「またここに来るとはね」
杏はいつもの長椅子に腰かけながら呟く。
ここは大洗女子学園廃校が決まり大学選抜チームとの試合まで寝泊まりした旧小学校の校舎だ。
「今度はキャンプはやめた方がいいね。寒いし」
「火を起こすのもメンドーしだね」
外の校庭ではウサギさんチームの面々がしゃべりながら荷物を校舎に運び入れている彼女たちは前来た時には校舎ではなく野外でテントを張り魚を釣ってキャンプのように過ごしていた。
だが今は11月であり火を起こしキャンプをするのは気が進まないようだ。
他の大洗女子の面々、戦車道履修者は自衛隊のトラックで運ばれた自分たちの荷物を校舎に運んでいる。その近くでは別の自衛隊のトラックから弾薬箱を自衛隊員達が降ろし校舎から離れた森に運んでいる。
その弾薬はもちろん、戦車道履修者が乗る戦車に使うものだ。
だからⅣ号戦車をはじめ大洗の戦車もこの旧小学校の校庭に停められている。
何故またここへ来ているのか?それは前日に遡る。
「政府はあの巨大不明生物がまた来ると推測している。君たちには陸で待機するようになった。明日には旧小学校へ移動しそこで当分は生活して貰う」
巨大不明生物が大洗から去った後で学園艦に帰った直後に杏やみほ達は辻によって集められてこう言われた。
「みんな。ごめんなさい」
蝶野はすまなそうに頭を下げた。だが辻は毅然と立ったままだ。
「まだ私達だけであの化け物と戦わせるつもりですか?」
みほは辻へ食い下がる。
「大丈夫だ。全国の戦車道履修者へ出動を要請したよ。君たちだけではない」
辻の答えにみほは呆気にとられ反論する気を無くした。
「どうしても自衛隊は出ないんですか?」
杏が蝶野と辻へ訊く。その口調と目は険しい。
さすがに地元であり緊急事態だから杏も渋々要請を受け入れたが今度ばかりは意を唱える。
「ええ。政府が自衛隊の出動を承認しないから」
蝶野は俯きながら答える。
「あの敗戦から我が国は平和憲法を制定し武力行使には慎重なんです。日本の武力行使が周辺諸国に影響を及ぼす事も理解して欲しい」
辻は諭すように皆へ言った。
「つまり、あの巨大不明生物を倒すまで私達でやると?」
杏は険しい顔のまま二人に尋ねる。
「政府の方針が変わらない限りはそうよ」
蝶野は小さくはないが低い声で答えた。
「蝶野一尉の言う通り政府の方針が変わらない限りは君達があの巨大不明生物と戦う。ああそうだ、警察が支援をすると言っていますから貴方たちだけではない」
辻は相変わらずだ。
国家公安員会と警察庁は巨大不明生物が再度上陸した場合は戦車道履修者と共に駆除作戦に参加する方針を定めていた。これは自衛隊の出動が政治で止められているせいだ。
「質問は以上かね?」
「はい。これ以上聴きたい事はありません」
両者の間に冷たい空気を残して応答が終わる。
杏の心中は怒りに満ちていた。
何故ここまでさせるんだ!?と杏は辻へ問いたかった。だが「政府が決めた事」としか言わないだろう。どんなに怒りをぶつけてもあの鉄仮面のような辻から別の返事は返って来ない。
「いつまでここにいるのでしょう?」
生徒会の荷物を運び終えた柚子が杏へ話しかける。
「分からないな。このままここで卒業かもね」
カメさんチームの杏と柚子に桃は三年生である。数か月後には大洗女子学園を卒業する。
「それは嫌です。学園艦で卒業式をするんだ。あんな化け物なんかすぐ倒して」
桃が思い込むように言った。
あの巨大不明生物が出現して日常が壊されている事を実感しつつあった。
巨大不明生物によって家を壊されたひたちなか市の住民を学園艦は受け入れていた。誰もがこの先どうなるか不安な顔をしている。
その姿が大洗女子の面々に暗い影を落とした。自分達の責任と言う影が。
「政府は巨大不明生物の再上陸に備え文科省を通じて全国の戦車道履修者に対して駆除要請を出しました」
「あ、お姉ちゃんだ」
みほ旧小学校の校舎内に設けられた食堂に備えられたテレビで姉である西住まほの姿を見た。それはニュース映像に映る姿だ。
「東京へ向けて出発する熊本県の戦車道履修者」というテロップと共にみほと逸見エリカがティーガーⅠ重戦車と共に映っていた。
「あれはサンダースのケイさん。みんな東京へ行くんですね」
優花里は次に映るサンダース大学付属高校のケイを見た。学園艦から大洗の戦車を運んだC-5ギャラクシー輸送機にサンダースのM4中戦車が乗る作業をケイが指揮している様子が映っている。
「東京は首都だからな。しかも人口が1300万人だ。優先して強豪校のチームを配置するのは当然だろう」
麻子がいきなりぶっきら棒に言う。
「大洗は田舎だから後回しかあ」
沙織が言う。
「どうやら他は聖グロだと地元の神奈川で待機、知波単も地元の千葉で待機みたいです。プラウダは東京行きですね」
優花里は自分のスマートフォンで検索した情報を皆へ伝える。
「こっちは私達だけなんですね」
華がぽつりと言う。
「もし大洗に再上陸したら知波単が救援に来るかもしれないですね」
優花里が地図を思い浮かべながら言う。
「知波単はあの化け物へすぐ突撃しそうだな」
麻子が言うと「確かにやりそう」とみほは微笑む。
知波単学園の戦車道は突撃精神旺盛で作戦も戦術も突撃が第一のチームだ。みほ達は大洗でのエキシビションマッチと大学選抜チームとの試合で知波単と組んでいたのでその突撃精神を目の当たりにしている。
それは「こ・う・た・い(後退)」と伝えても「と・つ・げ・き(突撃)」と聞き間違える程に。
「そういえば茨城県の近くの県に戦車道をやっている学校があったような」
華が何かを思い出す。「栃木のアンツィオですね」と優花里が答えた。ここで言うのは栃木県のアンツィオ高校の事だ。
「そうです。アンツィオとの試合では御馳走になりました」
華は全国戦車道高校生大会第二回戦の後でアンツィオの生徒達と夕食を食べた事を思い出す。イタリア風の学校だけあって全てイタリア料理だったが調理器具と材料を丸ごと会場に持って来るだけあってどれも美味だった。華はその記憶に笑みを浮かべる。
「来たらごはんは毎日イタリアンかあ。それもいいね」
沙織は嬉しそうに言う。アンツィオの生徒は部活の部費を集める為に毎日屋台を出しているおかげて総じて料理の腕は高い。沙織はそれに期待しているようだった。
「大洗の諸君!アンツィオが応援に来たぞ~!」
P-40重戦車をはじめアンツィオ高校の戦車がみほ達の居る旧小学校に現れたのは翌日の午前だった。
「アンチョビさ~ん」
「おお、チョビ!よく来たね」
みほと杏は笑顔で出迎える。
「文科省から大洗の応援に行くように言われてな。」
アンツィオの隊長であるアンチョビがみほと杏に握手しながら来た理由を語る。
「タカちゃ~ん。来たわよ」
アンツィオの副隊長であるカルパッチョが大洗に居る親友であるカバさんチームのカエサルもとい本名、鈴木貴子を見つけると駆けて行く。
「ひなちゃんもここで待機なの?」
「うん、だけど色々持って来たから楽しみにしていて」
親友二人の温まる旧交カバさんチームの面々は遠くから見守る。
「なんか前に会った時より暗くないかい?」
アンツィオのもう一人の副隊長であるペパロニはアンチョビの傍へ来てみほと杏へ言う。
「今度は試合じゃないし、みんなの中には家を失った知り合いも居るらしいから」
みほがその理由を答える。
一見いつもの調子に見える大洗の面々だったが巨大不明生物と戦う命の危険と被害に遭う知り合いを目の当たりにして重い気分が心の底にあった。それがどうやら顔に出ていてペパロニにもその落ち込みが分かった。
「そんなんじゃあの化け物に負けちまうぜ。そんな事だろうと姐さんが準備させた甲斐がありましたねえ」
ペパロニはみほからアンチョビに顔を向けて言う。
「今日からここでお世話になるからな。お土産代わりにと思ってアンツィオ高校の味を楽しんでくれ」
アンチョビは照れながら言う。
「じゃあ準備すっかあ」
ペパロニがグレーのパンツァージェケットの上からエプロンを着る。
他のアンツィオの生徒達も調理道具や食材の入った箱をトラックから降ろしている。
「けど私達だけ頂くのは」
みほがすまなそうに言う。
「被害を受けた街の人を気にしているんだな?その点は大丈夫だ。アンツィオの学園艦からみんなが出ておもてなしをしている」
アンチョビはみほが困った顔になったのを見て行った。
アンチョビの言うとおりにひたちなか市ではアンツィオ高校の生徒が被災者に日頃鍛えた腕による料理を振る舞っていた。
「じゃあ今日はアンツィオの御馳走になろうじゃないか!」
杏が皆へ大声で言うと歓声が上がる。
校庭はこうしてアンツィオ主催のパーティの様相になった。
「自衛隊の皆さんも是非食べてください」
アンチョビが離れた場所で作業をしている自衛隊員達に呼びかける。しかし自衛隊員達はある幹部を見つめる。蝶野だ。
「せっかくですから頂きましょう」
蝶野の許可が出ると隊員達はパーティの輪に向かう。
だがその輪に蝶野は加わらずに居た。
「蝶野さん。この鉄板ナポリタンおしいですよ」
一人で居る蝶野のところに杏はペパロニが作った鉄板ナポリタンを持って来た。
「ごめんなさい。気を遣わせてしまって」
蝶野は杏から紙皿に盛られたナポリタンを受け取りながら謝る。
「そんな態度はよしてください。気を遣うのはあの役人だけでいいんです」
杏が言うと蝶野はクスリと笑う。
「そう言えばあの役人は文科省に戻ったんですね」
「ええ。駆除作戦に全国の戦車道履修者を東京を中心に集めるから纏める監督官に就任したそうよ」
辻は各地から東京や関東防衛に集まる各地の戦車道履修者を監督する戦車道履修者派遣部隊総監督官に就任したので東京の文科省へ戻っている。
「邪魔者がいなくなりましたね」
杏がニンマリとした笑顔で言う。
「ホント、せいせいしたわ」
蝶野は緊張が解けたように両手を上げ背伸びした。
「こういう時は酒でも持って来て憂さ晴らしする時なんでしょうけど私らは未成年ですから」
と言いながら杏はアンチョビから貰ったぶどうジュースが入っている小瓶を取り出す。
「そうそう、気分が良い時は美味しいのよ」
蝶野は高機動車に隠している日本酒の瓶を取り出す。
「では、邪魔者がいなくなって乾杯」
杏はぶどうジュースの入った紙コップ。蝶野は日本酒の入った紙コップ。二人は紙コップをくっつけて乾杯する。
「角谷さんが大人だったら色々飲ませたいのになあ」
蝶野がほんのり顔を赤くしながら言う。
「その時は大人の授業お願いしますね」
「ははは。大人の授業ってエッチねえ」
「蝶野さん。もう酔っぱらってません?」