを一瞬にして消滅させる。ゆえにフォルセの表情は硬く、リージャを練り上げる手も慎重を期している。

 

 

「……方陣の真下だ。少なくとも、此処は確実に術の範囲に入る。だからミレイ、早く逃げ、」

 

「だったら尚更聞けない!」

 

 

 黙示録を更に強く抱き締め、ミレイは怒り混じりに叫んだ。あなた一人置いていけないと、感じる責任や義務ゆえに此処に留まる意志を固くする。

 

 が、いい加減怒りを顕にするのはフォルセも同じことだった。温厚の壁を越え焦りを破り、フォルセは苛立ちのこもった視線をミレイに向ける。

 

 

「……っ、リージャを奪われれば、体内のマナを大いに乱されるだけでなく女神への信心も無くしかねない! それがどういうことか、わかっているのか!?」

 

「わかってるわよそんなこと! あなたを巻き込んだのはあたし! でもあたしは、あれをどうすることもできない! ……あなたに全部押し付けるしか、ないんでしょ!」

 

 

 ミレイの表情が悔しげに歪む。己の無力さに打ち拉がれ、感情をぶつけることでしか語れない現状に怒りを剥き出しにする。

 

 

「いつもそうよ! 結局あたしは何にもできない! 役に立ちたいから、今を変えたいから、……助けたいから旅に出たのに……これじゃあ何にも、何にも変わらない……っ!」

 

 

 ミレイの瞳に、今にも零れ出しそうな程の膜が張られる。唇を噛み締めて俯くその姿にフォルセは苛立ちを鎮めはするものの、胸中の義務感を一層強くさせる。

 

 

「……僕には、信者を守る義務がある。たとえこの身からリージャが消えようとも、女神のため、多くの信心を失わせるわけにはいかない……」

 

 

 数多の光球が天へと飛ばされる。少しずつ収縮したヴィーグリック言語の方陣は、遂にフォルセらのいる炎の庭園を見下ろすのみとなった。流れが止まる。白き言語が気高い筈の赤へと変貌した。空気中のマナが一斉に方陣――その中心に鎮座する核へと集束し、急速にその姿を変えていく。

 

 

「その想いだけで充分だ。君の優しさを、女神フレイヤはしかと見届けただろう。だから、さあ早く――」

 

 

 覚悟を決めた瞳。練り上げた光球の一つを闇へと変えて、フォルセは道を示した。

 

 

「――早く、行くんだ!!」

 

 

 フォルセの放った闇が炎の海を突き抜け、僅かな道を作った。夜空を覆う陣が揺らぐ。発動間近。ミレイから視線を外す。力の解放を望む天の方陣へと向き直り、フォルセは再び己のリージャを放ち始める。

 

 その背を見つめ、ミレイは立ち尽くす。踵を返せば、其処にはフォルセが開けた道があるのだろう。今駆け抜ければ間に合う。が、わかっている。残りたい。残るべきだ。ならば言えばいい。本当はただ一言告げれば済むことだ。わかっている。そう――、

 

 

「……逃げる必要なんて、無い」

 

 

 ミレイもまた、覚悟を決めた。

 

 

「あたしにリージャなんて……女神への信心なんて、無いもの」

 

 

 天へと向けられた手が、ぴたりと止まった。無音が広がる。燃える火の音も、歪むマナの音も止まったかのように、静寂が二人を包み込む。

 

 フォルセの眼が再びミレイへと向けられた。金糸のような髪が垂れ、翡翠が覗く。その表情にミレイは深い後悔を覚えた。聖職者は嫌い、そして恐い――全てはその表情を知っているがゆえに違いない。

 

 

「――――異端症(ヘレシス)?」

 

 

 憐れみを多分に孕み、異質なものと捉え、背徳のものかと告げる、その表情が――、

 

 

「っ!!」

 

 

 無音は一瞬、現実が戻る。弾かれたように上空を向いたフォルセに釣られ、ミレイもまた天を仰ぎ、別への恐怖で顔を染めた。

 

 マナの動きが止まる。気高き赤たるヴィーグリック言語が光となって広がっていく。禁呪の発動――その領域は、僅かにビフレスト大聖堂を呑んでいる。

 

 

「……くっ!」

 

 

 異端を告げた少女を一瞬見るも、そんな余裕は無いとフォルセは思い出す。方陣へ向けて眼を動かし、ある一点を見つける。

 

 

(――間に合え!)

 

 

 そう強く念じ、フォルセは即座に練り上げた光球を天へ放った。到達し、白く爆ぜる。光に混じりかけていた末端のヴィーグリック言語が破壊され、術の領域からビフレスト大聖堂が外された。それが、最後の抗い――、

 

 

 術式が紐解かれる。炎の如き光の奔流が、遂に――降り注いだ。

 

 

 

「っ、ぐッ、あ……ああああああああッ!!!」

 

 

 禁呪による光を全身に浴びる。心底よりガリガリと抉られるような痛みにフォルセは叫び、膝をついた。身の内からリージャが急速に失われる。容赦も躊躇もなく、死神の鎌によって苅り取られるように。膨大な力の喪失によって身体は軋み、燃えるように揺らぐ光の圧力に、その身のマナごと押し潰される。

 

 

「ッ……ぁ、あがっ、うぅ……っ!!」

 

 

 喉奥から搾り出すように苦痛の声を漏らす。苦悶の表情を浮かべ、歯を食い縛り、全身で悲鳴をあげる。これがグラツィオ全土に広がらず、本当に良かった――普段ならそう感じる筈の思考すら痛みに呑まれ、フォルセはただただ無力へと強制されていく。

 

 

「聖職者サマ!!」

 

 

 リージャを、信心を持たぬという言葉を裏付けるように、ミレイは何の影響も受けることなくフォルセの元へと駆け寄ってきた。その表情には怯えが走っていたが、それ以上に――フォルセの身を案じる色を浮かべている。が、それも徐々に絶望へと変わる。状況は先程――フォルセが核を砕いた直後とは大違いだ。声をかけようが肩を揺らそうが、目の前の神父は苦痛以外一切の反応を示さない。

 

 

「あ、ああ……やっぱり、何にもできない……もうイヤ! それを変えたくて来たのに! あたしにも、ああ、“わたし”にも何かできるって、特別な何かができるって、そう思ったから……!!」

 

 

 嫌々と首を振りながらミレイは叫ぶ。水の膜の張ったその眼に、ふと、抱き締めていたレムの黙示録が目に入った。真白の表紙、特別な何かを示すように美しく神聖な――、

 

 

「っ、何とかしてよ、レムの黙示録! 勇者を……“勇者様を呼び出す奇跡の本”、なんでしょう!?」

 

 

 大事な大事な黙示録が今は憎い。全ては己の所為なのか。浮かれた自分は何だったのか。感情だけがごちゃごちゃと綯い交ぜになる。荒ぶるままに、ミレイはレムの黙示録を地面へと叩き付けた――、

 

 

 その時、気を漂うマナが流れを変えた。

 

 

「……! え、なに……!?」

 

 

 突然の変化――激情も忘れ、ミレイは戸惑いの声をあげた。叩き付けられたレムの黙示録、そしてミレイの間に濃厚なマナが集束していく。空で方陣を展開する核のように、何か力強い術を発動させてしまうような、そんな予兆が始まる。

 

 

「……きゃあっ!」

 

 

 集束したマナが青く爆ぜ、降り注ぐ光とぶつかり合った。力が弾け飛ぶ。永久に続かんとばかりに落とされていた光は霧散し、強大な禁術は突然、終わりを告げた。

 

 

「っ!? ……は、はあっ……は、ぁ……!」

 

 

 全身に落とされていた圧力が唐突に失せ、フォルセは詰まっていた息を苦しげに吐き出した。身体を支える腕は、どこにどう力を入れていいのかわからないとばかりに小刻みに震えている。半ば飛んでいた意識をどうにかこうにか引き戻し、無理やり身を起こす。

 

 

「……いっ、たい……なに、を、」

 

 

 禁呪は発動した、だがそれは完全に発動し終えることはなかった。概ね終えられていたそれを強引に断ち切ったのは、どう考えてもミレイ、それかレムの黙示録――或いはそのどちらもか。とにかく何かがまた起こったと、フォルセはマナもリージャも失せきった頭で思う。

 

 

「わ、わかんない……あたし、今、何……?」

 

 

 対するミレイは、何一つ理解できないと言いたげに茫然としていた。その眼は揺らぎ、己が投げたレムの黙示録へと向いている。

 

 

 “阻むものの抹消を阻むもの――神の愛し子を望むもの――”

 

 

 男の声が再び聞こえ、フォルセとミレイは揃って天を見上げた。僅かに高度を下げた黒い核が、二人を見下ろすように其処に在った。

 

 フォルセは苦痛と焦燥に顔を歪めた。核は一見静寂だ。だが内包する禍々しさも、強大な力も、まるで衰えた様子が見えない。対する己はどうだ。ほんの僅かなリージャは辛うじて残ったものの、禁呪を受ける前のようには当然戦えない。そればかりか、リージャを奪われたことで体内のマナすらも変質し、全身鉛にでもなったかのように重く、そして痛い。

 

 

(この核が現れてどれほど経った? せめて……せめて、騎士団さえ来てくれれば……)

 

 

 最早、時間の感覚など無かった。己でどうにかできる可能性は、潰えている。

 

 

(ああ神よ……我らが故郷、愛する女神フレイヤよ……)

 

 

 後はひたすら祈るしかないと、フォルセは力無く項垂れる。

 

 

 だが――、

 

 

「な、なによ……まだ何かするって言うの!?」

 

 

 フォルセはハッと息を呑み、慌てて顔を上げた。見れば先程まで慌て、何かを嘆き、そして茫然としていた筈のミレイが、フォルセの目の前で仁王立ちしていた。ぽかんと口を開けるフォルセを他所に、ミレイは半ば自棄になったように核へ向かって叫ぶ。

 

 

「……や、やってやろうじゃない! こうなったら今此処で、あなたを倒して聖職者サマに借りを返すんだから!」

 

「っ、君が……敵う相手じゃない! 借りなんていいから……早く、逃げるんだ!」

 

「聖職者サマの言うことなんて聞かないわよ。あたしは信仰心を持たない異端の者……異端症なんだから!」

 

 

 梃子でも動かぬと、ミレイの背は強く告げる。フォルセはグッと唸る。“彼女は己と違う”とわかった今でも、守るべき対象であることには変わらない。だというのに、己の身体は言うことを聞かない。ミレイは言葉を聞く気がない。暴露してしまったことが逆に、ミレイの背を蛮勇へと押してしまっている。

 

 

 異端症(ヘレシス)。女神への信心を持たぬ、背徳の人間。それは――、

 

 

 “ノックスを知るもの――無に近きもの――異端と称される小さきもの――?”

 

 

 何かを確かめるように呟かれる男の声に、フォルセは不快感を覚えながら眉を顰めた。この言葉は己に向けられたものではない。そう何となく感じ取り、次いで目の前で臨戦態勢を取る少女を見つめる。己ではないのなら、その言葉が向けられているだろう者は、この場ではただ一人。

 

 

 “――心底より開き、ノックスの下へ世界を繋げ――〈神の愛し子の剣〉と共に”

 

 

 〈神の愛し子の剣〉。今度は己が呼ばれたと、フォルセがそう感じた時には既に――遅かった。

 

 

「え、ちょっと……何これ!?」

 

 

 フォルセとミレイ、二人の身体を赤い赤い光が呑み込んだ。ミレイの悲鳴があがる。周囲の炎すらも小さく見えるほどに強く輝くそれは、ミレイの恐怖にひきつった顔すら隠してしまった。肉体が溶ける。感覚が失われる。ミレイが叫ぶのも当然であった。フォルセですら、得体の知れないそれに――、

 

 

(……違う、僕はこれを知っている。これは……)

 

 

 溶けゆく己の身体を見つめる。細かな粒子、赤い光となっていく。赤い、気高き赤たるヴィーグリック言語となって、黒い核へと集束されていく。

 

 

「……まさか、ヴィグルテイン化?」

 

 

 半ば茫然と呟く。ヴィーグリック言語を用いて物質を封じる技術――ヴィグルテイン。普段なら己が施す立場にあるだろうその技術を、逆に己が身に使われている。有り得ない。意味がわからない。最早理解が追いつかない。

 

 

 “〈神の愛し子の剣〉よ――”

 

 

 再び呼ばれた。

 

 

 “――夢と現の狭間で、燃え上がれ”

 

 

 紡がれたその言葉とミレイの悲鳴が耳を掠める。ヴィーグリック言語として消えゆく身体に従って、フォルセの意識は緩やかに途絶えていった。

 

 

 




2014/05/17
2014/08/06:加筆修正
2016/11/24:加筆修正
2016/11/24:ハーメルン引越し

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