ぼっちの門 〜圓明流異聞〜   作:エコー

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三、龍造寺と陸奥

 

 放課後。

 山田魁斗との邂逅の後、由比ヶ浜の提案……実質のごり押しで、由比ヶ浜や龍造寺と帰路を共にすることになってしまった。

 自転車があることを理由に固辞しようとするも、縋るような由比ヶ浜の上目遣いに絆されてしまった。

 負い目のせいか、最近の俺は由比ヶ浜に若干甘いな。などと独りごちりながら駐輪場から自転車を引っ張り出す。

 

 はぁ、しかし気が重い。

 あいつら二人とも可愛いから目立つんだよなぁ。

 由比ヶ浜は云うまでもなく美少女である。

 愛嬌のある顔立ちと、たわわに実り過ぎた二つのたゆんと揺れるお山がチャームポイント(俺談)。あとスカートはもう少し長いのを希望。目のやり場に困りまくる。

 

 かたや龍造寺だって負けてはいない。

 由比ヶ浜と仲良しグループ(笑)の海老名さんとは違う系統のメガネ美人の龍造寺は、その胸こそ由比ヶ浜には及ばないが、フレームレスメガネに一見無造作とも思えるボブカットの髪型を合わせて、地味ながら何ともガーリッシュな可愛らしさを醸し出している。その髪型を由比ヶ浜は「無造作ショートだよ」とか言っていた。

 そんな美少女二人と、俺。

 俺の異物混入感が半端ない。

 

 溜息をつきながら自転車を引いて校門に戻ると、そこには二人の美少女が立っていた。うん、知ってた。

 しかし非常に絵になる光景ですな。

 校門をくぐる男子生徒たちは次々にその二人に視線を奪わているようだ。

 その人の流れが途切れた隙を狙って、俺は校門へと歩を進める。

 

「あっ、ヒッキーおそいっ」

「悪いな。石の下からダンゴムシを救出してた」

「……変わらないね、比企谷くん」

 

 龍造寺が呟いた瞬間、由比ヶ浜が俯いた。

 沈黙。

 そのまましばらくは三人、もとい先行する二人とそれに追従する俺は無言で歩いていた。

 その沈黙を破ったのは、空気読みの達人こと由比ヶ浜だった。

 

「あ、あのさ……龍造寺さんはいつ頃ヒッキーと会ったの?」

 

 前言撤回。まったく空気を読めてなかった。

 

「え、えーと……話しても大丈夫かな」

 

 由比ヶ浜の何気ない問い掛けに、振り向いて俺に回答の許可を求める龍造寺。その視線に気づかない振りをして俯き加減で歩いていると、龍造寺は呟くように弱々しく語り出した。

 

「……昔、小さい頃に何度か会ってるんだ。比企谷くんは覚えてないみたいだけどね」

 

 ほーん。じゃあ覚えてねぇや。

 

「そ、そーなんだ。幼馴染みってやつ?」

「そんなんじゃないよ。それに魁……さっきの彼とも会ってるんだよ。比企谷くんは」

「悪い、まったく覚えてねえ。不思議なくらいに記憶が空のキャンバスだわ」

 

 別に「あたし色に染めてっ」とかいう事ではない。本当に龍造寺……というか、小学生二年生以前の記憶がすっぽりと抜け落ちているのだ。

 従って、龍造寺の発言の真偽は俺には解らない。

 

「で、でも珍しいね。この時期に転校なんて」

「ほう由比ヶ浜。お前でも的を射たことを言うんだな」

 

 それは俺も気になっていた部分だ。

 進級や学期の変わり目の転校ならば話はわかる。だが、わざわざ一学期もあと数日というタイミングでの転校は、何かしらの事情があると思えた。

 

「ひどいヒッキー! あたしはずっと的を得てるのっ」

「的は得るものではなく射るものよ。もう少しお勉強しましょうね、由比ヶ浜さん?」

「ゆきのんの物真似が上達してる!?」

 

 久々に披露した雪ノ下の口調の真似は由比ヶ浜の感嘆を誘った。思わず心の中でイエスッと拳を握る。

 

「仲、いいんだね」

 

 おっと。すっかり龍造寺の存在を忘れてた。目を遣ると若干不機嫌そうに睨まれた。

 何故かあたふたと慌てる由比ヶ浜を見て溜息をひとつ、俺は話題のすり替えを試みる。

 

「で、結局龍造寺の依頼って何だったん……あ」

 

 話題を変える為にうっかり口に出して後悔する。これはいわゆる藪蛇って奴だ。

 龍造寺の依頼。

 それは少なからず俺に関係することだ。本人がそう言っているのだから自惚れではない。

 

「んー、それはもういいの」

「どうして? ツムツムは相談があって奉仕部に来たんでしょ」

「え……ツ、ツムツム?」

「そ、龍造寺つむぎだからツムツム。可愛いでしょ〜」

 

 なんか関係各所に怒られそうな渾名だな、それ。しかし。

 

「お前、相変わらずのネーミングセンスだな….」

 

 残念な渾名を付けられた龍造寺は、案の定リアクションに困っている。

 

「あー、気にしなくていいぞ。由比ヶ浜の命名センスの無さは持病みたいなものだ」

「ひどい、ヒッキーキモいっ」

 

 頬を膨らませる由比ヶ浜の「キモい」発言を華麗にスルーして龍造寺を見遣ると、何故か真顔だ。

 

「もしかしてそのヒッキーっていうのも……」

「ああ、由比ヶ浜の仕業だ」

 

 ぷんすかと怒る由比ヶ浜を尻目に龍造寺は苦笑いを浮かべた。

 

「で、でさ、ツムツムはどんな相談をしたかったの?」

 

 お、めげないなこいつ。

 

「う、うん……実はね、あたしと同じ転校生の山田くんのことなんだけど」

 

 それを聞いた由比ヶ浜の目が爛々と輝く。

 

「それって恋バナ? 恋バナだよね?」

「決めつけるな。まだ本人が何も言ってないだろ」

 

 ぴょんぴょんと飛び跳ねそうな勢いで身を乗り出してくる由比ヶ浜に辟易していると、強張った龍造寺の表情が目に入る。

 それに気がつかない由比ヶ浜は、更に恋愛脳をフル回転させた。

 

「だってさ、山田くんが転入してきたのが先月じゃん。で、ツムツムはその山田くんを追って総武高校に来たんだよ、きっと」

「そんなラノベや少女漫画みたいな話があってたまるか。お前の言う事が正解だったら、今にか空から女の子が降ってくるぞ」

 

 思わずお気楽極楽な由比ヶ浜の妄想話に呆れてしまう。高校や大学への進学って、そういうものじゃないだろ。

 ちゃんと目的意識を持って選ぶべき問題の筈だ。

 俺?

 俺は勿論、同じ中学の奴らがいないから総武高校を受けたんだよ。悪いか。

 

「比企谷くん……教室では静かなのに、由比ヶ浜さん相手だとよく喋るよね」

 

 うぐっ、転入してきたばかりだってのによく見てやがるな。あと由比ヶ浜、いくら俺と仲良しこよしに見られるのが嫌だからって顔を真っ赤にして怒るなよ。血圧上がるぞ。

 よし、ここはひとつ安心させて由比ヶ浜の血圧を下げてやろう。

 

「あー、こいつアホだろ。ツッコミどころが満載でな。別に仲が良い訳じゃない」

「何それひどいっ、キモいっ」

 

 おおっと、仲の良さを否定するという俺の気遣いは逆効果だったようだ。本当、女心はわからん。だが。

 

「キモいのは今は関係ないだろ」

「キモさ自体は否定しないんだね……」

「当たり前だ。キモさと負けっぷりに関しては俺は定評があるからな」

「はは……」

 

 ふむ。一瞬の内に初対面の龍造寺まで引かせるとは、さすが俺だな。フヒ。

 さてと、話を元に戻すか。

 

「で、実際はどうなんだ、龍造寺」

「うん、由比ヶ浜さんので正解、かな」

「おー! やっぱ恋バナだ〜」

 

 おっと、まさかの由比ヶ浜さん正解ですよ。

 ということはだ。龍造寺はあいつのストーカーか何かか。

 あんな目つきの悪い奴が良いなんて、モノ好きもいたもんだ。

 あれか、不良に憧れる的なやつか。

 だが、俯く龍造寺の纏う雰囲気はどうも恋愛的なものではない。もっと重い何かに思えてしまう。

 由比ヶ浜はきらきらと目を輝かせて「青春だ、純愛だ〜」などと呟いているが、それは放置しておこう。

 結局、龍造寺の依頼の内容は聞きそびれた。

 

  * * *

 

 翌朝の教室は騒がしかった。

 飛び交う噂を捕まえてみれば、また高校生が暴行されたという。

 今度の被害者は、海浜総合高校の空手部の面々らしい。

 

「っべーわ、それ」

「噂だと、すごく目付きの悪い奴だったって」

「にしてもさ、一人で黒帯を八人も病院送りって、めちゃくちゃだな」

 

 その瞬間、俺の中で何かが繋がった。

 あいつだ。山田……なんとかだ。勿論証拠など無い。だが確証めいたものはあった。

 

「ね、ねえ比企谷くん……」

「教室では話し掛けるなよ。眠いし」

「でも……」

 

 龍造寺に声を掛けられてそれを拒否すると、幾つかの視線が一斉に俺へと集まった。

 

「ちょっとヒキオ……それひどくない?」

「そうだな。ヒキタニくんが孤独を好むのは自由だけど、少しは周囲に気を遣うべきだな」

「ヒキタニくん、そりゃないっしょ」

 

 結果、通りすがった三浦、葉山、戸部の三連コンボを喰らってしまう。由比ヶ浜と龍造寺は顔を見合わせて不安そうに見ている。

 普段ならこの程度の口撃など歯牙にもかけぬのだが、どうやら今日の俺は沸点が低い様だ。

 

「空気を悪くして悪かったな。なら、悪者はとっとと退散するわ」

 

 由比ヶ浜の不安の表情を視界の隅に捉えつつ、俺は教室を出た。

 

  * * *

 

 教室に戻るきっかけを無くした俺は、屋上に寝転がって考えていた。

 自分でいうのもアレだが、今日の俺はおかしい。

 昨日の龍造寺と山田の件が関係しているのだろうか。それとも、昨晩の夢が関係しているのか。

 

 昨晩の夢の中、俺はある男と闘った。

 全日本異種格闘技選手権優勝者にして、史上最軽量のボクシング元ヘビー級統一王者。

 無敗の男、陸奥……九十九。

 会ったことのない相手。動画サイトで仕合を何度も見ただけの相手。

 なのに夢の中の闘いはやけに生々しく、まるで自分が陸奥の技を実際に受けているような気分だった。

 信じられないことに、夢の中の俺は陸奥の動きや技に対応出来ていた。

 神速の動きから放たれる陸奥九十九の拳には自ら跳んで衝撃を逃すことで対処し、くるんと回る連続の蹴り技には同じ連続蹴りで対処していた。

 陸奥九十九の繰り出す技が、次の動きがわかる。頭ではなく、身体が反応して的確な対処をする。

 夢の中の俺は、正しく圓明流の使い手だった。

 

 ふと中二時代に患った厨二病を思い出す。

 動画サイトで陸奥九十九の仕合を視聴しまくっていたあの頃、俺は「比企圓明流」の継承者という痛い設定を作り上げて妄想に浸っていたっけ。

 それまでの日課だった筋トレを倍の量に増やし、姿見の前で圓明流の動きを真似てにんまりと悦に浸っていたな。

 今考えると人には語れない、単なる黒歴史なのだが、昨晩の夢での俺はその妄想を体現していた様に思える。何なら圓明流の技は全て身体が覚えている様な錯覚にすら陥っていた。

 

「俺の厨二病……まだ完治してなかったのかよ」

 

 自嘲気味にほざいた独り言は誰にも届くことなく、熱気を帯びた潮風に乗って消えた。

 厨二病の頃の俺ならばコンクリートの壁に向かって"無空波"でも試すのだろうが、現在の俺は徹底したリアリストである。無意味な試行などしない。

 あの妄想は、ただの痛い黒歴史の一つだ。霊界通信や政府報告書と同じ、ただの戯言だ。

 

 そんな調子で結局、四時限目まで屋上で過ごしてしまった。二時限目の平塚先生からは後で鉄拳制裁(お叱り)を受けるだろうな。

 ぼんやりと空を眺めていると、青空に浮かぶ雲がクリームパンに見えてきた。同時に腹の虫も声を上げる。

 

「……腹へったな」

 

 不思議なことに、寝っ転がっていても腹は減る。ただの基礎代謝だけども。

 スマホで時刻を見ると、そろそろ購買がパンを並べる時間である。

 さて購買へ向かおうかと考えていた時、不意に視界が暗くなった。

 目の前で影を作るのは肌色とチェック柄、その奥には黒い……レース?

 

「……あんた、こんなとこにいたの」

「よう、川……なんとかさん」

「はぁ、川崎だけど」

 

 影の主は、以前の依頼で縁があった同級生、川崎沙希だった。ちなみに黒いレースとの対面は二度目である。

 本当ごちそうさまです。

 

「あんたさ、何か問題でも抱えてるの?」

「ほう、その心は」

 

 さすがはぼっちの川崎だ。目敏い。

 こいつは俺とは違うタイプのぼっちだが、周囲の様子や動向から情報を得ている点は同じなようだ。

 

「別に。ただ、あんたが教室を出た後にさ、転校生が葉山たちに食ってかかったんだよ」

「……は?」

「あんたをヒキタニって呼んだことが気に入らなかったみたいでさ」

 

 ──。

 

 ……はっ、理解し難くて一瞬意識が飛んでた。

 龍造寺みたいな地味で大人しそうな女子が、俺の呼び方くらいで怒る、だと?

 

「あの龍造寺って子、神武館の娘でしょ」

「そうなのか、よく知ってるな」

「あ、あたしも昔、神武館に通ってたから」

「へぇ……そりゃおっかないことで」

 

 よし、今度あの山田って奴に絡まれそうになったらこいつを呼ぼう。

 あ、連絡先知らないや。てへ。

 

「ま、あたしが通ってたのは千葉支部だけどね」

「ほーん」

 

 こいつが空手をやっていたのは小耳に挟んでいたが、まさか神武館だったとはな。

 確か神武館って、顔面攻撃有りのフルコンタクト空手だよな。

 こいつの印象って「顔はやめな、ボディにしな」って感じだったんだが、どうやら顔面もアリらしい。

 なにそれ超こわいんですけど。

 もう黒のレースを拝見したなんて言えない。言うつもりも無い。

 ラッキースケベとはいえ、ただの覗きだし。

 つーか川なんとかさん。寝っ転がる俺の顔の前でしゃがむのはやめてください。うっかり黒のレースと三度目のご対面をしちゃうからっ。

 すでに柔らかそうな裏腿が見えちゃってるからぁっ。

 ちらちらと引き寄せられる俺の目の動きを察したのか、慌ててスカートを抑える川崎。

 

「いや。別に見る気は無かったんだ」

 

 咄嗟に吐いた言い訳に対する川崎の反応はといえば。

 

「ううっ……見られた、見られた……」

 

 涙目の顔を朱に染めて俺を睨むものの、その表情には普段の刺々しさは微塵もなく、どちらかといえば。

 

「──可愛い」

「は、はぁ!? な、な、な……」

 

 おっと。心の声が漏れてしまった。

 神武館仕込みの鉄拳で制裁される予感がして身体を硬直させるも、川崎はしゃがんだまま膝に顔を埋めてしまった。

 さすが空手経験者。俺が殴る価値も無いと判断したか。

 よし、今のうちに戦略的撤退を、と考えて立ち上がると、しゃがんだ川崎は涙目で俺を見上げていた。

 つまりはまだ話がある、ということか。よかろう。黒のレースの礼に多少の罵詈雑言は甘受してやろう。

 覚悟を決め、再び屋上のコンクリートに腰を下ろす。だが、川崎の口から発せられたのは、俺を責める類のものではなかった。

 

「あ、あんたさ……あの龍造寺って子と何か関係、あるの?」

 

 何故口ごもる。何故頬を赤く染める。何故指で「の」の字を描く。

 そして何故俺は動揺してるんだよ。

 

「し、知らん。小さい頃のことなんて覚えちゃいない」

 

 よし完全論破終了。実際全く覚えてないし。何なら八歳より前の記憶が欠落しているまである。

 

「じゃあさ、あの龍造寺つむぎの両親のことは……知ってる?」

「本人を知らんのに親を知ってる訳ないだろ」

「なら、陸奥九十九、と言ったら?」

 

 思わず身体が強張る。

 な、何でこいつから陸奥の名が出てくるんだ。まさかこいつ……。

 

「格闘技マニアか、お前」

「は、はぁ?」

「お前も動画サイトで見たんだろ。陸奥九十九の昔の試合」

「み、見たけど……」

「あれ凄いよな。異種格闘技選手権の決勝なんて動作を目で追うのがやっとだったし」

「あんた……あの動きが見えたの?」

 

 あれ。見えなかったの?

 見えないのが普通なのん?

 

「あんた、相当目が良いんだね」

「……そうみたいだな。よく腐ってるとか、死んだ魚を二週間放置したような目とか云われるけど、視力は良いぞ」

「そう? あたしはあんたの目、個性的で良いと思うけど」

 

 え、マジで?

 初めてこの目を褒められた。もうこいつ、お婿に貰ってくれないかな。さもないと俺が平塚先生を貰っちゃうぞっ。

 

「まあ、あんまり詮索するつもりは無いけどさ」

 

 そう前置きした川崎は更に語り続ける。

 

「最近の神武館はきな臭い話があるから、もし関わりがあるなら気をつけなよ」

「わかった。忠告……ありがとな」

「ばっ、馬鹿じゃないの!?」

 

 おぅふ。上げて落とすパターンでしたか。

 

 

 


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