- AM00:00 露天風呂 side:雨水 -
オーバーホールの依頼に行ったり、人生相談されたり、何故か尋問されたりで色々あったその夜。旅館で晩飯を食べ終えた俺は、露天風呂に浸かっていた。確か、明日の夜頃には学園艦に帰る予定だったか。何だかいろんなことがあって、月並みに言えば、あっという間だった気がする。
「…いい景色じゃん……」
ふと空を見上げると、満月が空に上がっているのが見えた。それに隠れて他の星なんて見えやしない。
光が風呂の水面にまで反射して、夜中だってのに少しまぶしいくらいだ。月の光に中てられすぎると気が違うらしいけど、こんな調子ならあながち間違いでもないかもしれない、なんて思ってしまう。
(…まあ、まだ気が違ってない、なんていい切れもしないけど…)
やや自嘲気味にそう思う。初めてSXを見かけたときから、俺の中の何かは、確実に変わっていった。それとも、隠れていたそもそもの本性が、アイツのせいで引っ張り出されたのか…
わからないし、どちらでもいいけど、とにかく俺はアイツに固執するようになった。改めて考えると、いや考えずとも初めから、どうしてここまで執着しているのかわからないままだった。
意味がないと言われた。すべて失うと諭された。愚かだとわかっている。なのに、どうしようもなく惹かれてしまう。どこまでも執着して
理由なんかない。きっとこれからも走り続けるんだろう。少なくとも、アイツが走る限りは
……けれど
けれどもし、アイツが走らなくなったら、その時はどうなるのだろう……
俺が終わるよりも先に、アイツの方が終わってしまったら、俺はどうするんだろう……
その時、俺は……
俺が在っていい場所は
『いらないよ、お前』
「ッゲホ、ウ……」
昔、誰かに、誰もに言われ続けたその台詞。それが鮮明に頭の中で響いてくる。それを忘れようと、お湯で顔を洗った。その拍子にお湯が口に入ってむせてしまった。なぜこんな言葉をこんなに気にしてるのか、自分でもわからない。言われ慣れてるし、似たようなことも散々あったはずなのに
「ん……?雨水?」
そうしていると、隣の女湯のほうから、塀越しに声が聞こえて気た。星野先輩の声だった。
「星野先輩?あれ?他の人達は…」
「中嶋たちは先に入ったよ。私たちが遅いの」
「あー……そっすか……」
「……うん……」
「……」
……まだどうにも、この人とはお互い気まずいままだ。どうにかして、あの日の夜のこと、彼女を巻き込もうとしたこと、謝らなくっちゃいけないのに。これがその絶好の機会かもしれないのに、上手く口が動こうとしてくれない
「……雨水」
そうしていると、彼女の方から言葉を紡いだ
「あの夜のこと、なんだけどさ……」
とても言いにくそうに発したその言葉。この人もまた、一緒に走ったあの日のことが気になっていたらしい。
「……悪かった。逃げるみたいに帰っちゃって。それだけじゃない。その後も、アンタのこと避けて、ろくにハナシもしなかった」
「……いえ、こっちこそ、巻き込んですいません」
どうにもそんな言葉しか出せなかった。彼女からあの夜のことを話してくるなんて思わなかったから、どう対応すればいいのかわからない。
「……結局、あの後も走ったの?」
「ええ、まあ……」
「そっか……随分好きなんだね。あのワンエイティが」
「どうなんでしょうね」
「雨水」
少しだけ強いトーンで、星野先輩は俺の名前を呼んだ。
「……なんで、そこまでできるの?」
けれど、そこから先の言葉は、とても弱々しく感じた。普段の彼女からは、想像できないくらいに。
「……あの後、あの日から、アンタのことが怖いんだ」
言いづらそうに、けれどはっきりと言葉をつづける
「あんな世界を見て、あんな恐ろしいところに身を置いて、平然としてられるアンタが怖くて仕方ないんだ」
「……」
「でも、怖いのに、それが羨ましい自分がいる。それが何より怖い……あんなふうに、全部受け入れて走れるアンタを見て、アンタがすごく遠くにいる気がして、なんだか、それがすごく嫌だった……笑えるだろ?」
自嘲気味に彼女はそう言った。知らなかった、星野先輩がそんな風に思っていただなんて……
「……俺はそんな大層な人間じゃないですよ」
「だろうさ。でもそれでも、アンタを見るたびに、あたしが否定されてるような気がして、怖いんだ……」
「そんなことは……」
「そうだよ。怖いから否定される前に否定したんだ。酷いもんだ」
酷いものか。先のない快楽に溺れる前に、その快楽を断ち切った。彼女は正しいことをしただけだ。
「羨ましかったんだ。アンタが……私には無理だ。自分の弱い部分から、どうしても目を背けちゃうんだよ」
「……俺だって、自分の弱いところは見たくありませんよ。でも弱いところしかなかったから、背けようがなかったってだけです」
「そんな風に、私は今の自分を受け入れることができないんだよ……」
「……」
きっと不安だったのだろう。艦上で走ったあの日から、自分が否定された気がしたのだろう。でも大丈夫。あなたを否定しないで、受け入れてくれる居場所がある。それをあなたはちゃんと持っている。
……俺はただ、否定されてなお、縋っているだけだ……
「……それとも」
小さく、けれどはっきり聞こえる声で、彼女は言った。
「雨水が私のこと、全部受け入れてくれる?」
「……え?」
それはどういう意味なのだろう? そう聞いた方がいいのだろうが、俺は茫然として、そのまま何も話すことができなかった。
「……なんてね。そろそろ時間じゃないの? 今日、鈴木と組んで走るんだろ」
「あ、ええ……そうですね。先にあがらせてもらいます」
結局俺は何も聞けずに、風呂から上がることにした。
……なぜ彼女が、わざわざ俺にそんなことを聞いてきたのか、わからないままだ。あの人は俺なんかに、そんなことを求める人じゃないはずだけれど
「雨水」
「あ、はい……?」
あがろうとすると、星野先輩に呼び止められた。柵越しに聞こえる声はどこか上擦っている
「……まあその、あれだ……」
「……?」
「今度艦上行くときは、私に言って」
「え? でも……」
「もちろん、つるんで走ったりしないよ。でも……ほら、知らない場所で勝手に死なれても嫌だし、監視役はいたほうが良いでしょ」
「いや待てくださいよ、それは……」
「いいから。ほら、話は終わり。はやく行け。私もすぐ行くから」
どこか誤魔化すような早口で、星野先輩は俺にそう言った。
「あ、はい……じゃあ」
そのまま俺は風呂を出て、急いで着替えをした。
……もしかしてあの人も、なんだかんだ、俺のこと気にかけてくれてたんだろうか? 柄にもなくそんなことを考えてしまっていた。
--十分後
部屋にある荷物を取って、集合場所である駐車場に向かった。浴衣ではなく、運転に適したラフな格好をして、外に出る。携帯の時計を見るに、何とか間に合ったようだ。
「おっす! ぎりぎりだったね」
駐車場に行くと、鈴木先輩が待っているのが見えた。そばには、彼女が乗るクルマである、赤いs2000が佇んでいる。
「すいません、待たせて」
「大丈夫、時間通りだよ。中嶋たちは先に配置に着いたよ、星野ももうちょっとしたら来るって」
ああ、なるほど。鈴木先輩しかいないのはそういうことか。
「ま、もう少しかかるらしいから、少し待ってよ」
「そっすね」
そう言えば、何気にこの人と2人きりってのは初めてかもしれない。この人のクルマをここまで近くで見たのも、多分今までなかった。
「……ふーん」
「な、なんすか……」
何かニヤニヤしたご様子で、鈴木先輩は俺を見てくる。顔に何かついてるんだろうか?
「いや、今日会った女の子のことでも考えてんのかなーと思って」
「勘弁してくださいよ、もう……」
みほさんを送って、中嶋先輩たちに会ったあの後、何故か凄く糾弾された。確かに勝手に出てったことは悪いけれど、中嶋先輩と土屋があそこまで機嫌が悪いのかよくわからなかった。
「あはは、まあ中嶋たちが怒るのもしょーがないよ。罪な男だねー君も」
「いまいち、言ってることがよくわからないんすけど……」
「まーまー……でも、実際なにしに言ってたの、あんな朝早くに?」
「……観光ですって」
「だからどこも開いてませんって」
「……」
やっぱりあの言い訳は無理があったか……どうしよう、他にいい感じの理由も思いつかないしな……
「……私たちには言えないこと?」
「……」
「……事情はよくわかんないけど、雨水のこと見てればなんとなくわかるよ。だって、私たちと話してるときの雨水、たまに壁感じるもの。今朝もそうだった」
「……そうすかね?」
「そうすよ。多分、最近星野とギクシャクしてるのも、それが原因でしょ?」
……勘が鋭いというか。よく見ているというか。
「……ま、話す気がないなら、今はいいけどさ……もう少し、私たちのこと信じてくれてもいいんじゃない?」
「別に、信じてないわけじゃないですよ……」
信じる信じないの話じゃない。ただ単に、こんなことに巻き込みたくないだけだ。……星野先輩も、ああは言ってくれたけど、できればやってほしくない。俺の身勝手に、彼女が付き合う義理などどこにもないのだから。
「むー……生意気」
「ちょ、いだだだだ」
鈴木先輩にいきなりほっぺたをつねられた。いまいちこの人がやることは予測がつかない。
「今じゃないけど、いつかちゃんと話してもらうからね? ……ほら、そろそろ私たちも準備しよう。最後の点検、手伝って」
「あ、はい」
いつか、か……この人にも、他の人達にも、いつか話さなければいけない時があるんだろう。その時は、きっとちゃんと話すほかないだろう。
……俺が、終わってなければ……
--同時刻、西住邸
……雨水君、あの子はきっと、最後まで走る。それがどんなことを意味するだろうと
……SX……彼なら大丈夫だ。彼ならきっと、お前を最後まで連れてってくれる。
だから……彼を……
「……わかってるよ、それだけじゃ、受け入れられないよな」
だから、確かめに行くのさ
(……織戸の話では、確かこの時間の俵山峠だったな。なら最適か)
そう思いながら、SXの隣にある、カレラを見た。SXの後継、
さあて
「最終確認だ。雨水君」
しほさん「旦那がガレージでぶつぶつ独り言言ってる……」