ぼっちの門 〜圓明流異聞〜   作:エコー

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四、母との団欒

 

 

 放課後、授業を無断欠席したことへのお説教を展開する平塚先生の相手を済ませる。

 何故か最終的な結論が、

『なあ比企谷、私はいつになったら結婚出来るのだろうな……』

 という、悲哀たっぷりの人生の重みを込めた溜息だった。

 その足で奉仕部へと顔を出すと、妙な空気に包まれた。まるで腫れ物を触るような、遠巻きに様子を窺う様な二筋の視線が交互に俺を走査しては離脱する。

 だが勘違いするなよ。俺はこの程度の精神攻撃など効かぬ。

 退かぬ、媚びぬ、省み──

 

「あ、あのっ……ね」

 

 ──もうっ、いま妄想がいいとこなんだからっ。

 

「あの、さ。三時限目の数学、課題……出てたよ」

「ほーん、そりゃサンキューな。で、何の課題だ」

 

 流れでの問い掛けに、由比ヶ浜の顔面が硬直する。それとは逆に目がバタフライで泳ぎ出す。

 あと、豊かな胸がちょっとだけ揺れた。

 

「あ、あー……忘れちゃったっ」

 

 テヘペロじゃねぇよ。色々と無駄に可愛いなぁ、おいっ。

 

  * * *

 

 さて。

 今日も今日とて恙無く部活動という名の読書を終えて帰宅した俺を待ち構えていたのは、普段ならば深夜に帰宅する筈の母親だった。

 

「あれ、小町は?」

「部屋で泣きながら勉強中〜」

 

 あ、なるほど。期末テストの点数がアレだったのね。

 うちの両親は基本的に小町には甘い。溺愛もいいところだ。

 が、小町が総武高校を志望すると言った日から、勉強にだけはかなり厳しい。

 今頃小町は「鬼、鬼っ」とか零しながら涙目で机に向かっていることだろう。

 南無。

 では次の疑問の解消にかかるか。

 

「……今日はサービス残業はいいのかよ」

「人聞きの悪い。まるでブラック企業じゃないの、それ」

 

 ブラック企業そのものじゃないのか、という反論を胸に仕舞った俺は、キッチンへ行って鍋の蓋を開ける。

 お、肉じゃが。うんうん、では早速──。

 

「ちょっとこっちに座りなさい、八幡」

 

 おぅふ。母上様からの呼び出しで晩メシがお預けになっちまった。

 肩を落として、仕方なくという態度を前面に押し出しつつ、母親の少し離れた横に腰を下ろす。

 

「待ってなさい。今温め直すから」

 

 ……はい?

 明日は嵐か? それとも雪か?

 

 数ヶ月振りにお袋が用意した晩メシを掻き込みながら、時折正面に座る母親を見る。相変わらずの笑顔だが、その視線は俺に釘付けだ。

 食事をじっと見られるのは存外良い気分ではない。咀嚼の回数なんかを口に出してカウントされた日には、もう丸呑みしか出来なくなる。

 丸呑みしていい食事はカレーだけだ。カレーは飲み物って云うし。云わねぇし。

 肉親からの熱視線に焦れて箸を置いた俺は、正面のお袋の顔をじっと睨み返す。

 

「何か話、あるんじゃねぇの?」

「あるといえばあるし、無いといえば……やっぱりあるわね」

 

 面倒くせぇ。素直に「お話があります」って言えないのかよ、この母親は。

 もしかしたら俺の捻くれ具合は、この母親の血なのかも知れない。

 

「あんた、龍造寺の娘に会ったんだって?」

 

 誰からの情報だよ、と目で訴えかける。

 

「あんたの同級生の子がね、小町にメールで……」

 

 あーもう解った。

 小町経由の由比ヶ浜だな。

 数学の課題を覚えてない癖に、そういう余計なことは忘れないのね、あの子ったら。

 しかし、この腐った目での問い掛けを理解するとは、さすがは血を分けた母親だ。

 

「で、あんた。つむぎちゃんのことは覚えてたの?」

「……いや、とんと記憶にねぇよ」

「じゃあ、つむぎちゃんのおっぱいを触って殴られたのも──」

 

 思わず味噌汁を噴き出す。

 うわ、鼻に入ったっ。

 けほけほと咳込み、鼻の奥に痛みを感じながら反論をしようとする、が。

 

「いや触ってねぇし……とは、言い切れないのか」

 

 記憶の欠落。

 その中で龍造寺と会っていたとすれば、迂闊には否定出来ない。

 まあ俺に限って、そんな大それた行為が出来るとは思えないけど。

 そんな度胸なんて無いし。

 

「あは、あはははは、はぁ、あー、おっかしぃ」

 

 そんな俺の様子を見て大爆笑するお袋に、若干の害意を覚える。今度フナムシ入りのお好み焼きでも食わせてやろうか。

 

「ううん。触ってないし揉んでもいないし、摘んでもいないよ。お互い子供だったから……多分ね」

 

 それ順番おかしくない?

 揉むのも摘まむのも、まず触らなきゃ不可能でしょ。童貞だから詳しい順序は知らんけど。

 それにしても、肉親からの下ネタはきつい。どう反応して良いのか解らない。

 ほら、アレだ。

 家族で二時間ドラマとか見てる時に、サービスカットでしかない温泉の入浴シーンが流れた時の感じだ。

 ……うん。非常に解りづらいな。

 

 不意に溜息が聞こえた。

 

「そう、やっぱりあんたの記憶は戻らないのね」

「それなんだが──」

 

 途中で切ってお茶を飲む。口と喉を湿らせ、気持ちを落ち着けたところで、さあ質問の再開だ。

 

「俺の記憶が無くなった原因って、本当は何なんだ」

「そりゃ、前にも言ったとおり、あたしがあんたを階段から落としちゃって──」

 

 うわぁ、もう違ってる。嘘が下手にも程がある。自分が吐いた嘘くらい覚えておくのが嘘つきのマナーだろ。

 まったく、俺の母親とは思えない凡ミスだ。

 

「前に聞いたのと違う。それに、階段から落ちたくらいでそうそう記憶が無くなるかよ」

「はぁ。バレたか」

 

 軽い、軽いよお袋。

 ここはもっと重苦しい雰囲気で吐露する場面じゃないの?

 

「実はね、あたしがあんたをしこたま殴っちゃって──」

「はいはい。本当のことを云うつもりは無いんだな」

「お、中々察しがいいね」

 

 前言撤回。間違いなく俺の母親だ。なんでだよ。

 まあ言いたくないなら仕方がない。さっさと次の質問に移ろう。

 

「でだ。記憶を無くす前の俺についてだが……」

「あんたはただの捻くれ者だよ。今も昔も、ね」

 

 おっと。今度は俺が言い終わらない内に攻めてきやがった。多彩な口撃だな。

 だがそれは俺の求める答えではない。

 

「……龍造寺と面識があるって事は、昔の俺は空手やってたんじゃないのかよ」

「それは無いね」

 

 だろうね。空手をやっていれば、こんなに根性が無い訳がない。自分で云ってて哀しくなるな。

 

「でも」

 

 今度はお袋が言葉を途中で切る。

 

「小さい頃の記憶があろうと無かろうと、あんたは無事に大きくなってくれた。それだけで母さんは充分だよ」

 

 ……お袋よ。マジでどうした。

 これってまさか、何かのフラグか。

「この戦争が終わったら、田舎で結婚するんだ」って兵士が言った時くらい嫌な予感がする。

 

「それはそうと、あんた今度の休み……神武館に行ってきて」

 

 ほらきた。

 しかも今度の休みって、明後日じゃん。つーかもう夏休みに入ってるじゃん。

 

「いや、高校の課題が──」

「あんたどうせ課題なんてすぐ終わるでしょ。それ以外は朝からアニメ見るくらいしかしないんだから、たまにはお遣いくらいしな」

 

 え、お遣いイベントのフラグだったのん?

 


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