- AM4:00 旅館内 side:鈴木 -
ふと東の空を見てみると、おぼろげに日が出ているのが見えた。淡い赤と青のコントラストがきれいだ。旅館についてしばらく後、夕ご飯を食べてからこの時間までずっと、私たちは俵山峠を走り続けた。いくら走るのが好きって言っても、さすがにもうへとへとだ。思いっきり背筋を伸ばしてまた力を抜くと、脱力感が一気に全身を走る
「っくあ~!走った走った!もーへとへとっしょ」
「えー?私はまだ走り足りないんだけどなー」
「ホンット土屋は元気だねぇ…で、星野、ライン取りまた上手くなったんじゃない?もう少しで私ともいい勝負できるかもね?」
「言うじゃんか中嶋…思いっきりアンダーで膨らんでたやつのセリフとは思えないよ」
「うぐ…痛いところを…」
「眠い…眠い……」
久しぶりの陸…それも峠ってこともあって、あんなに走ったっていうのにみんなまだそれなりに体力が残ってるみたいだ。一人死にそうなのがいるけど……
寺田先輩が手を叩いてから、これからの指示を出した。
「はい注目。みんな今日はお疲れさま。明日、いや今日か…次の練習までは各自自由行動で大丈夫、ゆっくりしてね。ただし練習までには必ず自分が乗るクルマを簡単でもメンテナンスしておくこと、じゃあおしまい!」
「「「「「お疲れ様でしたー」」」」」
簡単なミーティングも終わり、私たちは部屋へと戻ることにした。そういえば温泉ってまだやってるかな?汗だくだから寝る前に入りたいんだけども…
そう思っていると、中嶋も同じ気持ちだったんだろう。今にも寝そうな雨水にお風呂に入るよう言っていた。
「雨水ー?寝る前に温泉入りなよー?せっかく来たんだから」
「うぇー…布団直交じゃダメすか…?」
「ダーメ!入んないと明日体中べったべただよ?あ、それに歯磨かないつもりだったでしょ?ダメだよー、1日くらい大丈夫と思っててもそれが…」
「あーはいはい、わかりましたわかりましたよ」
「…何か、親子みたいだな……」
「思春期の息子とその母親って感じっしょ…」
雨水はあんなんだし、中嶋も中嶋で結構世話焼きたがるからなあ。自然とああなっちゃうのかもしれない。
「そういえばさ、星野は大丈夫なん?あのお札まみれの部屋でちゃんと寝れr」
「やめろ。やめろ…」
「ま、まあみんなおんなじ部屋で寝るし大丈夫…ね?」
それともうひとつ。この合宿で初めて分かったことだけど、星野は心霊の類が苦手らしい。はじめは部屋を見るや否や頑なに部屋に入ろうとしなかった。説得するのにめちゃくちゃ時間かかったっしょ……
ていうか何なのこの旅館?羽生蛇村系列か何かなの?
ちなみに部屋は大部屋で全員一緒。まあ、雨水の布団は少し離れた場所に置かれたけど
「い、いやだから別に怖いわけじゃないし?別に部屋に意味深なお札が貼ってあるとか天井に人の顔みたいなシミがあるとか掛け軸の絵の女の人が幽霊っぽいとか?全然気にしてないし?」
「星野…」
明らかに強がりを言う星野に、土屋は優しい顔で語りかけていた。
「大丈夫だよ星野…怖かったら一緒に寝てあげるから、ね?」
「いや、だから別に怖くなんか…おい、なんだその生暖かい目は。やめろ!怖くないって言ってるだろ!おい!」
「あ、ダメだ、死ぬ…」
「ちょ、雨水。こんなとこで倒れちゃダメだってば!てかもうちょっと体力つけようよ」
「かゆ…うま…」
「んもー!」
「賑やかだねえ…」
「ハハハ…てんやわんやっしょ…」
そんなことを寺田先輩と話しながら、私たちは足を運んでいった。床につくころには、誰もかれも泥のように眠った。
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- …AM5:45 -
「…眠れない」
うかつだった…風呂上がりの牛乳が効いたっしょ…まさかこんな時間に起きるはめになるとは…とにかく早く…ん?
「雨水?」
「!?」
布団から起き上がってみると、抜き足差し足でそろそろと出口に向かう雨水が目に入った。
しかも昨日みたいな浴衣姿じゃなく、Tシャツにジーンズという、ラフではあるが外出用の恰好をしている。おまけにショルダーバッグだ。私が起きているのにだいぶ驚いてるみたい。雨水からは「ギクッ」て擬音が今にも聞こえてきそうだった。寝ている他のやつを起こさないように、小声で話し合う
「…どっか行くん?」
「す、鈴木先輩…ええ、せ…せっかくだしちょっと観光に…」
「こんな時間に、どこもまだやってないっしょ?」
「…あ、早朝のドライブに行ってきます」
「ちょっ雨水……行っちゃった……」
ていうか今「あ」って言ったな、絶対ドライブ云々は今思いついたな…
……怪しい、すんごく怪しいっしょ……
「…て今はそれどころじゃないっしょ!トイレ!」
なんとか臨界点が来る前に間に合い、私は難を逃れることができた。部屋に戻って二度寝しようとすると、まどろみの中、SRエンジンが遠ざかる音が、微かに聞こえた気がした
- AM7:15 side:雨水 -
「あー危なかったー…」
まさかあそこで鈴木先輩に見つかるとは思わなんだ。言い訳が苦しすぎたけど、逃げ切れたんだ。俺にしては上出来な方だろう。一応「観光してきます」っていう書置きはおいてきたけど、効果はあるかどうか…
「しかしよく起きられたもんだよなあ…」
ばれないようにしなきゃいけないから目覚ましもかけることができない、自分の力だけで起きる必要があった。正直起きれる気が全くしなかったから、今こうしてしっかりと目を覚ましてられているのが不思議なくらいだった。
「…さて、そろそろのはずだけど……」
今いるのは、熊本のかなり郊外の方、俵山峠とはかなり離れている場所だ。
そういえば、なんでこんな時間に、この場所まで1人でワンエイティを走らせているのか説明していなかったと思うので、ここらで話したいと思う。
とある整備士さんに会いに向かっているのだ。学園長曰く、SXをつくり上げた張本人らしく、また曰く、彼はSXが大嫌いであり、曰く、しかし彼はSXのチューニングをやらざるを得ず、そして曰く、彼はチューニングは俺に会ってみてから…と言っていたらしい。
俺自身いまいち要領を得ないけど、とにかくチューニングをしてもらうためにその整備士さんに会う必要があるのだ。
そしてSXが彼の元に届くのが昨日の夕方ごろ、そして今日は1日自由行動。これほどいいタイミングはないだろう。
そして、例によってSXに関することは自動車部の面々には知ってほしくないのだ
と、おおざっぱにいえばこんな理由だ。
「にしても、ホントにこの辺なのか?」
見た感じ工場らしいところは見当たらないし…見えるのは民家ばかりだ。
もしかして場所間違えたか?そう思っていると、道の奥の方にとても大きな、古風な建物が見えた。
「…もしかしてあれか?」
一旦路肩にクルマを止め、学園長に渡されたメモを見直してみる。住所を改めて見直してからケータイで調べてみると、ドンピシャ。ケータイはあのでかい屋敷を示していた。どうやらここで間違いないらしい。
クルマを屋敷の壁まで移動し、少し端に寄せて、路駐した。見た感じ人気のない感じだし、少しくらいなら大丈夫だろう。
屋敷の正門まで歩き、門の前に立つ。門の隣に表札があり、そこには『西住』と書かれていた。もう一度、学園長メモ(今名付けた)を見てみる。
確か、整備士さんの名前が『西住 常夫』さんだから、やっぱりここってことか…
「オイオイオイ、こんなでかい屋敷なんてきいてないわ…」
こんなとこのインターホンいきなり鳴らして大丈夫なのか?いきなりヤーさんとか現れたら死ぬわ俺。炭酸抜きコーラ飲んどいたほうがいい?
「あ、あの……」
「ん?」
果てしなくどうでもいいことを考えていると、いつの間にか隣に少し怯えた表情女の子が立っていて、俺に話しかけてきていた。
…あれ?この感じ…どっかで……
「あ、あの…うちに何か御用でしょうか?」
「ああ、す、すいましぇん」
噛んだ…落ち着け俺……
さっきも言ったけどもう一度言おう。隣に女の子が立っていた。夏の日差しで、影が強くできているからか、心なしかどこか悲しそうな顔をしている気がした。
「ああいや、すいません。怪しいものじゃないんですよ…あの、西住常夫さんと言う方のお宅を探しているのですが、表札を見て此方かと思って……」
「お父さん?あ、はい、それならうちで合っていますけど……」
どうやらここで合っていたようだ。内心少しほっとした。そうか、この子は娘さんか…
「ああよかった。実はその方に会いに来たんですけど、今は御宅に?」
「いえ、今は出かけていて…あ、よければ、私の方から父に連絡してみますか?」
「それは是非、お願いします」
「わかりました。じゃあ、ちょっと待っててくださいね」
そう言ってその子はケータイを取り出し、連絡を始めた。
あーよかった。何とか問題なく事が進みそうだ。
「うん、うん…あ、そうだ、お名前はなんて言うんですか」
「雨水です。雨水永太」
「ありがとうございます…うん、そう、雨水永太さんって人で……うんわかった。はーい」
どうやら話はついたようだ。彼女はケータイをしまい、再び俺の方に顔を向けた。
「お待たせしました。もうすぐ帰って来るらしいので、少しだけ客間で待っててくれませんか?」
「あ、はい、わかりました」
そうして、その女の子に客間まで案内してもらい、俺はそこで待つことになった。
「それじゃあ、少しだけ待っていてもらえますか?」
「ええ、どうも」
そう言って彼女は案内を終え、客間から出て
「……」
「……」
…あれ?出ていかないな、どうかしたんだろうか?
「…えー…あの…」
「あ…すいません、今家にいるの私だけで…お客様ほおっておくのも…」
俺の顔で察したのか、彼女は少し困った顔で俺に答えた。
そうだったのか、少し悪いことしたかもしれない。でもちょっと意外だ、こんなにでかい屋敷ならお手伝いさんとかいると思っていたけれど…
「そういえば、お父さんにはどういった御用なんですか?」
「ああ、それは…」
「大したことじゃないよ、だろ?」
「!……」
声の方を見てみると、スーパーのレジ袋を持った男性が一人、俺の方を見て立っていた。
「あ、お父さん、お帰りなさい」
「ああ、ただいま、みほ。お客さんの対応ありがとう」
「あなたが…」
「ああ…」
「君かい?あのガラクタの今の持ち主っていうのは…」